第25話 仇敵
丸い肉の塊、そう見えてしまう程に、エリエント殿下は人の形を留めていなかった。
顔の半分は焼けただれ、四肢もなく、風魔術で身体を浮かせながら移動をしている。
こんな状態で、どうやってこれまで生き延びていたのか。
「なんで? まるで僕が死んでいた方が良かったみたいに言うじゃないか。婚約者のくせに酷いことを言う。ああ、違うか、浮気者の間違いか。まぁ、最初から僕の方も、お前なんかと一緒になんかなりたくなかったけどな」
焦げ付いた黒い外套に身を包むエリエント殿下は、俺達を見て醜い笑みを浮かべた。
「しかしまぁ、やってくれたよ本当に」
「……?」
「僕もろとも爆殺するつもりだったのだろう? スナージャ帝国と内通していたのは誰でもない、アナスイ姫、お前だろ? 僕が邪魔だったから、ならば敵と手を組んで殺してしまえばいい、そう思ったんだよな? それ以外、僕がスナージャに襲われる理由がない」
「何を、馬鹿なことを」
「お前のせいで僕はこのざまさ。目覚めたら両腕を失い、両足も膝から下が無くなってしまった。風魔術を使い爆風を利用して命だけは助かったものの、これまでと同じ生活は出来そうにない。そこでだ、アナスイ、貴様の両足を俺によこせ」
冗談を言っている感じではない。
この男、本気で両足を寄こせと言ってきている。
「治癒魔術を使えば欠損した部位も、すぐに癒着出来るのだろう? ああ、そこの男の手足でもいいぞ。とにかく痛くてしょうがないんだ。一秒でも早く治療してくれ。そうすれば、貴様の裏切りは僕の胸の内にしまい込み、墓場まで持っていてやるよ」
「……先に裏切ったのは、貴方の方ではありませんか」
「僕はこの国の民を守ろうとしただけだ! それを貴様が壊したんだろうが!」
叫び興奮する。
瞼が裂けんがばかりに見開いた左目を、エリエント殿下は俺達へと向けた。
「ああ、そうだ、アナスイ、君の浮気だけは許せないな。その件については、フォルカンヌ陛下へと直訴させて頂く。婚約破棄の理由には最高だろう? お前も婚約破棄したかったのだからな、丁度いいと思わないか? 思うよな? だから早くその男の手足を斬れ、そして俺にくっつけろ」
恐らく、まともに会話をするつもりはないらしい。
アナを後ろへと下げ、彼女の前に出る。
「アナスイ姫殿下、この場にいるのは一匹の魔物です」
「……はぁ? 貴様、誰に向かって口をきいている」
「俺が仕留めます。ですから、ご安心下さい」
軍刀カゼキリや、防弾の腕輪はない。
だが、拳だけでも、満身創痍のこの男ぐらいは屠ることが出来る。
幸い、周囲には誰もいない。
今ここでこの男を殺せば、死んだという情報のまま終わらせることが出来る。
「貴様、本気か?」
「ああ、本気だ」
「……ほぅ? 少しは魔術が使えるからと、調子に乗っているな貴様」
眼帯の奥が緑色に輝く。
エリエント殿下の使う魔術は、風魔術だ。
知っている範囲では、保護魔術ぐらいのものだけど。
「いいだろう。ならば、僕自ら、貴様の四肢を切り刻むとしようか」
緑色のつむじ風が巻き起こり、奴の身体を包み込む。
「風斬り」
俺の持つ軍刀と同じ名前の魔術。
風が、俺の腕を通過する。
それだけで、腕が切断された。
「治癒!」
切れた腕が、即座に回復する。
腕がくっつき、痛みが遅れて脳にやってきた。
「なんだアナスイ、お前、僕の邪魔をどれだけすれば気が済むんだ?」
「この人は、私の大事な人だから! 絶対に殺させないから!」
「ふん……さすが、戦場の悪魔と呼ばれるだけの事はあるな」
戦場の悪魔? この男、一体何を言っているんだ。
「ならば、根競べと行こうか。……風斬り」
首を斬られた。
見えないし、速すぎる。
気づいた時には、俺の首を骨ごと切断していやがる。
「治癒!」
そして、一瞬で回復する。
斬られたことに身体が反応してしまい、動けない。
治癒の後に、激痛が襲ってくる。
「はん! ギルドマスターの言った通りだな! 痛みに苦しむ兵を、貴様は戦場へと送り出すんだ!」
