第2話

 アナスイ王女の治療魔術の効果か、体中にあった傷は一晩で塞がってくれた。

 これならすぐにでも歩兵部隊へと顔を出せると判断し、さっそく向かってみることに。

 ロッカもいるはずの歩兵部隊だが、そこは屯田兵とは雰囲気が違った。


「貴様が、突撃兵に志願してきたバカ野郎か」


 俺の上官にあたるデイズ小隊長、彼のテントを訪れるなり、俺は拳を顔に叩き込まれた。

 不意を突かれた一撃という事もあるが、それにしても重い。

 二発目は顔に拳を押し当てられたまま、地面へと身体ごと強引に落とされる。


「なっ、なにを」


 筋肉だけで出来た巨体が俺の上に跨ると、鼻先に容赦なくもう一発が叩き込まれた。


「ドルイド部隊の適性試験結果を無視し、突撃兵に志願する。これは、見方を変えれば軍の命令を無視したという意味にも値する。上官の命令は絶対だ。貴様が発していいのは〝はい〟この二文字しかない」

「ですが」


 三発目が振り下ろされる。

 既に鼻血で顔面が血だらけだ。


「返事」

「……はい」

「遅い! もっと大きな声で!」

「はい!」

「よし、いいぞ。起立し、姿勢を正せ」


 身体を起こし立ち上がると、俺は背中に手を回して肩幅に足を広げた。

 

「誰が休んでいいと言った!」


 四発目は開いた足に直撃した。 

 鈍い音、骨が折れたんじゃないかってぐらいに、痛い。


「貴様は軍隊の初歩的な動作も学んでいない様子だな」

「ぐっ」

「返事!」

「は、はい!」

「これから俺が全てを叩き込んでやる。せいぜい死なないようについてくるんだな」

「はい!」


 デイズ小隊長は椅子を手にし、乱暴に置いて座り、足を組んだ。

 これが、突撃兵の日常なのか?

 こんな厳しいのを、ロッカが耐えられるのか?


「では、話を続けるが。グレン、屯田兵部隊が全滅したのは、貴様の責任であるという事を理解しているか?」

「え? あ、はい!」


 殴られると思い覚悟したが、椅子に座って立ち上がるのが面倒だったのか、殴られなかった。

 ただ「お前、死にたいのか?」と目だけで語るデイズ小隊長の思惑は、無駄に伝わってくる。

 それにしても、屯田兵部隊が全滅したのが俺の責任? さすがにそれはないだろう。


「貴様、ドルイドの適性試験の際に、魔術適正ありと言われているよな?」

「はい!」

「その場で魔術訓練をしろ、と言われたよな?」

「はい!」

「なぜしなかった? 貴様には土いじりをする時間以外にも、時間があっただろう? 二十四時間、朝から翌朝まで土をいじっていた訳ではあるまい? 飯を食い、バカ面下げて眠る時間もあったのだろう? 何故、そういった時間を利用して魔術訓練にあてなかった?」


 確かに、屯田兵部隊には休憩時間がかなりあった。

 魔術訓練をしようと思えば、出来たのかもしれない。


「魔術には、探知魔術と呼ばれるものがある。突撃兵に配属される者で、魔術素質がある者には絶対に覚えさせる初歩魔術だ。探知魔術があれば、闇に隠れた敵を暴くことが出来る」


 ……闇に隠れた、敵。


「なぜ、貴様は魔術訓練を行わなかった?」

「……それは」


 デイズ小隊長は飛びかかってくると、片手で俺の首根っこを掴み、持ち上げた。

 凄い力で締め上げられ、呼吸が出来ない。


「貴様が魔術訓練を怠らなければ、探知魔術が使えたはずだ! 貴様が探知魔術を使用していれば、闇に隠れた斥候如き見破ることが出来たはずだ! なぜしなかった! なぜ自分を追い込まなかった! ここは戦場だ、いつ殺されるか分からないこの場所で、一分一秒をなぜ無駄に過ごした! 貴様の行動全てが俺には腹立たしい! こんな事になるのなら、俺が屯田兵部隊の部隊長になれば良かった、そう思える程にな!」


