親愛

「……シスターシグネ、お話があります……!」




「あら、どうしたの。かわいいジーク……?」




 シスターシグネは仕事机に座ったままジークの顔を見上げた。ジークはその顔を見つめるが、何を考えているのか読み取れなかった。そして初めて彼女を不気味だと思った。しかしここで怯むわけにはいかず、扉を閉め一歩大きく前に出る。




「……シスターシグネ、ぼくがこの村を出て行くとはどういうことですか。そんな話をぼくは聞いていませんよ……!」




「ああ……ジーク……。シグネお姉ちゃんと呼んでほしいわね。今は二人きりなんだから……」




「そんな話はしていない!ぼくはこの村を出るつもりは無いと言っているんです!」




「まあ、女性に対して声を荒げるなんて、いつからそんな風になってしまったのかしら。悲しくて涙が出てしまうわ……」




「…………ッ」




 まともに答えずヨヨヨと泣き真似までするシスターシグネに、ジークの掌に爪の跡がついた。




「……シスターシグネ。何なんですか……一体どういうつもりなんですか……!」




 ジークは問うた。何も分からず、俯き絞り出すように問うた。




「……どういうつもり……?どういうつもりはあなたの方よ、ジーク……」




 ジークは顔を上げ、固まった。シスターシグネの目が見たことも無い程冷たく鋭くなっていたから。夕陽が陰って薄暗くなった部屋に、鈍く光って見えたから。

 ジークは一歩後退った。




「さっきこの村を出るつもりは無いと言ったわね。それは本当?私の目を見てもう一度言ってくれないかしら……」




「…………」




 ジークは言えない。自分を偽る言葉を、本当の事などと言えるわけが無い。




「そもそも、あなたはもうすぐ成人するはず。それならこの孤児院を出て自由になるのに、どうしてこの村に居続けようとするの?」




「そ、それは……あのバケモノがまた現れるかもしれないから……」




「そしてあのバケモノから村を守れるのはぼくだけだから……かしら?」




 シスターシグネはジークが言わなかった部分をぴたりと当て、ジークはまた一歩下がり扉を背にした。




「ジーク、あなたは特別な力を持っているわね。ヨハンから話を聞いたし、背中や右腕の傷がすぐ治ったんだから分かるわ。そしてそれはジークが死にかけた日以降、特に右手を怪我して帰ってきた時から、何か違う雰囲気を纏っていたわ」




 シスターシグネは魔力が見えていなくてもその雰囲気や振る舞いから、全て最初からお見通しだった。その上で何も言わず、聞かずにジークを見守っていた。




「……ジーク、その力で子供達を守ってくれたことは感謝するわ。ありがとう」




 そう言って彼女は深く頭を下げた。ジークはここまで深く長い礼を彼女から受けたことは無い。ジークがどう返すべきかどもっているうちに彼女は顔を上げ、変わらず鋭い目で続けた。




「……だからこそあなたはこの村を出て行くべきだわ。それだけの人を救える力を持っていながらこの小さな村に居続けるなんて、あってはならない。あなたには一人でも多くの人を、子供達を助ける責任がある!」




 シスターシグネの鋭い目は、ジークの気圧された目を捉えて離さない。




「……ではぼくがいなくなったら、だれがこの村を守るんですか!?」




「そんなの、わたしたちに決まっているわ。自分の村は自分で守るものよ。既に村の人たちと柵や見張り台を立てるという話はしてあるの。武器と食料を貯めて、いざという時は子供達だけでも逃がしてみせる……」




 それでは、無理だ。




 ジークは胸の奥から迫り出してくる言葉を抑えることができない。




「それじゃあ、駄目だ!柵や武器なんかあいつらには通用しない……。ただ大人が、シグネお姉ちゃんが殺されるだけだ!ぼくがいない時にバケモノが来たら、ぼくは力を持っているのに何もできない!」




 ジークは思いが溢れるのを抑えられない。村に残ると決めたのに。村の人を、弟たちを、シスターシグネを守ると決めたのに、当の本人が突き放そうとしている。決意と拒絶に揺さぶられた心は、弱くて脆い。




 ジークの目は子供のように潤み、一歩ずつ彼女のもとへ還る。




 シスターシグネは母親のような笑みを浮かべ、近くに来た彼をその両手で抱いた。




「……ねえジーク、人が生きるというのは自分のできることを精いっぱいやり遂げることだわ……。わたしたちにできることは柵や見張り台を立てて子供達の盾になること。それで死んでしまっても、恥じることでも悔いることでもないわ。……だけどわたしたちが助かるために、多くの人を助けることができるあなたをこの村に留めるのは、醜いことだし許されることではない……」




 ジークは膝をつき、赤くなった目で見上げる。縮まったと思っていた身長差がまた開いてしまった。




「大丈夫よ、子供達は必ず守るわ。全員生きて逃がしてみせるから……」




 シスターシグネは、鋭さの代わりに優しさと愛を込めた目でジークを見つめる。




「そうじゃない……そうじゃないんだ!シグネお姉ちゃんが死んじゃったら意味が無いんだ!ぼくは何も返せていない……何も伝えられていない……!」




「いいえジーク、あなたからは沢山返してもらったし沢山伝わってきたわ。その恩も、思いも、わたしがあげたものより多くのものを貰ったわ。あなたがこれから返さなくちゃいけないものなんてない。既にあなたは自由なのよ……」




 ジークの頬は、温かい手で包まれた。その手は土で汚れたり傷があったり、決してきれいな手ではないけれど、愛しく柔らかくずっと包まれていたくなるような、そんな手だった。




「ジーク……もう一度聞くわ。あなたは、どうしたいの……?」




「ぼくは………………ぼくは、この村を出たい……外の世界を見たい……!」




「ええ……ええ、そうねジーク。良かった、その言葉が聞けて本当に良かった……」




 女が小さな子を抱きしめた。母だろうか、姉だろうか、もしくはどちらでもないのかもしれない。しかし二人が愛し合っていることは間違いない。お互いに温もりを、匂いを、柔らかさを確かめ合い、深く深く抱きしめ合った。たとえ遠く離れても、忘れてしまわないように……




 ただその部屋世界に二人だけがあった――

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