黒と赤の戦い5
ダンの背後、砂塵の幕が破られてから剣が振り下ろされるまで一瞬だった。
ダンは頭で判断するのではなく、完全な反射のみで体を動かした。脱力からの緊張は爆発的な速度を生み出し、放たれた閃光の斬撃は跳び出した物体を真っ二つに両断した。
(……そう来ることは分かっていた)
ダンが両断したのは石畳。体を隠すように大きな石畳を前面に構え、魔力を籠めて防御した。斬撃は石畳を貫通してジークに深い傷を与えたが、致命傷には至っていない。
だがダンはこのことも予測していた。いくら目隠しをした状態からであっても、無防備に突っ込んでくるわけがない。ならば重要なのは二太刀目。返す刀で切り上げ、それを防がれたとしても左の紫電がある。
(問題はない……!)
ダンは袈裟切りに振り下ろした剣を今度は全く反対に、両断した石畳の隙間を狙い左逆袈裟切りに斬撃を放つ。ただしこれまでと違うのは右腕のみで放ったということだ。これまでは両手でしか発動できなかったものが、ダンは今初めて挑戦し初めて成功した。だがダンはできる確信があった。
既に八歩程の距離まで詰めていたジークは、石畳を前方に放り投げ無慈悲に飛んできた斬撃を剥き出しの左腕を犠牲にして受け止めた。傷口は深く血が噴き出て、ダンからはもう左手は使えない様に見えた。
(これで……終わりだ……ッ)
迫るジークに紫電を合わせる。その為に左手を残したのだ。
後はこの左手で紫電の剣を取るだけ。それだけで勝てる。
ダンの心には勝利の確信が生まれた。
直後、背筋が凍った。
ダンはジークから目を離していない。当然だ。目の前の敵から目を離す馬鹿はいない。だからこそ気づかなかった。
ダンの視界の端、放り投げた石畳の裏、意識の隙間から入り込み毒牙を剥き出す蛇が、既に、ミゲルの剣に絡みついていた。
(これは………まさかッ!!)
這いよる蛇。それは服を裂き、細長く伸ばした布。風を受けやすくする為幅を持たせ、魔力を通して強度を確保し、右手から伸ばした。ジークは今、左袖が無く、それを隠す為に石畳を縦にした。
(届いた……!……ギリギリ!)
風を操ることはもうバレている。であるからこそ具体的な手の内はバレたくなかった。
覆いをして、盾を持って限界まで近づき、絶対に意表を突きたかった。そうで無ければ射程で有利な相手に致命打を与えられない。
だがこれは賭けだった。ジーク自身、長い布を風で操った経験は一度だけ、一瞬だけだった。しかしそれでも十分だった。
やるしかない、成功させるしかない。それなら一度の成功経験は自信に変わり、確信に変わる。ジークの心に投げやりな気持ちなどない。ジークは確信し、そして成功した。それは間違いなく、なるべくしてなった。
だが剣を掴んで終わりでは無い。
(ここからだ……ッ!)
(まさか、風で布を操って……ッ!)
風で布を真っすぐ伸ばし、剣の柄に巻き付かせる。それがもとからできていたのか、今できるようになったのか、ダンには判断がつかない。しかしそんなことはどうでもよかった。現実に今、剣を先に握っているのはジークだ。
そしてその剣は既に、七歩先のジークに向かって引き寄せられている。
(叩き落とす……いや、間に合わない。なら、待つだけだ……)
右上に振りぬいた剣を片手で左下まで振り抜くのは間に合わない可能性が高く、間に合わなかった際に発生する隙が大きすぎると判断した。故に待ちの構えに移行する。
また、ダンはジークが紫電の剣を持っても問題無いと考えた。
仮に紫電を撃たれても、こちらも斬撃を放てばよい。最低でも相打ちだし、その場合は傷を多く持つジークが、形勢が決まる程に不利になるだろう。
更に言えばダンが剣を振り、紫電の剣で防御されたとしても問題にならない。
それもジークが教えてくれた。
紫電の剣は、剣身そのものに魔力を籠められない。魔術が勝手に発動し魔力が強制的に吸われてしまうからだ。だが斬撃《セシリア》の剣なら違う。斬撃は魔力消費量が少なく、ダンの膨大な魔力を流せば、無理矢理だが剣身に魔力を纏わせることができる。
魔力を纏わない紫電の剣と、魔力を纏った斬撃の剣。ぶつかり合った時勝つのは……
(俺だッ!)