「私は、それでも間違ったことをしているとは思っていない!」
「どうだか! 貴様が治している男の顔だって、苦痛に悶えているではないか!」
右腕、左腕と切り刻まれるも、アナがすぐに治してくれる。
だが、斬られた痛みだけが襲ってきて、どうしても苦痛で顔が歪む。
「大丈夫だ、アナ」
「グレン……ごめんなさい、ごめんなさい!」
会話しながらも、容赦なく風斬りが飛んでくる。
首、足、指、胴体、腕、肘、ふともも、膝、腰。
剣で斬ったような切れ方じゃない。
筋肉を引き締めて抗うとか、そういうのが出来るレベルじゃないんだ。
「ぐううぅっ!」
「ははは! バラバラ人間とは面白いな! 見世物として金になるんじゃないか!?」
何十回と切り刻まれ、何十回と治療される。
ああ、これは避けることが出来る魔術ではないんだ。
喰らうしかない、だから、治すしかない。
「はっ、はぁっ、はぁっ……ふっ、ふぅ、ふぅ」
「おや? 魔力切れかい聖女様? こっちはまだまだいけるけどねぇ! 風斬り!」
顔が斜めに斬られた。
「治癒!」
治癒魔術で治るも……治りが悪い。
視力が右半分、消えてしまった。
右目だけが、斬られたまま。
「はははっ! どうした聖女様よ! 大事な人の目玉が治っていないぞ!」
「――っ、うるさい! すぐっ、げほっ、げほっ、すぐに治すんだから!」
「ほらほら、大事な人がバラバラになってしまうぞ! 風斬り、風斬りぃ!」
治せないことに気づいたのか、俺の右目ばかり狙って攻撃してくる。
「治癒! ちっ、ちう! げほっ、ううううぅ! いやら! まえあいんらかぁ!」
もう、魔力切れで意識が飛びかけているのに。
アナの鼻から、沢山の血が溢れでているのに。
俺の為に流してくれる血が、あんなにも。
「くっくっくっ……今回ばかりは、エレメントジェーバイトに感謝せざるを得ないな」
「あぅ、うぅ、ううううぅ、や、やらぁ、だ、だぇ、めぇあの!」
「はっはははは! 何を言っているのかね! ああ、勝利はいいなぁ! 勝利は最高だ!」
右目の眼帯を外すと、エリエントの野郎は高らかに笑い始めた。
エレメントジェーバイトというのは、あの宝石のことか?
あれがあるから、あの男は無限に魔術を使えている。
「生まれながらに魔力を持っている、だからなんだ! 僕の方が永遠の魔力を使いこなすことが出来る! 僕の方が優秀なんだ! 僕こそが、魔術大国カルマの後継ぎとして一番ふさわしいんだよ!」
光り輝く緑色の風と共に、突風が巻き起こっていく。
噴水が壊れ、周辺の建物が巻き上がり、空へと消えていった。
「死ねよ二人とも! 僕が全てを綺麗に片づけてあげるからさぁ!」
最後に奴は、大魔術を発動させたんだ。
人を斬る風でつくられた、大竜巻。
落下してくる物に潰される。
そうでなくとも、風の刃で切り刻まれる。
このままでは、何も出来ずに殺されて終わる。
大切な人を守らないで、何が騎士だ。
鼻から溢れる血を拭おうともせずに、服を血で染めながら俺の為に泣いているんだぞ。
「奴の狙いは俺です、アナはここにいて下さい」
このまま動かずにいては、アナを傷つけてしまうから。
駆け出すと、風の刃が容赦なく全身を切り刻んでいく。
避けることも防ぐことも出来ない。
ただ、甚振るのが奴の趣味なのか、切断ではなく、削りにきている感じだ。
「いやらぁ! いやらああああああぁ!」
アナの叫び声が聞こえてくる。
ちょっとは強くなったと思っていたんだ。
レギヌさんを見殺しにしてしまい、ヒュメルも殺されてしまった。
仲間たちを、俺は何人も殺してきてしまっている。
だから、強くなろうと努力もした。
好きな人、一人ぐらいは、守れるように。
「軍において、個人の思想は殺すべし」
デイズ中隊長に教わった、基礎中の基礎だ。
「自身の損失は、国家の損失と思え」
失う訳にはいかない。
アナのことを……そして、俺自身も。
「エリエント!」
両手を掲げて、竜巻の中にいる奴へと向ける。
