第13話 

 曇天から雪が降り積もる中を、通常の倍ぐらい大きな馬が城内を闊歩する。

 アナスイ姫殿下とエリエント殿下は、二人揃っての入場となった。


「あの真っ黒なお馬さん、魔馬車って呼ばれる、魔術で強化されたお馬さんらしいですよ」


 隣に立つヒュメルが、入ってきた漆黒の馬車を見ながら、やや興奮気味に教えてくれた。

 これが、アナが以前言っていた、普通と違う馬車か。

 防衛のためだろう、鋼鉄の客車には窓のひとつもなく、外の景色を見ることは出来ない。

 守りに特化した造りが故に、景色を楽しむ、なんていう俗な考えは排除されてしまったのだろう。 


「エリエント殿下、アナスイ姫殿下に対し、敬礼!」


 鋼鉄の客車から姿を現したのは、相変わらずの美しさを保持したアナの姿だった。

 暑かった時と違い、肌触りの良さそうな、真っ白な毛皮に身を包む彼女は、とても可愛くて。

 見知らぬ男に手を引かれて客車を降りる仕草だって、狂おしい程に様になっていた。


「なおれ! エリエント殿下より訓示を頂戴する! 全体きをつけ!」


 黒い外套を身に纏った卑屈な男、エリエント殿下の第一印象はこれだった。

 緑色のごわついた髪、髪色と同じ色をした瞳は、常に周囲を睨んでいるように細い。

 猫のように曲がった背、蛇のように鎌くびをもたげた顔、雰囲気そのものが陰湿だ。

 そんな彼の印象を際立たせるもの、それが――

 

「隊長、なんであの人、眼帯しているんですかね」


 ――整列中だというのに、小声でヒュメルが語り掛けてきた。

 彼女の言う通り、エリエント殿下の右目には眼帯が付けられている。

 怪我をした、という訳ではなさそうだ。 

 何かしらの魔術武具と考えるが妥当か。

 俺達の視線を感じたのか、エリエント殿下は一瞥した後、その目を伏せた。


「僕は、貴様達を下等な種族だと認識している」


 突然の語り。

 部隊がざわつく。


「魔術のひとつも使えない劣等種族がどうなろうが、カルマの人間は本来気にもしない。だが、貴様達劣等種族の中から新魔術が誕生してしまった。送話、これは過去類を見ないほどの発見であり、我々が見つけるべきはずだった新魔術だ。その権利がカルマにあるのは当然の事だと、僕は考える」


 一体、何を言っているんだコイツは。

 

「本来あった形に戻す為、此度僕に命が下されてしまった。魔術師団を利用しながらも敗北する、滑稽なお前たちの為にだ。そのことを空っぽの頭の中に叩き込み、僕の指示に従え。以上だ。これ以上この場にいたら、無能なお前たちに僕の貴重な魔力が吸われてしまいそうだ」


 眉ひとつ動かさず、エリエント殿下は言い切った。

 これが魔術大国カルマの考え方、こんな男が、アナの婚約者だというのか。

 たちまち巻き起こるブーイングに、エリエント殿下はさらなる自論を述べようとするが。

 

『グレンさん』


 突然、アナの声が聞こえてきた。


『私いま、最小の声量で語り掛けています』


 嘘だろ、今だって壇上にエリエント殿下が残り、斜め後ろにアナはいるのに。


『送話魔術の試験です。敵につかまった時や、こうして声を出せない時に使用できてこそ、役立つ場面があると思うのです。どうでしょうか? きちんと聞こえますか? グレンさんは動けないでしょうから、聞こえているなら二回、まばたきして下さい』


 よく見れば、確かに、アナの唇が動いているように見える。

 とりあえずまばたきを二回すると、アナもキュッと可愛らしくウインクを飛ばしてきた。


『やった、成功です』


 可愛い。

 なんというか、普段よりも耳元で聞こえる分、ぞわぞわしてくる。


『うふふっ、グレンさん』


 なんでしょうかと、目だけを向ける。

 

