第35話 黒煙に包まれし王都、たった四人の救出隊
「エリエント殿下、起きて下さい。まもなく王都に到着いたしますよ」
とても柔らかい枕で、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
揺れる事もなく、熱くも寒くもなく、鉄の客車は寝るには丁度いい環境だった。
まだあと少しくらいは眠っていたい、そう思い枕に手をかけて、ふと気づく。
枕なんか、あったっけ?
確か、俺は最初、壁に寄りかかりながら眠っていたはず。
手に触れる柔らかくも張りのあるこの感じは、まさか。
「あ、ようやく起きてくれました。おはようございます、エリエント殿下」
見上げる笑顔、下から見ても、可愛い人はどうやら可愛いらしい。
違う。これ、アナの膝を枕にして眠ってしまっている。
慌てて飛び起き、叩頭する勢いで頭を下げた。
「すいません、いつの間にか寝入ってしまいました」
「いいのですよ。いろいろとお疲れなのだと思います。少しでも休むことが出来て良かったです」
ニコリと微笑む笑顔。ああ、天使はここにいたんだなと思える。
優しい癒しの天使、そんな素敵な人が、俺の婚約者とか。
俺の人生、幸せしか存在しない。
ただ、その表情はすぐさま険しいものへと変わった。
「エリエント殿下……予想していた以上の出来事が、発生してしまっています」
見れば、険しい顔をしたのはアナだけではない。
ルールル中尉やヒミコ二曹もまた、走行中の客車の扉を開け、外を睨みつけている。
後方へと飛ぶように消えていく木々、速度は凄まじく、客車にしては視線が高い。
魔馬車専用の客車は、速度に耐えられるように、魔術で僅かに車体を浮かせていると聞く。
それにしても高い、木々を超えた高さにまで浮き上がっているじゃないか。
だが、それらに感動している場合じゃない。
「王都に、黒煙が上がっている」
あってはいけない事が、現実として目の前で起こってしまっていた。
円を描いた城壁の内部から、いくつもの黒煙が上がってしまっている。
「今、王都を守護するべき兵のほとんどが、中央平原へと駆り出されてしまっています。それこそ新兵に至るまで、全員が駆り出されてしまっているのです。王都を守っているのは、最低限の兵と、自警団と呼ばれる組織の方々ぐらいなもの。丸裸に等しいと言えるでしょう」
震える声で、けれども正確な状況分析を、アナはしてくれていた。
俯き、膝上に置いた手を震える程に握り締める。
「私が手配するよう、お願いしてしまったから。お父様は、残る兵の一人に至るまで、全てを出し尽くしてしまったのです。たった四人の私たちが向かったところで、どうにかなるとは思えません」
「しかし、それでは陛下は」
「個の力としては強くとも、エリエント殿下も、私も、軍隊を相手にすることは不可能です。エリエント殿下、この惨状を、お兄様たちへと送話魔術でお送りして下さい。私たちに出来ることは、それだけです」
送話魔術を使用したとて、両殿下が解決策を持っているはずがない。
そもそもアレス殿下に俺は託されたんだ、何としても陛下を守れと。
「アナ、君は間違っている」
持ち上げた顔、真紅に燃える瞳が、涙で濁っていた。
「俺たちがすべきことは、安全な場所で悔し涙を流すことじゃない。どんな状況からでも、打開策を必死になって考え、陛下を、アナのお父様を救出することにある。ここからでも出来ることがある、だからこそ、俺達は送り出されたんじゃないか」
「グレン……」
ぽふん、と俺の胸の中に顔を沈める。
言葉にした以上、必死になって考える。
こういう時、まずは情報精査が必要だ。
「馬車を一旦、ここで停止させて下さい」
「停止させるの?」
「ああ、敵はまだ俺達に気づいていない。この優位性を失いたくない」
「了、すぐさま御者に伝えます」
ヒミコ二曹が外へと飛び出すと、やがて馬車は停止した。
「中尉、大体でいい、敵の偵察を頼む」
「了、十分ほどで戻ります」
肩口程度の白髪を揺らすと、ルールル中尉は一瞬で姿を消した。
クーハイ並みに優秀な斥候兵だな、アナの護衛にぴったりだ。
十分後、中尉は客車へと戻ると、城内の情報を図面に書き起こしてくれた。
「で? どうするつもり?」
王都カナディースは、三重層にもなる円状の城壁を持つ、巨大な城塞都市だ。
敵はまだ大外一層目にほとんどいる、二層目にも数隊侵入している様子だが。
「……地図上の点、これは小隊という事でしょうか?」
「はい。おっしゃる通り、小隊ごとに暴れている様子でした」
この動きの目的はなんだ?