「俺の特許魔術、送話は、俺とアンタを強引につなげる!」
「だからどうした! 数秒後に死ぬお前と繋がった所で、何とも思わんわ!」
「これまでまともに送話が成功したのは、多量に魔力を秘めている王族だけだった!」
過去に一度だけ、魔力を保持していない男と繋がった事がある。
カオ・チエン・クーハイ、奴は俺と繋がった直後、動揺を隠せない程に狼狽していた。
声を叩き込み、アイツの脳内を俺が支配していたから。
アレを再現し、僅かでも魔術が切れたところを、狙う。
「宝石の力に頼り切った貴様に、耐えられるものだと思うなッ!」
「なんだと貴様! 下賤の存在のくせに!」
「送話魔術、発動ッッ!!!」
世界の色が変わる。
時が、止まった。
静止した世界の中で、俺は光の帯をエリエントへと向けて放つ。
いつもと違う、普段は地中の中を泳ぐ感じなのに。
クーハイの時も、違った気がする。
分かる。この魔術は、送話ではない。
繋がる。
繋がった瞬間、俺の精神はエリエントの中にあった。
奴の身体そのものを支配し、俺のものにする。
眼下に自分が見えた、両手を掲げたまま、動かない俺自身が。
動く、奴の手足を、俺が動かせる。
なら、することは決まっている。
「ぬぐぅうううう! 今の魔術はなんだ! 一体何をした!」
時間にして一秒も満たない世界が、終わりを告げた。
一瞬で自分の身体へと意識が戻り、そして、発動させた魔術の〝結果〟を回収しに走る。
奴も分かっているはずだ。
自分が何をされたのか。
「貴様! エレメントジェーバイトを!」
エリエントの右目にはめ込まれていた宝石は、今は外れ、地面に落ちている。
発生していた大竜巻も消え去り、浮かんでいた物はどこかへと吹き飛んでいった。
奴自身は、手足を失っている。
切り刻まれたとはいえ、俺の方が早い。
「はっ、はぁっ、はぁっ」
拾い上げたそれは、手にしただけで魔力が回復していくような、そんな存外のもの。
凄まじい魔力量だ、これがあれば、送話魔術は際限なく使えるのではないか。
「貴様……貴様あああああああぁ!」
エレメントジェーバイトを失い、満身創痍の彼が叫ぶ。
だが、いくら叫んだ所で、奴には何も出来ない。
「エリエント殿下、お覚悟を」
魔力もない、四肢もないエリエントなど、赤子の手をひねるよりも簡単なこと。
そう、思っていたのだが。
「ふざけるな、ふざけるなよ! 僕は魔術大国カルマが第四王子、エリエント・ディ・カルマだ! 貴様みたいな有象無象に殺されるぐらいなら! 僕は自ら死を選ぶ!」
なぜだ、魔力無しのはずなのに、奴の身体から魔力が溢れている。
エレメントジェーバイトを装着していたからか?
蓄積された魔力が、まだ奴の身体に残っているのか?
消えたはずの竜巻が上空で球体になり、凄まじい勢いで落下を始めた。
「本国へと、僕は既に密書を送ってある!」
失った両手を掲げ、膝だけで奴は立ち上がった。
「残念だったな! 僕が死んだことが分かれば、お前たちも、この国も全てが終わりだ! 魔術大国カルマに勝てる国なんぞ、この世にありはしない! 残念だよ、お前たちの死に顔を見ることが出来なくて! だが、後悔はしないぞ! すぐにお前たちも僕の所へと来るんだからな!」
光り輝く右目が、より光を増し、周囲には暴風が吹き荒れる。
最後の最後、奴は空を見上げ、叫ぶ。
「魔術大国カルマ、万歳!!! 僕こそが、至高の王となるべき男だったんだ!」
吹きすさぶ風が落ちると、エリエントの身体は粉微塵になり、跡形もなく吹き飛んだ。
辺り一面に血が降り注ぎ、俺やアナも、エリエントの血で染まる。
爆風が周囲を破壊するも、やがてそれも収まる。
騒ぎを聞きつけた警ら兵が駆けつけるも、ただただ慌てるばかりで。
俺はと言うと、泣きじゃくりながらも意識を失っていたアナに寄り添い、一人安堵の息をつくばかりだった。
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