『なんだか、悪戯しているみたいで、ちょっと楽しいですね』


 ……ダメだろ。

 今だってエリエント殿下が何か言っていて、周囲が殺気立っているのに。

 ああ、ダメだ、何を言っていたのか全然聞いていなかったぞ。

 分かるのは、壇上を降りようとしたエリエント殿下に対し、皆が文句を言っているくらいだろうか。


「まったく! なんなんですかあのカビ野郎は!」


 天幕に戻るなり、ヒュメル一等兵が愚痴をこぼした。

 

「自分たちの命の価値は、カルマの民の百万分の一以下だとか、ありえないですよ!」

「……そんなことを言っていたのか?」

「言っていたじゃないですか! って、小隊長、聞いていなかったのですか!?」


 聞いていなかったが、理由は言えず。

 だが、その反応が良かったのか、ヒュメルを始め、他の兵も笑い始めた。


「さすがはグレン小隊長です、あんな奴の話に耳を傾けるだけ無駄って事ですよね!」

「あ、ああ、まぁ、そういうことだ。愚痴なんか言わせたい奴に言わせておけばいい」

「はい! 勉強になります!」


 アナと送話で話をしていた、なんて知られたら、またデイズ小隊長に殴られそうだ。

 その日の晩、俺は軍議へと駆り出され、デイズ小隊長の隣へと着席した。

 他にも席は空いている。

 けど、腕組みしたまま目を伏せているデイズ小隊長の隣は、何だか安心するんだ。

 

「四日後、籠城を解きます」


 補佐官の女性が、図面を指し示しながら作戦を伝える。


「これまで通りの、火球魔術からの歩兵部隊による鎮圧か?」

「いいえ、歩兵部隊を二つに分け、ソウルレイ山脈の南北から迂回し、敵の背後から奇襲をかけます」

「……なんだと?」


 疑問の声を上げたのは、誰でもないデイズ小隊長だった。


「冬のソウルレイ山脈を行軍し、包囲するスナージャ軍の背後に回り込み奇襲を仕掛ける。言葉にするには簡単だが、兵への負担は想像を絶する。半分以上凍死するのが目に見えているが、それを分かった上で立案したんだよな?」


 作戦に対し意見をしている。

 こんなデイズ小隊長を見るのは初めてだ。

 軍本部が立てた作戦ならば命を捨てるのも当然、そんな言葉をよく耳にしていたのに。


「この作戦は、エリエント殿下によるものです」

「だろうな。あのお坊ちゃまは雪山の怖さを知らない」


 ただでさえ昼間の演説で敵を作っていたんだ、エリエント殿下の作戦なんて誰も聞きやしない。

 だが、俺たちの野次に対して、ルクブルク将軍閣下が待ったをかける。


「エリエント殿下が言うには、兵全体へと保護魔術を発動させるそうだ」

「……以前の治癒魔術みたいな、アレか?」

「同等のものと考えていいらしい。儂も詳細は知らん」


 カルマ本国からの保護魔術があれば、雪山行軍であっても凌げる。

 エリエント殿下の立案ならではの選択肢だな。


「エリエント殿下の思惑が何であれ、儂たちに課せられたのは戦争での勝利、ただそれだけだ。要塞城ガデッサには、残存部隊に加え、カルマ本国から魔術騎兵団が守護に入るそうだ。城の守備は気にせず全力で戦ってこい、そう言いたいらしい」


