第7話 アナスイ王女視点
※火球魔術戦の数日前
新魔術、送話。
不思議なことに、この魔術はグレンさんとしか利用が出来ません。
遠方へと戦争に出たお兄様方との連絡が出来ればと思い、数度試すも繋がらず。
距離の問題かと思い、ショウエ曹長とも試したのですが、繋がる事はありませんでした。
治癒魔術をグレンさんには二度ほど使用しましたが、それは他の兵士さんも一緒です。
何十回と治癒魔術を使用した兵士さんにも試しましたが、送話は出来ませんでした。
不完全な魔術。
誰もが利用できない魔術は汎用性が無いとし、国は公表することを良しとしません。
しかし、現実として、私はグレンさんとなら送話魔術が可能なのです。
再現性もあり、使用成功率は百パーセント。
絶対に彼と繋がるのですから、他の人とだって可能になるはず。
最近は戦勝ムードなのか、怪我人も少なく、魔力に余裕があります。
グレンさんが送話魔術の練習に付き合ってくれる今の内に、この魔術の謎を解き明かさないと。
「アナスイ姫殿下、ルクブルク将軍閣下がお見えです」
「お爺様が? はい、かしこまりました」
白い顎髭が立派なルクブルクお爺様。
「お爺様」と私が声を掛けると、目を糸のように細めて微笑んでくれるのです。
ですが、今日は破顔した表情の中に、決意を宿した目をしておりました。
「姫様、フォルカンヌ陛下より、大至急王都カナディースへと戻るよう、勅令が下されました」
「え……ですが、私は」
「はい、姫様の聖女としての振る舞いは大変立派でございます。ですが、聖女である前に、アナスイ姫殿下はフォルカンヌ国の王女なのです。スナージャ帝国が窮地に立たされた今、姫様を
スナージャ帝国の斥候部隊の恐ろしさは、私の耳にも入ってきました。
探知魔術を潜り抜け、軍中央に構えていた備蓄倉庫に火を放ったと。
「先に申した通り、既にこの地域は勝利目前です。姫様の聖女としてのお力が無くとも、精鋭部隊が我が国に勝利を収めてくれることでしょう」
お爺様の言葉は本当なのでしょう。
最近、グレンも似たような事を言っておりましたから。
「……かしこまりました」
「おお……姫様のご英断、爺は嬉しゅうございます」
大きな身体を小さく丸めながら礼をすると、ルクブルクお爺様は、私を救護テントから連れ出しました。
テントを出ると、既に馬車が用意され、周囲には護衛の騎士の姿も数名見られます。
この様子を見るに、断ったとしても何かしら説得されて、馬車に乗せられていたのかもしれません。
お父様が私のワガママに痺れを切らした、そう考えるのが妥当でしょう。
共に働いていた仲間に別れを告げる時間すらなく、私はグロッサ丘陵を後にしました。
その日の晩、送話魔術を試してみると、それまでと同様にグレンと繋がる事が出来ました。
凄いことです、既に私とグレンの距離は相当な距離が離れているのに、まるで隣にいるみたいに会話が出来るのですから、この新魔術の可能性がどれだけのものか、想像しただけで胸がドキドキしてしまいます。
ショウエさんは軍事的利用価値とおっしゃっておりましたが、これはもっと別の使い方があるはずです。
遠方からの報告も不要になり、会議だってわざわざ出てくる必要が無くなります。
大事な人とのやり取りだって、この魔術があれば距離場所関係なく出来るのです。
声を聞けずに涙する奥方様を、これまで何人もこの目で見てきました。
一人でも多く、涙する人を減らしたい。
その想いで、戦場で聖女として振舞ってきたのですから、この新魔術は、なんとしても確立させたい。
グレンさんにはご迷惑をお掛けしてしまいますが、まだまだ研究に付き合って頂かないといけません。
ご迷惑でなかったら、いいのですけど……。
「シンレイ山脈、グラッシャ殿下の部隊が敗北しました!」
翌日、王都カナディースへと向かう馬車の中で、伝令兵の言葉を耳にしました。
「それは、真ですか」
「はっ! 既に王都へと報告し、これよりグロッサ丘陵、ルクブルク将軍閣下へと伝令に向かいます! 火急にて、ご無礼を失礼いたします!」
シンレイ山脈にて戦っていた、王位継承権第二位、グラッシャお兄様の部隊が落ちた。
いいえ、シンレイ山脈へと向かっていたのは、グラッシャお兄様だけではありません。
第四位のショルシャお兄様も、第八位のガイナスお兄様もいらしたはずです。
その全てが全滅? そんな事があり得るはずがありません。
シンレイ山脈の悲報を受け取ってから、さらに数日後。
