第16話 新たな試み

「駐屯地の木材や天幕をイカダにしろ! 逃げ場は川にしかない!」


 ルクブルク将軍閣下の判断は何よりも早かった。

 幸い、ロープも布も木材も、駐屯地には大量にある。

 塹壕を掘る為の工作兵の存在もありがたかった。

 手先が器用な彼等は即席のイカダを作り上げると、次々と兵がそれらに乗り込む。


 まずは衛生兵やその他、後方支援の部隊から。

 俺達歩兵部隊は安全を確保した塹壕に籠り、スナージャへと徹底抗戦を開始する。


「グレン小隊長! 俺達は退避しないのですか!」

「ああ、まだだ! 俺達に退避命令は出ていない!」

「しかし、敵の数が多すぎます!」

「黙れ! 俺達に課せられた使命は、この塹壕で敵の進行を防ぐ事なんだよ!」


 互いに火球魔術が存在しない、昔ながらの攻防戦において、俺の探知魔術は強力無比だ。

 だが今回、スナージャ兵にも探知兵がいると考えられる。

 探知が使えるからこそ、無理な突貫はしてこないし、こちらも手出しが出来ない。

 デイズ小隊長の様な破壊に特化した兵ならいけるかもしれないが。


「スナージャに、砂漠のロンドマンがいます!」


 くそ、どうやら敵将の中にも、デイズ小隊長並みの武闘派がいるらしいな。

 銃弾を砂で防ぎ、塹壕の中にいる兵を、大量の砂で埋め尽くしてしまう。

 攻守万能の砂魔術の使い手が、今回の戦いに参戦している。

 クーハイもいたんだ、間違いなく、俺達が戦っているのはスナージャの主力部隊だ。


 ……勝てるはずがない。


「報告します! ルクブルク将軍閣下より、全部隊撤退命令が下されました!」

「了解! これよりグレン小隊、撤退する! 行くぞギュノ――」


 俺の横にいたギュノルは、いつの間にか頭に銃弾を受け、脳漿をまき散らしていた。

 ボッケもマルクスも、半数近くが銃弾を受け、身動きが出来ずにいる。

 戦闘帽から覗く彼らの目が、いつものように微笑んだ。


「グレン小隊長……大丈夫っすよ、他の奴らが逃げるまで、俺達で抑えますから」

「ははっ、ヒュメルも、知り合いいないと、寂しがる……で、しょうからね」


 ボッケは銃を手にすると、塹壕から手だけを出して引き金を引こうとした。

 だが、それすらも見抜かれたのか、銃を撃たれ、ボッケの右手が破裂する。

 小指と親指だけになった手を、俺はただ、黙って見ているしかなかった。


「っ、てぇなぁ畜生ッ!」

「くそっ……小隊長、絶対に戦争、勝って下さいね」


 口角を上げたマルクスの手に、いくつも手りゅう弾が見える。

 俺は、こんな優秀な奴等を、見捨てていかないといけないのか。

 こんな、良い奴等を。


「――っ、撤退だ! 行くぞ!」


 背を向け走り、しばらくすると、背後から爆発音が響き渡った。

 ヒュメルも死に、ギュノルも、ボッケもマルクスも、全員死んでしまった。 

 俺は、全然ダメだ。

 きっとデイズ小隊長なら、無駄口を叩かないように指導し、何人も生き残らせたはずなのに。


「グレン」

「……ロッカ」

「大丈夫だ、グレンの責任じゃない」


 ロッカに背中を押され、俺は自分の足が止まりかけていることに気づく。

 まだ半数、まだ五人生き残っているんだ。

 落ち込んでいる場合じゃない、活路を見出し、今は逃げる。

 乾いた唇をぎゅっと噛み締めながら、ただひたすらに、前を見るんだ。

 

 何が敵で、何が味方か。

 信じられるのは、自国民のみか。 


 スナージャが行ったシナンジュ大河川への爆破行為、それに伴い発生した濁流は、結果的に元の本川へと戻るような流れとなっていた。簡易的に造られたイカダはすぐさま瓦解してしまったものの、丸太や天幕の帆が浮袋の役目を果たし、俺達はなんとか一命をとりとめた。


