審判
魔女イルマは焦っていた。いや、すこぶる焦っていた。セシリアの実力を完全に見誤っていたからだ。
(まずい、まずいぞ、わしの見立てより遥かに強い!近距離で戦うジークの勝ち目は薄い……)
イルマはセシリアが近距離速攻型だということは分かっていた。軽鎧と細身の剣、魔力を常に厚く纏うのではなく瞬間的に出力を上げることにより静と動の差を作るのは分かりやすい特徴だ。
そしてジークならその猛攻を凌げると思っていた。防御を固め、出力が安定しないことによる弱点である息切れのしやすさをついて勝てる見込みだった。
それがどうだ。最大出力は予想を超え、更に剣の射程を伸ばす魔術まである。
(あの魔術、魔力の消費量が少ないせいで充纏がほぼ乱れない。恐らく効果範囲や持続時間を絞っているのだろうが、中距離まで届く刃と充纏を同時に発動できるなら十分すぎる。これでは近、中距離において隙が無いではないか……)
人間が使う魔術を侮っていたこと。生前の強さから来る驕りがあったこと。
二つの要因により今、ジークは窮地に陥っていた。
だがもはやイルマにできることは、二人の様子を眺めることだけだった。
「君は人を殺したことがあるな……?」
首元に剣の切先を突きつけられる。僅かに肌に沈み、後は少しばかり引いてやればあっさりと頸動脈は切れ死に至るだろう。
「私はその者が人を殺しことがあるかどうか臭いで分かる。根拠や原理などは私自身も把握していない。だがそれは血の臭いが手についているとかそういった話ではない!ただとにかく分かるのだ」
セシリア自身も何故かは分かっていないが、恐らく立ち振る舞いや目線、声などから人を殺した者の特徴を感じ取り、それが嗅覚に作用して見抜いているのだろう。一種の共感覚の様なものだ。
「つい先程まで、君から人殺しの臭いはしなかった。だが奴らを殺す直前、人殺しの臭いが君から漂ってきた」
こんなことは初めてだ。そう呟きジークの目を睨む。一挙手一投足を見逃さない眼力。抵抗を許さないというだけでなく、今も殺人を犯したことがあるか見定めている。
あの男達に向けられた目が今、自分に向けられている。手が震え目を反らしたくなるが、ジークはその視線を受け入れなければならない。
「君の臭いは中途半端だ。憎しみや欲で人を殺した者とは違う」
「……君が人を殺したことがあるのは間違いない。では、自分の意思では無かったのか……どうなんだ、答えろッ!」
奔流する魔力と殺気。セシリアは今この瞬間にもジークを殺せる。答えを間違えれば、命は無い。
「ぼ、ぼくは……」
過ち、嘘、欺瞞。他人に対してか自分に対してか、偽ることはできる。たとえセシリアに看破されたとしても、認めないことはできる。
そうすればもしかしたら助かるかもしれない。そんなつもりは無かった、ただ村の人を助けたかっただけだった。そう言えば許してくれるかもしれない。
だが、ジークは思った。
それは卑怯だ。自分の行いに責任を持たず過去の自分を否定するのは悪徳だ。
(この問いの答えでぼくが殺されるとしても!ぼくがあの時ミゲルや山賊達が処刑されるのを止めなかったのは事実だ!ぼくは彼らが殺されることを分かっていた。だけど殺す覚悟が無かったから裁くという言葉を使ったんだ!)
ぼくは、ここで嘘をつきたくない!
セシリアの目を見つめる。半歩前に出て剣を首に押し当てる。
「……ぼくは、自分の意思で人を殺した……!」
これは覚悟だ。自分に嘘をつき過去を否定して生き永らえたとしても、そんな人生まっぴらだ!
(ぼくは、自分の行いに後悔したくない!後悔を抱えたまま生きたくはない!)
切るなら切れ!
ぼくは死んでも後悔しない!
