第14話 失ってはいけない人
要塞城ガデッサの籠城戦は、防衛側である俺達が勝利することが出来た。
だが、これは戦術こそ目を見張るものがあるが、結果だけ見ればそう珍しい事ではない。
戦いにおいて、守る側が有利なのは誰もが知るところだ。
さらに、戦いが終わった後の軍議にて、デイズ小隊長は不機嫌を露わにした。
「スナージャの奴等、まともな兵がほとんどいなかった。徴兵したばかりの奴等に、銃を持たせておいただけの可能性が高い。指揮系統は無く、撤退の仕方も個人が必死になって逃げていたのみ。スナージャの野郎、最初からガデッサを落とすつもりなんか無かったんだ。そんなのを相手に、俺達は籠城戦を決め込んでいたんだ」
守りではなく、攻めるべきであったと、デイズ小隊長は机を叩く。
防衛戦の翌日、補給を終えた俺達は西方、グロッサ丘陵を目指し進軍を開始した。
撤退戦同様、探知を働かせながらの進軍だが、引っ掛かる敵兵は一人もおらず。
「スナージャ兵、一人もいないですね」
徹底抗戦を想定していた女神の二重瞼、この場所においても、スナージャの姿は見られなかった。
デイズ小隊長の言う通り、この場所は捨て、他へと主力部隊を送っていた可能性が高い。
「もしかしたら、シナンジュ大河川まで放棄していたりして!」
ヒュメル一等兵の可愛らしい顔に、笑顔がこぼれる。
ここまでの行軍に戦闘は無く、撤退戦のような緊張感は消え、どこか温い空気が、隊全体を包み込んでいた。
その後、軍本部は行軍速度を速めるよう指示を出した。
探知での索敵よりも、攻め込むことが重要だと、エリエント殿下が判断したためだ。
慎重に一歩一歩進んでいたのが、小走りへと変わる。
「殿下からしたら、一秒でも早く役目を終えて、本国に帰りたいんだろうぜ」
「可愛い奥さんも貰っていますしね。あの二人、毎晩楽しんでいるんだろうなぁ」
「ボッケ、マルクス、私語は慎め。戦場だぞ」
「はい! ロッカ兵士長殿、失礼しました!」
他の歩兵部隊には太っていて、行軍だけでも辛そうにしている隊員もいるのに。
さすがは伝令部隊に抜擢されるだけの事はある、全員、走るのには慣れていそうだ。
「それで、どうなんですか?」
小走りで走る中、ヒュメルが近寄り、小声で聞いてくる。
「どうなんですかって、何がだ?」
「何がって、グレン小隊長は毎晩送話魔術で会話されているのですよね?」
「……ああ、特に、何もしていないらしい」
「そうなんです?」
「聞く限りではな」
アナスイ姫殿下とエリエント殿下の婚約は、既に公表されている。
戦争が終われば大々的に発表され、彼女は晴れてエリエント殿下の正妃となるんだ。
けれど、彼女が言うには、毎晩寝る部屋は別、ご飯ですら共に食べていないらしい。
「話しかけることも許されていないそうだ」
「そうなんです!? 婚約しているのに!?」
「そう声を大きくするな。広めていい話じゃない」
「……失礼しました。でも、良かったですね」
「……何がだ?」
「またまたぁ、わかっているくせにぃ」
つんつんと肘で突くと、ヒュメルは口に手を当て「にひひ」とほくそ笑む。
どうやら俺は、デイズ小隊長のような、恐れられる小隊長にはなれそうにないらしい。
最初の内は和気あいあいと喋っていた部隊だが、小走りが半日以上続くと、やがて無口になる。
それはどこの部隊も同じで、そんなのが二日、三日と続くと、誰も何も言わなくなった。
グロッサ丘陵、西部、シナンジュ大河川付近。
徒歩一か月の道のりを、俺達は三週間程度で踏破した。
以前と同じ場所に駐屯地を展開し、交代で休憩の為に靴を脱ぎ、足を癒す。
俺も同じように休みたかったが、小隊長には軍議に参加する義務がある。
皆を残し、俺は駐屯地中央、軍本部の天幕へと足を運んだ。
