第10話

 女神の二重瞼、そこの中央にある湖へと、俺は足を運んでいた。


「ふぅ、ようやく、血を洗い落とせたか」


 返り血を浴び過ぎて、しみ込んでしまった制服はどうにもならないが、肌についた血は洗い落とすことが出来た。そして、肩まで水に浸かることで、火照った身体がぐぅーっと楽になる。疲れ切った筋肉がほぐされて、疲れが身体の外へと出て行ってしまっているようだ。


 渓谷中央、綺麗な湖は、疲れを癒す人であふれ返っている。

 オルオさんが言っていた通り、崖に囲まれた神秘的な湖は、観光地として相応しい。

 渓谷の出入口は狭く、風も強かったが、湖まで来ると嘘みたいに穏やかになる。

 風が上へと抜けていってしまうから、砂埃も入らず、綺麗な環境が保持されているのだとか。


「お、グレンさんってば、結構なイケメンさんですね!」

「……ヒュメル二等兵か、急に声を掛けられたから驚いたよ」

「いやはは、近くに誰かいないかなと思い、グレンさんを見つけた次第であります。女一人でいると、何かと面倒でして……」


 ちらちらと、自身への視線を気にする、伝令兵だったヒュメル二等兵。

 ピンク色の癖のある髪をした、戦場に似つかわしくない程に可愛らしい女の子だ。

 彼女もつかの間の休憩を堪能すべく、薄着になって湖に浸かりに来たらしい。

 同じ小隊に配属され、同じ寝床で寝る間柄とはいえ、目のやり場は困るものがある。

 なので、なるべく彼女を見ないようにして、他愛のない言葉を掛ける事にした。 


「ヒュメル二等兵は、もともと伝令兵だったんだよね?」

「はい! ですが、もともとと言えば、希望は歩兵部隊だったのですよ?」

「そうなの?」

「はい! ドルイド部隊の適性検査で、見事落とされました!」


 まぁ、落とされるよな。

 ヒュメル二等兵は俺よりも、多分アナスイ王女よりも背が低い。

 腕も細く、銃を持って戦うというよりも、伝令兵や衛生兵といった方が似合っていそうだ。


「どうして歩兵部隊を?」

「兄さんが徴兵され、スナージャに殺されてしまったからです」


 ……っ。


「すまない」

「謝らないで下さい。珍しい話ではありませんよ。それに、私はこうして歩兵部隊、グレンさんと同じ部隊に配属できて、本当に嬉しく思っているのですから。実は、私の父も徴兵され、グロッサ丘陵で兵役についていたのです」

「そうなのか? どこの部隊に?」

「……屯田兵部隊、レギヌ小隊長が、私の父です」


 レギヌ小隊長……あの人の娘。

 そういえば、どことなく似ている気がする。

 純朴な感じとか、雰囲気とか。


「兄が殺され、父が徴兵され、母はすぐにこの世を去ってしまいました。心労、だったのでしょうね。もう父も帰ってこない、母も兄もいない家にいると、なんか苦しくって。それで、父を追いかけるように、軍隊に志願したんです。どうせなら敵を沢山殺せる歩兵部隊がいい! ってドルイドのお姉さんにも言ったんですけどね。……グレンさん」


 眉を下げ、悲壮にくれた笑みを浮かべながらも、濡れた手のまま、俺の手を取り握り締める。


「父の仇をとっていただき、本当にありがとうございました」


 あの時の俺は、レギヌ小隊長を残し、逃げてしまった愚か者だ。

 今の俺があの場にいたら、もっと上手く戦えていたかもしれないのに。


「あの、父について、部隊ではどんな事をしていたのか、教えていただけませんか?」


 あの人の娘なんだ、教えない理由はない。

 湖のほとりに腰かけると、ヒュメル二等兵も隣に、膝を抱えながら座った。


「そうだな……俺、元は農夫だったんだ」

「え、そうなんですか! ウチも農家で、大根っていう野菜を作っていましたよ!」

「ウチももっぱら根菜系かな。だからクワを持つさまが似合っているって言ってくれてさ。軍隊に来たはずなのに、実家にいる時と変わらないなって思っていたんだ。レギヌ小隊長は、それでも別にいいんじゃないかって、よく言葉にしていたよ」

