第四話 後編 宿題
打ち合いの稽古を始めてからしばらくした頃、一寸殿が動きを止めて休憩を薦めてきた。
言われてみれば日が高くなってから随分と打ち込みをしていた気がする。
領主の息子ともなれば俺とは責任の大きさも違うだろうし、本人は事務仕事が苦手な気質のようだから無理もない。
一寸殿に倣って縁側に腰を下ろすと、彼は室内へ上がっていくなり丸盆をもって帰ってきた。
盆の上には金平糖と緑茶。なんとも安心する組み合わせだ。
「遠慮なく食べられよ」
「あ、いただきます」
「桃殿は先日の魔猪退治で水の魔法を使ったとか」
「ええ。まだ練習中だったんですけどね。なんとかなりました。」
金平糖を舌で転がしながら一寸殿の唐突な話に答え、小さくなってきたころにかみ砕いて緑茶で流し込む。
「私も水の性質の魔法を扱う故、幹久殿から話を聴いた時は驚いたものだ」
「そうなんですか?」
「触れたものを凍結させるだけの単純な物故、桃殿のように器用な事はできぬがな」
「器用だなんて……、うちの爺様はたしか風属性の魔法でしたっけ?」
褒められたのが歯がゆくて話題を変える。
幹久爺様の扱う魔法について風の魔法を扱うことだけは本人から聴いていたが、実際に観たのは先日の魔猪退治の最後に観たあの一撃だけだ。
それも一瞬だったので、あとから聴いて初めて魔法を使っていたことを理解したぐらいだ。
「うむ。幹久殿の魔法は風。矢羽根を媒体とし矢尻に呪文を刻む事で発動させておる」
「成程……、矢をつがえる動作と呪文自体が魔法を発動させるトリガーになってるのか……」
爺様の風魔法が矢にどんな効果をもたらしているのかまでは分からないが、先日の威力もそれなら納得できる。
自分も魔法を使って魔猪へ攻撃を加えたが、まだまだあの領域には遠い。
だからなのだろうが、魔猪退治の報告の際に魔法を使ったことは特に細かく聴かれた。
どんな魔法を使ったのか、どれほどの規模の物なのか等だ。
使った俺本人は勿論、近くでそれを観ていた勇魚視点の話も含めて根掘り葉掘りだったので、家中にもそれなりにどんな魔法を使ったか知れ渡っているだろう。
「ところで桃殿は魔法についてどこまでご存じかな?」
「え?んと。『魔法は自然エネルギーを利用する』『誰にでも使えるが素質や魔力量及び得意となる性質の種類と数は血筋や本人の精神性に依存する』『魔法を使うには属性を連想する媒介となるアイテムと呪文や魔法陣といった指向性を与えるイメージが必要になる』基本はたしかこんな感じですよね」
この世界を取り巻く自然エネルギーは地水火風の性質を持つ。
魔法はそれらのエネルギーを取り込み、自分自身の魔力とすることで水や風を生み出して転用する。
そしてその性質は本人の精神性と血筋に由来する。
この世界……少なくともこの大陸の人間は全て魔物の血をついでいると言っていい。
人と魔物が子を成すことは、この世界では決して珍しくないのだ。
大陸の人間は何かしらの魔法性質を持ち、何かしらの魔物の血を濃く継ぐ。
そして濃くなる魔物の血は、必ずしも近しい血族からでるとは限らず、何世代も前の魔物の血の因子が濃く出ることもある。
さらに言えば多くの場合古代から紡がれてきた血統の中で様々な魔物の血が混ざっているため、その性質や強さもランダムだ。
先祖の中に強力な魔物と交わったものがいたとしてもその性質が受け継がれるとは限らず、強力な魔法を扱えるかどうかは運の要素も大きいのだ。
いずれにせよ、引き継ぐ魔物の性質は例えるならソーシャルゲームのガチャのようなものだ。
自分の血筋はピックアップされているキャラクターやアイテムで、そのなかに強力なものが含まれているかはわからない。
含まれていたとしてもそのなかから強力な血の性質を受け継げるかは、単発ガチャでSSRを引くようなものだ。
「左様。流石、よく理解しておられる。」
「理屈を理解してるだけですよ。実戦はまだまだです。」