 実際に戦うのは俺達のみ。

 支援とはいえ魔術のみというのは、何ともカルマらしい。


「あの、ルクブルク将軍閣下、質問を宜しいでしょうか」

「グレン小隊長か、なんだ?」

「はい、送話魔術部隊は、南北どちらの行軍に入るのでしょうか?」

「……南と、記されておるな」

「南ですか、了解しました」


 送話魔術部隊の存在意義としては、各情報の伝令にある。

 南北に分かれてしまうと、伝令が届かないような気がするんだけど。


「送話に頼るというよりも、戦力として考えているのだろうな」

「そうなのですか? ですが、俺はデイズ小隊長のように爆炎魔術は使えませんが」

「軍刀カゼキリと防弾の腕輪があるだろうが。探知使いが魔術武具で武装している。これがどれだけ相手にとって脅威か、いい加減理解しろ」


 デイズ小隊長に軽く小突かれた辺りで、軍議は解散となった。

 天幕に戻り、明日雪山行軍をすると伝えると、悲喜こもごもの声が上がる。


「泣いても叫んでも明日の行軍は変わらない。各々準備を怠るなよ」

「はーい。でも、カルマが使う保護魔術っていうの、気になりますね」


 ヒュメルが子犬のように瞳を輝かせながら、自身の顎に手を当てる。


「そうだな、一体どんなものなのか、将軍閣下ですら知らないらしい」

「治癒魔術と同じようなものでしょうか?」

「あんなに輝いてしまったら、奇襲にならないと思わないか?」

「確かに」


 保護魔術が一体どういったものなのか、結局知らされないまま、俺達は翌朝を迎えた。

 天候は晴れ、しかし降り積もった雪を解かすには、陽が足りていない。

 雪で冷えた風が全身を凍らせ、立っているだけで寒気がする。


「保護魔術を発動させる、全員動くなよ」


 意外にも、保護魔術はエリエント殿下、一人で行うらしい。

 両の手を前に出し「保護」とつぶやく。

 途端、部隊全体へと風が走り、まとわりついてきた。

 でも、寒くない、むしろ身体がぽかぽかしてくる。


「要点だけ伝える。保護魔術の効果は奇襲予定である三日後まで継続する。奇襲開始の判断は南側の部隊に合わせろ。今回の作戦、火球魔術は使わない。以上だ。分かったらとっとと行け」


 指揮官なら出立前に鼓舞のひとつでもするのが普通だろうに。

 だが、この態度がもはや通常運転なのだろうと、周囲も諦めを見せる。

 代わりに陣頭指揮を執ったのは、安定のルクブルク将軍閣下だった。


「此度の奇襲作戦、この場にいる誰もが思いつかなかったであろう! それはつまり、スナージャ帝国とて同じこと! この奇襲は成功すると、儂は確信している! フォルカンヌの英雄よ! 己が救国の英雄であることを心に刻み、勝利へと邁進するのだ!」