「お父さんなら、確かに言いそうです」

 

 抱えた膝に顔を乗せて、ヒュメルはどこか懐かしい感じにそう言った。


「収穫の時なんかは、豊作だなって喜んでいたりしてね」

「あ、それ、お父さん毎年言っていたんですよ?」

「そうなんだ? ははっ、レギヌ小隊長らしいな。……このまま戦争らしい戦争をせずに、土に触れているだけで兵役を終える事ができれば、嫁と娘に手土産をたんまり持って帰る事が出来るって、よく言っていたよ」


 懐かしいな、もう、あの会話からどれだけの日数が経過したのか。


「お父さん……ありがとうございます。話を聞けて、嬉しかったです」

「……ヒュメル」

「ごめんなさい、分かってはいるのですが、どうしても、止まらなくて」


 ヒュメルは話を聞き、ボロボロと泣き始めてしまって。

 膝を抱えながらも顔は下げず、歯を食いしばりながら必死に泣き声を出さずに泣き続ける。

 こんな死と隣り合わせの戦場で戦うような子では、本来ないのだろうなと、心の底から思った。


「上層部より、撤退に伴う陣形を変えると連絡が入った」


 休憩を終えた俺達へと、デイズ小隊長が語る。


 先の魔術大国カルマの制裁により、スナージャ帝国による奇襲は防衛出来たものの。再度衛生兵や物資運搬班が奇襲にあった場合を想定し、合流してしまった彼等をそのまま再出発させる訳にはいかない、というのが、軍上層部の考えらしい。


 デイズ小隊長からの報告を聞き終えると、隣にいたオルオさんが俺の肩に腕をまわしてきた。


「部隊の再編制にはしばらく時間が掛かるだろうな。さっきみたいなインチキはもう何度も期待すべきではないし、カルマにおんぶにだっこじゃ、フォルカンヌ国としてのメンツに関わる。とはいえ、さっきのは本当にヤバかったから助かったけどな」


 オルオさん、シーシャさんの無事が確認できたみたいで、すっかりご機嫌だ。

 ご機嫌だが、イラついてもいる。


 スナージャ帝国の非武装部隊への火球魔術攻めの際、シーシャさんは火球の爆発に巻き込まれ、左腕を失う程の重傷を受けてしまったらしい。シーシャさんだけではない、他の衛生兵もほぼ全員が負傷し、互いに治癒魔術を掛け合いながら、なんとか生き延びていたのだとか。

 

 失った腕の接合は可能だが、吹き飛んでしまった腕の再生は出来ない。

 左腕を失いながらも笑顔でオルオさんを出迎えてくれたシーシャさんを見て、彼は泣いたのだとか。


「俺の側にいて欲しい、絶対に守り抜くから」


 片腕は無くなってしまったが、それでもシーシャさんは生きている。 

 失いたくないという想いが、オルオさんをまたひとつ、強くした。


 翌日、部隊再編成を終え、俺達は女神の二重瞼を出立した。

 先頭に北側部隊を置き、中央部隊の中心に衛生兵、物資運搬班を配置、俺達南側部隊が膨らんだ中央部隊をカバーするように、横に広がって殿しんがりを務める。

 

「またアイツが来るかもしれねぇからな。油断するなよ」


 アイツこと、スナージャ帝国斥候部隊、カオ・チエン・クーハイ。

 俺が殺した斥候部隊の誰かが、彼の恋人だったのだろう。

 屯田兵部隊の時、俺の顔を見た後に撤退したのが数人いた。 

 情報は広まっているとみて、間違いないだろう。

 

 三部隊の探知兵、二十人で交代しながら敵襲に備える。

 魔術帝国カルマの治癒魔術は、俺達の部隊のみならず、北側、中央部隊にまで及んでいた。

 それぞれがスナージャを撃退しているのだから、相手もそれなりに痛手を負っているはずだ。

 必死になって探知を発動させるも、敵兵は確認できず。

 最終的には、何事もないままに、要塞城ガデッサへと到着することが出来た。


「お疲れ様でした、無事の生還、嬉しく思います」 

 

 入城するなり、ショウエ曹長が水色の瞳を細め、喜びを隠さないままに俺を出迎えてくれた。

 預かっていた軍刀カゼキリと防弾の腕輪を返そうとするも、彼女は受け取らず。

 

「まだ、グレンさんには必要になりますから、そのままお持ち下さい」


 丁重に断られることに。

 しかし、まだ必要になるのだろうか?