「それでも先日の魔猪討伐の折には桃殿の魔法が大層役に立ったと勇魚様が申しておった。その歳で話に聴いたような器用な魔法の扱いはなかなか……。桃殿はどうやら同じ年頃の者たちに比べて精神が落ち着いているようですな」
「だと嬉しいですね。でもただ捻くれてるだけかもしれないし、落ち着いているってよりずっと余計なことを考えてて鈍いだけかも」
「ほう。余計なことを」
実際他の同年代よりは精神的には落ち着いてると思う。生前生きた分を合わせれば当然だ。
それでもその賞賛を素直に受け取れずに濁したのは、自分が素直に受け取っていいものなのか分からなかったからだ。
「うん。具体的に何をて言われると言葉にできないんですけどね。」
それは嘘だった。
具体的に言葉にできなくとも、どうしてそんな感情を抱いているのか自分は理解している。
自分はこの世界で自分を大切にしてくれる人達に対してまだちゃんと向き合えていない。
かつて生きていた世界で自分は確かに死んだ。
今桃として育てられている自分は、本来の桃ではない。
ある意味では彼らを騙した上で、自分は桃として育てられ生きている。
正真正銘健康な肉体を得た自分はいいが、本来の桃は結局どうなったのだろう。
あるいは、偽物の桃として生きることを許されなくなった時、自分は果たして何者として生きていけばいいのだろう。
考え過ぎなのかもしれないけれど、考えてしまう。
その思いに対して答え等あるはずもなく、時折泡のように浮かんで消えていく葛藤を抱え込んでいるだけなのだ。
「桃殿の言うものがどのようなものかは解らぬが、今はそれでもよいのであろう。桃殿のこの先の人生で、答えを少しずつ掴み取って、折り合いをつけていけばよい」
「この先……できますかね?」
「其方は私に何度転がされても立ち向かってくるひた向きさがある。そのひた向きさを忘れなければ大丈夫だ。其方は其方らしくあればよい。そうさな。其方がいつも其方らしくあること。それを私からの宿題としておこうか。ただ……」
「ただ?」
「戦いの最中は集中した方がよいですな。今はまだ心に乱れが見られます故」
「集中して、戦い続けて、この領で功績を上げ続けたら、大穴へ行く機会もあるでしょうか」
「桃殿は大穴に興味がお有りか?」
「そうですね。有るかもしれません。次元穴って、時間も空間も関係ないっていうじゃないですか。ひょっとしたら俺の産まれたときのことも色々分かるんじゃないかと思って」
「産まれたときの……それは御館様からいずれお話があるかと思うが」
俺が産まれたときのことは、御館様からは時を見て話すと言われている。
一寸殿の指摘は間違っていない。
けれど知りたいのはそこではない。
自分がどうしてここにきて、桃に成り代わったのか。
そして彼の魂が結局どうなったのか、その手掛かりが得られるかもしれない。
「まあ、そうなんですけどね。御館様が知らないことも、分かるかもしれないから」
俺はなんだか気まずくなってしまって、叱られた子供のように手に持った湯呑へ視線を落とし、呟く。
視線を落としたことで一寸殿の表情は見えないが、こちらへ視線を向けていることは分かる。
その気配は先ほどから変わらず穏やかだったが、今はこの少しの静寂がなんだかもどかしかった。
「其方に知りたいことがあるのならば、御館様も止められはすまい。いずれにせよ、今は力を付け、技を鍛え、心を磨き、御館様に其方の成長を見せることだ」
「とにかく鍛えろってことですか……」
「其方は強くなる。私が保証しよう。」
空に目を向けたままそういった一寸殿は少し笑っているように見えた。
「……心に留めておきます」
金平糖を掴んで湯呑を手に取る。
勇魚はそろそろきりの良いところまで事務仕事を終えただろうか。
貰った金平糖を残しておいて、あとで持って行ってやろうか。
初夏の気配を感じるすこしぬるい風が通り抜けて髪を揺らすのを感じながら、俺は急須に残ったお茶を湯呑に移して飲み干す。
飲み干したお茶は先ほどよりも幾分か濃く、渋くなっていた。
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