第四十九話 次の戦は

 梔子くちなしの街は俺達が羽根を伸ばすには十分な賑わいと彩を提供してくれた。


 趣向を凝らした料理の数々に舌鼓をうち、狛やハヌマンの要望で立ち寄った武器屋や花屋では、変わった品々の数々を目にすることもできた。

 武器屋では狛は店主を質問攻めにして、店主もそれに目を輝かせて語り合っていたあたり、彼女も鍛冶屋の娘なのだと改めて実感する。


 ハヌマンはハヌマンで珍しい植物を目にすると分かりやすく目が輝くので、見ている此方も嬉しくなってしまうほどであっ た。

 彼は今現在、蘇芳すおうの諸将の屋敷がある区画の外側に住んでいる。

 決して大きな家屋ではないものの、弟のビーマと趣味の園芸を楽しんでいるらしく、以前家にお邪魔したときなどは綺麗に手 入れされた園芸スペースを見ることが出来た。

 季節になれば、色とりどりの花が目を楽しませてくれるのだろう。


 カワベエと俺はと言えば、食べていることが多かった。

 武器や植物も魅力的だが、やはりその土地の食べ物は楽しんでおきたかったのだ。

 所謂買い食いを楽しめる店も多く、食べ歩きながら梔子くちなしの街を散策するのはちょっとした観光気分を楽しめる。


 温泉も多聞たもん様が自慢気に口にしただけあって整備が行き届いており、旅の疲れが湯に溶け込んでいくようだった。

 少しだけとろみのある湯が肌に絡みつき、体を心から温めてくれるのだ。

 湯上りの火照った体でも相変わらず距離の近い狛には少しばかり戸惑ったが、それを少しだけむくれた顔で止める凰姫こうひめ様も含め、まあ役得という事にしておこう。


 多聞たもん様などはその様子を見て、「若いっていいのう」などと言って扇子で口元を隠してくつくつと笑っていたし、今は楽しんでもらうのが吉だ。

 そうである以上、本人たちが楽しんでいるならわざわざ冷や水をかける必要もない。


 しかしそんな時間はあっという間だ。

 事態はいつだって唐突に訪れる。


 状況が変わったのは俺達が梔子くちなし領に入って一か月程経過した頃。

 残暑も鳴りを潜め、風が僅かに初秋の空気を運んでくるようになった頃だった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「桃殿。桃殿。麻呂と茶でも飲まぬか」

「はい?」


 その日も穏やかな日だった。

 羽を伸ばすよう言われていたとはいえ、休み過ぎては体も訛る。

 凰姫こうひめ様やハヌマン達と出かけるのもそこそこに、多聞たもん様から剣技を教わったり、鍛錬の面でもなかなかに充実した日々を過ごしていた。


 蘇芳すおうからの連絡は、梔子くちなしに来てからは特にない。

 多聞たもん様は何やら恵比寿えびす様とやり取りをしている様子だったから、なにかしら動いてはいたのだろう。


 そんな日々の中、今日も午前中は鍛錬に充て、午後は書庫にでも行ってみるかと考えてたところ、多聞たもん様から声を掛けられた。


 唐突な誘いに足を運んだ茶室には、俺と同じように呼ばれたのかおと殿もいた。


(……時代劇とかで見たことあるけど、異世界で体験するとは……。これも次元穴のお陰かぁ)


 厳密に見れば作法や手順などが色々と違うのだろうが、正しく時代劇で見るような茶席であった。

 次元穴から度々流れ着いて来る人や物は、遥か昔から色々な知識や文化をもたらしている。

 そういう他所から流れ着いたものを、この大陸の人々は自分たちの可能な範囲で独自に再現してきた。

 この茶もそうだが、カムナビでみられる日本風の文化はその結果根差したのだ。


「失礼いたします」


 挨拶とともに一つ礼をして、茶の席に上がる。

 多聞たもん様は「おお、桃殿。よう来られたの」と、茶器を用意していた多聞たもん様がにこやかに微笑む。


 俺とおと殿が呼ばれた、ということは、なにか凰には聞かせたくない話か。

 ほんの少し心の中で身構えながら、俺は多聞たもん様に示された通り茶の席についた。


「二人とも、突然呼び立ててすまなかったの。こう達ともう暫し梔子くちなしの空気を満喫してもらいたかったが」

「いえ、多聞たもん様のお陰で私共もゆっくり過ごせておりましたから」

「ほほほ、それは良かった」


 俺の言葉と、それに頷いて同意を示すおと殿に気を良くしたように多聞たもん様が茶を点てながら答える。

 その視線は逸らさず手際よく点てられていく茶が、僅かに気持ちの落ち着く芳醇な香りを運んでくる。


「さてさて、まずは一服。この際作法など気にせず、ぐいっと」

「では……」


 作法を気にせず、とは言ったものの、流石にあまりに無作法では恵比寿えびす様の顔に泥を塗ってしまう。

 勉強はしているから多少の作法は分かるが、実戦は別だ。

 仕方のない事ではあるが、領内で過ごし続けた経験不足がここに来て泣き所になってくる。


 どうしたものかとおと殿にちらりと視線を向ければ、彼女は座したまま、それっぽい所作でさして気にした様子も無く茶を口にしていた。


(……ええい、儘よ……!)


 おと殿の様子を見ても、最低限相手を不快にさせなければいい。

 覚悟を決め、今ある知識で精いっぱいのそれっぽさを演出しながら、俺は茶碗に口を付けた。



「結構なお手前で……」

「それは良かった。さて、一服したところで本題に入るかの」


 此方に向き直った多聞たもん様の顔が、これまでとは打って変わって真剣なものに変わる。

 その表情の変化に、俺とおと殿も改めて姿勢を正し居直った。

 もともとただ呼ばれただけとは思っていなかったが、やはりなにか込み入った話のようだ。


「結論から言おう。戦じゃ」


 その一言に、俺は音も無く息を飲みこむ。

 先ほど茶で温まった胸が、スッと冷える感覚があった。


「……瑠璃るり領が、動きましたか」

「うむ。望月衆からもたらされた情報によれば、あくまで動き始めたというだけじゃが……」

蘇芳すおうは?」

「既に恵比寿えびすが指揮を執って動いておるよ。梔子くちなしの兵達の編成も滞りない。寧ろ準備しきれておらんのは向こうの方じゃろう」

「矢車城での敗戦は、人寿郎じんじゅろう側には手勢を集めるうえでも手痛かったでしょうからね」

「左様じゃ。故に我が領の工作部隊と蘇芳すおうの望月衆とで、周辺の諸将をすでに丸め込んでおる。先の戦いで様子見を決め込んでいた連中も、これで味方となった。信用は出来んがな」

「つまり相手は諸将を取りこんで防衛線を築くこともままならなくなり、焦っていると」

「で、あろうな。様子見を決め込んでいた連中は吉祥きっしょうの状況が悪かった故に日和っておったが、それが改善して大義も此方にあるとなれば当然こちらにつく」

「先の戦で、様子見を決め込んでいた者達も人寿郎じんじゅろうを見限ったというわけですね」


 多聞たもん様の言葉に、おと殿が付け加えるように同意する。

 確かに、一見すれば勝ちの状態で逆転されたあの戦いで、人寿郎じんじゅろうの求心力は更に落ちただろう。

 酒呑童子や吉祥きっしょう様の話によれば、人寿郎じんじゅろうの周囲は彼に同意した妖怪達がいるというが、それだけでは状況を逆転させるのは難しい。


 瑠璃るり領の諸将の力関係はよく把握しているわけではないが、人寿郎じんじゅろう側に靡いていた将たちがいたとすれば、今回の敗戦を受け て考え直さざるを得ないはず。

 ただでさえ寄せ集めだった兵も多く失い、時間的にも状況的にも、十分に兵力を回復できているとは考えにくい。

 まだ本拠地を手中に収めているとはいえ、相手からすれば状況はかなり悪い筈だ。


「兵の確保も期待できず、時間をかければむしろ状況は悪化する。となれば乾坤一擲けんこんいってきで挑むしかない。ということですか」

「そういうことじゃろうな。現に望月衆や梔子くちなしの斥候の報告では、人寿郎じんじゅろうと主力部隊が動き始めておるというし」

「ここで全力を投じてこちらの主力を獲れば、この戦闘力に優れる妖怪達がいる人寿郎じんじゅろう側にも勝ちの目が出てくる……ってわけですか」

「うむ。実質此処で今後の趨勢がある程度決まるであろうな。まあ三つの領で連携してあたるという事になった訳じゃし、此方も全力で潰せばよい」


 笑顔のままさらりと言った多聞たもん様だが、纏う空気ががらりと変わる。

 直接殺気を向けられたわけでもなければ、敵意を向けられたわけでもない。

 それでも突然喉元に刃を突き付けられたような、あまりにも唐突な緊張感があった。


 笑顔のままというのが尚恐ろしい。


「では、直ぐに私達も蘇芳すおうへ帰る準備を」

「まあ、待たれい」


 どうにか纏わりついてきた緊張を振り払って、立ち上がろうとしたところを多聞たもん様に制される。

 その声に俺も、同じように立とうしていたおと殿もピタリと動きを止めた。


「此度は桃殿とおと殿及び浦島衆には、梔子くちなしから出撃してもらう」

梔子くちなしから、ですか」

「うむ。このまま互いに軍を出せば、恐らくは瑠璃るり領の木下きしも川のあたりでぶつかることになる」

「野戦ですか」

「その通りじゃ。そして川を挟んでの対峙となれば、先に仕掛けた方が不利となる。そこで其方には南東の木下きしも城を攻めてもらいたい」

「挟撃を避ける為ですか」

「それもある。が、なによりも奴らを誘い出して先に仕掛けさせたい。多くの諸将が敵に回った状況で、未だ味方に付いてくれている木下きしも城を見捨てることなど、出来ぬだろうからの」