陛下の命が目的であらば、編隊を保ったまま矢のように攻め入るが得策だと思うが。
わざわざ城壁に沿って扇状に広がり、小隊ごとの力しか保持出来ていない。
「……逆に、使えるか。アナ、この魔馬車は、客車を切り離せるのかな?」
「御者に頼めば可能だと思いますが、どうするおつもりですか?」
「馬なんだ、乗るに決まっているさ」
頭の中で、大体の作戦が決まった。
今は一秒でも時間が惜しい、即座に行動に移ろう。
「アナ、ルールル中尉とヒミコ二曹を連れ、王城へと向かって下さい」
「……え、ですが、今の王都には」
「大丈夫です。俺が馬に乗り、敵の注意を集めます。憎きカルマの王子様が現れたのですから、奴等は死に物狂いで追いかけて来るでしょう。その隙に三人で王城へと行き、陛下の守護にあたるようお願いします」
意外にも、待ったを掛けたのはヒミコ二曹だった。
「それでは、エリエント殿下が危険じゃないですか」
「俺には防弾の腕輪がある。ヒミコ二曹も中央平原で見ていただろ?」
「そうですけど。ですが、今回は剣も飛んできますよ?」
「肉弾戦なら、むしろ俺の領域だ。それよりも、この城下町を荒らされている現状を放置する方が、俺としては危険だと思うんだ」
「……どういうことです?」
とんっと、俺は図面の中央、王城を指さす。
「敵はグロデバルグ宰相閣下、恐らく、陛下の所までは素通りで行けてしまう」
「……はい」
「ではなぜ、わざわざ城下町を荒らしているか。これは陛下抹殺後の逃げ道を確保するために、守護兵を散らしているのだと思う。いや、極力城から兵を減らしている、これが正解だろう」
出来る限り無人にし、陛下の命を奪う。
防がれる可能性を極限まで下げる徹底ぶり。
ラムチャフリ元帥という人間がどれだけ慎重派か、想像できるよ。
「逆を言えば、荒らされている間は、お父さまは生きている」
「ああ、だから、今すぐ行動を開始したい」
「……分かりました。グレンの言う通り、こんな所で悔しがっている場合ではなかったのですね」
「エリエントですよ、アナスイ姫」
「いいのです、今だけはグレンでいて下さい」
言いながら、アナは着ていたコートを脱いだ。
「その服」
「はい。戦いになっても良いように、中に着こんでいました」
白い制服、青いラインが一本入った可愛らしい制服姿が、とても可愛らしく見える。
それにしても、足が無防備すぎる気がするのだが、これって大丈夫なのか?
それに暖かくなってきたとはいえ、まだまだ寒いのにミニスカートとか。
「ショウエ少尉の言う通りです」
「え?」
「男の人は、下ばっかり見る」
うっ。
だって、見ちゃうでしょ。
「グレン」
「はい」
「私のだけを、見ていて下さいね」
「……! はい!」
見てもいいんだ。
俺はアナスイ姫の足を、好きなだけ見ることが出来るんだ。
なんと素晴らしいことか!
「うはぁー、こんな場所でも惚気かよ、王族って凄いねぇ」
「今度ロッカ中隊長にも着せてみましょうか」
「ああ、それいいねぇ」
やめろ、俺の記憶に変なの混ぜようとするな。
魔術師団の制服を着こんだロッカとか、無駄に似合ってそうで怖い。
その後、御者から客車の切り離しが終わったと言われ、さっそく跨ってみることに。
「……っとと、乗馬の練習をしておいて良かった」
「馬の名前、ファラマンといいます。カルマから寄贈された、フォルカンヌに一頭しかいない魔馬です。大切に扱って下さい」
御者の懇願する瞳、相当大事に育てられていたのだろう。
魔馬に跨った途端、視界がかなり高くなった。
凄いな、股が開き切っちゃう感じ。
これ、跨るよりも中腰の方が良いかも。
「グレン」
「大丈夫ですよ。俺もひと段落したら、アナの所へと向かいます」
「絶対、来てくださいね。絶対、死んだりしたらダメですからね」
上から見ても、アナはやっぱり可愛い。
ああ、失敗したな。
馬に乗る前にキスしておけば良かった。
「全てが終わったら、盛大に式を上げましょう。もういろいろと、我慢出来そうにありません」
「……、はい、すぐに!」
とはいえ、戦死したお兄様の喪が明けたらかな。
すぅ……っと、息を吸い込み。
王都を睨む。
「では、行ってまいります」
やれるだけの事はやってやる。
例え、どんな敵がいようとも。
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