第5話

 スナージャへの報復作戦が始まってから、既に十日が経過した。 

 軍本部の作戦はかなり順調に進み、シナンジュ大河川まで残り二千メートルという所まで、敵兵を追い込むことに成功している。

 ただ、ここに来て相手の抵抗が強まってきたのも確かだ。

 背後が河川である以上、相手も逃げ場がない。

 築き上げられた砦に潜み、追い詰められた敵兵がどんな手段で来るのか。

 今後の事も考慮し、被害は最小限に留めたいというのが、軍本部の狙いなのだろう。

 

『そうなのですか、一日でも早く戦争が終わればいいのに』

「河川への火球魔術の使用は禁止されていますので、どうしても長引いてしまうみたいです」

『確か、環境が変わってしまい、下流の村々への影響が大きいから、ですよね』

「さすがアナスイ王女、博識ですね」

『ありがとうございます。うふふっ、これでも少しは勉強したのですよ』


 あの日以降、俺とアナスイ王女は毎晩のように送話魔術にて会話をしている。

 他の先輩方の邪魔にならないように、送話魔術を使う時は、基本テントの外だ。


「魔術での戦いが出来ないとなると、どうしても肉弾戦になってしまいますからね。最近では負傷した兵士も多数出ているとお聞きします。アナスイ王女も大変なのではありませんか?」

『そんな大変な時に……実は私、いま、王都に向かう馬車の中なのです』

「王都……王都カナディースですか?」

『はい、お父さまのご命令で、強制的に帰還させられました』


 アナスイ王女のお父様って、国王様だしな。

 逆らえるはずもないし、むしろ普通に考えたら王族が戦場にいる方がおかしい。


「賢明なご判断だと存じ上げます」

『でも、私は皆さんの側で、聖女として役に立ちたかったです』

「大丈夫です、もうシナンジュ大河川は目の前ですから」


 王族が戦線にいる、こんな情報が敵に渡ったら、間違いなくさらわれる。

 相手はグロッサ丘陵の中央にあった屯田兵部隊まで侵入してきたんだ。

 忍び込むことに関しては、かなりの手練れとも言える。

 アナスイ王女は王都にいた方が、周囲も安心できるというもの。


『おやすいなさい、グレン』

「おやすみなさいませ、アナスイ王女」


 おやすみの挨拶を伝えられることに感謝をし、テントにて眠りにつく。

 翌日からも、俺達デイズ小隊は最前線を任されていた。

 

「グレン! 探知!」

「はい! ……敵兵、塹壕に二十八!」

「チッ、そんなにか。他の合流地点を探す、一旦引くぞ」


 相手も必死だ、もう逃げ場がない以上、全力で守りを固める。

 基本、戦いとは守備側が優勢になることが基本だ。 

 塹壕に隠れ、迫る敵を集団で撃ち殺す。

 攻め側が最小限の被害で終わる戦略としては、兵站へいたん攻めが望ましい。

 河川がある以上、渡航してくる船を潰してしまえば、いずれ兵站が切れる。


 しかし、それには時間が掛かる、それこそ年単位での時間が必要だ。 

 一気に攻めるか、兵站攻めか。

 そんな議論の中、とある情報が……いや、最悪な情報が、飛び込んできたんだ。


「シンレイ山脈が、スナージャ帝国の手に落ちた」


 デイズ小隊長の口から出た言葉は、悲痛に溢れていた。

 北の大地にそびえるシンレイ山脈、そこもグロッサ丘陵のように、フォルカンヌ国、スナージャ帝国との戦争の舞台だったはずだ。

 そこが落ちたとなると、シンレイ山脈に残る敵部隊が南下してくる可能性が高い。

 もしくは、以前デイズ小隊長が言っていたように、大船団で南下してくる可能性だってある。

 河川が船で埋まるという事は、相手からしたら退路が生まれるということ。

 いや、違う、本国からの支援だってくる可能性があるんだ。

 

「恐らく、軍本部も重い腰を上げるだろうぜ」


 兵站攻めが出来ない以上、実力行使で行くしかない。

 デイズ小隊長の読み通り、軍本部は部隊の投入を性急させた。

 短期間での決戦、大部隊での一斉攻撃。

 

「今日一日で終わらすつもりで行くぞ! 駆けろ、デイズ小隊!」


 火球魔術は河川への打ち込みを禁止している。

 だから、シナンジュ大河川付近での戦いは、どうしても肉弾戦になってしまうんだ。

 人が絨毯のように大地に色を付け、スナージャが潜む塹壕、その奥にある砦へと攻める。

 ここを獲ったら終わる、だから、相手からの激しい反撃を想定していたのに。


「……デイズ小隊長!」

「なんだ! 敵兵が百ぐらいいたか!」

「いえ、違います! 敵兵が少なすぎます!」

「……なんだと?」


 先日までは、一つの塹壕にそれこそ、何十人と潜んでいたんだ。

 だから、攻めあぐねていたし、俺達も退却を余儀なくされていた。

 でも、今日は違う。

 何人もいるように見せかけて、数人しかいない。

 数人が固定した銃を、道具を使い適当に乱射しているだけだ。


「敵兵が、少ないだと?」

「デイズ小隊長! 上だ!」


 戦場への火球魔術は、銅鑼の音を鳴らしてから。

 それが、魔術大国カルマが定めたルールだ。

 ただ、ルールはルール、破ろうと思えば、いとも簡単に破れる。


「……やられたぜ」


 塹壕に残る少数の敵兵は、死ぬことを覚悟していたのだろう。

 ルールを破ってでも、この戦争に勝利しないといけない。

 塹壕から顔を覗かせ嘲笑う敵兵を、デイズ小隊長が撃ち抜いた。

 だが、敵兵の一人を倒したところでどうにもならない。

 まんまと誘い出されてしまった俺達の頭上に、火球の雨が降り注ぐ。


「トーランド一等兵! 空盾そらたてふたを展開しろ!」

「了解! 空盾の蓋、展開します!」


 トーランド一等兵は、小隊唯一の工作兵だ。

 リュックの中から青い球体を取り出すと、それを両手でこねて、一瞬で大きくさせた。

 昔、矢による一斉射撃から守る為に造られたという、空盾の蓋。

 半円の形をした、厚くて軽い金属のような物を、一秒にも満たない速度で生み出す。

 六人が入るには少々心もとないが、今はこれで耐えるしかない。


「身を寄せろ! 出来る限り中央に隙間を作るな!」


 火球が地面に接触すると、激しい爆発がおき、衝撃で人が弾け飛んだ。

 空盾の蓋を展開するも、残念ながら直撃してしまった小隊は、一撃で粉砕されている。

 そんな威力の火球が何百と降り注ぐこの戦場は、一瞬で地獄へと変化した。

 

「ひいいいいいいぃ! 小隊長! 塹壕に逃げましょう!」

「ダメだ! 塹壕なんかじゃ耐えきれねぇ! むしろ狙われる!」

「で、でも! うわ、うわあああああああああ!」


 青髪坊主のザック二等兵の顔に、弾け飛んだ兵士の顔が吹き飛んできた。

 名も知らぬ兵士の顔、けれど、ザック二等兵の精神を破壊するには十分すぎる。

 きっと、声が枯れるまで叫び続けているのだろうけど、それすらも聞こえてこない。

 閃光と揺れ、爆風と衝撃、数多の破片が飛んできて、俺の身体も激痛に襲われる。

 そんな生死の境の中、デイズ小隊長だけが、違うものを見ていたんだ。


「グレン! 探知!」

「え、あ、はい!」


 ひときわ大きいデイズ小隊長の叫びを聞き、咄嗟に探知を働かせた。

 俺の土魔術の探知は、地面に触れる音、振動、荷重で相手の動きを判断する。

 空を飛び交う火球に対しては、無力も良い所なのに。

 

 探知を発動させるも、火球が大地を穿つ音で耳がやられるだけだった。

 やはり土魔術では、火球の落下予測は出来そうにない。


 意味がない、そう伝えようと思ったのだけど。

 火球に紛れて、軽い、火球とは違う音が聞こえてくる。 


 タンッタタタタタタッ


 ……敵だ。

 この火球の雨の中、敵が攻めて来ている!


