epilogue
したためるペンの動きはとても早く、彼女に一切の迷いが無いことが分かる。
個人部屋を与えられたショウエ大尉は、誰もいない部屋で一人嘆息を吐いた。
机上に残る、自身が書いた手紙を眺めては、大げさにもう一度ため息を吐く。
「エリエント殿下に、同行したくないなぁ……」
エリエント殿下こと、アナスイ王女が愛したグレンという男は、先日、フォルカンヌ陛下の前で片膝をつき、自分がカルマの王になると宣言したのだ。
並大抵の事ではない。
とどのつまり、彼は本物のエリエント殿下と同じ未来を熱望しているのである。
形式上、本来のエリエント殿下は追放という形で、フォルカンヌ国へと入国を果たしている。
言い換えれば、グレンがカルマの王になる可能性は、限りなくゼロだ。
実のところ、ショウエは少尉時代、事前にエリエント殿下が追放処分を受けていると知らされている。
だからこそ追従せず、それを殿下も黙認していた。
「普通に考えれば、自国の王子が来ているのに、私が挨拶に行かない段階で気づきそうなものだけどね。それを知らない顔してエリエント殿下のお供とか……なんて言い訳をすればいいのかしら」
ただ、母国カルマが置かれている状況は、マズイの一言だ。
反魔術同盟の存在は、ショウエ大尉の耳にも、もちろん入っている。
いや、入ってはいけないのに、入ってしまっているが正しい。
グレンことエリエント殿下のショウエ大尉への信頼は、望外にも厚い。
秘密にしなくてはいけないような事も、彼はぺらぺらとショウエ大尉に喋ってしまっているのだ。
曲がりなりにも、魔術大国カルマからの派遣兵であるにも関わらず、だ。
無論、ショウエ大尉はフォルカンヌ国へと派遣されているだけの身に過ぎない。
仕入れた情報は適時母国へと垂れ流し、カルマにおいても反魔術同盟の存在は論議されている。
だが、カルマの長老たちの返事は一貫して変わらない。
現状を維持する。
攻め込まなければ、攻め込まれない。
裏で世界を牛耳るのが大好きなのだろう。
操り糸が刀で斬られ、銃弾で人形が撃ち抜かれる日まで、きっと彼等は自分の置かれた状況に気づきもしない。
死ぬ間際になって、ようやく不味いと気づくんだ。
だからこそ、母国へは帰りたくない。
言っても聞かない人たちばかりだから。
「とりあえず、こんなものかしらね」
改めて、机上の手紙を手に取り、内容を精査する。
書かれている内容は、エリエント殿下が偽物であるということ。
現状のエリエント殿下は、グレンという一人の農家の出自であり、ヨロク村では神の子と呼ばれる生贄の一族であるということだ。更には送話魔術で、スナージャ国のラムチャフリ元帥、フォルカンヌ国のソリタス殿下、アレス殿下、アナスイ王妃とも繋がりがあると、しっかと書き記されている。
グレンを裏切った訳ではない。
腐っても第四王子、すぐにでも正体がバレる。
ならば、先に彼がエリエント殿下の偽物であると明かしてしまった方が、展開としてはスムーズだ。
無論、そのことをグレン本人にも伝えてある。
むしろ、信用ある人にはどんどん明かして欲しいとまで言われている。
グレンは嘘が下手だから。
悲しいかな、もう少し嘘が上手な人であれば、こんな気苦労せずに済んだかもしれないのに。
魔術大国カルマからの返事が来るのは、恐らグレンたちがカルマに入国してから。
場合によっては入国即逮捕、処刑だってあり得る。
裏切ったつもりはないけれど、向こうから見たら、ショウエ大尉は立派な裏切り者だ。
〝Knock、knock〟
昔ながらのシーリングスタンプにて封印をしていると、部屋をノックする音が聞こえてきた。
「はい、開いておりますので、どうぞご自由に」
木製の扉を開けて入ってきたのは、すっかり正妃が板についたアナスイ姫だった。
編み込んだ金の髪を後ろで縛り、他は素直に下ろすといった、少々地味な髪型。
服装に関しては、他の貴族が好む身体のラインが分かるような服ではなく、いつにもなくゆったりとした服を、今日は着こんでいる。どちらかと言うと、アナスイ姫はドレスを始めとした、女性向けの服装ではなく、作業がしやすいパンツスタイルが多かったのに。
ソウルラレイの街でのアナスイ姫の評判は、ものすごく高い。
王女様なのに殿下共々農作業を手伝ったり、手作り料理を民に分け与えていたり。