「斥候班による情報収集を行いましたが、シナンジュ大河川に築かれたスナージャの砦は、以前とは違い、長城のように横に広く展開されてしまっています。火球魔術による破壊は容易でしょうが、魔術大国カルマが定めたルールを、エリエント殿下が破る訳にはいきません。かといって、兵站攻めをするような、甘い考えもお持ちでは無いご様子です」
「あのお坊ちゃんは付いて来ているのか?」
「はい。ですが、この場には足を運ばないとのことです」
「あんなのいない方がいい」そんな揶揄が飛び交う中、ルクブルク将軍閣下が手を挙げ、皆を制した。
「実はな、ここに来る途中で、我が軍はスナージャの伝令兵を捕獲している」
あの行軍中に、そんなことが起こっていたのか。
「こちらの行軍速度が上がったことに気づいていなかったのだろう。奴等の言語で書かれた伝令書には、大至急援軍を要請すると書かれておった。他にも、砦内に残る食料の量や、将兵の数なども記載されておったわ。それを見るに、こちらの兵数で圧倒するには充分と判断できる」
「……つまり、このまま攻め込むと?」
「うむ、支援要請が届いていない今の内に、全軍をもって叩き潰す」
ルクブルク将軍閣下の言葉は、そのまま部隊の意志となった。
翌朝、後方全部隊が到着すると、朝日と共に銃声が鳴り響く。
「スナージャは絶対に来ない援軍を待ち望んでいる! その証拠に、塹壕にほとんど兵士がいない! 築き上げた砦に引きこもり、震えて援軍を待っているのだ! 我、これを好機とみなす! 駆けよ勇者よ! フォルカンヌの勇者よ! 今こそ国境線を、シナンジュ大河川へと変えてくれようぞ!」
それは、ルクブルク将軍閣下の
駐屯地後方から響く爆発音、それと共に巻き上がる大地と、黒煙。
「後方から攻め込まれた!? 第二中隊、後方支援へと回れ!」
出鼻をくじかれた。
動揺が全部隊へと走り、指示された部隊が後方へと走る。
火球魔術じゃない、地雷、もしくは他の何か。
「あの規模なら、そんなに被害は出ていないはず」
ロッカが後方に上がる煙を眺めながら、そうつぶやく。
「分かるのか?」
「うん、爆破の規模が小さすぎる。それに僕達を殺すのなら、もっと早く起爆しているはずだ。違う目的があると思っていい。多分だけど、アレは地面を掘っただけのような気がする」
違う目的って、なんだ?
地面を掘って何が起こる?
考えていると、続けざまに爆破音が聞こえてきた。
今度は北の方、遥か遠くから聞こえてくる。
一体何なんだ? スナージャの奴等は一体何がしたい?
地面を掘る程度の爆発、それを駐屯地背後と、北側…………まさか!
「わかったぞ! スナージャの奴等、
「灌漑工事?」
「ロッカ! ルクブルク将軍閣下へ伝令! シナンジュ大河川の流れが変わる!」
「まさか」
「川が俺達の背後に来るぞ! 復唱はいい! 急げ!」
どこでもいいからと、高台へと昇る。
最悪の予想が、的中してしまった。
茶色い濁流が北側から流れ、後方に陣取った部隊が水に押し流されている。
これは、下手な爆破を狙うよりも被害が甚大だ。
そして更に、これまで静かだったスナージャの砦から、爆裂音が響き渡る。
「敵砦からの砲撃? だが、絶対に届かないはずだ」
まだ、俺達は進軍していない。
敵の目的が分からないままだったが、それも直ぐに判明する事に。
飛来してきた物体を見て、誰かがつぶやく。
「おい、あれ、死体じゃねぇか?」
「……フォルカンヌ国の制服」
砲台の弾の代わりに、スナージャは遺体を球にして詰め込み、発射していた。
無論、まともに飛ぶはずがなく、着弾した場所には、骨と肉片だけが飛び散る。
腐った臭気が風と共に流れて来て、俺達の鼻を襲った。
「シャアアアアトアアアア! ロイ!」
砦から、何者かの叫び声が聞こえてくる。
