第18話 私の評価
(アナスイ王女視点、グレン達が到達する前のこと)
ショウエ曹長の抱える魔術師団の二百名。
ガデッサ辺境伯の抱える防衛兵二千名。
エリエント殿下の抱える魔術騎兵団五百名。
全部で二千七百名、それが要塞城ガデッサに残る戦力でした。
対して、西方から迫りくるスナージャの敵兵は五万を超えると言います。
いくら守備に特化した要塞城とはいえ、これだけの戦力差を覆せるとは思えません。
「大至急、本国からの支援要請を、宜しくお願いします」
お父様へと早馬による支援要請を行いましたが、王都カナディースから援軍が来るのは、どんなに早くても一か月半は掛かってしまうことでしょう。
エリエント殿下の来訪、防衛戦の勝利、広範囲治癒魔術。
いくらお父様やグロデバルグ宰相、聡明な高官たちがいたとしても、支援が必要な状態だとは夢にも思っていないはずです。
北のシンレイ山脈へと支援を出している以上、王都に残されている兵力も僅か。
どれだけお父様がこちらへと兵力を割いていただけるのか、見当もつきません。
「おや、まだ無駄なあがきをしているのですか? 何とも恐ろしいお姫様だ」
聞きたくもない声。
城外へと早馬を見送った私を、あざ笑いに来たのでしょうか。
見れば、エリエント殿下は黒い艶のあるコートに身を包み、足元には毛皮のブーツを履いています。
どこかへと漫遊されるのでしょうか? ならば、一秒でも早く出て行ってしまえばいいのに。
「この城は西方諸国にとって、フォルカンヌ国へと繋がる玄関とも言える場所なのですよ? 日に何千という荷を積んだ馬車が走り、何万という人が城下町を行き来している。行商人だけじゃない、ここに根付いている民もいるというのに、貴方はこの街を死屍累々の戦場にしようとしている。いい加減諦めたらどうです? 民の中にも、僕の無血開城を推す声が上がっていると聞きますよ?」
「無血開城、それがどれだけ恐ろしい判断か、ご存じでしょうに」
言い返しても、エリエント殿下は愉悦に見下した目をし、口を三日月に歪めるのみ。
本当なら殴りつけてしまいたい、でも、それをしたら魔術大国カルマが敵に回ってしまう。
遠距離治癒魔術、あれをスナージャへとされたら、勝ち目は無いに等しい。
我慢するしか、選択肢がありません。
「姫様」
耳に掛かる程度の白髪、耳前の髪だけを三つ編みした彼女。
押し黙った空気を、私専属の斥候兵、ルールル中尉が割って入ってくれました。
にやけた顔をした彼から逃げる口実が生まれたことに、少しだけ安堵してしまいます。
「何か重要な情報ですか? 是非とも僕にお聞かせ願いたい」
「……申し訳ありません。彼女は私お抱えの斥候、女の秘密を殿方にお知らせする訳には参りません」
「女の秘密、ねぇ」
本当、いやらしい人。
一礼し、彼から出来る限り距離を取ることにしましょう。
「歩きながらで結構、報告を」
「はい。敵兵の数、およそ十万。スナージャ帝国の主力と見て間違いありません。ただし大軍の為、行軍速度は遅く、接敵までは早くとも三週間は要すると思われます」
その数、北のシンレイ山脈だけではなく、南のアースレイ平原からも招集をかけていたのですか。
十万の敵兵を相手に、援軍が来るまで、私たちだけで耐えないといけない。
王都から一か月半、アースレイからは早くても二か月。
とてもじゃないけど、全然、耐えられる未来が見えない。
「城下町ですが、エリエント殿下の流布した無血開城の噂が広まっており、表面上は平穏を維持出来ております。ですが若干名、ガデッサから逃げた者たちも確認出来ました」
「そうですか、いえ、逃げるのが正解だと思います」
無血開城した後、彼等が虐殺行為に及ぶ可能性があるのですからね。
スナージャ帝国からの無血開城の宣告があった訳でもない。
無血開城すれば大丈夫、この考えは、エリエント殿下の打算でしかないのですから。
「ルールル、しばらく従者をお願い出来るかしら?」
「かしこまりました。どちらへ?」
「この街の、真の支配者の下へと向かいます」
要塞城ガデッサと、今でこそ呼ばれておりますが、エリエント殿下の言う通り、この城は西方諸国の玄関と呼ばれる場所でした。
隣国との距離も近く、物騒な話も絶えなかったこの街を、彼等はまとめ上げることに成功しています。
商業会議所。
通称ゼネラルギルド。
無論、国の台所番はおりますが、民衆の信頼度は間違いなく彼等の方が高い。