「ただでさえ落ちている求心力が地の底まで行って、さらに離反者が出かねないってことですか」


 理屈は分かる。

 多聞たもん様の言う通り、向こうも乾坤一擲けんこんいってきの全力で来るのであれば、出し惜しみなどしない。

 だが川を挟んでの対峙となれば、先に兵を動かした軍は不利となる。

 先行部隊がどうしても渡河に時間を取られて詰まってしまうからだ。

 だからこそ、多聞たもん様は先に相手が仕掛けざるを得ない状況を作りたいのだろう。


 我が意を得たりと言わんばかりに多聞たもん様は頷き、一口茶を飲むと茶碗を脇に置いて続けた。


「あそこは今人寿郎じんじゅろうの軍事物資の管理拠点になっているようでな。相手としても重要拠点じゃ。捨て置くことはあるまい」

「なるほど」

「そしてもう一つ。あそこには麻呂お抱えの鍛冶師の兄弟が捕らわれておっての。その救出も頼みたい」

「鍛冶師。ですか」


 成程、多聞たもん様お抱えの鍛冶師の縁者であれば、腕もいいのだろう。

 しかしそれだけで軍を動かす程の理由になるかと言えば疑問ではある。

 すると俺の疑問を多聞たもん様は読んでいたようで、その疑問に答えるように続けていく。


「実はその鍛冶師は一本鑪いっぽだたらという妖怪での。腕の良さも一級品じゃが、特殊な武器を手早く作ることも出来る故にそのままにしておくわけにもいかんのじゃ」

「そういうことですか。わかりました」

「で、城を落とした後は本隊の加勢という訳じゃ、桃殿にはその別動隊の指揮官として動いてもらいたい」

「また重要な上に忙しい立ち位置ですね……」

「なに、恵比寿えびすの許可は得ておるし、既に浦島衆も此方に向かっておるとのことじゃ。麻呂の軍も出す故、心配いらぬよ」

「は。ご命令、承りました」


 そうはいったものの、また重責を担う形となり、正直心の内は穏やかではない。

 浦島衆に多聞たもん様の軍、確かに心強い援軍だ。

 しかし俺自身が間違えれば、多くの将兵の命が危険に晒される。

 先の矢車城の戦いとはまた別の重みに、思わず頭を抱えそうだ。


「桃殿、大丈夫です。私達も居りますし、狛殿やハヌマン殿もおりますから。どうかお一人で背負い込まぬ様。姫様からも、もう少し甘えるべきだと言われたのではありませんか?」

おと殿……。ありがとうございます。仰る通りですね」

「ええ。それから凰姫こうひめ様の事も、頼ってあげてください。あの方も桃殿を支えたいと思っている一人なのですから」

「そうですね。姫様も、だんだんと逞しくなってきてますから」


 おと殿の言葉に、ほんの少し肩の力が抜けた。

 どうやら柄にもなく一人で抱え込んでしまっていたようだ。

 多聞たもん様だって、そんな事をさせないよう恵比寿えびす様とやり取りをして、この土台を作ってくれている。

 自分はまだまだ発展途上の身だ。この世界で戦い抜くなら、一人で抱え込むなど論外なのだ。

 ましてや、戦は一人ではできないのだから。


 すこしだけ力が抜けた俺の顔に、おと殿や多聞たもん様も安心したのか表情を緩める。


「心は決まったようじゃの。まずは梔子くちなし蘇芳すおうの領境にある砦で、浦島衆や他の部隊と合流してほしい」

「わかりました。すぐに部隊を纏めて向かいます。凰姫こうひめ様はどうしましょう」

「ふむ。そのことじゃが、今回はこうもいっしょに連れて行ってやってくれぬかの」

「……危険では?」

「危険じゃな。じゃがそれ以上にあれの力は今後桃殿の役に立つであろうよ。あの笛の力を引き出すには多少の荒事も必要になる。戦の空気に触れさせるのもまた勉強であろう。恵比寿えびすに話も通してある。最も、凰が傷つくのは麻呂も、当然恵比寿えびすも望んでおらぬ。其方が守れ」

「分かりました。必ず守ります」

「私も及ばずながら、引き続き姫様と桃殿の力になりましょう」

「頼む。では早速準備を済ませたら向かってくれ」


 多聞たもん様の言葉に背を押されるように、俺とおと殿は立ち上がった。

 まずは関係者に説明だ。

 凰姫こうひめ様への説明はおと殿が請け負ってくれるとのことだし、俺も多聞たもん様から受けた使命をハヌマンと狛に話さなければならない。


 羽を伸ばすのは終わりだ。

 茶室を出ると同時に息を深く吐いて、俺は二人の訓練している訓練場へ足を向けた。

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