第34話 女性兵の願い
「エリエント殿下、要塞城ガデッサより、魔馬車が到着いたしました」
兵に呼ばれ表に出ると、そこには光沢のある黒い毛並みをした、巨大な馬の姿があった。
普通の馬の二倍ぐらいは大きい、足なんか大砲くらいの大きさだ。
脚力も凄い、普通の馬で数日は掛かる道のりを、たった一晩で駆け抜けるのか。
一頭生み出すのに何千万という金貨が必要になるらしいが、それだけの価値は間違いなくあるのだろう。
しかし、想像を遥かに超えて早く到着してくれた。
まさか、仮眠に入ろうと思った瞬間にやってくるとは。
アレス殿下との送話の後、緊急で軍議を開き、それから床についたから眠くてしょうがない。
中央軍総大将をルクブルク将軍へと託し、その他部隊のアレやコレやも全部昨晩処理した。
口頭だけでは終わらないのが軍という組織、山ほどある書類に目を通し、承認印も押した。
「信頼に足る者たちが作成した書類です。なに、どこかで間違いがあれば、どこかの段階で修正が入ります。気にせず押印して下され」
意外と、ルクブルク将軍閣下は大雑把な人だった。
しかし、そうは言われても、間違いがあった場合、後でアレス殿下からお小言を貰うのは俺だ。
性格かな、結局、書面全部に目をしっかりと通してから、押印した。
結果、すでに東の空が白む。
眠れなかったのは、自業自得か。
ラムチャフリ元帥がいると想定して、通訳のヒミコ二曹も魔馬車で同行させる。
追従させる部隊としては、アーチボルグ中尉率いる五千の騎馬隊だ。
「なんで自分ばっかり!」
そう嘆く中尉だったが、彼が七万の軍勢を指揮していた事は、紛れもない事実だ。
更に言えば、南部軍砦の配置や建造、攻め込むタイミングも良かった。
口では文句を言うものの、やることはきっちりとこなす。
こういうタイプ、俺は好きだ。
「魔馬車について来ようとしなくていい、無理せず全力で王都まで追従を頼む」
「無理せず全力って部分が矛盾してるんですよぉ……了解しましたけどぉ!」
くすんだ金の髪が特徴的な、面長な顔をしたアーチボルグ中尉。
中尉の年齢、聞けば既に二十三だとか。
俺よりも六つも上だが、なんだろう、年齢の差を感じさせない。
いい友達になれそうな気がするが、正体がバレてしまうから、無理か。
ふぁ~ぁと、大あくびをしつつ、魔馬車へと乗り込む。
以前アナが言っていた、窓のない鉄の客車。
ふむ。確かにこれでは、外を見ようがない。
「明かりは無いのかな……」
「こちらにございますよ、エリエント殿下」
ぽわんと、明かりが点いた。
鉄の箱の中にそぐわない、花の形をした照明。
暖かな光が照らしだすは、金の髪と、赤く、燃えるような瞳の彼女。
「……え、なんでここに、アナが」
「だって、私が行かないと、お父さまの執務室まで入れませんよ? 既にエリエント殿下はお父さまと面会を果たしておりますから、エリエント殿下が偽物だってすぐにバレてしまいます。爺もこの戦場を離れる訳にも行かず、お兄様も動けないとあれば、私が動くしかないと思いませんか?」
「た、確かにそうだけど、でも、危険かもしれないし」
隣に座るよう促され、素直に従う。
アナが着用している白い毛皮のコートから、なんだかいい香りがしてくる。
花の蜜に誘われた蝶のように、彼女に吸い寄せられてしまいそうだ。
「危険だからこそ、ですよ。どんな怪我をしても、私が治してあげますからね」
確かに、アナの治癒魔術は凄い。
切断された身体を一瞬で治してしまうのだから、最強クラスだ。
でも、真っ先に思い浮かぶのは、二人で戦ったエリエント戦。
鼻血を出し、呂律が回らなくなりながらも、必死になって治癒魔術を使う彼女の姿だ。
あんな思いを二度とさせたくない、そう、思ってしまうのだけど。
「なんて、強がりましたけど。一番の理由は、貴方が側にいなくて、寂しかったのが本音です」
「……アナ」
「送話魔術も万能かと思いましたが、ダメですね。声を聞けば聞くほど、隣にいないことを寂しく感じてしまいます」
膝上に置いた小さな手を握り締めながら、眉を下げ、目を細めた顔を、ほのかに火照らせる。
どうしよう、とっても可愛い。
こんな鉄の箱の中、何時間もアナと二人きりとか。
理性を保っていられる自信が無いぞ、どうするんだ。
「グレン」
「その名で呼んだら、ダメですよ」
「いいのです、二人きりなのですから」
蕩ける瞳に、絆されてしまいそうになる。
膝上にあった手が、ゆっくりと俺の手を包み込んだ。
温かい、アナの手が、とても熱を帯びている。
どうしよう、このまま理性を吹き飛ばして、本能のままに彼女を抱きたい。
ダメだ、俺はまだ、フォルカンヌ陛下にご挨拶すらしていない。
挙式もしていないのだから、せめてそれが終わってからでないと。
というか、これから向かう先に敵の総大将がいるのかもしれないのに。
もっと集中しないと、俺はグロデバルグを止める為に、こうして魔馬車に乗っているんだぞ。
「グレン……はぁ……一番、安心します」
小さな頭をぐりぐりと俺の鎖骨辺りに押し込む。
猫の様な仕草、甘えているのが一目でわかる。
……うん、キスぐらいはいいか。
そうだよな、こんなにも彼女が甘えてきているのだから、キスの一つぐらいはしても問題ない。
「アナ」
ほら、名前を呼ぶだけで、彼女は嬉しそうに顔を上げてくれるんだ。
恋人同士、ましてや俺達は婚約しているんだ、キスぐらいするのが普通。
そう、例え他の人の視線があったとしても、何も問題はない。
……え? 他の人の視線?