 語りながらも殴られて、最終的には全身ボロボロになりながら、テントの外へと放り投げられた。

 デイズ小隊長の言葉全てが、突き刺さる。

 言っている事が正しい、正しすぎる。

 屯田兵部隊で魔術の素質があったのは、恐らく俺だけだ。 

 微々たるものだって言われて、何の考えも持たなかった、馬鹿な俺だけ。


「グレン二等兵、何を寝そべっている」

「……っ、ぐっ、は、はい!」

「このまま訓練を開始する。痛みは全て甘かった自分の責任と思え」

「はい!」


 周囲から憐みの視線が向けられるも、誰も何も言わず。

 上官が部下へと指導しているだけなのだ、それ以上でも、それ以下でもない。

 俺が、屯田兵部隊全員を殺してしまったのだから、憐みを向けられる資格すらないんだ。



 俺が突撃兵部隊に配属されてから数日後のこと。

 デイズ小隊長がどういった人物なのか、食事の時間に同席したロッカから聞くことが出来た。


「爆炎のデイズって、僕達の中じゃ有名だよ?」


 久しぶりに見たロッカは、髪を短く切り、以前よりも男前になっていた。

 喋り方こそ変わらないが、鍛えられ、全体的に凛々しく見える。


「デイズ小隊長は爆炎魔術が使えるんだ。さすがに魔術師団のような火球魔術とまではいかないけど、炎をまとって戦う様子は、まさに爆炎だよね。戦場にいきなり炎の渦が出てくるんだもん、こっちとしては何があったのって驚くばかりだよ」

「そんなに凄いのか」

「うん。でも、グレンの方も凄い噂聞いたよ? 素手で二十人以上屠ったって?」


 パンを食べる手が止まる。


「そんな噂が、流れているのか?」

「うん。スナージャの斥候部隊を蹴散らしたって。女ばかりだったらしいけど、それでも凄いよね!」


 ロッカの笑顔と共に出た言葉に、一瞬世界が色を失う。

 女ばかりだった? 

 俺が殺したのが、女?


「あれ? グレン、どうしたのさ?」


 軽かったんだ。

 小さくて、とても軽かったんだ。 

 それを俺は、何度も地面に叩きつけて。


「グレン?」


 想像してしまって、俺は食ったものを吐いちまった。

 村にいた頃から、散々親父に言われていたんだ。

 女子供だけは、殴ったらいけないって。

 それを、俺は。


「貴様、食糧庫が燃え、ただでさえ貴重な食料を戻したらしいな」


 食堂での噂を聞いたのだろう。

 デイズ小隊長に呼び出され、問答無用で鉄拳制裁を喰らった。

 

「どんなに辛かろうが、どんな状態であろうが、生きる為に食べるんだ。俺達兵士が死んでいい時は、国の為に死ぬ時だけだ。それ以外で死ぬという事は国益に背くという意味でもある、一切が処罰の対象になると思え」

「……デイズ小隊長」


 頭の中が、なんかもうぐちゃぐちゃだった。

 

「俺、生きていて良いんですかね」


 何人もの女を殺し、味方をも全滅させちまった。

 こんな俺が、生きていて良いものなのか。

 泣き言を口にすると、デイズ小隊長はそれでも容赦なく殴る。


「俺がたった今言った言葉、理解していないみたいだな」

「……ですが、俺は」

「個人の考えや思想など、軍隊には要らん。必要なのは、国の為に生きること、国の為に死ぬこと、ただそれだけだ。分かったら歯を食いしばれ。どうやら貴様には、徹底的に矯正が必要のようだからな」


 嘘みたいに、デイズ小隊長は容赦が無かった。

 全身の骨が折れる程に痛めつけられた俺は、目が覚めると、見覚えのある天井を見た。

 どうやら途中で意識を失ってしまったらしい、なんとも情けない話だ。


「どうしてこんな事に、まだ、戦いは起こっていないはずなのに」


 声を聞き、驚きで目を見開いちまった。 

 綺麗な金髪を後ろにまとめ、肩を出した一枚布を身に纏うは、アナスイ王女だ。

 燃えるような赤い瞳を歪ませて、眉を下げながら心配してくれる。

 王女様が、俺如きに。


「アナスイ王女。すいません、俺、二度も王女様に」

「いいのですよ。その為に私がいるのですから」


 アナスイ王女の治癒魔術の光を浴びると、全身の痛みが嘘みたいに引いていく。

 呼吸するだけで痛かったのに、もう既に、どこも痛くない。


「まだ、どこか痛みますか?」

「いえ、大丈夫です。本当にありがとうございます」


 二度も助けられてしまった。

 護るべき国の象徴とも言えるお方なのに。


「グレン、以前の貴方は、燃え盛る炎のような印象を受けました。何もかも燃やし尽くしてしまう程に、激しく燃え上がっていたのです」

「……」

「しかし今は、灯のように儚げな、とても小さな火のように感じられます。たった数日でこの変化は、あまり宜しいことではありません。良ければ私の方から進言し、数日だけでもお休みを頂けるように配慮させますが、どういたしましょうか……?」


