修行2【充纏】

「まったく、昨日は散々な日でしたよ……」




 昨日は帰りが遅くなったことでシスターシグネに怒られた。特に彼女の怒りようは途轍もなく、説教は今までで一番の長さだった。




「病み上がりだというのに走ったり体操をしたかと思えば今度は夜にふらふらで帰ってきて、あなたはどれだけ心配させれば気が済むのですか!今度同じことをしたらご飯抜きにしますからね!エリカが、お兄ちゃんが返ってこないと泣いていましたよ、後で謝っておきなさい!本当にあなたという子は――」




 そもそもシスターシグネには魔法使いの修行をするとは言っていない。魔女イルマや魔王の話を信じてもらえるわけが無いからだ。彼女にはただ普段の仕事が終わったら自由な時間が欲しいと言っただけである。やりたいことができたのね、と快く了承してくれたのだが、内心は心配で仕方なかったのだろう。




 そして身長の一番小さい女の子――エリカにだっこをせがまれて首元を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにされ、解放されたのは三十分後だった……そのあと悪夢を見た。




「師匠のせいで怒られたんですよ!それにもう悪夢を見せるのは止めてください!やり方が陰湿なんですよ!」




「うるさい!師匠に逆らう方が悪いんじゃ!」




(な、なんて理不尽な人なんだ……)




 ジークは思っただけで口にはしなかった。が……




「む、お主また失礼なことを考えたな。今日もまたあく『わああごめんなさいぼくが悪かったです!』 うむ、それなら良い」




 師匠とは理不尽なものである。

 不満げな顔をごまかすように、ジークは話題を変える。




「それで今日はなにをするんですか?」




 また平原に現れた二人。昨日で魔力を出すことに成功したのだから今日はその続きをするのだろう。




「ああ、今日はというか数日は魔力操作の修行じゃ。まずは昨日と同じように座って魂から魔力を引き出してみろ。」




 ジークはまた何か言われる前に大人しく従う。胡坐を組み、目を瞑る。もう自分の魂がどこにあるかわかる。最短で見つけよく観察する。あの透明な殻はどこにもなく、魂から魔力が溢れている。ただ昨日すっからかんになるまで魔力を使った影響なのか、昨日より量や勢いが数段落ちている。




「その魔力を引っ張って自分の体に纏う。昨日わしが見せたようにやってみろ」




 ジークは思い出す。目の前で紅いベールを纏った時があった。あれがそうなのだろう。集中して魔力を動かす。高い方から、低い方へ、山から川が流れるように。道はわかる。昨日氾濫した魔力が通った道だ。そこを通って、体の外へ。




(な!もう魔力を掴んだというのか!?馬鹿な!)




 ジークはより深く集中する。イメージはベール。体の外に出した魔力を、ゆっくりと体を包み込むように動かし、その場に留める。魔力を制御しきれず散ったり偏ったり、常に動き続けようとするものを動かさないようにするのは難しい。だが概ね体に纏うということはできた。コツはカチカチに固めるのではなく、少しゆとりを持たせること。




(こんな感じ……かな……)




 ジークの周りには無色透明の魔力のヴェールがあった。




(あ、あり得ぬ……早すぎる!まだ二十分ほどだぞ!こやつ…………わしの想像を……遥かに超えている!)




 イルマは本来、魔力を体の外に出すのに数日、纏うのに更に数日の時間をかけるつもりであった。それでも早すぎる。イルマはジークの才能に期待して短く設定したのだ。それがどうだ。蓋を開けてみれば、三十分もかからずどちらも会得してしまった。もちろん完璧にはほど遠いが、一つの形を成したということには変わらない。




(天才……で片づけて良いのか……)




 魂の把握、魔力量の多さ、魔力操作。魔法使いになるために必要な三つの才能を、ジークは全て高い水準で持っていた。




 そしておそらく――




(わしの才能を超えている……!)




