第32話 降伏しない理由
翌日、アレス殿下の指示通り、軍が動き始めた。
南方へと向かった部隊は即座に砦を築き始め、北側からは砲撃や銃声が聞こえてくる。
そして中央、畑だった塹壕を背にし、中央戦線とも呼べる場所に、俺は一人立った。
にらみ合いが続いていたせいか、塹壕に死体はなく、銃痕も少ない。
突撃兵時代には、こんな綺麗な塹壕は見たことがなかった。
どこに逃げても血の臭いがして、油断すれば手りゅう弾が投擲されて。
澄んだ冬の風と、春の暖かさがないまぜになった空気が、鼻腔をくすぐる。
本当に、ここが戦場だということを忘れてしまいそうだ。
「魔術大国カルマが第四王子、エリエント・ディ・カルマより、スナージャ軍に告ぐ」
昨晩、ヒミコ二曹から教わったスナージャ語をメモした紙を、俺は読み上げる。
「貴様達には選択肢が二つある。ひとつは降伏し、我らフォルカンヌ軍へとくだり生きながらえること。もうひとつは、このまま無謀にも戦いを挑み、ここが貴様たちにとって最後の景色となることだ。南部軍のような裏切りではない以上、我らは貴様達の降伏を受け入れる準備が出来ている。要塞城ガデッサも落ちた、砂漠のロンドマンも死んだ、優秀な斥候兵もいない。これは、最後通告である。この通告の後、一時間以内に返答を要求する。英断を、我々は期待する。以上だ」
読み上げた直後、スナージャ側にある塹壕から沢山の兵が顔を覗かせた。
全員銃を握り締めていて、待ってましたと言わんがばかりに、引き金を一斉に引く。
火球魔術のない戦争は、どうしても銃に頼ってしまうものだ。
万を超える銃声。通告の後、僅か数秒で、俺のいた場所は綺麗なハチの巣になった。
「……し、死ぬかと思った」
冷や汗が頬を垂れる。
銃弾を見えない壁で受け止める、防弾の腕輪。
今回、防弾の腕輪へと注がれた魔力は、普段の比ではない。
エレメントジェーバイトに頼り、魔力切れを恐れず、ありったけを注ぎ込んだ。
結果、俺へと向けられた銃弾全てが空中で停止し、やがて地へと落ちる。
「ははっ、凄いな……まるで、爆炎のデイズみたいだ」
デイズ中隊長の見ていた景色。
戦場を先頭で駆け抜け、後続の信頼と期待を背中に浴び続ける。
――いいかグレン、そういった人たちのことを、軍隊ではエースと呼ぶんだ――
昔、オルオさんから教わった言葉。
フォルカンヌ軍に数名しかいない、階級や役職とは違ったもの。
「俺にはまだ、ちょっと早いな」
エースと呼ばれる男にならないといけない。
自分で名乗るのは、なんだか恰好悪いから。
大きく息を吸い込み、抜いた軍刀カゼキリをスナージャ軍へと向けた。
「貴様達の返答、確かに受け取った!」
今度は、俺達の番だ。
塹壕に潜む万を超える兵が、銃口をスナージャ兵へと向ける。
俺に対して撃ち尽くしてしまったから、今その銃には弾が無いんだろう?
