第3話

 一年以上の膠着状態と言われていた、フォルカンヌ国とスナージャ帝国の戦争だが、実際に最前線まで来てみると、膠着と言う名の小競り合いのような戦いは日々行われていた。とても小規模な戦いは、それだけでデイズ小隊長をイラつかせる。


 けれど、今日のデイズ小隊長は嘘みたいに上機嫌だ。

 理由は簡単、先日の兵站攻めに対する報復作戦を執り行うと、軍本部が決定したらしい。 


「三日後、スナージャへと大掛かりな攻撃を仕掛ける事となった。グロッサ丘陵の奥はシナンジュ大河川だ、奴等をこの河川まで押し込む。今は陸地でにらみ合っているが、河川が間に入れば戦争は形を変える。恐らく、戦いから城壁の造りあいになるんだろうな。欲を言えば河川を超えて陣地を築きたい所なんだが、軍本部はそこまで求めていない。俺達の目的は国境をこの河川に変えること、以上だ」


 デイズ小隊長の言葉が終わると、小隊で一番背の高いオルオ一等兵が質問した。


「城壁の造り合いって事は、俺達の戦争は終わるってことですか?」

「終わる訳ないだろうが、この戦争が何年続いていると思っていやがる。スナージャと睨みあっているのはグロッサ丘陵だけじゃない、北のシンレイ山脈、南のアースレイ平原だって終わっていないんだ」


 アースレイ平原、なだらかな平原が続く穀倉地帯には、フォルカンヌ国最大規模の兵団が常駐しているって話を聞いた事がある。その規模十万とか二十万とか。そんな大部隊に派遣されたら、もうアナスイ王女様の顔を見ることも難しくなるんだろうな。 


「俺の憶測だが、ここが終わったら次は北のシンレイ山脈だ。あそこの大森林の木材を使って船を造り、一斉に南下してシナンジュ大河川の先、スナージャの都市を狙う。それが一番可能性が高い。とにかくだ、何はともあれ三日後の戦いに専念するように。それとグレン」


 会話の最後に名前を呼ばれ、身を正して「はい!」と返事をした。


「アースレイ平原から魔術師団の支援部隊が来ているらしい。普段は手一杯だと断られていたんだが、今なら大丈夫だと打診があった。お前、丁度いい機会だから魔術師団まで行って魔術を学んでこい」

「はい!」

「魔術師団のショウエって女に話を付けてある、俺の名前を出せばすんなりいくはずだ」

「はい! グレン二等兵、魔術師団ショウエという女性から、魔術について学んできます!」

「ん、行ってこい。……ああ、移動は全速力だ、休むんじゃないぞ」


 軍隊の行動の基本は、常時全速力だ。

 常に全力で走ることで、速度の底上げが図れると思っているらしい。

 今の俺に疑うという無駄な事は出来ない、上官の言葉を信じて実行するのみ。


 グロッサ丘陵の東方、普段俺達がいる最前線から走って二十分ほどの所に、真っ白なテント群が広がっていた。魔術師の証である杖の紋章を掲げたテント、基本一般兵は出入り禁止とされている、魔術師団専用のテント群だ。


「失礼します! こちら、魔術師団のテントで宜しいでしょうか!」


 敬礼したまま三角帽子を被った女性へと問うと、きちんと答礼で返してくれた。 

 

「はい、こちら魔術師団ですが、貴方は?」

「歩兵部隊、デイズ小隊所属、グレンと申します! デイズ小隊長より、こちらで魔術指南を受けるよう指示されました!」 

「デイズ部隊……ああ、小隊の方ですね。では、奥の育成部へとご案内いたします」


 魔術適正の高い人は、基本的に女性が多いと聞くが、これはまことなのだろう。

 魔術師団のほとんどが女性だ、しかも太ももまで見えるスカートを皆が穿いている。

 ほとんどが女性しかいないから、肌の露出度が高いのだろうか。

 あまり、失礼な場所を見ないようにしておこう。

 アナスイ王女に捧げた命だ、不埒な真似は彼女が悲しむ。


「初めまして、グレン二等兵。私は魔術師団育成部隊所属、ショウエ曹長と申します」


 水色のショートカットに、同じく水色の瞳。

 背が小さくて子供のように見えるけど、曹長の証として制服に赤いラインが一本入っている。

 下は他の女性と同じくミニスカートなのだけど、もしかしたらこれが正装なのかも。


 それにしても、俺とあまり年齢が変わらなそうなのに、既に曹長なのか。

 恐らく、魔術師として相当に優秀なのだろう。

 デイズ小隊長とは一体どんな関係なのだろうか?