 冬の河川は身体が凍り付くほどに寒く、岸に上がった者はすぐさま着ている服を脱ぎ、必死になって絞る。工作兵が所持していた鋼と鉱石で火花を起こし、暖を取ろうとするも、部隊長によってすぐに消火されてしまった。煙で居場所を敵に教えてどうする、ごもっともな意見だ。


 冬の寒さが、部隊を容赦なく襲う。


「以上が、アナスイ姫殿下からのメッセージになります」


 臨時に設けられた軍本部の天幕、数を減らした将校を前にして、俺は先のやり取りを報告した。


「そうか、姫殿下の無事が分かれば、それが何よりだ。事前に魔術師団を撤退させたことに関しても、条約に基づいての判断と言える。エリエント殿下へと思うところはあるやもしれんが、糾弾は出来ん」


 シナンジュ大河川へと、火球魔術を使用することは禁止とされている。 

 更に言えば、カルマからの派遣部隊には、役割が定められているのだ。

 苦言は出ることの方がおかしい、そう、ルクブルク将軍閣下は言いたいのだろう。


「ただ、俺はあの姫様が素直に撤退するとは思えないな」


 この人はどこまで超人なのか。

 上半身裸のデイズ小隊長は、この寒さのなか腕組みし、平然と語る。


「南のアースレイ平原はともかく、北のシンレイ山脈にいたはずの部隊が南下し、グロッサ丘陵にいた。確か、北には第三王子リデロ殿下率いる第三師団、それと剛腕のミッケラン率いる近衛第二兵団が支援に出ていたんだよな? だとしたら、王都の守りも相当に手薄になってしまっているはずだ。要塞城ガデッサを抜かれたが最後、スナージャの牙が王都カナディースにまで届く可能性が高い。戦場にいたんだ、あのお姫様がそれに気づかない訳がない」


 デイズ小隊長の言う通りだ、要塞城ガデッサが抜かれたが最後、この国は敗北する。

 それを俺は、逃げろと伝えてしまった。 


「グレン小隊長、貴殿の判断もまた、間違いではない」


 表情に出てしまったのか、ルクブルク将軍閣下の擁護が入る。

 

「護るべき王族を失ってしまっては、我々は戦う意味を無くしてしまう。最優先に考えるは王族の命、最悪国は失っても、王族さえ生き残れば再興の目はある。だが、姫殿下の行動準拠としては、デイズ小隊長の方が正しいだろう。姫殿下が国を放棄してまで逃げたりはしない。最後の一人になるまで戦う、それが姫殿下の気質であろう。うむ、我々がすべき行動が決まったな」


 このまま南下し、アースレイ平原へと向かうのではなく。

 北東へと進み、スナージャ主力部隊の後方から奇襲をかける。

 ルクブルク将軍閣下の提案に、異議を唱える者は一人もいなかった。

 蓄えた真っ白な顎髭をさすりながら、満足げに将軍は二度頷く。


「ただ、このまま向かった所で、圧倒的兵数の差は埋まらん。やはりアースレイ平原からの支援は欲しい。だが、いくら足の速い伝令兵が向かった所で、ここからアースレイ平原までは一か月以上はかかる。それでは間に合わん。そこでだ、グレン小隊長、主に試して欲しい事がある」


 試して欲しいこと?