それに呼応して、沢山の声と共に、武装したスナージャ兵が姿を現した。
中央に築き上げられた砦、そこから左右どこまでも伸びる長城の全てに、敵兵がいる。
「シャアアアアトアアアア! ロイ!」
「シャアアアアトアアアア! ロイ!」
「シャアアアアトアアアア! ロイ!」
武器を掲げ、叫び続ける。
砦からどんどん兵が出て来て、陣形を作り始めた。
情報と違う、間違いなく俺達よりも多い。
いや、多いなんてもんじゃない、二倍、三倍以上いるんじゃないか。
「グレン小隊長……」
ヒュメルの不安気な声が聞こえてくる。
背後には濁流、正面には敵兵。
これは、間違いなく罠だ。
捕まえたという、伝令兵自体が罠だったんだ。
逃げ場がない、いいや、撤退という伝令は出ていない。
戦うしかない、そうだ、戦うしかないんだ。
逆に考えろ、シナンジュ大河川が無くなったということは、魔術師団による火球魔術が使えるはずだ。
「ヒュメル、ギュノル、マルクス、俺の身体を支えてくれ! 送話魔術でアナスイ姫殿下へと、火球魔術を使用するよう伝える!」
「は、はい!」
だが、送話魔術の発動を前にして、アナの声が聞こえてきた。
『グレン!』
「――っ、アナスイ姫殿下ですか! 良かった、丁度いま送話を!」
『逃げて下さい! そこにカルマの軍はいません!』
……なんだって? カルマの軍は、いない?
『爆破の直前に、無理やりに馬車に乗せられました! エリエント殿下を初めとしたカルマの軍勢は、その戦場にいません!』
「ま、魔術師団は!? ショウエ曹長はどこに!?」
『分かりません! 馬車の中にいるので、外が何も見えないのです!』
そんな、まさか。
火球魔術の使用者がいない。
前方の敵はどこまでも増えていき、後方は勢いを増していく濁流。
どこに行けば生き延びられる、どこに逃げれば――。
「かひゅ」
突然、耳に慣れない声が聞こえてきた。
真横にいたはずのヒュメル一等兵の姿が、数歩離れた場所にある。
背後に誰かがいる、背が大きくて、色黒で、痩せていて。
手首に、鎌のような刃を装備した、男の姿が。
「あ、あぐ……グ、グレ、しょうひゃい、ひょう」
嘘だろ。
白くて細い彼女の首筋に、真っ黒な刃が。
頭で理解するよりも先に、身体が動く。
「――――ッ!」
ヒュメルを助けるべく斬りかかるも、左右に不規則に揺れる身体は、俺の剣をヌルリと躱した。
彼女を抱えたまま飛び上がった奴は、そのまま俺らの前方へと着地する。
「見テイタゾ、ズットナ」
「あぐぅっ!」
ヒュメルの首に刺さった刃が、より深く食い込む。
「オ前モ、俺ト同ジ苦シミヲ、味ワウトイイ」
やめろ。
その声を発する前に、奴はヒュメルに突き刺さった鎌のような刃を、勢いよく引き抜いた。
文字通り、首の皮一枚で繋がったヒュメルの首から、ピンク色をした肉が見える。
途端、噴水のように吹き上がる真っ赤な血が、戦場へと降り注いだ。
「クカカ……クカカッ! クカカカカカカカカ!!! コレデ! キズナヲ失ッタ俺ト同ジダナァ!」
「クーハイ、貴様ああああああぁ!」
「ダメだ! グレン、下がって!」
突っ込もうと思った俺の身体を、ロッカが肩を掴み強引に引き戻した。
「一斉掃射!」
号令と共に、数多の銃声が鳴り響くも、奴には当たらず。
「クカカカカカカッ! ノブィ! コンフォイフェン! コンフォイヴェン! 愉悦ダ! 楽シクテショウガネェ!」
あり得ない程の速度で銃弾を躱すと、勢いそのままに他部隊へと突貫、切り刻んでいく。
このまま後方部隊まで突貫されたら、駐屯地にいる衛生兵も殺されてしまう。
「爆炎!」
だが、そんな奴の前に、一番頼りになる人が、立ちふさがってくれたんだ。
「爆炎ノデイズ!」
「無駄に目立ちやがって、雑魚が!」
戦場に渦巻く炎が、部隊の士気を高めてくれる。
