第17話 新たな部下
ソリタス殿下との送話を終えた後、俺の身体は完全に魔力切れを起こしてしまい、その日は身動きのひとつも取れなかった。ルクブルク将軍閣下の補佐官、セレナさんが身の回りの世話をしてくれたものの、セレナさんは軍隊慣れしているのか、それこそ全部の世話をこなしてくれていた。
黒髪が似合う大人の女性、それだけ聞けば響きは良いが、余計なことは一切喋らない無口な人であり、常に垂れた柳眉はどこか憂いを感じさせ、ジトっと下がった眼は俺の方を一切見ようとしない。
無表情のまま異性の下着を変えられる、ちょっと怖い人。
俺の中でセレナさんは、そういう位置づけの人になった。
「おお、もう大丈夫なのか」
「はい、セレナ補佐官のお陰で、随分と楽になりました」
臨時で建てた駐屯地は、それなりに立派なものへと姿を変えていた。
行軍ではなく待機となったのも大きい、簡素ながらも、木材の家が数個建築されている。
冬の寒さも凌げるし、虫も侵入してこない。
安全な場所で眠れるというのは、何よりも大切なことだ。
「そろそろ、次に移りたいと思います」
「そうか……では、グロデバルグ宰相閣下へと頼む」
復活した魔力を使い、さっそく送話の世界に潜る。
光の帯が二つ、北東と南、アナとソリタス殿下だ。
王都カナディースは、子供の頃、両親と観光に行ったことが一度だけある。
大きな城に、とても立派な石畳の町並みは、忘れようと思っても忘れられない。
事前に聞いておいたグロデバルグ閣下の執務室へは、すぐにたどり着くことが出来た。
場所が分かるということは、送話を使うことに於いて、重要な項目なのかもしれない。
『……』
人は確かにいる、ただ、俺に気づいていない。
机を叩く音、違う、何か文字を書いている音だ。
宰相閣下の仕事は、基本的に内政と聞く。
それはつまり、魔力がない、という意味でもあるのか。
「おお、どうだった?」
「すみません、送話魔術は、相手にも魔力がないと繋がることが出来ないみたいです」
「そうか。となると、国王へと進言できる者で、魔力を保持している者はいないかもしれんな」
鼻血を拭きながら考える。
魔術師は滞在しているのだろう。
ただ、意見するだけの権力はない。
これは、送話魔術の弱点ともいえる。
分からない人には、ただの戯言にしか聞こえないんだ。
「では最後に、第三王子リデロ殿下を頼む」
「わかりました、さっそく試してみます」
頭痛が酷いが、昨日よりかはマシだ。
急がないと送話をする意味が無くなってしまう。
アナがいる要塞城ガデッサよりももっと北、ずっとはるか先のシンレイ山脈。
行軍ルートや時間や場所、規模をひたすらに検索するも、見つけることが出来ず。
「ソリタス殿下の時に分かったのですが、どうやら俺が送話を使用して意識を飛ばすと、それが痕跡として残るようなのです。見えるものにはそれが見えてしまい、逆に俺へと強引につなげることが出来てしまいます。一度繋がってしまえば、その痕跡は消えるみたいですが、あまり残していいものだとは思えません」
シンレイ山脈には、少なからずスナージャ兵も残っているはず。
向こうの奴等に見つかったが最後、俺と繋がってしまう可能性が高い。
「ふむ、万能、という訳でもなさそうだな」
「申し訳ありません」
「いや、アレス殿下の援軍が来ると分かったのだから、無駄ではない。よくやったぞ、グレン中隊長」
中隊長呼びをされるのは、なんだか気恥ずかしい。