「前方から二! ものすごい速度です! あ、消えた!?」


 音と振動が消えた。

 俺の探知からいたはずの二人が消える。


「オルオ一等兵」

「マジかよ、敵さん正気じゃないねぇ」

「多分、グレンが殺したっていう、斥候兵の生き残りだ」


 俺が殺した? 確かに俺が殺したのは斥候兵だが、こんなに速くなかった。

 凄まじい速度で斬りつけてくるのを、デイズ小隊長が空盾の蓋から飛び出し、受け止める。

 即座にオルオ一等兵が狙撃し、相手の脳天を撃ち抜いた。

 無論、火球の嵐の中での出来事だ。 


「グレン! 狙いはお前だ!」


 途端、目の前に血走った眼が現れる。

 相手の手首に付けられた、見たこともない鎌の様な武器が、俺の喉を襲う。

 

「爆炎!」


 間一髪、デイズ小隊長の爆炎が敵を吹き飛ばした。 

 慌てて喉に触れるも、痛みもなく、斬れてもいない。

 

「魔術使いを狙うのは、定石だもんな!」


 デイズ小隊長と同じく、ガミ兵士長も空盾の蓋から飛び出し、斥候と抗戦を始めた。

 空から火球魔術が降り注ぐ中、肉弾戦をする。


「デイズ小隊長! 奴さん、どんどんやってくるぜ!」

「全員殺せ! 斥候隊一人につき銀貨一枚は期待出来るぜ!」

「ははっ! 最高じゃねぇっすか! この戦いが終わったら、女奢って下さいよ!」

「女でも何でも奢ってやる! だから、生きて帰るぞ!」


 こんな異常な状態だというのに、オルオ一等兵も隙あらば狙撃し、トーランド一等兵も崩れそうな空盾の蓋を保持し続けている。

 俺も何か出来ないかと銃剣を握り締めるも、速すぎて狙いすら定められない。 


「グレン、余計なことはしなくていい。お前さんは探知に専念しておけ」

「オルオさん」

「兵士は、上官から言われた事だけを遵守するんだ。例えそれで、自分が死ぬことになったとしてもな」


 軍隊における命令は、自分の命よりも重い。

 それは、護るべき為に散らす命だから。

 国を守る為に己が命を枯らすことは、正しいとされる。

 でも……俺が誓った人は、それを認めない。 

 例え火球の嵐の中にいようとも、超人みたいな斥候が相手でも。


「しまった、グレン! 一人行ったぞ!」

「大丈夫です!」


 アナスイ王女のもとに帰るまで、俺は死ぬ訳にはいかないから。

 相手がどんな超人的な動きをしようとも、俺には見えている。

 駆け寄り、飛んだあと、刃を叩き込もうとしている相手の顔面へと、拳を叩き込んだ。

 叩き込み、そのまま捩じり込んで、地面へと落とす。


「ガハッ!」


 全身を黒い衣服で包んだ、身の細い女。

 顔を包んでいた布を自らはぎ取ると、褐色の肌と、長い黒髪が姿を現した。


「グゥッ! バンダングゥィトウヤ! ケットゥバオトイ!」


 斥候部隊は、本当に女の子で編成されていたらしい。


「……すまない」


 手にした銃剣を握り締め、相手の顔面に突き立てる。

 必死になって何かを叫んでいたが、もう、何も言わず。

 躯となった彼女の顔から銃剣を抜き、他にも攻めてくる斥候へと、俺は立ち向かった。


「……終わった、のか」

「いいやグレン、これからが本番だ」


 何とか火球の嵐を生き延びた俺達だったけど。

 その後はスナージャ帝国、歩兵部隊による突貫が容赦なく行われた。

 数少ない生き残りも多勢に無勢となり、せっかく生き残った命を無残にも散らしていく。


「戦線を放棄! 軍本部まで撤退する!」


 デイズ小隊長の判断の速さに、俺達は救われたのだろう。

 敵前逃亡とも判断できる速度で、俺達は逃げ帰ったんだ。

 