だが、今はそれよりも――。
「ヒュメル! ヒュメ……」
首から血が泡を作りながら噴き出し、全然、止まろうとしない。
治癒魔術が使えれば、衛生兵の所まで辿り着ければ、きっとまだ、助かる。
「大丈夫だ、俺が絶対に助けてやる」
まだ、ヒュメルは生きている。
首を半分斬られただけ。
凄い血が出ているけど、大量出血なら、それでも治ったのを見てきているから。
「耐えろよ、俺がデイズ小隊長に殴られた時に比べれば、全然、そんな傷、大したことないんだ」
抱き上げた彼女の体は、軽かった。
とても軽くて、女の体重って奴を、嫌な記憶と共に蘇らせる。
「急ぐから、今すぐ衛生兵の所に行ってやるから!」
「……ヒュレン、ショウゴボッ……」
「なんだ! 首が切れてるんだ! 喋るんじゃない!」
抱かれていた彼女の腕が、俺の首を優しく包み込む。
震えながら、必死になって、耳元へと近寄るんだ。
「……だい、ひゅき……」
この言葉を残すと、ヒュメルの吐息が、当たらなくなった。
俺の首を温めていた抱擁が、力なく解ける。
「――――っ、ああ、わかってた! わかってたよ! アナだって嫉妬してたんだ! お前の気持ちぐらい、俺には分かってたんだよ! だから死ぬな、アナは死ぬことを許しはしない! 絶対に、俺達は死ぬことを許されない! 厳しい王女様と共に戦ってるんだ、だから死ぬな!」
腕の中にある体温が、どんどん冷たくなってきていやがる。
ダメだ、ヒュメルが死ぬ、俺の部下が、大事な大事な部下が。
「ああ、ああああああああああああああぁ!」
許さない、許さない許さない許さない!!!!
「俺の大事な人を何人も殺しやがって! 何人も何人も殺しやがって! 絶対に許さないぞクソ野郎がああああああぁ!」
視界に入ってきたのは、俺の方を見て、口角を上げてにやける奴の顔だった。
「カオ・チエン・クーハアアアアアアァイ!!!」
右手をかざし、自分の中の魔力全てをクーハイにぶつける。
俺が出来る魔術、他の誰もが出来ない魔術を。
「送話、発動!」
大地が歪み、戦いを続けるクーハイの中に、俺が紛れ込む。
強引につなげる、意識を、心を、それだけで、奴に油断が生まれるから。
「!? ナ、ナンダコレハ! 頭ノ中ニ、声ガ!」
「俺を相手に、油断してんじゃねぇよ」
デイズ小隊長の刃が、クーハイの胴体へと、届く。
「とっておきだ、喰らいな」
業火爆炎。
花火のようにきらめく光が、昼間だというのに真っ赤に輝く。
空へと吹き飛ぶ奴の身体は、真っ黒こげになり、そのまま転がり続けた。
「撃て! 絶対に生きて帰すな!」
オルオさんの声、きっとオルオさんなら、クーハイの奴を仕留めてくれるはず。
「ヒュメル……」
だから、今は少しだけ。
ほんの少しだけ。
――――っ。
「グレン、立てるか」
「……デイズ、小隊長」
「部下の為に涙するのは、この戦いを生き延びてからにしろ。貴様には彼女以外にも部下がいるだろう。そいつ等の命を守るのが最優先だ。ヒュメル一等兵は立派に戦った。彼女のお陰で、敵の斥候兵を一人、仕留めることが出来たのだからな」
デイズ小隊長は、もう動かなくなったヒュメルへと、敬礼を捧げた。
俺も同じようにして、敬礼を捧げなくてはいけないのに。
涙で前が見えなくて、手が、ロクに動くことも出来なくて。
でも、きっと、俺が泣いて動けなくなることを、彼女は望んでいない。
――グレン小隊長! 頑張って下さいね! ――
だから、自分で自分の頬を殴るんだ。
もう、励ましてくれる彼女はいないから。
「……デイズ小隊長、ありがとうございます」
「無茶はするなよ。犬死は、国家の損失だ」
「……はいっ!」
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