これだけはお願いして欲しいと伝え、デイズ小隊長も、中隊長へと昇格して貰った。
もともと中隊長どころか、大隊長レベルの活躍をしている人だ。
誰も異論は問わなかった……本人以外は。
「余計なことをしやがって、自由に動けなくなるだろうが」
中隊長になった途端文句を言われたが、殴られはしなかった。
小隊長にとどまっていたのは、自分の意志だったらしい。
敵を殺す、出来る限りの敵兵を斬り刻む、それをするには、小隊長が丁度いいのだとか。
「援軍が到着しました!」
待機すること三日、ソリタス殿下の言葉通り、アレス殿下と俺達は合流を果たした。
狼のような赤毛が特徴的で、制服に付けられた勲章の数はルクブルク将軍閣下よりも多い。
細身だが、肌が見える部分には筋肉がしっかりと付いている。
武闘派であり知略派、アレス殿下からはそんな印象を受けた。
「ルクブルクが指揮しておきながら、偽の手紙を掴まされ、まんまと躍り出てしまうとはな」
集まった将校の前で、アレス殿下はルクブルク将軍閣下の頬を殴った。
「恥を知れ、貴様のミスで一体何人の国民を失った。更に妹であるアナスイをも危機に瀕している。ルクブルク、もし我らが到着する前にアナの身に何かが起こっていた場合、貴様とて容赦はせんからな」
殴りつけた手を布で拭くと、アレス殿下は休む間もなく行軍を指示した。
三万の兵の行軍は、それだけで緊張感を俺達に与えてくれる。
それと同時に、間違いなく勝てるという安堵感と、敵を斬り殺せるという高揚感がないまぜになり、自然と口角が上がる者たちが増えた。それだけのことを奴等はしてくれたんだ、手心なんて一切加えるつもりは無い。
「貴様がグレンか」
「はい!」
「よい、大声を出すな、女が驚いてしまうではないか」
その日の晩、俺はアレス殿下からの呼び出しを受けた。
広い天幕の中では、裸に近い女が三人ほど、頬杖をついて横になったままのアレス殿下に寄り添う。かくいう殿下も腰に一枚薄布を掛けただけの恰好であり、鍛え上げられた肉体美は、男である俺ですらも魅了されてしまう程だった。
「送話という魔術に興味がある。使用してみせろ」
「かしこまりました」
これまでソリタス殿下、アナスイ姫殿下と、王族への送話は二人とも成功している。
王族には強い魔力が付与されているのだろう、使用すると、送話はあっさりと成功することに。
「ほう、これが……」
「はい、アナスイ姫殿下も研究されており、声をほとんど出さなくとも会話することが可能です」
実際に俺が小声で伝えると、アレス殿下は面白いものだと笑みをこぼした。
「しかし、これでは貴様の発言力が無駄に高くなってしまうな。送話の事実が広まってしまった以上、貴様の言葉の真意に関わらず、俺やソリタス兄様の言葉として受け取らねばならなくなる。いずれ、貴様には首輪を付ける必要がありそうだ」
怖いことを平然と語る。
真紅の瞳を歪ませながら、アレス殿下は俺へと退去を命じた。
翌日、俺の前に数名の曹兵が並ぶ。
「サレス一曹、アレス将軍の指示により、本日よりグレン中隊長の指揮下に入ります」
「クーデルカ二曹、同じくグレン中隊長の指揮下に入ります」
「ヒミコ二曹、以下同文でーす」
「ガンデス一曹だ、宜しく頼む」
アレス殿下の部隊から、一気に二百人が俺の指揮下に付くこととなった。
中でも小隊長を兼任している曹兵が集まり、俺に対して敬礼しているのだが。
……小隊長として俺の下にいたのは、最大でも十人だぞ?