未曾有の危機に瀕した今、彼等を頼る以外に、生き残ることは不可能だと断言できます。
王族なんていう身分はこの際どうでもいい、
「面会のお約束を受けて頂き、誠にありがとうございます」
石造りの部屋では、沢山の紙を潤沢に使用しているのが目に映ります。
流通経路の把握、他国との金の価値、相場を掲示する大きな木版。
応接室、と呼ばれるような部屋ではなく、実務の部屋の片隅に席を設ける。
ゼネラルギルドのギルドマスター。
彼は最初から、私のことを王族とは見ていない雰囲気ですね。
助かります。
「それで、どのようなご用件で?」
恰幅の良いお腹は、椅子に座るだけでも窮屈に感じられます。
三角形の頭は毛の一本もなく、咥えた煙草からは白煙が上がり、周囲を白く濁ませる。
ゲーリッヒ・ゼネラル。
一見すると物語の悪役です。
ルールルが懐刀に手を当ててしまうのも、やむを得ない事でしょう。
「マスターは、スナージャ帝国の主力部隊が接近しているのを、ご存じでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。お陰様で行商人が道を通れなくて困っていると、何度も報告が上がって来ている」
十万の兵が道を塞いでいるのですから、当然とも言えます。
しかし、それらも全て国の責任、素直に頭を下げるが正解です。
「戦争の最中だろうが何だろうが、商売人は商品を持って金の為に動いているんだ。自己責任って奴だ、姫様が気にする必要はねぇ。アンタがこの街で聖女って呼ばれているのは知っているが、王族なんだろ? そんな簡単に頭を下げちゃいけねぇだろうに」
「すいません。ですが、私には頭を下げる必要があるのです」
灰皿に赤く光る煙草を押し当てると、マスターは値踏みするような目に代わりました。
「面倒臭いのは無しだ、率直に頼もうか」
「……マスター、フォルカンヌ国の為に、民の力をお貸しください」
恐らく、私が言いたい事は分かっていたのでしょう。
それ以外、この街を守る方法がないから。
「今、この国は滅亡の危機に瀕しています。カルマ本国からの援軍は期待できず、あまつさえ無血開城せよと進言してくる始末です。この城を抜かれたが最後、王都カナディースまでスナージャ帝国の刃が届いてしまう事でしょう。現状、王都に十万の兵を抑えるだけの戦力はございません」
「だから、女子供構わず、兵として国の為に戦えと……そう、言いたいのかい?」
国の為なのですから、それも辞さない……という考えは、軍隊のみでしょう。
民へとお願いするのですから、出来る出来ないは分けて考えないといけません。
「いいえ、戦う必要はありません」
「ほう?」
「ソウルレイ山脈の南北には、先日の防衛戦の際に出来た雪道がございます。そこに兵に見立てた案山子を作り、敵兵の目を欺けることが出来れば、僅かでも時間稼ぎになる、そう考えているのです。案山子の操作と威嚇射撃、これらを非力な者たちにはお願いしたいと考えております。無論、戦える者には、城壁からの銃撃もお願いしたいと考えておりますが……」
まだ雪解けには遠い。
グレンさん達が作ってくれた雪道は、地上からは存在すら把握できません。
そこに何百という兵を模した案山子を作れば、多少の時間稼ぎにはなるはずです。
「考えが甘いな」
新たな煙草に火をつけると、マスターは白煙を煙突のように口から吹き出しました。
考えが甘い、ですが、これぐらいしかもう策と呼べるものは無いはずです。
「姫様、この戦争が始まって、どれぐらいになるか知っているか?」
「十年と八か月です」
「ああそうだ、十年だ。それだけ長い間戦争をしているとな、民としちゃあどっちが勝ってもいいから、とっとと終わってくれって思うものなんだよ」
「そんな、愛国心の欠片もないと言うのですか」
「ない訳じゃねぇ。だがな、俺達からしたら税金を納める相手が変わる、その程度のことだ」
その程度のこと。
そんな訳があるはずがないのに。
「この戦争が始まって、一体何人が死んだと思っている? もう互いに血が流れ過ぎて、訳が分からねぇだろ? この街の若い衆だって、一体何人が連れていかれたか。それとな、お姫様よ。アンタ、世間では聖女なんて呼ばれているが、この街では裏でなんと呼ばれているか、知っているか?」
「裏で? ……いえ、把握しておりません」
「お前さん、悪魔って呼ばれているんだぜ?」
何を言っているの。
私が、悪魔?