ジークは六歩先、剣を手に取り魔力を流した。ダンが思っていたより一歩分早かったが、ダンは剣を振り斬撃を飛ばすだけ。
だが
ジークは紫電の剣をダンに向かって投げつける。その軌道の先はダンが右上段で構えている剣の僅か上。つまりダンに直接当たるわけではない。
しかし間接的には当たる。
「くッ!!」
斬撃の剣を手放し体を反らした直後、激しい音と共に雷が剣に落ちた。
(これは君が教えてくれたんだぞ……ダンッ!!)
剣を手放し体勢を崩したダンに、四歩先のジークは迫る。
これでダンは武器を失った。……訳ではない。ダンはもう一本背後に剣を控えている。
――これを使う……だがこれは一度しか使っては……いや、そもそも間に合わない。だが無手で奴に勝てるのか……
瞬き一つの時間に圧縮された思考の中、ダンは……
ジークに向かって構えた。
無手で迎え撃つ。赤い剣は使わない。
そしてダンは考えるのを止めた。中途半端に考察したのが良くなかったのだ。戦闘経験の浅さが出てしまった。
ならばもう目の前の相手を、見てから対処する。
――一手ずつ、奴を追い込むッ!
ジークは二歩先にいる。あと一歩でお互い有効射程距離に入る。
あと一歩。あと一瞬。
(行くぞッ!ダンッ!!)
(来い……ジークッ!!)
一歩、踏み込んだ。
ジークが先手をとり、ダンの右腕を布で巻き取る。
ダンは魔力を籠めて対抗し、左手で布を掴もうとするがその前に布は解けた。
ダンは懐に入ろうとするジークを膝蹴りで防ぎ、ジークはダンの拳を紙一重で避け、その腕を掴んで体制を崩そうとする。
先手後手の高速な入れ替わり。至近距離での目にも止まらぬ戦闘は、傍からはもはや組み手にすら見えていた。
隙を作ろうとし、生んでは消す。お互いに繰り返される攻防は全くの互角で、まだ僅かな時間しか経っていないのに永遠に続くと思えた。
が、しかし――
(……なんだ……こいつ、速くなっている……!?)
ダンはジークに脛を蹴られそうになり、魔力で防御しようとしたが一瞬遅れ少し体勢が崩れた。
ジークの拳を腕で受けた時思ったより力が強く、受け止めきれなかった。
ジークの速さと膂力が今、急成長しているのか……
いや、違う。
(俺が……追いついていない……ッ!!)
高速で繰り広げられる攻防の中で、ジークは同じく高速で魔力を偏らせながら戦っている。右腕、左腕、右足、左足。魔力を偏らせることで攻撃力と防御力を上げ、力強い打撃と硬い受けを実現している。
ならばダンもそれに合わせて魔力を動かし偏らせなければ攻撃を受けられない。ダンはそれができると思っていたし、できていた。
最初は……
僅かに魔力操作が遅れた。それがきっかけだった。少しずつ、ジークの速さに追いつけなくなり、攻撃を貰うようになった。
ダンはジークに対し、魔力操作で後れを取っている。
それは何故か。
才能があり、今も急成長しているダンに対し、ジークが圧倒的に勝っているもの。それは経験だ。
魔力を操る経験。戦闘する経験。怪我をする経験。
才能や模倣では覆せない経験の差が今、魔力操作という面で現れ戦いを動かした。
(ふざけるな……ふざけるなッ!持っている者に、俺は……ッ!!)
狙うはジークの首の左側。ジークの左腕は負傷し、使い物にならないはずだ。
ここを決めれば、今の不利を覆せる。右腕に魔力を集め、全力の手刀を振り下ろす。
ベキベキッ!!
骨が砕ける乾いた音。ダンはジークの骨を砕いた。
ジークの左腕の骨を……
「お前……左腕に魔力を……ッ!!!」
――全く籠めていなかった。ジークは左腕を単なる緩衝材として利用した。首さえ守れれば、左腕などどうでも良いかの様に。
(ならその魔力は――)
ダンは自分が傾いていることに一瞬後に気づいた。左膝を布で引っ張られ、斜め前に倒れていく。
ジークは左腕を捨て、ダンの体勢を崩すことに全力を注いだ。そして既・に・、布を操る右手には、体中の魔力が集まっている。
引き延ばされた時間の中、ダンは目の前で輝く魔力の塊を見た。
蒼く煌めく大空のひとかけらのようなそれは、ジークの拳と共にダンの腹部へと落ちた。
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