第四話 桃 宿題を出される

「今度こそ間違いない。死んでおる。」

「「よかった……!ほんと良かった……!」」


魔猪の身体を検めた爺様の言葉に勇魚いさなと二人ホッと胸をなでおろす。


「この傷、やったのは桃か?」

「腹の傷の事ならやったのは俺だよ」

「そうか……、まあなんにせよようやった。勇魚様もお見事でしたな」

「致命傷与えたのは花咲殿だけどな。むしろ逸れてすまなかった。桃はともかく供を任された俺まで思わず逃げちまった」


苦笑しながら勇魚が言う。


「それを言うなら俺真っ先に逃げちゃったから、俺が悪いよ」

「左様。それに供を任されておきながら逸れてしまったのはわしも同じ故、勇魚様も気になさられますな。

 それよりも今は穴を塞ぎに行き、魔猪を討伐したことを集落の物に知らせてやらねばなりますまい」

「爺様、穴の場所はわかるの?」

「お前たちを追う最中に見つけてな。あちらこちらで木々をなぎ倒してくれたおかげで却ってわかりやすかったわ」


魔猪が生まれる原因となった次元穴の場所を知っているような口ぶりが気になって問いかけると、爺様がいたずらっぽく親指で方角を示して見せる。

爺様も魔法が使えるから見つけて直ぐに塞げたはずだが、こちらに来ることを優先してくれたらしい。

言われた方角に向かってみれば確かにそこにはひび割れたような穴が空間に空いていて、中からは幾重にも黒を重ねたような闇が続いていた。


「ん?これは……」


足元に何か硬いものがあたった。

石でも蹴ったかと思って目をやれば、そこには森林の中には異質な金属の色。

手のひらサイズのそれを拾い上げてみれば、それは前世でよく目にしたものだった。


「……スマホか……?」


この次元穴は自然エネルギーのバランスを崩す以外にも様々な次元の人や物を此方へ呼び寄せてしまうことが知られている。

それは時間や空間を問わず、様々な時空から人や物を呼び込んでこの世界に変化をもたらすこともあった。

このカムナビの国の文化も、数百年前に起こったという大天災を鎮めた英雄の中にいた異世界人がもたらしたものが元になっているというから、かつて自分と同じように日本人がこの世界に来たのかもしれない。

文化だけではない。

一部の魔物や食べ物の名前なんかも、異世界人がもたらしたと言われているものがいくつもある。日本で見慣れたものに限らず、カムナビの首都なんかに行けば洋菓子や外来の言葉が元であろう物も見られる程だ。


「なんだそれ?」

「次元穴で別の世界のものが飛んできたみたいだ。一応持って帰って御館様に見せよう。とりあえず穴塞がないと」

「おう。まあそうだな」


実際にスマホかどうか、電源も付かないのでわからない。

そもそも使い物にならないだろうし、スマホといっても伝わらないだろうから少しぼかして勇魚に伝える。


「塞ぎ方はわかるな」


一方で爺様はさして気にした様子も見せず、こちらに塞ぎ方の確認をしてきた。

次元穴の近くに見慣れないものが落ちているのは珍しい事ではないからだろう。


「勿論」


とりあえず納得したといった様子の勇魚に続いた爺様の言葉に短く答えると、再び魔力を作り出す。

穴を塞ぐ方法。といっても特別な何かをするわけではない。

穴の大きさに応じた魔力…要するに魔法をぶつけるだけである。

理屈はよくわからんが、とりあえずそれで塞がるのだ。

この大きさであれば最初に使った<鉄砲雨>が丁度いいだろう。

いくつかの水弾を作ってそれを穴に向かって撃ち込むと、ひび割れた空間は歪んで元の形に戻っていった。


「これでよしっと。二人のおかげで失敗せずに任務を果たせた。ありがとう」

「おう、桃もこれで初陣デビューできるな!おめでとう!」

「これからは桃にももっと働いてもらわんとな」


ようやく少しは期待に応えることが出来たと思う。

この世界に来て、蘇芳すおうで救われ迎え入れられた。

未だにこの体の主に罪悪感を抱えている俺は、別の世界の記憶を持っている為に桃という人間になり切れていない節がある。

本来の桃でない自分を家族のように扱ってくれる彼らに、少しは報いることが出来ただろうか。

勇魚と拳を突き合わせると、爺様がそれに合わせて冗談めかしていってみせる。

その言葉に笑って俺は答えたつもりだったが、その表情はすこし曖昧な笑みだっただろう。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