 その場にいた将校の目が、俺へと集まる。


「主の送話魔術、これを使用して、南のアースレイ平原駐留部隊総大将、ソリタス第一王子へと、支援を打診することは可能だろうか? 更に欲を言えば、王都カナディースが宰相グロデバルグ閣下、シンレイ山脈支援部隊総大将リデロ第三王子、この三名へと、送話魔術を試して欲しい」


 そうそうたる名前の方々だが、誰一人として顔すら分からない。

 名前を聞いたのも今が初めてだが、果たして出来るのだろうか。


「かしこまりました。グレン小隊長、送話魔術を試行いたします」


 違う、出来る出来ないじゃない、やるしかないんだ。

 この送話魔術が成功すれば、支援部隊の打診は容易になる。 

 北へと支援に向かった二部隊も王都に戻せるし、戦況を一気に変えることが出来るんだ。


 ルクブルク将軍の女性補佐官が簡易的な机を手にして現れると、その上に地図を広げた。

 女性隊員の生き残りを見ると、ヒュメルがいるみたいで、一瞬、涙腺が緩む。


「ソリタス第一王子だが、今は地図上のこの地点、アースレイ平原、スタルスタ城塞都市に駐留しているはずだ。都市人口も百万人以上、兵数も十万人以上と、砂漠の中から一粒の宝石を探すような難易度やもしれんが……他に、送話魔術に必要なものはあるか?」

「いえ、大丈夫です。このまま試してみます」

「頼むぞ、グレン小隊長」


 俺の魔力残量なんざ、今はどうだっていい。

 これが失敗したら、それだけでこの国の運命が決まってしまう。

 クーハイ相手にだって成功したんだ、しかもあの時は、鼻血を出すこともなく使用できた。

 既に俺の魔力は成長している、出来ないはずがない。

 目を閉じ、大きく息を吸って、優しく、恋人に囁くように。


「送話」


 溺れる。

 地面の中へと、俺が落ちる。

 意識だけが広がっていく。

 どこまでも、どこまでも遠くに。


 一本の光の帯が見えた。

 たゆんだ感じのそれは、北東の方角へと伸びている。

 分かる、これはアナへと繋がっている、魔力の帯だ。

 

 だから、今は反対側。

 南へと向かって、どこまでも。


 夢の中で泳いでいるみたいな、動きづらさを感じる。

 真っ暗闇の海を泳ぐみたいな、あてどもない不安に襲われる。

 

 どこまで行けばいい。

 一体、どこまで行けば。


 ……。


 声が、聞こえてきた。

 歩く音、馬車の車輪、数多の会話。

 スタルスタ城塞都市、なのか?

 人が多い所、建物、なんとなく分かる。

 音、楽器の音色、反響する、壁? 

 音の分断、分かる、これは壁だ。


 間取り、建物、人、人、人。

 ダメだ、判別が付かない。

 なんだ? 

 何かに、引き戻され――


「ぶはっ!」

「グレン小隊長! 大丈夫か!」


 呼吸が、苦しい、息がうまく出来ない。

 心臓が痛くて、速すぎる鼓動が辛くて、直接握って止めたい。

 頭も痛い、目が、目の奥が痛い、鼻の奥がズキズキする。


「……っ」


 ルクブルク将軍閣下の顔が近くにある、俺は、戻ったのか。


「将軍閣下、今、どれぐらいの時間が、経過しましたか」

「主が魔術を使い始めて、十分も経過しとらん。鼻血が凄いぞ、大丈夫か?」

「……大丈夫です、送話を使うと、鼻血が出るんです」

「そ、そういうものか」


 用意しておいた布で、溢れ出る鼻血を拭う。

 魔力量、ちょっとは増えたと思ったのにな。


「将軍閣下、スタルスタ城塞都市の間取り、いえ、ソリタス第一王子が駐在している部屋の詳細は分かりませんか? 広すぎて、判別が付きません」

「……という事は、主の意識は」

「はい、スタルスタまで飛んでいたと思われます」


 あれだけの人がいる街なんて、そう多くはないだろう。

 ルクブルク将軍閣下は地図の裏に手書きで城内図を描き込むと、恐らくここだろうと、一つの部屋を指し示した。


「もう一度、試します」


 二度連続で送話を使用したことは、これまで一度もない。

 いや、クーハイの時を数えたら三度目か。

 ……大丈夫だ、鼻血ぐらい子供だって出す。

 もう一度南へ、ソリタス第一王子の所へ。


「送話」


 さっきと同じ感覚だ、だけど、何か違う。

 俺の自意識が引っ張られる。

 光の帯? 俺の軌跡が残っているのか?