これまでの王族とは一線を画す彼女の行動は、市井の者たちの認識を改めさせるには、充分過ぎるほどだった。他にも、彼女には聖女としての側面も持ち合わせている。医師が見放した病気や怪我で苦しむ人たちを、彼女は治癒魔術ひとつで救ってしまう。
けれど、彼女は滅多なことでは治癒魔術を使用しなかった。
魔術の多用は、医療技術の発展を送らせてしまうから。
もっともなご意見だ。
「姫様、どうされたのですか?」
そんな、人望の塊のような人が、ショウエ大尉の部屋をこっそり訪ねてくる。
なにか、聞かれては不味い話なのだろう。
椅子をご用意すると、姫様は椅子に手を当て、しおらしく座った。
しばしの沈黙、これはきっと必要な沈黙なのだろうと判断し、黙る。
数分後、姫様は眉間にシワを寄せながら、ようやく重い口を開いた。
「あの、ショウエ大尉が、此度のカルマ帰郷にお供するとお聞きしまして」
「はい、間違いのない情報ですが、それがどうかされましたか?」
「……もしかして、要塞城ガデッサでの無通告火球魔術が、原因かなと」
細かいことを気にするお方だ。
確かに、ショウエ大尉は要塞城での防衛戦の時に、銅鑼の音を鳴らさずに火球魔術を放った。
完全に私情、アナスイ姫殿下を守る為に、本国が決めたルールを一度破っている。
「カルマは魔術師に対して、規則違反をとても厳しく処罰すると伺っております。もしそれが原因で呼び出されたのならば、私の方から嘆願書を出し、ショウエ大尉をお守りしたく思うのですが」
お優しいお方だ。
ほんと、呆れるくらいに。
「大丈夫ですよ、カルマが制定した戦時規則は、自国民にとても甘く作られております。例えばあの時であれば、私の命に危険が及んでいた、ということで、自救の為の魔術として温情が与えられるのです」
「そ、そうなのですか?」
「はい。戦時中であろうと、事前通告ありの火球魔術しか許可していない程に、カルマは自国民を守るのですよ? 魔術師への極刑は、余程でないと下されることはありません。ご心配して頂き、誠にありがとうございます」
そこまで語ると、大きい胸に手をあて、姫様は安堵の息をついた。
新しい領土の安定化、反魔術同盟とカルマの間にいる殿下を、たった一人で支える。
並大抵のことではない、それらをこなしてしまうのは、まさに深い愛があってこそだ。
姫様が部屋を出ると、ショウエ大尉の部屋は彼女一人の空間に戻った。
深く椅子に座り直し、背もたれにその身を預ける。
グレンが魔術大国カルマの王様になる。
それは、普通では成しえない事だ。
絶対に、何人もの助けが必要になる。
その中でも、カルマの国民である、ショウエ大尉の役目は、間違いなく重い。
誰もいない部屋の中、やっぱりショウエ大尉は、深くため息を吐くのだ。
「エリエント殿下に、同行したくないなぁ……」
小一時間前に漏らした言葉と、一言一句違わぬ言葉を吐き出しながら。
これは、一人の男が、やがて王と呼ばれる物語だ。
王の隣には、彼を慕う姫の姿があり、沢山の子供たちの姿もある。
頼れる沢山の部下の姿があり、王を鍛えた者たちの姿もまた、沢山あるのだ。
王とは、一人の力でなれるものでない。
数多の人の協力があってこそ、成しえるものた。
隻眼王。
魔術王。
歴史上、彼を表現する言葉は数多に存在するが、親しい者たちは誰一人として、彼をその名で呼ぶことはなかった。エリエント・ディ・カルマという、歴史に残る名前ですら呼ばなかったのだ。そこから彼のことを、贋作王と呼ぶ者まで現れたこともあったのだとか。
沢山の人に愛された王のことを、親しい者はこう呼んでいた。
「グレン」と。
「グレン」
「ああ、これからが、大変だな」
「はい。ですが、私は貴方となら、いつだって、どこにだって行けます」
「ありがとう、アナ……さぁ、次はこの国の王として、世界を股にかけて戦わないとだな」
魔術大国カルマは、いつしか魔法商業都市カルマへと、名前を変えた。
新王、エリエント・ディ・カルマの手腕によって、これまでの閉鎖的な国から、万人を受け入れる国へと、姿を変えたのだ。
彼の横には、常に愛妻の姿があったのだという。
そんな二人を民はよく見かけ、愛妻王、なんて呼ばれたりもしたとか。
これにて、物語は幕を閉じる。
幸せなまま終わった方が、後味が良い。
そう、陛下は良く、口にしていたのだから。
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