 フォルカンヌの巨人、ルクブルク将軍閣下の激励で、俺達は動き始める。

 スナージャ兵を殺すための雪中行軍、それは保護魔術があったとしても、辛いものだった。

 奇襲作戦なんだ、俺達の姿がスナージャの奴等に見えてしまったら意味がない。

 雪を掘り、山道を進む。

 見上げるほどの雪壁をスコップだけで掘り進むのは、想像以上に肉体を酷使した。


「雪って結構重いんですよね。私、雪だるま作っている時のこと思い出しました」


 汗だくになり、上着を脱ぎ、半袖になったヒュメルが言う。

 ある程度の大きさになると、雪だるまは動かなくなる。

 雪は重い、そのことを再認識しながらも、俺達は掘り進んだ。

 唯一の救いなのは、悔しいことにエリエント殿下の保護魔術だろう。

 天候が悪化しようが風が吹こうが、寒いと口にする兵士は一人たりとていなかった。

 むしろ雪かきに疲れ果て、暑いと口にする兵の方が多いぐらいだ。


 一日目、二日目と交代しながらゆっくりと行軍し、そして三日目の朝を迎える。

 要塞城ガデッサは既に遠く、俺達を隠していた雪の壁も、既に存在しない。

 スナージャ軍の背後を取ることに、俺達は成功していた。


『おはようございますグレン、現在地を教えて下さい』


 タイミングを見計らっている時に、いきなりアナの声が聞こえてきて驚く。


「おはようございますアナ、南方部隊、予定地点へと到達しております」

『かしこまりました、少々お待ちくださいね』


 要塞城ガデッサから俺たちの姿は目視確認が出来ない、送話魔術の本領発揮といったところか。

 ふと横を見ると、茂みに伏せたまま瞳を輝かせるヒュメルの姿があった。


「今のが送話魔術ですか?」

「そうだ、アナスイ姫殿下から現在地の確認を要求された」

「すごいです、伝令兵は完全に廃業ですね」


 普及すればそうかもしれないが、現状俺とアナの特許魔術だ。

 伝令兵が廃業まで至るには、まだまだ時間が必要だろう。


『エリエント殿下からの伝令です。これより銅鑼の音を鳴らします、それと同時に奇襲を開始して下さい』

「銅鑼の音を陽動に……了解しました、南方部隊長へと報告いたします」


 銅鑼の音、つまりは火球魔術使用の合図だ。

 だがしかし、エリエント殿下は火球魔術は使用しないと言っていた。

 敵が要塞城ガデッサからの火球魔術に警戒している時に、背後から襲う。

 この作戦は、想像以上に効果を見せる結果となった。


「銅鑼の音が鳴った! 奇襲を開始する!」


 完全に背を向けていたスナージャ兵へと、俺達は切り込む。

 南側の奇襲を皮切りに、北側の部隊も同様に攻め立て、スナージャ軍はそれだけで瓦解した。

  

『グレンさん! 要塞城ガデッサ開門! カルマ魔術騎兵団の突貫攻撃が始まります!』

「了解! ロッカ! 部隊長に伝令! 正門からカルマ魔術騎兵団の突貫攻撃開始!」

「復唱します! 正門から魔術騎兵団突貫開始! 南方部隊長へと伝令に向かいます!」


 銃弾飛び交う中、ロッカが凄い速度で姿を消した。

 アナの送話からしばらくして、要塞城ガデッサから鬨の声が上がる。

 背後と正面からの挟み撃ちに、スナージャの兵たちは逃げ場を失い、慌てふためく。


 大概の兵がスナージャ本国がある西側へと走り抜けていくのだが、そちらの方角からは爆炎が上がっているのが遠目に見ても分かる。

 逃げ場を封じる、さすがはデイズ小隊長だ。

 俺も負けていられない。


「探知!」


 逃げ惑う兵が多いが、俺達を狙っている諦めの悪い奴等もいる。

 足を止め、狙いを定めているのが右前方に八。


「右前方の塹壕に突貫する! マルクス! ボッケ! ギュノル! 俺についてこい!」

「了解!」


 敵兵が狙い撃つ弾は精度が高く、見事俺にヒットしてくれた。

 防弾の腕輪が本領を発揮し、直撃するも痛いだけで終わる。


「タイソー! タイソー! チャンギホッケ!」


 相変わらず何を言っているのか分からない。 

 だが、だからこそ、容赦なく殺すことが出来る。

 意思疎通の出来ない魔物、俺の目にはスナージャの兵はそう見えていた。


「塹壕確保! 後続を待つ! マルクス! ボッケ! 周囲の監視!」

「マルクス二等兵了解!」

「ボッケ二等兵了解です!」

 

 スナージャ兵たちが丁寧に時間をかけて堀った塹壕が、そのまま俺達を守ってくれる。

 奇襲作戦は成功、たった一日で、スナージャの包囲網は完全に解ける結果となった。


「快勝でしたねグレン小隊長!」

「……そうだな」


 快勝、確かにそうなのかもしれない。

 ただ、デイズ小隊長も分かっているはずだ。

 今回の戦い、スナージャの斥候部隊が一人もいなかった。

 カオ・チエン・クーハイ。

 あの男が不在なことが、俺には不気味に感じられた。

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