それをいきなり二百人とか、俺に指揮できるはずがない。
「グレン中隊長、こうしてご挨拶しておきながら失礼ですが、私たちは貴方の指揮に従うのではない、という事を覚えておいて下さい」
流れるような金の髪、実直な性格が浮き出ている眼差しのまま、サレス一曹は敬礼を解いた。
「送話魔術によって送られてくるアレス殿下の指示に、私たちは従うのです」
「まぁ、そうだな。だからなんだ、無理して中隊長っぽく振舞わなくても大丈夫だからな」
「そーそー、ガンデスオジサンの言う通りだよー。無理せんときー」
「ヒミコお前な、俺はまだ三十丁度だぞ? オジサンは早いだろうが」
「三十はオジサンだよ。なに若い子に混ざろうとしてんの? オジサンのくせに」
浅黒い顔をした大男のガンデス一曹が苦笑いするも、女性陣は冷ややかな視線を送る。
外に跳ねる緑色をした髪、一見すると少女のような体型が特徴のヒミコ二曹。
腰まである長い紫色の髪、女性の象徴がとても大きい彼女がクーデルカ二曹。
三人は仲が良いのか、俺の答礼を待たずしてお喋りを始めてしまった。
デイズ小隊長なら、問答無用で全員鉄拳制裁なのだろう。
俺にはその権限があるようで、無いような気がしてならない。
ソリタス殿下からも、臨時での昇格と言われている。
今回の部隊編成は、アレス殿下の言う、俺への首輪も兼ねているのだろう。
「グレン中隊長だ、短い間だと思うが、宜しく頼む」
だから、胸を借りるつもりで特に何も言わずに、四人の小隊長へと礼を交わした。
皆は笑顔になって、俺の敬礼へと答礼をしてくれる。
今はこれでいい、そう思うことにした。
「さっむ、冬に行軍とか馬鹿じゃないのホント」
「ヒミコ、あまり無駄口叩かないの」
「だって寒いんだもん。クーデルカは寒くないの?」
「寒いに決まってるでしょ」
「おっぱい大きいのに?」
「関係ありません」
無駄口が多い部隊だな。
でも、静か過ぎるよりかはマシか。
こう賑やかだと、ヒュメルのことを思い出してしまう。
あの子も頻繁に語り掛けてきて、ニコニコと笑っていたんだ。
死に際が、目に浮かぶ……俺が、もっとしっかりしていれば。
俺がもっと強くなっていれば、彼女は死なずに済んだはずなのに。
「おっ」
「……ん? どうかしましたか?」
賑やかだったヒミコさんが、俺を見て驚いた顔をしている。
「いや、ちょっと見直した。もう少しちゃんとする」
そう言い残すと、ヒミコ二曹は自部隊の指揮へと戻っていった。
急に見直されても、何が何だか。
「先ほどのグレン中隊長の表情、凄みがありました」
「……そうですか?」
「はい。当初、間の抜けた感じがしていたのですが。グレン中隊長も死線を潜り抜けてきたのですね。失った仲間の数だけ、私たちは強くならなくてはならない。分かっていますよ、私たちも数多くの仲間を失ってきたのですから。改めまして、宜しくお願いします、グレン中隊長」
サレス一曹の敬礼に対し、答礼する。
顔で笑っているけど、誰も心から楽しんではいない。
いなくなってしまった仲間がいるのだから。
彼らの為にも、俺達は負ける訳にはいかないんだ。
『グレン、聞こえるか』
駆け足行軍を開始して十日が経過した辺りで、アレス殿下から送話が入った。
「はい、聞こえます」
『アナスイから送話は来ていないのか?』
「いえ、アナスイ姫殿下からは、行軍開始から一度も送話は送られてきておりません」
ソリタス殿下とアレス殿下からの送話は、それなりの回数を受けている。
けれど、思えば確かに、アナからの送話は全くと言っていいほど来ていない。
俺から送ると意識を失ってしまうから。
受け専門、それが今の俺の、送話魔術だ。
『そうか……分かった。グレン、ソリタス兄様から送話が来たら伝言を頼む』
「はい、かしこまりました」
伝言内容を記録しようとするも、内容を聞き、俺は愕然としてしまった。
『要塞城ガデッサより黒煙多数、西側に十万の敵兵あり。要塞城ガデッサ、陥落の可能性あり』
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