抱擁

「わしこそが、悪逆非道を尽くしたあの魔王を倒した者!……魔女イルマじゃ!」




「…………うわあっ!」




 ジークは突然現れた女性に驚き、困惑する。が、二人は待ってくれない。




「ジーク?大丈夫?」




「うわあとはなんじゃ!わしがおまえをたすけたんじゃぞ!」




「やっぱりまだ治ってないのね。痛いところはある?」




「まず最初に感謝を述べるところじゃろうが!」




「気分はどう? 苦しくない? お腹はすいてるかしら、ここ何日かお粥しか食べてなかったものね」




「わしを崇め、奉り、素晴らしいですねと褒めたたえんか!」




「ちょ………ちょっと………待って………」




 ただでさえ病み上がりだというのに、二人の言葉の連撃。ジークは対処できるはずもなく、ボコボコにされ撃沈する。しかし言葉の嵐は幸運にもここで止む。




「そうだわ、喉が渇いたでしょう。水を汲んでくるから少し待ってて」




 ジークが答える前にシスターシグネは足早に部屋を出ていった。ドアが閉められ部屋には二人。ジークと謎の女性である。




 少しの間、無言の時間が発生し、それがジークの頭をわずかに冷静にさせた。そして先程の記憶の断片と何とか聞き取れた言葉から、まずこの女性に感謝を伝えた方がよいと判断する。




「あの………イルマさん、でしたか? 助けてくれたようで………ありがとうございました」




「うむ。少し遅いがまあ良いじゃろう」




 ああ良かった。ちゃんと会話ができる。ジークは安心した。

 それはこれからの会話が重要になるからだ。助けてくれたのは神ではなく人だった。そしてそうなら、そこには見返りが発生する。無償で命を助けてくれる、そんな人間はいないのだ。

 ジークはそれを理解しているから油断せず続けて質問する。




「えっと、シグ……シスターシグネのお知り合いの方でしょうか?」




「いや。知らん」




 村の人間でないことは、ジークが見たことがないから間違いない。ということは行商人か? 村に出入りする人間など行商人くらいしか心当たりがない。そうなるとシスターシグネがすでに取引している可能性がある。この貧乏孤児院に払える金などなく、さらに彼女はお人好しであった。考えたくはないが、まさか………




「あの………行商人の方でしょうか。あいにくうちの孤児院は貧乏でして、すぐに払えるお金がなくて。なんとかぼくが働いて返しますので待ってほしいのですが………」




「はあ?だからわしは魔女と言っておろうが。だが………働いて返すか。なるほど、良い考えじゃのう………グフフ」




 まじょ………魔女? ジークは前半の言葉に躓き後半を聞いていない。聞き間違いだと思っていた言葉を叩きつけられ冷静になりつつあった頭を再度揺さぶられる。




(魔女だって?そんなもの今の時代にいるわけ………)




 言葉の意味を聞き出そうと口を開いた瞬間、ドアが開きシスターシグネが水差しとコップを持って入ってきた。急いできたのだろう。シスター服の裾が水で濡れている。




「ごめんなさいねジーク。急いだんだけど、水をこぼしてしまって………いやだわわたしったら、いつもこんなことばかりで――」




「シスターシグネ! この方はどちらからいらっしゃったんですか?」




 独り言が長くなる前にすかさず質問を挟み込むジーク。だが帰ってきたのは予想外の一言。




「……この方って、どの方?」




「な……何を冗談を。こちらの女性ですよ」




 ジークは手で女性を示しながら言う。この女性を怒らせるのはまずい。交渉が不利になる。顔には出さなかったが内心では焦っていた。だが、やはり帰ってきた言葉は予想のはるか先。




「ああ………やっぱりまだ治っていなかったんだわ!あれだけ危ない状況だったんだもの、仕方ないわ。高熱で幻覚を見るとは聞いたことがあったけれど、体温が低くなっても見るのかしら。でも大丈夫よジーク。体はすっかり元に戻ったんだもの。必ず良くなるわ! そうだわ! 今日はわたしも一緒に寝るから――」




「シグネお姉ちゃん! 大丈夫! 大丈夫だから。起きたばかりで夢と一緒になっちゃったんだ。それにぼくは一人で寝られるから……」




「でも……」




「シグネお姉ちゃん、ぼくはもう子供じゃないんだ。だから大丈夫だよ」




「そう……いつの間にか大きくなったのね。でもジーク、あなたはずっと私の家族よ……」




「うん……ありがとうシグネお姉ちゃん。僕の看病でシスターの仕事ができなかったでしょ。ぼくはもう元気だから、取り掛からないと仕事があふれちゃうよ」




「ええ……そうね。仕事のせいでジークに会えなくなったら、わたし耐えられないもの。だから行くね。でも、行く前にハグをさせて?」




 そうして二人は普段より長く抱擁を交わし、シスターシグネは名残惜しそうにゆっくりと部屋を出ていった。




 彼女を見送ったジークの心は、抱擁の温かさと同時に深い罪悪感も感じていた。

 あれだけ心配してくれた家族に対し、まるで出ていけと言わんばかりの態度。言葉にはせずとも、理解したからこそ彼女は引き下がったのだろう。そこまで分かるから、より強く心が痛む。




 だがそうまでしても彼女を部屋から出す必要があった。それはこの女――魔女イルマと話すため。

 何が起こったのかはわからなくても、起こっていることが尋常じゃないのはわかる。これは単なる幻覚とか夢とかそんなくだらない話じゃない。そしてこの話に家族を巻き込めないことも、ジークは心の底、いや魂から理解していた。




 そしてジークはゆっくりと顔をあげ、問う。




「魔女イルマさん……あなたの目的は何ですか」




 不気味に黙っていたイルマは、その言葉を待っていたとばかりに口角を上げ、言った。




「お主、わしの弟子になれ」

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