私の姿は、王都にそびえ立つ、カナディース城にありました。
「アナスイ・カナディース・ヴィ・フォルカンヌ様、ご到着です」
いつもよりも兵の出迎えが少ない。
北のシンレイ山脈へと、支援に向かっているのかもしれません。
王都の軍勢を出さないといけない程の事態。
想像以上に、スナージャ帝国に押されているのかも。
「お父様、アナスイ、グロッサ丘陵より戻りました」
執務室にはお父様の他にも、宰相のグロデバルグ、大将軍のミッケランの姿もありました。
お二方とも、私が生まれる前からこの国に仕えている、優秀な二本柱です。
政治や商業、国の運営の全て、更にはお父様の相談役でもある、宰相グロデバルグ。
灰色の目に掛かる癖のある髪や、細い体躯の見た目は三十代ぐらいに見えますが、私が生まれる前からこの姿ですので、何かしらの魔術で姿かたちを変えているのだと思います。長く治世に携わっている分、彼の知識力は高く、お父さまの信頼度も高い。
そして、軍事の全てを任命されている、大将軍ミッケラン。
鍛えられた巨体はルクブルクお爺様以上、剛腕のミッケランと呼ばれる程の怪力の持ち主であり、それでいて知略に優れた軍師でもあります。大将軍がフォルカンヌ国にもたらした勝利は数知れず、この方もまた、私が産まれる前からこの国に仕えている、大事な柱なのです。
「アナスイ、我が娘よ、こうして其方の顔が見られること、父は嬉しく思うぞ」
皆、腕に喪章を付けている。
王都に到着してすぐ、側使えから渡されましたけど。
未だに、現実だとは思えませんでした。
でも、お兄様たちは本当に、いなくなってしまったのですね。
途端、目頭が熱くなってきて、涙があふれて来ました。
「娘よ、兄たちの為に泣いてくれるか」
「……当然です、末妹である私を可愛がってくれたお兄様たちが、まさか……」
シンレイ山脈の敗北で失ったのは、お兄様たちだけではありません。
何万という兵や物資も、同時に失ってしまったのです。
そして、ここから先は私でも予見できます。
北からスナージャ帝国の軍勢が南下してくる。
それも、他国の憂いなく、全力で攻めてくることでしょう。
「しかし、姫殿下の撤退が間に合って本当に良かったです。もう少し遅れていれば、グロッサ丘陵の火球攻めに、巻き込まれている所でしたからね」
「……グロデバルグ様、今、なんと」
スナージャ帝国の、火球攻め?
「おや? ご存じありませんでしたか? グロッサ丘陵にて、スナージャ帝国がルールを破ったのです。銅鑼の音を鳴らさずに、戦場一帯に火球魔術を放ったとか」
「部隊は、グロッサ丘陵に残された部隊はどうなったのですか」
「把握している限りでは、突撃兵を始め、歩兵部隊はほぼ壊滅状態に陥ったとの事です。ですがご安心下さい。ルクブルク将軍はご存命であり、既にグロッサ丘陵東方にある、要塞城ガデッサへ退避したとの報告が入っております」
歩兵部隊が、壊滅?
グレンまで、いなくなってしまったの?
あの人が、死んだ?
「嘘……」
悲しみに沈んだ私の肩に、ミッケランの大きい手が、そっと乗せられました。
「姫様、グロッサ丘陵の兵を失ったのは痛手ですが、それにより釣れた魚はとてつもなく大きかったですぞ? なんと、今回スナージャ帝国がルールを破ったことにより、あの魔術大国カルマが援軍を寄こしてくれる事になったのです! これは受けた痛手よりも遥かに大きい! 此度の戦争は、我が軍の勝利間違いなしですぞ! がっはっはっはっはっは!」
大きな身体を揺さぶりながら笑う、ミッケラン大将軍は、間違いなく正しいのでしょう。
戦争に負け、国が滅んでしまっては元も子もない。
大事の前の小事、そういうのは理屈では理解しています。
理解しています……っ、けど!
「なぜ笑えるのですか! グロッサ丘陵にいた万を超える兵が! 我が国の民が! 血を流し苦しんでいるのですよ!? それを、痛手なんていう簡単な言葉で終わらすなんてこと、私には到底許せません!」
一人一人の兵士に対しての感謝が、まるで感じられません。
彼等は尊い命を投げ打って、私たち王族に尽くしてくれているというのに。
「さすがは姫殿下、聖女と呼ばれるだけの事はあります」
乾いた拍手。
グロデバルグがする拍手は、私にはそう聞こえました。
「ならばこそ、魔術大国カルマが示してきた要望にも、お応えして頂けることでしょう」
「要望? 一体、なんですかそれは」
「それに関しては、父である私から説明しようか」
お父様から、直接私に?