汗が流れ、拳を握り、目を睨む。
流れる一秒が果てしなく長く感じる。頬を伝う汗はナメクジの様にのろく、緩やかに吹く風は体にまとわりつく。
死の恐怖と覚悟が時間を何倍にも引き延ばし、セシリアの魔力の揺らぎさえ見分けるが、ただ審判を待つのみ。
人を助けた人間か、人を殺した獣か、自分で決めることはできない。
(ぼくは人か、獣か……)
剣が動く。滑り出し、引いていき、皮膚を撫でて、鞘に収まる。
思わず手で押さえるが痛みは無い。血の気を失った震えた手を見ても血の一滴すら着いておらず、ただ茫然と眺めてしまった。
「君は獣では無かったようだ」
セシリアを見ると既に魔力を引っ込め、普段の表情に戻っていた。先程までの鋭い目つきは見る影もない。
「この者等にあったことで君は自分の罪を自覚したのだろう。今の君の目からは、君の覚悟が良く伝わってくる」
「……おいおい、そんな顔をするな。私は問答無用で切る訳ではないぞ。人殺しが分かるのも、一つの指標に過ぎない」
横を向くと風になびく銀の髪が月の光に照らされ絹糸のように煌めき、まるで本に書いてあった女神みたいだとジークはのんきに思った。死の恐怖から解放され情緒がおかしくなっているのかもしれない。
「あとは、そうだな。自分の命を簡単に人に預けてはいけない。さっきの君なら、あの状況からでも私の剣を避けられただろう。生きるために最後まで足掻くべきだ」
ジークは先程のことを思い出す。死が目前に迫ることによる極限の集中状態。だがジークとしては意識して至ったものではなく、あまり覚えていなかった。だが、確かにあの時なら何でもできそうな気がしていた。
「それにな」
セシリアは自分の手を見つめ、懺悔するように話す。
「私とて、人殺しなのだ。民のため、いや、自分のために人を殺す。私は自分が人間だと信じているが、いつ獣に墜ちてもおかしくはない」
ジークは彼女が泣いているように見えた。涙は無い。だが、恐怖に怯える女性の姿がそこにはあった。
見捨ててはならぬ人の姿が、あった。
「なら……」
彼女はジークの顔をキョトンとした顔で見つめる。
「なら、その時はぼくが止めます。……必ず!」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして硬直した後、何が可笑しいのか楽しそうに、いや、嬉しそうに笑い出した。
今度はジークが訳が分からず固まってしまう。
「フフ、ジーク、今のは私と添い遂げるということか……?気持ちは嬉しいがな、君にはまだ早いと思うが……」
セシリアはまた笑い出し、ジークの顔は真っ赤になった。だが二人の間の距離は、以前より少しだけ近くなった気がする。
そしてひとしきり笑った後、セシリアは腰に手を当てた。
「さて、一件落着と言いたいところだが、まだやることがある」
セシリアが振り向いた目線の先を見ると、暗闇の中に大きい芋虫が這いずっているようで、更に良く見るとそれは……
「ヒィ!!」
最初に腕を折られた男で、二人が話している間に音を立てないように地面を這って逃げだそうとしていたようだ。
二人が近づけば大きかったはずの体は小さく縮こまり、奥歯はガタガタと鳴っている。
「お、おお前ら!頭おかしいんじゃねえのか!?こ、こんな死体に囲まれて笑ってるなんてイカレてやがる!」
二人は周りを見渡すと、確かに両断された死体が横たわり、酷い臭いが充満している。鼻が馬鹿になって気づかなかったが、血と汚物が混ざったような強烈な悪臭が漂い、ジークは今更気分が悪くなった。
セシリアは慣れているのか平気な顔をしている。
「まったく、乙女に対して酷い言い草だな」
人を両断する乙女……?
ジークはギリギリ口に出さなかった。
「そういえば貴様、私に酒の相手をしろと言っていたな……気が変わった。貴様が私の酒の相手をしろ。なあに、ただ知っていることを話してくれれば良いのだ……」
「う、ああ……」
男の顔が引きつり、喉から声が漏れる。
セシリアはしゃがみ、地面に伏せる男の肩をポンと叩いた。
「ああ、ああああああああ!!!!!」
男は悪魔を見てしまったかのように悲鳴を上げ白目を剥いた。
ジークからはセシリアの後ろ姿しか見えなかったが、回り込んで覗く勇気は、ジークには無かった……
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