「あ、いいですよ、続けていただいて」
客車の入口、そこに立つは、腰に手をあて呆れ顔をしたヒミコ二曹があり、
「お気になさらず、私は客車を彩る観葉植物ですので」
車内には、いつのまにか対面に着席していた、ルールル中尉の姿があった。
アナの肩に回していた手を、そっと自分の膝の上に戻す。
そんな俺の様子を見て、腕組みしながら戸枠に肩を預け、ヒミコ二曹はほくそ笑んだ。
「大丈夫ですって、むしろエリエント殿下にも性欲があったことに一安心ですよ。他の男どもは戦いが終わるたびに酒と女を貪るのに、エリエント殿下は酒もロクに飲まず女を抱こうともしない。もしかしたらエリエント殿下は男色家なのではないかと、危惧している兵もいたぐらいですからね」
俺が男色家? 部隊の中でそんな噂が流れていたのか?
動き始めた車内にて、ルールル中尉はぎゅっと両手を握り、神に祈るような仕草で俺を見る。
「愛する人のために貞操を守る。素敵な話だと思います」
「ルールル中尉……」
「でも、我慢は身体に毒っていいますよ? 適当な女で性欲処理をするのも、悪くはないと思うんですよね。ましてや王族、エリエント殿下なのですから、つまみ食いの一人や二人、何の問題もないと思いますよ。どうです? 私が相手してあげましょうか?」
言いながら、ヒミコ二曹が俺の膝の上に乗ってきた。
紺色のファー付き防寒着から、アナとは違う良い香りがしてくる。
男にも支給されている同じ種類の防寒着のはずなのに、ここまで違うものか。
そして軽い、細身だとはずっと思っていたけど、ここまで軽いとは。
「あいでででで」
「なんだか嬉しそうですね」
アナにおもいっきり太ももを抓られた。
「全然、嬉しそうにしていた訳じゃない。ただ、同じ種類の防寒着が男にも支給されているから、匂いとかが全然違うんだなって、ちょっと驚いただけで」
「あはっ、匂いとか嗅いじゃうんですか? エリエント殿下って匂いフェチだったり? わきの下とか嗅いじゃうクチですかぁ~?」
コイツ、絶対にからかってやがるな。
ムンズと、ヒミコ二曹の腰を掴み、持ち上げる。
「あひゃ、あひゃひゃひゃひゃ! 急に腰に触れないで下さい!」
「勝手に膝の上に座るからだ。ルールル中尉の隣が空いているじゃないですか」
「あひゃひゃひゃ! 自分、自分で動きますから! あひゃひゃひゃ! うひー!」
ったく、せっかくアナといい雰囲気だったのに。
「あ、そうだ。アナスイ姫、私前々から思っていたことがあるんですよね」
散々からかってきたのに、まだ何かあるのか?
ヒミコが声をかけると、そっぽを向いていたアナもようやく前へと向き直す。
「女兵専用に、男を支給してくれたりしません?」
「え?」
「いやぁ、男ばっかりズルイなぁって、前々から思っていたんですよね。私たちだって身体一つで命を懸けて頑張っているのですから、癒しが欲しいって思う時があるんですよ。姫だって、先ほどおっしゃっていたじゃありませんか。寂しくてエリエント殿下に会いたかったって」
背筋を伸ばし、膝の上で両こぶしを握ったアナの顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
「そ、それは、そうですけど……ルールルも、思ったりするのですか?」
「え? 私ですか? そうですね、もしそうなった場合、支給された男同士を愛させますね」
なんだと?
「あー、それいいね」
いいの?
「だとすると、エリエント殿下の相手は、やっぱりロッカ中隊長かな?」
「あ、分かります。なんかお似合いですよね、あの二人」
「そんな、エリエント殿下とロッカ中隊長が……ふむ」
なぜ、アナまで満更でもない顔をされているのでしょうか。
ないぞ、そんな可能性、微塵も存在しないぞ。
ロッカのことを女みたいな顔って思ったのは最初の時ぐらいなもので、その後は凛々しい青年じゃないか。茶色くて長い髪を後ろで縛っていて、身体を洗う時なんかは解くから、何か後ろ姿が女っぽいってからかう奴等もいたりするけど。
確かに細いし、お尻なんかも丸くて、可愛い感じがしないでもないが。
「……なんですか」
「いえ? 誰を想像しているのかな、って思いまして」
三人の目が、いつもと違って怖い。
どうしよう、この三人と一緒に鉄の箱の中に閉じこもり、王都まで行くのか。
きっついなぁ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます