第11話
ショウエ曹長との面会を終えたその日の晩、久方ぶりにアナスイ姫殿下からの送話魔術を、俺は受け取った。小隊が眠るのは駐屯地と変わらない、即席で建てられたテントだ。他の皆を起こさないよう、一人静かに抜け出し、開けた公園のような場所で、ちょうどいい岩に腰かける。
送話するや否や、アナスイ姫殿下は俺へと負担が掛かることを謝罪してくれた。
相変わらずの優しさに、自然と口角が上がってしまう。
『すいませんグレンさん、私の力が及ばなかったばかりに、貴方を戦いに巻き込んでしまいました』
「アナスイ姫殿下だけじゃありません、俺の力不足だってあります。それにスナージャと戦うことが出来るのですから、俺的には何も問題ありませんよ」
『でも……ううん、そう言っていただけること、心から感謝いたします』
さすがはアナスイ姫殿下だな、兵士である俺に気づかいなんて不要なはずなのに。
王族らしからぬ腰の低さ、彼女は常に俺達目線で物事を語ってくれる。
物腰柔らかな姫殿下がこの国の女王になれば、国民全員が喜んでついて行きそうだ。
『そういえばグレンさん、実は今日、昼間にも送話魔術を使用したのですよ?』
「え? そうだったのですか? すいません、全然気づきませんでした」
『はい、異性との会話が聞こえてきましたので、咄嗟に遮断しました』
異性との会話?
「ああ、ヒュメル二等兵との。彼女とはそんな、気を使う必要なんてありませんよ」
『そうなのですか? 妙に距離が近かったので、聞いてはいけないかと思いましたのに。私に遠慮しなくても大丈夫ですよ? 私が言いたかったのは、これからはなるべく彼女との時間を邪魔しないように、逢瀬の時が分かっているであれば、事前に教えていただければと思ったのですが』
恋愛感情か。
ヒュメル二等兵はレギヌ小隊長の娘さんだからか、なんとなく、そういう目で見ることが出来ない。
「ヒュメルは、亡くなってしまった、俺の元上長の娘さんなんです」
『え……そうだったの、ですか』
「はい、ですので、彼女に対して恋愛感情を抱くようなことは、ほとんどないと思います」
『……すいません、知らぬがまま、失礼なことを口走ってしまいました』
「いいですよ、どうせ俺以外、誰も聞こえないのですから」
少し早口で語ったかと思えば、すぐさましゅんと落ち込み、静かになってしまう。
感情表現が豊かで、ほんと、王族のイメージががらりと変わってしまうよ。
「アナスイ姫殿下」
『はい』
「アナスイ姫殿下は、俺が今いるここ、女神の二重瞼を、訪れたことはございますか?」
『女神の二重瞼……いえ、グロッサ丘陵から王都へと戻る際も、通常とは違う早馬を利用しましたので、どこにも寄ることなく戻ってしまいました』
「そうですか、それはもったいない。狭い渓谷を抜けた先に広がる湖は、とても神秘的で綺麗なものです。今は夜ですが、谷間から覗く星空も美しいのですが、視線を下げ、湖面に映る星々を見るのも、とても美しくて感動してしまいます。ここは人気の観光地なのだと、小隊の仲間が教えてくれました。ぜひアナスイ姫殿下も、お暇が取れたら足を運ぶことをおススメします」
『聞いているだけでうっとりしてしまいそうになります。とても綺麗な場所なのですね。私も隣にいられたら良かったのに』
アナスイ姫殿下が隣にいたら。
多分、星空や湖面なぞ見ずに、貴方ばかり見てしまいそうになります。
……などと、言葉にできるはずがない。
俺は農民で、彼女は王族だ。
こうして会話出来るだけでも、俺にはもったいないこと。
『先の、ヒュメルさんとは、一緒に見たのですよね』
「え? あ、ええ、そうですね……昼間ですけど」
『なんだかちょっと、ヒュメルさんがズルイです』
なんだろうか?
気に障ることを言ってしまったのか?