「敵の攻撃は全て俺が受けきる、安心して放てッ!」
その日、俺は最大の餌となることに成功した。
一昼夜続く撃ち合いは、もともと数で勝っていたフォルカンヌ軍に軍配が上がる。
数日が経過すると、南北部隊も加勢し、スナージャの本陣はどんどんと縮小していく。
しかし、腐っても四万に近い兵だ、そう簡単には終わらせてくれない。
縮小されればされるほど、畑の中に築き上げた陣地が狭まり、防御力が上がっていく。
「奴等、最後の一兵になるまで撃ち合いをするつもりなのかな」
夜、
こちらには食料も弾もまだまだ余裕があるが、きっと奴等にはそれすらも無い。
刈り取った作物に火を通しただけの食事は、さぞかし不味い事だろう。
「どうだろうな。降伏しない理由って、一体なんだと思う?」
エリエント殿下の中身が俺だと分かっている者だけでの夕食。
気兼ねなくサレス一曹へと質問すると、彼女は食べる手を止めた。
「そうですね……徹底抗戦をする場合、何かしらの希望があるものだと推測されます」
「希望? 希望って言ったって、退路もない、弾もない、仲間はどんどん死ぬ。こんな状況で希望なんかある訳ないじゃん」
「ヒミコはそう言うがな、ほとんど同じ状況下で、アナスイ姫は生き延びていたじゃないか」
「本当、ガンデスはバカね。アナスイ姫にはエリエント殿下の送話魔術があったじゃない」
「おお、そうか、そう言えばそうだったな」
「一人だけ昇進したくせに。殿下の前よ? もっと頭を働かせた意見を出したら?」
ぴしゃり額を叩くと、がっはっはっと、ガンデス曹長は肩を揺らしながら笑った。
ガンデス曹長の昇進を僻んでいるが、ヒミコ二曹も昇進間違いなしだと、俺は思っている。
敵性語とはいえ、スナージャ語が喋れるのはとても大きい。
尉官か左官か、もしくは前線を外れ、後方支援、語学研究部門だってあり得る。
何にしても、このまま行けば全員が昇進間違いなしだろう。
その時には、上官として酒の一杯でも奢ってやらなきゃかな。
「……ひとつだけ、気になることがあるんですよね」
賑やかな場で、難しい顔をしたクーデルカ二曹に、皆の注目が集まる。
「気になること、とは?」
「当然と言えば当然なのですが、ラムチャフリ元帥の顔を一度も見ていないのが、ちょっと気になります。これまでの謀略の数々は、明らかに我々の予想を上回るものばかりでした。あれだけの事を考え実行できる人間が、最後の最後は単なる銃撃戦で終わるとは、あんまり考えられないと思うんです」
クーデルカ二曹がそう言うと、ヒミコ二曹も「確かにそうよね」と同意し、彼女の意見の続きを語った。
「それに南部軍の切り捨て方も、アタシには違和感を覚えるものだったわ。確かに六万の兵は多い、それに独断での裏切りは許せないと思う。でも、それでもあんな風に部隊全部を見捨てると思う? 七万の軍勢に睨まれているのよ? ガデッサに残してきた四万の兵があるにせよ、南部軍一万の兵は捨てるに惜しいに決まっているわ」
これまでが優秀だったが故に、現状のスナージャ軍の戦い方には違和感が残る。
何か見落としている所はないだろうか?
スナージャ兵は何に期待し、今もなお、死地を生き延びている?
『そうですか、確かに、それはおかしい状況と言えると思います』
眠りに付く前に送話を飛ばし、現状をアナにも報告してみた。
おおむね同意、皆と同じ意見だった。
『幼き頃、私は一度だけ、ラムチャフリ元帥とお会いしたことがあります。頭に白いターバンを巻き、深い皴を顔に刻んだ初老の男性でした。トーブと呼ばれる白い服が良く似合っていたのを、よく覚えています。彼は小さかった私を見ると、懐から筒状の棒を取り出し、手品を見せてくれたんです』
「手品?」
『はい、何もないスティックの先に、ポンっと綺麗な花が咲きました』
何もない所に、花。
『人を驚かせることが好き……言い換えれば、人の虚をつくのが得意なのかもしれません』
「そんな人物が、最後の最後、自分の全てを懸けた戦いにおいて、消耗戦で終わるは確かにおかしい」
『はい。とても大きなことを見落としている。そんな気がしてなりません。さらに言えば、これまでの全てが布石であった可能性まであると、考えてもいいのかもしれません。改めて、情報をひとつひとつ精査すれば、何か見えてくるものがあるかも』
改めて情報を精査する……か。
ラムチャフリ元帥の目標は、フォルカンヌ国を亡国とすること。
そのための一番の近道は、アナの父親であるフォルカンヌ陛下を抹殺する事だ。
しかし、実際には度重なる戦いにより、スナージャ軍は中央平原で足を止めている。
北のシンレイ山脈も敗戦し、南のアースレイ平原もソリタス殿下により平定される。
愚直なまでの中央突破、その背景にあるのが、反魔術同盟なる組織。
自分たちが仕留めなくとも、組織がフォルカンヌを仕留めてくれる。
だが、ラムチャフリ元帥は動いた。
自分の我儘、十年にも及ぶ戦争を、自らの手で終止符を打ちたかったから。
『そこ、違和感があります』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます