欲するもの
グロアとの決定的な違いを見せられた後も、俺は何度もグロア達と一緒に遊んだ。そうすれば食べ物を分けてくれるからだ。
グロアと鬼ごっこをし、俺は圧勝した。グロアは膝に手をついて息を切らしながら、はやいね、と笑って言った。
その日の夜も、路地裏で一人だった。
トールがグロアの後ろから出てきてくれた。俺はなんて言って良いか分からなかったし、トールも黙っていた。そんな様子を見てグロアはクスクスと笑っていた。
その日の夜も、路地裏で一人だった。
二人の母親に会った。グロアに良く似ていて、太陽の様な女の人だ。殆ど毎日働いているらしく、その日は偶然休みになったようで、喜んではしゃぐグロアとトールを抱きしめた。三人の顔は、見たことが無い程幸せな表情をしている。
対して俺は今、どんな顔をしているだろうか。
ただあの人は手で招き、俺は誘われた虫の様にフラフラと近づいて、二人と一緒に抱きしめられた。温かく、柔らかく、甘い匂いがした。自分の知らない何かが胸を衝いて、俺は……肩に回された腕を跳ね除け逃げ出し、
「また、いらっしゃい」
一人になった。
何年か経った時、グロアとトールの母親が病気に罹った。なんてことの無い、普通の病だ。運が悪ければ罹り、もっと運が悪ければ死ぬ。それだけだ。
グロアは懸命に看病していた。濡らした手拭いを額に当てて、粥を飲ませた。
(無駄だ。薬も無いのに、そんなのは気休めにしかならない)
トールは医者を探していた。毎晩帰りが遅くなるほど町中を走った。
(無駄だ。あの壁の中にしか、真面な医者はいない)
「みんなで仲良く……ね……?」
そしてあの人は、あっさりと死んだ。
二人は泣いていた。俺はその涙の量も、漏れ出す声も、理解できなかった。それでも慰めようと、仕方がなかった、と言おうとして……言えなかった。俺は二人に対して、仕方がなかったと、言えなかった。
いつの間にか、また数年が経った。そして今度は俺が病気になった。運が悪かったのだ。まだ動ける内に何とか屋根のある場所を見つけた。その点は運が良かったがこの後も運が良いとは限らない。
高熱が出て、息が苦しくなる。全身が重く、もう指一本すら動かしたくない。視界がぼやける。ここまで体調が酷いのは初めてだ。
俺も、あの人と同じように死ぬのかもしれない。
……いや、違うか。あの人の様に、傍で泣いてくれる人など俺にはいないのだから。
俺は二度と開けたくない程に重い瞼を、閉じた。
上も下も無い空間で、俺はただ浮いている。自分の手を見ても、そこには黒いもやしか無くて、ただフワフワと揺らいで形が無い。こんな手では、何も掴めはしない。
意識がグルグルと回転して、記憶がごちゃ混ぜになる。死に向けて人生の整理をしようと、過去を無理やり持ってきて、今の様に見せる。今更見せられても、どうしようもない。思うこともあった。
グロアは俺をどう思っていたんだろうか。
トールは俺に懐いてくれたんだろうか。
あの人は、何で俺を抱きしめてくれたんだろうか。
俺は結局……何がしたかったんだろうか。
目の前に、ガラスの欠片が現れた。
――何度もグロアに会ったのは、何故だ。
希望が欲しかった。グロアと一緒にいることで、自分にも希望があると思いたかった。
――トールと仲良くなろうとしたのは、何故だ。
一人は嫌だった。信用できる、助け合える仲間が欲しかった。
――あの人の腕を跳ね除けたのは、何故だ。
知りたくなかった。あの気持ちを、あの感情を知ってしまったら、もう一人には戻れなくなる。孤独が、怖くなる。
そうだ。俺は自分勝手でどうしようもない人間なんだ。
希望が欲しいのに、助けてくれと言わない。
仲間が欲しいのに、自分からは誘わない。
家族が欲しいのに、温かさを拒絶する。
求めるのに、何もしない。変えたいのに、変えようとしない。
矛盾を抱えて生きているのに、不満は消えることなく溜まり続ける。
グロアが必死に看病をしている時、俺は何をしていた?
トールが息を切らして医者を探している時、俺は何をしていた?
何もしない奴が、何もしようとしない奴が、諦めた顔をして行動する者に呪いを吐く。
だというのに、慰める時は良い顔をして、仕方がなかったなどとほざこうとした。
言って良い訳がない。ただ黙って見ていた奴が、仕方がなかったと言って良い訳がないッ!
……だが、もうどうでも良いことだ。今更過去を悔やんだところで、俺はもうすぐ死ぬ。何も成せず、何も成さず、一人で死ぬ。
――それで良いのか。
良いも何も無い。もうどうしようもないんだ。
――諦めるのか。
諦めたわけじゃない。もうできることが無いだけだ。
――また、仕方がなかったと言うのか。
……何なんだお前は。さっきから勝手な事ばかり言う。人の内側に土足で入って来るなッ!
――俺は、お前だ。縋りたいお前。諦めたくないお前。変えたいお前。壊れた心で成せなかったお前の集合。それが俺だ。
――また諦めるのか。また何もしないのか。どうしようもないと達観した気になって、動くこともせず、あの路地裏で死んでいった奴らの様に何も残さず孤独に死ぬのか。
うるさいッ!俺だって……希望が欲しい。仲間が欲しい。家族が欲しい。愛が欲しいッ!
だが……もう……俺には……
――俺はお前に、希望も、仲間も、家族も、愛も与えてやれない。しかし、一つだけ。一つだけお前に与えてやれる。
……一つ……?
――力だ。人よりもずっと強い力。俺なら、それを与えられる。
……それがあれば、全部変わるのか……?
――さあな。力があろうと何も成せない者はいる。変えるのは、お前自身だ。この力でお前の生活も、この町も、運命も、お前が変えるんだ!
俺が……変える……
――そうだ。お前がいらないと言うのなら、お前が何もしないと言うのなら、俺もお前と同時に死ぬだけだ。
だが、変えたいというのならッ!求めろ!欲しろ!叫べ!
力が欲しいと!
俺は……欲しい……
――力が欲しいか。
力が……欲しい。
――力が欲しいか!
力が欲しい!
――力が欲しいかッ!!
力が……欲しいッ!!!
ガラスの欠片が集まって、俺を形作った。黒いもやも取り込んで、俺は今、一つになった。
朝だ。ボロボロの屋根から白い光が漏れている。目はすっかり冴え体を起こすと、軽い。病など嘘だったかのように消え去り、むしろ力が湧いてくる気さえする。
(力……?)
何となく、手を見つめた。すると手の周りに力が揺らいで、歪んで見えた。
(これが……力)
この力で何ができるのか。どこまでできるのかは分からない。だが、分かった。今、確信した。この力があれば……
「変えられる……いや、この力で……全部、俺が――」
「――俺が…………変え……る……」
腹に打ち込まれた正拳。蒼い魔力の奔流はダンの腹で炸裂した。
ダンは何とか意識を保っているが、もはや風前の灯だ。一歩、また一歩と後退り、意識が途絶え後ろに倒れかけた時、右手が赤い剣に触れた。
瞬間、剣は赤く光を放ち始めた……
晴空の魔法使い ぱんぱんなこった @panpannakotta
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