 既に全部隊が入城し、これから始まるのは籠城戦だ。

 籠城戦では、魔術師団を抱えている俺達の方が圧倒的に有利になる。


 制裁が発動したのだから、スナージャ帝国へと派遣されていた魔術師団は既に召還され、本国である魔術大国カルマへと帰還を果たしているはず。


 育てていた火球魔術の使い手も、デイズ小隊長の読み通り、女神の二重瞼にて自害していた。

 スナージャ帝国が使える攻城兵器は、旧世代の可動式砲台ぐらいしか存在しない。

 持ち運びに不便な砲台の設置をわざわざ待つほど、ウチも甘くない。

 砲台を見つけ次第火球魔術が放たれるか、歩兵部隊で工作兵を駆逐するか。

 

 事実上、この地での戦いは終戦に近い。

 そう思っていたのだが、ショウエ曹長が返却を求めなかった理由は、すぐに理解する事となる。


「グレンさん、お話があります。私について来て下さい」


 ショウエ曹長に案内された城の一室。

 他に誰もいない部屋で、背筋を正しながら、ショウエ曹長はこう言った。


「グレンさん、貴方は魔術大国カルマの将となって、スナージャ帝国殲滅戦の指揮を執って下さい」

「俺が、カルマの将に、ですか?」

「はい」

「え、でも、俺、フォルカンヌ国の兵、しかも二等兵ですよ?」 


 驚くなと言う方が無理な話だ。

 ついこの間までクワを握って畑耕していた人間が、軍の指揮なんか執れるはずがない。

 しかし、ショウエ曹長はマジメな人だ。

 彼女が冗談を言うとは思えない。

 これからいろいろと勉強しないといけないのか、そう考えていたのだけど。


「要は、送話魔術の試験です」

「送話魔術の試験?」

「はい。現状、グレンさんとアナスイ姫殿下が送話魔術にて会話をしている事は、数々の実験により実証されました。ですがまだ、送話魔術について疑いを持つ者がカルマにいるのです。彼等は此度のカルマによる援軍行為ですらも問題視してきました、要は、反対派の意見という訳です」


 魔術大国カルマといえど、一枚岩ではないらしい。

  

「それと、俺が指揮を執ることの関連性が、いまいち理解出来ないのですが」

「……此度の掃討戦、軍本部にアナスイ姫殿下が加わります」

「アナスイ王女がですか?」

「姫殿下です」

「……アナスイ姫殿下が、ですか?」

「はい。ですが戦略を練るのはアナスイ姫殿下ではありません。魔術大国カルマが第四王子、エリエント殿下が実際に戦場へと出向き、指揮を執られるとのことです。つまり、エリエント殿下の策略を、アナスイ姫殿下を通じてグレンさんが実行することで、送話魔術の実証とする、ということです」

 

 なるほど、自身が編み出した戦略をすぐ横にいるアナスイ姫殿下に伝えることで、送話魔術の信用性を高めるという事か。

 言い換えれば、俺にはエリエント殿下が考えるような戦法は思いつくはずがない、という風にも聞こえなくはないが、別に突っ込む理由もあるまい。

 俺なんかについて行くよりも、俺の裏にエリエント殿下がいますよって分かっている方が、従う側としても安心できるのだろう。


「わかりました、しかし掃討戦という事は、グロッサ丘陵を超えてシナンジュ大河川まで押し込む、ということでしょうか?」

「いいえ、違います」


 違うのか? となると、籠城戦の手伝いという事だろうか。

 魔術大国カルマにしては消極的だな、と思っていたのだが。

 全然、そんなことは無かった。


「此度、スナージャ帝国は、派遣されていた魔術師団を全員処刑にしました」


 言葉を失う。

 魔術師団の全員を処刑。

 そんなことをしたらどうなるのか、田舎者の俺でも分かる。


「よって、ここに魔術大国カルマはスナージャ帝国との同盟を破棄、殲滅させることを決定しました。グレンさん、貴方に我々が求めることはただ一つ。悪逆非道を貫くスナージャ帝国を、地図上から消し去ることです」

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