 誰だ、誰が俺を引っ張っている。

 ダメだ、逆らえない――


『なんだこれは? おい、誰かが何かしているのか?』


 声? しまった、見知らぬ誰かと繋がってしまったのか。


『――――?』

『ああ、いや、街の地下に妙に魔力が高ぶっている場所があってな。気になって調べていたんだが、今また魔力が強くなったんだ。なんだこれは? モニル、わかるか?』

『――――』


 会話、これは一体誰だ。


『送話? これがアナの言っていた送話という魔術なのか?』


 アナ……姫殿下のことを、アナと呼んだのか。

 ということは、この人が、このお方が。


「ソリタス、第一王子、でしょうか」

『おお! 声が聞こえる! 面白い魔術だな!』


 良かった、繋がった。

 だけど、もう、魔力が。

 

「おお、戻ったか! どうだった、ソリタス殿下とは繋がったのか!?」


 ルクブルク将軍閣下の顔、場所が変わっている?

 どこかの部屋で寝かされているのか。

 さっきよりも、頭痛が酷い。

 鼻血が、止まらない。


「……はい、繋がったと、思われます」

「おお! そうか、では支援要請は!?」

「すいません、まだそこまで――」

『おい! 聞こえるか!』


 爆音。

 耳が痛くなるほどの大声が直接鼓膜に響いてきて、思わず両耳を塞いでしまった。

 

『あははは! 面白いなこれは! 聞こえているのだろう!』

「……聞こえております、ソリタス殿下」

『これがアナから報告のあった送話魔術か! 大したものだ! 貴様がグレンとかいう二等兵か!』

「今は、三曹へと昇格いたしました」

『おおそうか! 良かったな! で、なぜ俺に送話を繋げた!』


 なんだか、随分と陽気な方だな。

 しかし、相手は王位継承権第一位、次期国王になるお方だ。

 失礼の無いように、きちんと説明しないと。 




『ふむ、そうか! 籠城戦に勝利するも、追撃戦で敗北したと!』

「はい。現在、ルクブルク将軍閣下をはじめ、我々はシナンジュ大河川の下流まで降りて来てしまいました。これより要塞城ガデッサを救うべく、北東へと進軍する予定です」

『いや! その進軍少々待てと、爺に言っておいてくれ!』


 爺? ……ああ、ルクブルク将軍閣下のことか。


『しかし、爺も耄碌したなぁ! 爺が側にいながらカルマを信じてしまうとは! アナは純粋な妹だからな、何もかも素直に信じてしまう良い子に育ったものの、アレでは騙されてしまうというものか! しかしエリエントと言ったか、無血開城させて我が国を滅ぼそうとするとは、全く、馬鹿を言いやがる!』


 ――っ、何かを破壊する音? なんだ、殴ったのか?


『グレンと言ったか!』

「はい」

『アナに伝えておいてくれ! 既に援軍は出してある、安心して待っていろとな!』


 既に援軍……援軍!?


『カルマはどこの国にもいい顔をしている、そんな国、信用に値せん! 援軍だが、今頃はドリントル砦辺りに到着している頃だろう! 我が弟、第六王子アレス第三将軍が率いる三万の兵だ! 好きなように使うがいい! ただし、必ず勝つことを貴様に命ずる! 妹を泣かしたら、特許魔術使いだろうと許さんからな!』


 なんというか、物凄く、温かみのある人だった。

 それでいて豪胆、聡明……この人が、次期国王、第一王子ソリタス殿下か。

 

『ああ、そうだ、グレン!』

「はい」

『貴様を今から中隊長、少尉へと臨時的に昇格とする!』

「はい。……え? 中隊長、少尉ですか?」

『特許魔術使いをいつまでも兵士扱いする訳にもいくまい! これまでは実証がなく扱いに困っていたのだろうが、こうして俺とも繋がったのだ! 文句を言う奴がいたら俺に送話を繋げろ、分かったな!』


 判断が早すぎる。

 振り回されないように、しっかり身構えないとだな。

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