 第三王女直々の進言だ、間違いなく休めるのだろう。

 ただ、休んだが最後、デイズ小隊長は俺の復帰を認めない。

 苛烈な人だからこそ、たった一度の挫けを、あの人は決して許したりしないはずだ。


「いえ、大丈夫です。お心遣い、感謝いたします」


 打ち砕かれてしまった心でさえも、見透かされる。

 デイズ小隊長もアナスイ王女も、俺なんかとは比べ物にならない、立派な人だ。

 

「では、まだ時間もありますし、私の方からお話をしても?」

「……王女様自らですか、恐悦至極に存じ上げます」

「ふふっ、かしこまらないで大丈夫ですよ。第三王女と呼ばれておりますが、私の上には十二人の兄と姉がおります。王位継承権第十三位の私に、王族としての価値は、あってないようなものなのですよ」


 足を崩して床に座ったアナスイ王女は、結わいていた紐を外し、金の髪を下ろした。

 救護班のテントがこれほどまでに似合わない人はいない、そう思える程に美しい。


「それに、私は妾の娘なのです。そもそも王宮内でも肩身が狭かったりするのですよ?」

「それで、こんな最前線で、護衛も付けずにいらっしゃられるのですか」

「うふふっ、さすがに護衛はいます。でも、テントの外にいるようお願いしているの。怪我や病気で苦しむ人の中には、鎧姿の兵士を見ただけで怯えてしまう人もいる。彼らの治療の妨げになってはいけない……貴方のように、心を病んでしまう人だって、少なくないのよ」


 何も言えなくなってしまった。

 この手に掛けた名も知らぬ女、彼女たちを殺した感触が、今もまだこの手に残っている。


「聖女の加護を受け、授かった治療魔術はとてもありがたいもの。けれど、王宮に籠っているだけでは、治療魔術は届かない。だからこうして、私は衛生兵の末端に置いて頂いているの。国の為に数多の兵士が血を流して戦ってくれているのですから、私だって貴方達のように、国を守る、貴方達の役に立ちたい。……お父様からは、早く帰ってこいって何度も言われておりますけどね」


 ペロッと舌を出して笑う姿は、王女ではなく普通の女の子に見えた。

 王族という立場でありながら、農民の俺にここまで尽くしてくれる。

 俺が生きている存在価値は、きっと、兵士としての存在価値は。


「アナスイ王女、失礼を承知で申し上げます」

「……はい、大丈夫ですよ」


 起き上がり膝を付くと、アナスイ王女も崩した姿勢を正してくれた。

 

「俺は当初、国の為に死ね、という言葉を、理解出来ずにいました。それはきっと、今でも変わっていません。変わっていれば、こんな風にデイズ小隊長に矯正指導される事もなかったのでしょう。ですが、こうしてアナスイ王女のお話を聞くことができ、俺の中で一つの答えが出ました」

「答え、ですか?」

 

 真紅に燃え上がる瞳に誓う。

 俺がアナスイ王女を見て、最初に思ったこと。


「俺は、貴方の為に戦い、貴方の為に生き、貴方の為に死にます」


 王族でありながら、一般兵にまで救いの手を差し伸べる。

 そんな彼女の為になら、俺は命を懸ける事が出来ると、そう、思えたんだ。

 

「グレン」

「はい」

「私は、そんな誓いを認めません」


 けれど、アナスイ王女は、俺の誓いを認めてくれなかった。 

 代わりに、満面の笑みで、こう言ってくれたのだ。


「私の為に戦うのであれば、必ず生きて戻ってきなさい」

「……アナスイ王女」

「どんな怪我でも、私の治療魔術によって、回復してあげますからね」


 とても優しくて、とても厳しい誓いになった。  

 でも、それがとても嬉しくもあり、俺なんかが生きていて良い理由になり。

 そして、俺が絶対に死ねない理由へと、変わっていったんだ。

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