 聞いてみたい所だが、聞いたことがバレたら殺されそうなので、沈黙する。


「以前、ドルイドの適性試験を受けたとの事ですが、こちらではより詳細な属性検査も行います。要は、グレンさんがどの属性の魔術に適しているかを調べる検査ですね。例えば、デイズ小隊長は火属性に適しており、火の魔術が得意になりますが、代わりに水属性の魔術はどれだけ努力しても使えることが出来ません。無駄な努力になってしまわないように、予め属性を調べるという事は、とても重要なことなのですよ」


 「では、こちらへ来て下さい」と言われ、ショウエ曹長と共にテントの外へと向かった。


 テント群を抜けた先に開けた場所があり、そこでは簡易的に造られた的へと、火球を飛ばす女性の姿があった。戦争における暗黙の了解と呼ばれるものの中に〝魔術師同士の戦いに一般兵は混ざるな〟というものがあるが、これも真なのだろう。


「狙いが甘い! もっと集中して!」

「はい!」


 高速で飛来する火球を避けるのは至難の業だろうし、喰らったが最後、四肢を残さず爆散する。 

 こんな高威力の魔術を雨のように降らしてくるのだから、一般兵でどうこう出来るものではない。 

 

「グレンさん、こちらへ」


 ショウエ曹長に案内されテントの中に入ると、またしても水晶玉が置かれていた。

 

「では、こちらに触れて下さい」


 思った通り、水晶玉が異様なまでに冷たい。 

 外が暑い時は良かったが、最近はそうでもない。

 思えば、ミニスカートの彼女たちは寒くないのだろうか?

 そんな雑念を抱いていると「終わりました」と告げられ、ようやく水晶玉から離れられることに。


「グレンさんは土属性ですね」

 

 あまり強いイメージが湧かない属性だな。

 どうせならデイズ小隊長のような、炎とかが良かった。


「それも結構強い……ああ、いえ、魔術師として強いではなく、自動的に発動するパッシブ効果的な面で、とても強く発現していますね」

「そうなのですか?」

「はい、グレンさんは土壌の活性化に特化した感じになります。例えば、作物が豊作になったりだとか、開墾した土に栄養素が沢山含まれるとかですね。農作業の神様に愛されているといった感じです」


 ……屯田兵一直線じゃないか。

 そういえば今年は豊作だって、レギヌ小隊長喜んでいたっけ。

 あれも俺が絡んでいたからなのか。あ、なんか、悲しくなってきた。


「では、土属性での探知魔術の練習に入りましょうか」

「土属性でも探知魔術って使えるのですか?」

「使えますよ? というか、基本魔術ですので、どの属性でも使用可能です」


 ああ、だから魔術適正がある人全員に教えるってデイズ小隊長が言っていたのか。

 ショウエ曹長はテントから出ると、先の開けた場所まで行き、俺と正対した。

 既に火球魔術を練習している魔術師の姿はなく、周囲には数人の女性が足を止め、こちらを見ている。

 

「探知方法は様々です。火属性は周囲の温度差、水属性は湿度の変化、そして土属性は足音、過重の変化になります。地面に触れるリズムが直接耳に聞こえてくる感じです。それではさっそく実践してみましょうか。グレンさん、両の手を合わせて下さい」


 手を合わせると、正対したショウエ曹長が俺の手を包み込んできた。

 手に走る違和感。感覚だけが、手から俺の臓腑へと繋がっているような感じだ。

 

「今、グレンさんの中で眠っている魔術の種を開花させています。しばらくお待ちください」

「……はい」

「では、目を閉じてください。私が良いと言ったら、探知と発言して下さい。大きな声で言う必要はありません。小さな声で、恋人に囁くように、静かに、優しくお願いします」


 恋人に囁くようにって言われても、今のところ恋人なんかいないのだが。

 大変失礼かもしれないけど、アナスイ王女に声を掛けるつもりでやってみるか。

 

 優しくて、美しくて、可愛らしいアナスイ王女。

 彼女の為になら、俺はこの命を幾らでも捧げることが出来る。


「……今です」

「探知」

 

 地面の中に、意識が吸い込まれる。

 凄い、どこまでも遠くまで、誰かの歩く音が聞こえてくるぞ。  

 何千人、何万人って人の歩く音が聞こえてくる。

 どこまで広がるんだ、どこまで行けてしまうんだ。


 世界がとても小さくなった感じがして、それと共に、とても大きくなった感じもして。

 あれ? でも、急に音が少なくなった。

 土を踏む音、誰の音だ? 誰か、特定の誰かの足音だけが聞こえる。

 その人のいる場所、距離、地面に掛かる重さ、それらの全てが把握できる。


 やがて立ち止まると、その人は恐らくしゃがみ込んだ。 

 踵を浮かせ、指が地面に触れる。


「……あら? これは一体……?」


 声? え? 声が聞こえた?

 今の声、アナスイ王女?