「貴様! 姫殿下に対して不敬であるぞ!」
「ルールル中尉、止めなさい」
「ですが、姫様!」
「いいのです。……マスター、理由を、お聞かせ願いますか」
唇が震えます、動揺を隠せません。
ですが、聞かないと。
悪魔、なんて呼ばれている理由を。
「姫様、アンタがしてきたことは、戦場で傷を負った兵士を治癒魔術で治療する事だ。どんな大怪我でも一瞬で治っちまう。吹き飛んだ手足も現物さえあれば癒着も一瞬だ。そしてお前さんは優し気な笑顔と共に、もう一度戦ってこいと平然と言う」
「……はい」
「分かるか姫様よ、お前さんが治療した相手は、死ぬほど痛い思いをしているんだよ。お前さんだって針が指に刺さった経験ぐらいあるだろう? 道で転んだ、何かにぶつかった。あの痛みの何十倍も痛い思いをしたのに、お前さんは笑顔でもう一回行ってこいと言っているんだ」
「ですが、心を病んだ方には無理をせずと」
「お前さん、先もそうだが、自分の肩書を随分と下に見てんじゃねぇのか?」
私の肩書。
「軍隊が守るのは王族だ、姫様よ、アンタの肩書はなんだ?」
「……第三、王女」
「姫様よ、お前さんが思っているよりも、王族って肩書は重いんだ。バカみたいに重いんだよ。死ぬほど痛い思いをして、戦争から逃げたいって思っているのに、護るべき王族が目の前にいるんだぞ? それを怖いから無理です、なんて言えると思うか? ただでさえ敵前逃亡は極刑って言われている軍の兵士が、そんなことを言えるのか、少し考えれば分かるだろう?」
何も言い返せない。
役に立っていると思っていたのに。
「アンタのことだ、純粋に役に立ちたいって思っていたんだろうけどな。だが、まっすぐな正義がいつも受け入れられるとは限らねぇんだ。怪我をして、痛い思いをしてでも、ベッドで休みたい時があるんだよ。それをアンタが奪い、戦場へと送り届けていた。……そういうことだ。悪いが、ガデッサの民は戦争には一切の加担をしない。特にアンタが表立って動いていると知ったら、より一層動かないだろうよ」
きっと、この面会の場を設けるだけでも、マスターは相当に苦労した事でしょう。
バカな私は、その苦労さえ気づくことが出来ませんでした。
「マスター、貴重なご意見、誠にありがとうござました」
知らないことが多い。
もっともっと、沢山のことを知らなければいけない。
ですが、それらを知る為の時間は、もう私には残されておりません。
あと三週間、それだけの時間で、一体何が出来るのか。
「……グレンさんに、泣きつきたい気持ちでいっぱいです」
でも、きっと今頃、彼は私よりも厳しい状態でしょうから。
ヒュメルさんを失った彼を、頼る訳にはいかない。
出来ることをしましょう、後悔の無いように。
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