「あの、アナスイ姫殿下?」
『アナスイで大丈夫です』
「え……」
『どうせ私以外、誰にも聞こえないのですから。身近な者は私のことをアナと呼びます。そうだグレンさん、私のことを今後はアナと呼んで下さい。その方がグレンさんを身近に感じられます』
「いえ、王族の方を呼び捨てにするのは、さすがに」
『なぜですか、ヒュメルさんの事は呼び捨てにしておりましたよ?』
ヒュメル二等兵とアナスイ姫殿下とでは、さすがに違い過ぎるだろ。
しかし、相手は王族、命令に従う以外の選択肢は、俺には存在しない。
「……えと」
『アナです』
「……アナ、さん」
『はい。……あはっ、うふふっ、ふふふっ』
なんなんだ、急に笑いだしたりして。
今日のアナスイ姫殿下は何だかよく分からないぞ。
『ふふっ、すいません、グレンさんを困らせてしまいましたね』
「いえ、こちらこそ、呼び捨てにしてしまい、誠に申し訳なく」
『欲を言えば、〝さん〟も不要でしたね。アナ、だけで良かったのに』
「それは、アナさんだって、俺のことをさん付けで呼んでいるじゃありませんか」
『ああ、そういえばそうですね。では……グレン』
「……はい」
『今日は遅くまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。それと、共に戦ってくれること、心から感謝しております。グレンがいたからこそ、此度のカルマの支援を受けることができ、フォルカンヌ国は窮地を脱することが出来ました。王女として、心から御礼申し上げます』
ここまで言われると、恥ずかしいを超えて、なんだか申し訳なくなってしまうな。
『それと、グレンには言わなくてはならない事がございます』
「……?」
『実は私、魔術大国カルマの第四皇子、エリエント殿下と、婚約することになりました』
それまでの楽し気な雰囲気が、一瞬で凍り付いた。
可能性なんかある訳がない。
分かっていた事だけど、現実になるのはまだまだ先だと思っていた。
まだ、夢を見ることが出来ると、思っていたのに。
『今夜の私は、恋も知らずに婚約することへの、ささやかな抵抗がしたかったのかもしれません。可能ならば、今夜のことは内密にして頂けると、とても嬉しく思います』
おめでとうございます、という言葉が出てこなかった。
バカな俺でも分かる、この結婚は政略結婚って呼ばれる奴だ。
これから先もフォルカンヌ国と魔術大国カルマは仲良くやっていきましょう。
つまりは、そういう事だ。
一般人の俺が、どうこう出来る話じゃない。
『グレン、貴方とは友人として、長い付き合いをしたいと思います。こうしてまた、お話をしても宜しいでしょうか?』
切り替えろ、何を悲しむよ。
気づかれないように、肩を大きく上下させて、一回だけ胸に残る息を吐いた。
「お話をすることに、何も問題はありません。いつだって、毎晩だって構いません。俺は、アナスイ姫殿下の為に生き、戦うことを誓ったのですから」
わずかの間の後、アナは『ありがとうございます』と言葉を残し、送話魔術を停止させた。
アナとエリエント殿下の婚約は、そう遠くない未来に公表されるものなのだろう。
きっとアナのことだ、俺達へと向けた笑顔のまま、その日を迎えるんだ。
喜ばしいこと。
俺も国民の一人として、彼女を送り出さないといけない。
そう、分かっているのだけど。
「ちょっと、剣でも振ろうかな」
心がざわついたままで、横になっても眠れる気がしなかった。
大汗をかいた翌日、さっそく俺は軍本部へと呼び出されることに。
「お主が、送話魔術を使えるという、グレン二等兵か」
老いを感じさせない隆々とした肉体に対し、老獪さがにじみ出る顔とのギャップが激しい。
フォルカンヌの巨人、ルクブルク将軍閣下を前にして、俺は姿勢を限界まで正した。
「ふむ、見た感じでは、普通の兵にしか見えんな。命を下す、律せよ」
手にした紙が小さく見える程に大きな手、それなりに背丈のある俺が見上げてしまうほどの巨体。
異名の通りだ。
その昔、戦斧を握り締め最前線で戦っていたらしいが、こんな巨体を前にしたら、それだけで逃げ出したくなる。
「グレン二等兵、此度の報労とし、二等兵から三曹兵へと、三階級特進とする。他、新設される送話魔術部隊、小隊長の職を命ずる」
