第29話  矯正指導

「な、何をする! 僕を誰だと」

「きをつけッッ!!!」


 小屋が揺れる程の号令を受けても、殴られた頬に手を当てたまま、ゼーノクルスは立ち上がらなかった。

 軍隊に属するものは、必ず軍事教育を受けているはず。

 しかし、この部隊は恐らく、アレス殿下が言っていた新兵の集まり。

 教育そのものが、枝葉どころか幹まで行き届いていない。


「なぜ立たない、貴様は命令に違反するつもりか!」

「っ、僕は王族、王位継承権第十二位、ゼーノクルスだぞ!」

「だからどうした! その肩書が、今ここで貴様を守るとでもいうのか!」


 髪を掴み強引に引き上げ、彼の顔面へと拳を叩き込んだ。

 吊るされた女の中へと吹き飛ぶも、足蹴にされながら押し出される。


「立て、誰が座っていいと言った」

「ぐっ……お前、こんな事をして、国家間の問題になるぞ」

「安心しろ、ここはお前の大好きな戦場だ。戦場で一人死んだところで、誰も何も言うことはない。知らないのか? 戦場で上官が死ぬ時はな、後ろから撃たれて死ぬことがほとんどだ。もう一度言うぞ。立て、両手を体側に付けて背筋を伸ばせ」


 鼻息を荒くしながらも、切れた唇をそのままに、ゼーノクルスは立ち上がった。

 

「五指を伸ばし、体側に付けろ」

「……」

「返事!」

「はい」

「遅い、もっと早く!」

「はい!」

「足を閉じろと習わなかったのか! お前のきをつけは休めなんだよ!」


 開いている足を殴ると、痛そうにしながらも、ゼーノクルスは両かかとを揃える。

 これでようやく、話が出来る状態になったか。


「貴様は先ほど、国家間問題に発展すると言っていたが、俺は貴様の姉であるアナスイ王女の婚約者だ。つまり、俺は貴様と同系列にいる王族だ、国家間問題には発展しない。更に言えば、もし問題に発展するのならば、貴様の行動の方が条約違反、全世界が敵になる可能性の方が高い。それを理解しているのか?」

「……別に」


 一瞥し、不貞腐れた態度をとるとか、懲りない男だな。

 握り締めた拳をゼーノクルスの顔面に叩き込むと、彼は鼻を抑えて倒れ込んだ。


「立て、貴様には徹底的に教育が必要なようだ」

「うううっ、お前、絶対に許さないからな!」

「ほう? どう許さないのか、言ってみろ」


 顎を掴み持ち上げると、奴は俺に向かって唾を吐いた。

 血にまみれた唾が、頬に触れる。

  

「僕を殴ったこと、お父様に言いつけてやる! 僕達兄妹は仲が良いんだ、お兄様たちがこの事を知れば、きっとお前のことなんざ許しはしない! アナスイ姉さんの婚約者だろうが、所詮は他人だ! お前の言うことなんざ誰も信用しない、残念だったな!」

「……この期に及んで他人任せか、だらしのない男だ」

「なんだと!」

「なるほど了解した。貴様への矯正は時間の無駄らしい」


 腰から下げていた軍刀カゼキリを抜くと、ゼーノクルスの首筋に当てる。

 鈍く光る刀を見て、ゼーノクルスはきゅっと唇を噛んだ。

 

「ここは戦場、命の価値は等しく軽い」

「……どうせ、殺すことなんか出来ないくせに」

「安心しろ、俺は何人も、この刀で斬り殺してきた」


 戦場でスナージャ兵を殺した時のようだ。

 目の前の男が、一匹の魔物に見える。


「な、なんだよその目は」


 振りかぶった刃に、風の魔術を絡ませる。 

 エレメントジェーバイトが魔力を注ぎ込み、風の刃が刀身となった。


「軍規に歯向かう者に、死の粛清を」

「……っ! ま、まって、まって! ごめんなさい! 嘘です、助けて下さい!」

「お見苦しいですよ、殿下」

「死にたくない! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめ――」


 風が、ゼーノクルスの首を通過した。

 

「ひゅ」


 変な声をひとつあげると、ゼーノクルスは涙し、固まる。

 涙する瞳は大きく見開き、謝罪を繰り返していた口からは涎が垂れる。


「斬ったの?」


 小屋の入口からヒミコ二曹が語り掛ける。

 首は繋がったまま、刀身は直前で止めた。

 魔力を解くと、風の刃はふわりと消えて無くなる。

 俺にはエリエントのように、風だけで人を斬るのは無理だ。


「斬っちゃえば良かったのに」

「そういう訳にもいかないだろ。ヒミコ二曹、彼女たちを下ろすのを手伝ってくれないか」

「了解、ついでにそこのお漏らし殿下のこと、縛り上げておくね」


 お漏らし殿下? ああ、なるほど、失禁するほど怖かったんだな。 

 座ったまま失神し失禁しているとは、これはまた、何とも情けない話だ。


「しかし、俺には凄みが足りないらしいな。デイズ中隊長なら、もっと上手くやるのに」

「無理でしょ、アレは暴力に年季が入り過ぎているもの」

「ヒミコ二曹も知っているとは、よっぽど有名なんだな」

「ええ、アースレイ平原でも、爆炎のデイズの名は耳に新しくないわ。それにしても女の子の数が多いですね。えぇと……バンクゥデゥ、ドゥディボゥコハン?」


 ヒミコ二曹は座り込んだ女の子たちの前にしゃがみ込むと、聞きなれない言語を口にした。

 スナージャ語? 喋ることが出来るのか? 


「バン、トコディリボゥ」

「バイディェィ、シンハイムントッティ。コンサオダォ、トイセカムラムチョノーセイトウ」

「カムゥ……」

 

 間違いなく会話をしている。

 言葉の壁が無くなったからか、彼女たちの表情が少しだけ柔らかくなった気がする。


「エリエント殿下、彼女たち、自分で歩いてくれるそうです」

「そうか、それは助かる。それにしても、ヒミコ二曹はスナージャ語が得意なんだな、会話出来るレベルとは知らなかったぞ」

「言っていませんでしたっけ? 子供の頃、スナージャは良き隣人でしたからね。聞いて喋っている内に、自然と覚えちゃったんですよ。今じゃ敵性語って言われるので、滅多に口にしませんけどね」


 意外な事実を知った。

 何かあったら、今後は彼女を頼るとしよう。

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