 駐屯地まで戻るも、今度はそこが防衛線となる。

 今日一日で、これまで進んだ距離が一気にゼロ、いや、マイナスになっちまった。

 

「……あれ、ザック二等兵は?」


 いつの間にか、ザック二等兵の姿もなく。

 ガミ兵士長も右腕を失うほどの大けがを負っちまった。

 トーランド一等兵やオルオ一等兵も全身傷だらけだ。

 デイズ小隊長は火球の嵐の中を戦ったからか、全身に火傷を負っている。

 かくいう俺だって、満身創痍に近い。

 だから、無意識に彼女を頼ろうとしてしまった。

 

「救護テントにアナスイ王女がいれば、全員回復出来たかもしれないのに」

「……いないのか? アナスイ王女が、あの酔狂な王女様は、今ここにいないのか!?」


 俺のつぶやきに、デイズ小隊長は想像以上に大きく反応を見せる。

 襟首をつかまれると、そのまま問答無用で殴られ、俺は倒れ込んだ。


 火傷を負っているのに、デイズ小隊長はそれでも俺へと殴りかかってきたんだ。

 何故殴られているのか、俺には理解できなかった。

 

「答えろ! アナスイ王女が救護テントにいないという情報を、お前は一体いつから把握していた!」

「は、はい! 昨晩、送話魔術にて会話をし、判明した事実であります!」

「きっさまあああああああああぁ!」


 まるで敵兵を見ているかのように、俺を睨みつけ、そして殴る。

 俺よりも酷い怪我をしているのに、デイズ小隊長はそれでも俺を殴りつけるんだ。

 

「立て! グレン! 貴様! 探知における重要項目を復唱してみろ!」

「は、はい! 音と荷重で情報を判断することです! そして、分からない事は分からない事と、デイズ小隊長へと伝えることです!」

「ああ、そう教えたよな! つまり貴様は、戦場における情報の重要性を誰よりも理解し、重きに置かなければならない事を知っているはずだ! この戦場に於いて、あの酔狂な王女様が王都へと強制的に戻らされたこと、それを何故俺に報告しなかった!」


 腹に数発叩き込まれて、胃液が口から逆流してくる。

 

「げほっ、げほっ、は、はい! 必要がないと、判断しました!」

「必要の有無は全て俺が判断する! なぜ勝手に貴様が判断した! 貴様は今、自分が何をしたのか、理解しているのか!?」

 

 俺が何をしたのか、全然、分からない。


「はい! 分かりません!」

「ようし、馬鹿なお前にも分かるように説明してやる! きをつけ!」


 穴という穴から血を流し、それでも姿勢を律する。

 全身が痛い、俺が一体、何をしたというんだ。


「あの王女様はな! 今日、俺達が大敗する可能性があると分かっていたから、この戦場から連れ戻されたんだ!」


 俺達が、大敗する可能性?

 分からないままでいると、座り込んでいたオルオさんが教えてくれた。


「貴族や王族に良くある話なんだ、危険が及んだ場合、まずは身内だけでもって動くんだよ」

「オルオ一等兵! 誰が喋って良いと言った!」


 デイズ小隊長はオルオさんの事も殴ると、振り返り、俺の腹を思いっきり蹴飛ばした。

 身内だけ、つまり、フォルカンヌ国王は、アナスイ王女だけでも助かって欲しいから、この戦場から彼女を逃したというのか。

 気づけば駐屯地に戻ってきた生き残りの兵、全員が俺を睨みつけている。

 

「グレン!」

「は、はい!」

「貴様が手にしていた情報は、軍本部ですらも知りえなかった情報だ! この情報があれば、全軍突撃なぞせずに、もっと他の戦法を考えることが出来たはずだ! バカな貴様にも分かりやすく言ってやろうか!? 今日の敗戦理由は! ザック二等兵が死んだのは! ガミ兵士長が再起不能になったのは! 全部貴様のせいだと言っているのだ! この大バカ野郎が!」


 その日、俺は誰よりも無傷で帰還し、誰よりも深い怪我を負うこととなった。 

 周囲は誰も助けず、ボロボロになっていく俺をただ黙って観ている。

 ……いや、違う。憎しみを込めた目で、俺を見ていたんだ。

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