 自分は天才だと思っていた。実際に魔王と相討ったのだから天才なのは間違いない。だが今、自分の才能を超える少年を見た。

 イルマは少しの恐怖と、大きな興奮を胸に立ち尽くしていた。




「師匠、どうですか?……師匠?」




「……あ、ああ。うむ、なかなか良くできてるが、やはり甘いな。千切れて飛んだ魔力も多かったぞ」




 知らず上がっていた口角を戻し、慌てて取り繕うイルマ。




「おほん、ま、まあお主は結構魔法使いの才能があるようだの。わしの弟子なんだから当然じゃが。とはいえわしの才能には遠く及ばんがな!ハァーハッハッハ!」




(師匠が弟子に、自分の才能を超えているなど簡単に言うものではない。それを言って良いのは、師匠が弟子を認め、送り出すときだけじゃ!)




「そうですか、ぼくにそんな才能があったなんて……」




 イルマの考えも知らずに嬉しそうにするジークを見て、バツが悪そうな顔をしたイルマはごまかすように言う。




「あーその魔力を纏った状態は【充纏じゅうてん】といって魔法使いの基本だ。攻撃力や防御力、視力なども上がるから、戦う間は常にその状態でなければならない。試しにそこの石でも殴ってみろ」




 確かに体に力が湧いてくる感覚がある。昨日の全能感の正体はこれだったかとジークは一人納得しながら、イルマに指差された石を前にする。石の大きさは人間の顔程度とはいえ、普通なら拳で殴れば砕けるのは拳の方だ。だが――




(いまなら、割れる気がする……!)




 ジークは足を大きく斜めに開いて腰を落とし、足の間あたりに石が来るようにする。集中して充纏を維持したまま左手を前に出し、右手を大きく引き……振り下ろす!




 バカリ




「や、やったぁ!拳で石が割れ……い、いったぁぁぁ!」




 確かに石は割れた。拳も割れたが。




「このように、半端な魔力はかえって身を亡ぼすことになる。わかったか? 痛みで覚えるのが一番だからの。…………まったくうるさいやつじゃのう、どれ見せてみろ。…………この程度魔力を集中させたら三日で治る!」




 なおも抗議するジークにイルマはキレて、唾でもつけてろと言い放つ。ジークは涙目である。




「いいか!これからは起きている間は何をしていても常に充纏じゃ!一秒たりとも解除することは許さん!」




「そ、そんな。無理ですよ!今できるようになったばかりなのに!第一痛くて集中できませんよ!」




「バカモン!戦闘中は傷を負うことなどいくらでもある。その度に充纏を解く気か!?ほら、まずは包帯を取りに孤児院まで走れ!あとついでに右手に魔力を集中させろ」




「む、無茶苦茶だ……!」




 とはいえジークはやるしかない。孤児院まで走りつつ、充纏をしつつ、それを右手に偏らせる。当然できるはずもなく、特に充纏はボロボロで、走っているうちに置いて行かれる魔力も多かった。そのせいか、肉体の疲れとは違う疲労感で、ジークは孤児院に着いて早々、外にあるベンチに腰を下ろした。息は切れていない。ただぼうっと空を見上げている。そんなジークにイルマは近づいて言った。




「制御が甘く、魔力効率が悪いからすぐばてるのじゃ。魔力を無駄にしないことを心掛けよ。だが……お主は気づかなかったようだが、お主の走るスピードは普段より上がっておった。それはボロボロでも充纏ができていた証拠じゃ。だから、その……今日は悪夢を無しにしてやる……」




「……はい!」




 これは多分褒めてくれているんだな、とジークは思い、余計な事は言わないようにした。




「ほら!気を抜いてないでさっさと手当をしろ!その間も充纏を忘れるなよ!」




 照れた顔を隠すように言うイルマを見て、ジークは少しイルマのことを理解できた気がした。今までただ怖いから従っていた指示も、今度は自分からできそうだと、心の内で思った。




 それから数日間、走っている時も、弟妹達の相手をしている時も、薪を割っている時も、シスターシグネに右手のことを聞かれごまかしている時も、寝ている間以外常に充纏し続けやっと右手の傷が治ったころ、イルマは言った。




 魔法使いと言われる所以ゆえん、魔法を教える……と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る