「グレンさん!」

「……あ」

「グレンさん、大丈夫ですか!?」

「あ、えと……はい、大丈夫、です」

「ああ、良かった、戻らないかと思いました。とりあえずこれで、鼻血を拭いてください」


 ショウエ曹長からハンカチを受け取り、鼻に押し当てる。

 立って探知の練習をしていたはずなのに、鼻から血を流して倒れているとか。

 

「……うわ、真っ赤」

「魔力限界まで探知魔術を広げてしまったのです、初めての魔術訓練でここまで出来る人はそう滅多にいません。一体何が原因だったのか、調べる必要があります」


 何が原因か、思い当たる節は一個しかない。


「すいません、俺、探知する前にアナスイ王女の事を考えていました」

「……アナスイ第三王女?」

「はい、それで、探知がアナスイ王女の所まで伸びてしまったのかもしれません。向こうも気づいたのか、声まで聞こえてきましたから」

「声までですか!? ……分かりました。いろいろと調べる必要がありますが、今日の所は戻って結構です。あ、そのハンカチは差し上げます。そこまで血で染まってしまったら、さすがに使おうとは思えませんので」


 ごもっともな意見を受けて、血染めのハンカチはありがたく頂戴することにした。


「それと、探知魔術の練習は必ず毎日行って下さい。グレンさんの魔力では一日に三回は出来るはずです。それを超えると今のように鼻血を出して倒れますから、注意して下さいね」

「いろいろと、ありがとうございます」

「すべては軍の為、感謝は不要ですよ」


 ショウエ曹長へと敬礼をして、デイズ小隊長の所へ戻ると。


「そうか、なら一日に五回はやれ。意識が残るような甘い訓練で満足するんじゃない」


 当然のように、人間の限界を超えろと言ってくる。

 当の本人が人間を辞めているみたいなものだから、何も言えないんだけど。


「探知」


 探知魔術の練習は、一日でその内容を把握することが出来た。

 俺の意識を飛ばない程度に範囲を狭めれば、確かに五回は出来る。

 

「探知魔術の大事なところは回数じゃない、持続時間だ」

「はい!」

「一度の使用でどれだけ長い時間探知が出来るか、グレンの限界まで何度でも試せ」

「はい!」


 初めての時は時間にして三分ほど、俺は探知の世界に潜っていたらしい。

 その三分で、アナスイ王女のいる救護テントまで探知を伸ばしていたのだ。

 魔術師団から救護テントまで、全速力で約一時間、それを三分。


 しかし、それは俺の自意識も飛ばしてしまっていたから、戦争では役に立たない。

 あくまで自意識は保ったまま探知魔術を発動させ、どこで誰が動いたかを把握する。

 それが出来ないようでは、戦場では役に立たない。


「よし、目を閉じろ」

「はい!」

「土属性の探知は足の音と過重が分かるはずだ。誰かが近くにいるってのが分かるだけじゃない、その動きで相手が何をしようとしているのかを把握するんだ。例えばこれ」


 タンッタタッ、ドンッ。

 実際に耳に聞こえた訳じゃない。

 かすかな振動が、音となって俺に教えてくれる。


「俺が今したのは、手りゅう弾を投擲する時の足の動きだ。戦場でステップを踏むバカはいない、地面を踏み込む時の加重で、相手が何をしているかを判断しろ」

「はい!」

「それじゃあ、これは分かるか?」


 ドンッ。

 片足だけを、勢いよく地面に何かを着いた音。

 接地面からして足の裏ではない、つまり。


「はい! 膝をつきました!」

「そうだ、戦場において膝をつく、銃兵が銃を構える時の所作だ。他にも長銃使いなんかは全身を地面に着けている場合もある。心臓の鼓動が聞こえてきたら誰かが狙いを定めていると警戒しろ。そして、探知を使う上で最も重要な事がある」


 デイズ小隊長の足が小刻みに動き、そして、足の荷重が消えた。


「分からないなら、分からないと報告しろ」


 いきなり耳元で声が聞こえてきた。 

 どうなっているんだ、デイズ小隊長の足音や荷重は一切感じられないのに。


「返事」

「はい!」

「バカなお前が分からなくても、分からないという状況が発生したことが、俺達には情報として伝わる。探知が把握すべき内容は多岐に渡る。最初の内は敵か味方かも区別がつかないだろうが、それでも危険と判断できる違和感があれば俺に報告しろ」

「はい!」

「それと、探知魔術を当てにしすぎるなよ。この魔術は初歩だ、先の俺のように、突破出来る奴には突破出来ちまうからな。グレンが在籍していた屯田兵部隊を襲った斥候なんかは、火と水の探知魔術をすり抜けて、備蓄倉庫へとたどり着いていたらしい」


 二種類の探知を……え? だとしたら、屯田兵部隊全滅の責任は、俺だけじゃないってことか?

 それもそうか、大事な食料なんだ、警備がいないはずがない。

 それに屯田兵部隊がいたのはグロッサ丘陵の中央、相当な手練れで当然か。


「だからといって、お前に全く責任がない訳じゃないからな」

「はい!」

「よし、探知魔術の練習再開だ。次は効果範囲五百メートル、持続時間十分を目指せ」

「はい!」


 もしかして、俺のことを気づかってくれたのか?

 デイズ小隊長は相変わらずな言葉遣いだけど、何故だか認められた、そんな気がする。


「七分しか経ってないぞ! もう一回だ!」

「はい!」

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