「はい! 謹んでお受けいたします!」
昇格と昇進の辞令書、それと勲章の入った小さい木箱を受け取る。
「送話魔術部隊に関しては、魔術大国カルマからの来賓、エリエント殿下が直接指揮を執るとのことだ。エリエント殿下の戦略を、アナスイ姫殿下から主へと送話魔術を使うことが最大の目的とされる。しかし、兵士として重要になってくることは、送話魔術成功の可否ではない」
大きな手を俺の肩へと乗せると、ルクブルク将軍はぐっと力を込めた。
「送話魔術を使用し、戦争に勝利することが、何よりも重要となる事を忘れるな。主のミスがそのまま姫殿下の失態へと繋がること、ゆめゆめ、肝に銘じておくことだ」
「……っ、了解しました!」
「うむ、他に何か、質疑はあるか?」
他に何か質疑があるか。
昨晩、眠る為に必死になって剣を振ったのに、アナの顔が頭から消えない。
婚約するんだ、国の為にその身を捧げると言っていたんだ。
彼女もそれを受け入れていた、俺に何か出来るはずがないじゃないか。
「将軍閣下、失礼を承知で、お聞きしたい事がございます」
止めて欲しい。
きっと俺はここで、将軍閣下に殴られてでも、止めて欲しいと願っている。
「一般兵の俺が、王族と結ばれる可能性は、あるのでしょうか」
言葉にして、改めて自分が何を言っているのかを理解する。
この場は軍本部、将軍閣下の他に書記兵などもいるのに。
戦争だぞ? 俺はデイズ小隊長から一体何を学んだんだ。
オルオさんだって我慢していたのに、俺は何も我慢出来ていないじゃないか。
「……おい」
ルクブルク将軍閣下の睨みを利かせた一声で、部屋にいた全員が退室した。
奥の壁に国旗が掲揚されたこの部屋で、きっと俺は死ぬまで殴られる。
これから小隊長として部隊を率いる人間の言葉じゃない。
制裁を喰らわないと、俺はダメだ。
「その王族とは、アナスイ姫殿下のことか?」
ルクブルク将軍閣下は、室内に設けられた応接用のソファに腰かけると、俺を見ずに質問する。
「……はい」
「声が小さい」
「はい!」
「で? どうなのだ? アナスイ姫殿下のことを言っているのか?」
自分から言葉にしたんだ、言わざるを得ない。
踵を揃え、背筋を伸ばしながら、叫ぶ。
「はい! その通りであります!」
「くくくっ、ふはははは……」
笑った……?
見れば、先ほどまでの鬼神のような表情ではなく、目を細め慈愛に満ちた顔をしている。
一人のお爺ちゃん、失礼だが、その言葉がよく似合う感じだ。
「グレンとやら、先の質疑、本来ならば厳罰に処すべき内容だ。だが、主は送話魔術にて姫殿下と繋がっておる。儂が主を殺そうものなら、姫殿下に儂が殺されてしまう。よって、この場での発言は聞かなかった事とする」
「……しかし」
「まぁ待て、その代わり、先の質問には答えてやろう。結論から言えば、可能性は無いに等しい。王族とは、存在そのものに価値がある。それを捨ててまで庶民、しかも一般兵との婚姻なぞ、現国王が許しはしない。もし、があるとするのならば……」
懇願の眼差しを、将軍は俺へと向けた。
「グレン、主が儂のように、将軍という立場まで上がってくればいい。フォルカンヌ国の歴史を紐解けば、数は多くないが、将軍と結ばれた王族は確かにいる」
唯一無二の、答えを聞けた気がした。
目指すべき目標、辿り着かないといけない場所。
「グレン」
「はい!」
「主は送話魔術だけではなく、探知魔術を使い、魔術武具を使いこなすことが出来ると聞く。鍛錬を怠るな。己が長所を伸ばすだけ伸ばし、戦果を挙げ続けろ。このスナージャ殲滅戦は、主にとって最高の晴れ舞台になる可能性がある」
この戦いを踏み台にして、将軍を目指す。
そうすれば、俺とアナが結ばれる。
「よし、では、これから儂が稽古を付けてやろうか」
「はい! 宜しくお願いします!」
「ふははは! いい返事だ! 主のような若者がこの国にいたこと、心から嬉しく思うぞ!」
一人の兵士への励まし、それだけだったのかもしれない。
だとしても、ルクブルク将軍閣下の言葉は、心の底から嬉しかった。
可能性は、ほとんどゼロだというのに。
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