椅子に座ると、お父様は肩を下げながら、大きくため息をつきました。
昔と比べて、何だかお父様が小さくなったような、そんな印象を受けます。
「まず……魔術大国カルマは中立国である。我々が知りうる国、全てと同盟を結び、魔術師団を派遣している。魔術の才能ある者を見出し、可能な限り魔術を教示する。教えた魔術をどのように扱うかは、各国に委ねる。これらの事を全ての国に対し行い、魔術大国カルマは中立である、という認識を、我々は持つに至った」
お父様が語るのは、教養あるものならば常識と言われている内容です。
何を今さら……と思っていたのですが、お父さまは更に続けました。
「魔術を教える、その代わり彼等はルールを設けた。そのひとつが、今回スナージャ帝国が破った、火球魔術の使用制限だ。だが、彼等が設けたルールはそのひとつではない。数多くのルールがあり、実のところ、これまで何国も、ルールを破った国があったのだ」
「……そうなのですか? その国に対して、魔術大国カルマは制裁を?」
「無論、行った。ルールを破った魔術師に対しては例外なく極刑を言い渡し、国が守ろうものなら容赦なく国ごと魔術師を葬り去った。ルールを破った術者にも、国にも、大打撃を与えられる事となる。魔術師団は撤退し、経済的制裁も近隣諸国から与えられるのだからな。だが、それでも戦争に勝つ事は出来る。戦争の勝敗までは、彼等にとってはどうでも良いもの。あくまで中立、あくまで自国の為、それだけの為に動いてきた魔術大国カルマが、此度、こうしてわざわざ打診してきたのだ」
お父様は、仰々しい数枚の用紙を、机の上に置きました。
「我が娘アナスイ、其方が編み出したという新魔術、送話に関して、魔術大国カルマは大きな興味を示している。向こうが提示した要求は二つ。ひとつが、この新魔術に関する全ての権利を譲渡すること。もうひとつが、アナスイ、其方と魔術大国カルマが第四王子、エリエント殿と婚約を結ぶことを、条件として出してきたのだ」
……え。
婚約を結ぶ? 私が?
「姫殿下もご承知かと思われますが、これは同盟国ではそう珍しい事ではござません」
呆けた顔をしていると、グロデバルグが流暢に喋り始めました。
「此度の援軍という行為は、これまでの魔術大国カルマの行動からは一線を画しております。しかし、誰もが想像しえるのが、我が国にて新魔術を発見した可能性です。何かしら新魔術を発見したからこそ、魔術大国は援軍を出した。あの国は魔術バカですからね、何も知らなくともそう考えられます」
「宰相」
「王の御前、大変失礼いたしました。しかし、そう思われるのはカルマとしても宜しい前例とは言えません。そこで出てくるのが、アナスイ姫殿下とエリエント殿下の婚約です。この婚約により、両国の同盟の結束は強まり、此度の援軍という形になった、という風にカモフラージュが可能となります。さらに言えば、第一の要求でもある新魔術の提供という面からしても、アナスイ姫殿下が欲しいのでしょう」
私が、婚約……結婚?
だって、私、王位継承権第十三位の、末妹なのに?
「お父様……」
「受けてくれるな? これはアナスイが普段から口にしている、民の為なのだ」
民の為。
そう、民の為、その通りだと思います。
この条件を私が飲めば、戦争に国は勝ち、民は無駄な血を流さずに済むのですから。
「……わかり、ました」
「おお、さすがは姫殿下!」
ですが、とても大事なことを、この場にいる皆さんは勘違いされています
「お父様」
「うむ、どうした?」
「新魔術、送話ですが。これは現在、特定の殿方としか利用が確立されておりません」
「……む? そうなのか? 一体、どこの誰となら利用できるのだ?」
「歩兵部隊デイズ小隊所属、突撃兵のグレン二等兵です」
彼がもし、火球魔術で死んでしまっていたら。
この話はきっと、藻屑と消えてしまう事なのでしょう。
僅かでも慌てふためく二本柱を見ることができて、ちょっとだけ、気分が晴れてしまいました。
でも、何となく分かるのです。
彼はまだ、生きていると。
私が結婚するとお聞きしたら、グレンさんはどんな反応をするのでしょうか。
結婚……か。
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