銭取峠での魔猪退治から数日。

魔猪の死体は魔獣化の影響で自然エネルギーとして還っていったが、純粋な魔物ではない為幾らか残った皮や肉は残る。

集落の民たちにそれらを持ち帰りれば狂暴な魔猪討伐の報に集落の民は大いに喜び、数々の感謝の言葉を背に俺達三人は戻ってきた。

そして現在、俺は木剣を片手に稽古……もといしごかれている最中である。


「踏み込みが足らぬ」

「ぐえ」


今度こそと振り抜いた木剣はあっさりと空を切り、背中に鈍い痛みが走る。

こんな流れをすでに何十回も繰り返していた。

今頃体は痣だらけだろう。

目の前には一人の老人。

背丈だけで言えば凰姫様こうひめとそう変わらないほどに小柄なこの老人は獲物を狙う鷹のような眼差しに、刃のような冷たい光を称えて此方から視線を逸らさない。

その名を打出一寸と言う。

灰色の総髪は綺麗に撫で付けられており、その佇まいと同じように一切の乱れが感じられない。

幹久の爺様と同年代であり、同じく譜代の家臣として恵比寿様に仕えている人物だ。

剣術に精通しており、その名声はカムナビ国内外問わず轟いている。

恐ろしいのは剣術以外にも格闘術や槍術といった武芸全般や戦略にも通じているところだろうか。

戦いの際には勝つことを第一としており、必要となれば不意打ち等にも躊躇いがないという。

本人曰く弓は幹久の爺様が数段上と言っていたが、それにしたってその万能さは家中でも飛びぬけており、剣聖だとか百手ひゃくしゅだとか色んな異名を持っているのがこの人物だった。

幹久爺様がこの世界の教養や常識を教えてくれた師なら、こちらは武術の師であり、俺も勇魚も幼いころから手ほどきを受けている。


最初は槍の訓練だった。

なぜ槍が最初なのかと聴いたところ、「戦の基本であり、最も使われる武器だから」と返されたのを覚えている。

実際、戦は生前想像していたようなものではない。

槍で叩き、払い、隙があれば突き殺して近づかれれば投げ、組み伏せて短刀で首をかき切る。

鎧は前世で言う南蛮鎧に近いものから西洋鎧のようなものまで様々だが、いずれにしても着込んだ相手に対しては有効打を与えることが難しくなるため、

いかにして相手の身体に刃を叩き込むかが重要だった。

数ある武器の中でも戦が初めての人間から勇猛果敢で武名を轟かせる猛将まで、そして大陸の場所を問わずもっとも使われる武器が槍なのだ。

扱いが様になったころ武器を持たずに近接格闘の訓練をして、投げや関節技といった組討ちや徒手空拳での技を教えられた。

ようやく実戦形式の打ち合いの訓練を行う頃には俺も勇魚もそれなりの動きになっていたと思うのだが、一寸殿相手にはいつもあっさり地面に転がされていた。


やがて剣術の訓練も行うようになる頃には、俺と勇魚はお互いに扱う武器をなんとなく決めていた。

お互いにそれなりに武器を扱ってみて、なんとなく自分がやりやすいのがどちらか気が付いたのだと思う。

気が付けば俺は剣を中心に、勇魚は槍を中心に特訓していた。


魔猪討伐の報告を恵比寿様に終えた際、恵比寿様は口角を僅かに上げてよくやったと誉めてくれた。

同時に次は初陣に出してやると言われてちょっぴり浮かれていたのだが、引き続き鍛えておくよう言われたのもあって改めて特訓中というわけだ。

普段から鍛錬は欠かさずにやっているつもりだが、初陣のこともあって熱が入る。

頼まれていた事務仕事をさっさと終えて、勇魚より一足先に一寸の指導を受けていた。

事務仕事といっても当然パソコンなど無いのだが、やることの性質は似たようなものだ。

税務管理や住民からの要望の整理等、公務員だった生前の経験が結構生かせたりするのがありがたい。

今現在、各地で人手不足が続いている。

この蘇芳も例外ではなく、十六年前の大災害で領民だけでなく家臣団にも大きな被害があったという。

実際このように若輩の俺たちにここまで色んな事務仕事が回ってくるのは、人手不足故に家臣の多くが各地に出払っているからだ。

覚えるべきことも、こなすべきことも多い。

自分は前世の経験が生かせる分まだましだが、勇魚などは領主の長男という立場もあって更に大変だろう。

今回もそんな勇魚の仕事も手伝おうとしたのだが、「ありがたいけど、俺がやるべきことだし、覚えなきゃいけないことだ」と固辞されてしまった。

そんなわけで現在はマンツーマンで一寸殿から指導を受けている。


「……ふっ!」


短く息を吐きだし、再度木剣を手に打ち込みにかかる。

一寸殿はそれを最小限の動きで躱すのを見てさらに踏み込み、時折蹴りや間接を取ろうと試みたりもしたが悉く不発だ。

それでも楽しさや嬉しさが勝るのは、生前碌に運動できない体だった反動だろか。


「でぇえええい!!!」

「遅い」


一瞬隙が見えた気がして振り下ろした渾身の一撃も、一寸殿の手にある木剣で力をいなされる。


「あ」


そう思った時にはもう遅い。

師の手にある木剣の柄が流れるように鳩尾に突き込まれ、衝撃と共に空気を吐き出した俺は再び地面に転がり悶えた。

楽しかろうがなんだろうが、痛いものは痛いのだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


打ち合いの稽古を始めてからしばらくした頃、一寸殿が動きを止めて休憩を薦めてきた。

言われてみれば日が高くなってから随分と打ち込みをしていた気がする。

勇魚はまだ事務仕事に苦戦中なのか、今のところ顔を出していない。

領主の息子ともなれば俺とは責任の大きさも違うだろうし、本人は事務仕事が苦手な気質のようだから無理もない。

一寸殿に倣って縁側に腰を下ろすと、彼は室内へ上がっていくなり丸盆をもって帰ってきた。

盆の上には金平糖と緑茶。なんとも安心する組み合わせだ。


「遠慮なく食べられよ」

「あ、いただきます」

「桃殿は先日の魔猪退治で水の魔法を使ったとか」

「ええ。まだ練習中だったんですけどね。なんとかなりました。」


金平糖を舌で転がしながら一寸殿の唐突な話に答え、小さくなってきたころにかみ砕いて緑茶で流し込む。


「私も水の性質の魔法を扱う故、幹久殿から話を聴いた時は驚いたものだ」

「そうなんですか?」

「触れたものを凍結させるだけの単純な物故、桃殿のように器用な事はできぬがな」

「器用だなんて……、うちの爺様はたしか風属性の魔法でしたっけ?」


褒められたのが歯がゆくて話題を変える。

幹久爺様の扱う魔法について風の魔法を扱うことだけは本人から聴いていたが、実際に観たのは先日の魔猪退治の最後に観たあの一撃だけだ。

それも一瞬だったので、あとから聴いて初めて魔法を使っていたことを理解したぐらいだ。


「うむ。幹久殿の魔法は風。矢羽根を媒体とし矢尻に呪文を刻む事で発動させておる。」

「成程…、矢をつがえる動作と呪文自体が魔法を発動させるトリガーになってるのか……」


爺様の風魔法が矢にどんな効果をもたらしているのかまでは分からないが、先日の威力もそれなら納得できる。

自分も魔法を使って魔猪へ攻撃を加えたが、まだまだあの領域には遠い。

だからなのだろうが、魔猪退治の報告の際に魔法を使ったことは特に細かく聴かれた。

どんな魔法を使ったのか、どれほどの規模の物なのか等だ。

使った俺本人は勿論、近くでそれを観ていた勇魚視点の話も含めて根掘り葉掘りだったので、家中にもそれなりにどんな魔法を使ったか知れ渡っているだろう。


「ところで桃殿は魔法についてどこまでご存じかな?」

「え?んと。『魔法は自然エネルギーを利用する』『誰にでも使えるが素質や魔力量及び得意となる性質の種類と数は血筋や本人の精神性に依存する』『魔法を使うには属性を連想する媒介となるアイテムと呪文や魔法陣といった指向性を与えるイメージが必要になる』基本はたしかこんな感じですよね」


この世界を取り巻く自然エネルギーは地水火風の性質を持つ。

魔法はそれらのエネルギーを取り込み、自分自身の魔力とすることで水や風を生み出して転用する。

そしてその性質は本人の精神性と血筋に由来する。

この世界……少なくともこの大陸の人間は全て魔物の血をついでいると言っていい。

人と魔物が子を成すことは、この世界では決して珍しくないのだ。

大陸の人間は何かしらの魔法性質を持ち、何かしらの魔物の血を濃く継ぐ。

そして濃くなる魔物の血は、必ずしも近しい血族からでるとは限らず、何世代も前の魔物の血の因子が濃く出ることもある、


さらに言えば多くの場合古代から紡がれてきた血統の中で様々な魔物の血が混ざっているため、その性質や強さもランダムだ。

先祖の中に強力な魔物と交わったものがいたとしてもその性質が受け継がれるとは限らず、強力な魔法を扱えるかどうかは運の要素も大きいのだ。


いずれにせよ、引き継ぐ魔物の性質は例えるならソーシャルゲームのガチャのようなものだ。

自分の血筋はピックアップされているキャラクターやアイテムで、そのなかに強力なものが含まれているかはわからない。

含まれていたとしてもそのなかから強力な血の性質を受け継げるかは、単発ガチャでSSRを引くようなものだ。


「左様。流石、よく理解しておられる。」

「理屈を理解してるだけですよ。実戦はまだまだです。」

「それでも先日の魔猪討伐の折には桃殿の魔法が大層役に立ったと勇魚様が申しておった。その歳で話に聴いたような器用な魔法の扱いはなかなか……。

 桃殿はどうやら同じ年頃の者たちに比べて精神が落ち着いているようですな」

「だと嬉しいですね。でもただ捻くれてるだけかもしれないし、落ち着いているってよりずっと余計なことを考えてて鈍いだけかも」

「ほう。余計なことを」


実際他の同年代よりは精神的には落ち着いてると思う。生前生きた分を合わせれば当然だ。

それでもその賞賛を素直に受け取れずに濁したのは、自分が素直に受け取っていいものなのか分からなかったからだ。


「うん。具体的に何をて言われると言葉にできないんですけどね。」


それは嘘だった。

具体的に言葉にできなくとも、どうしてそんな感情を抱いているのか自分は理解している。

自分はこの世界で自分を大切にしてくれる人達に対してまだちゃんと向き合えていない。


かつて生きていた世界で自分は確かに死んだ。

今桃として育てられている自分は、本来の桃ではない。

ある意味では彼らを騙した上で、自分は桃として育てられ生きている。


正真正銘健康な肉体を得た自分はいいが、本来の桃は結局どうなったのだろう。

あるいは、偽物の桃として生きることを許されなくなった時、自分は果たして何者として生きていけばいいのだろう。


考え過ぎなのかもしれないけれど、考えてしまう。

その思いに対して答え等あるはずもなく、時折泡のように浮かんで消えていく葛藤を抱え込んでいるだけなのだ。


「桃殿の言うものがどのようなものかは解らぬが、今はそれでもよいのであろう。

 桃殿のこの先の人生で、答えを少しずつ掴み取って、折り合いをつけていけばよい」

「この先……できますかね?」

「其方は私に何度転がされても立ち向かってくるひた向きさがある。そのひた向きさを忘れなければ大丈夫だ。其方は其方らしくあればよい。

 そうさな。其方がいつも其方らしくあること。それを私からの宿題としておこうか。ただ……」

「ただ?」

「戦いの最中は集中した方がよいですな」

「集中して、戦い続けて、この領で功績を上げ続けたら、大穴へ行く機会もあるでしょうか」

「桃殿は大穴に興味がお有りか?」

「そうですね。有るかもしれません。次元穴って、時間も空間も関係ないっていうじゃないですか。ひょっとしたら俺の産まれたときのことも色々分かるんじゃないかと思って」

「産まれたときの……それは御館様からいずれお話があるかと思うが」


俺が産まれたときのことは、御館様からは時を見て話すと言われている。

一寸殿の指摘は間違っていない。

けれど知りたいのはそこではない。

自分がどうしてここにきて、桃に成り代わったのか。

そして彼の魂が結局どうなったのか、その手掛かりが得られるかもしれない。


「まあ、そうなんですけどね。御館様が知らないことも、分かるかもしれないから」


俺はなんだか気まずくなってしまって、叱られた子供のように手に持った湯呑に視線を落とし、呟く。

視線を落としたことで一寸殿の表情は見えないが、こちらへ視線を向けていることは分かる。

その気配は先ほどから変わらず穏やかだったが、今はこの少しの静寂がなんだかもどかしかった。


「其方に知りたいことがあるのならば、御館様も止められはすまい。いずれにせよ、今は力を付け、技を鍛え、心を磨き、御館様に其方の成長を見せることだ」

「とにかく鍛えろってことですか……」

「其方は強くなる。私が保証しよう。」

空に目を向けたままそういった一寸殿は少し笑っているように見えた。


「……心に留めておきます」


金平糖を掴んで湯呑を手に取る。

勇魚はそろそろきりの良いところまで事務仕事を終えただろうか。

貰った金平糖を残しておいて、あとで持って行ってやろうか。


初夏の気配を感じるすこしぬるい風が通り抜けて髪を揺らすのを感じながら、俺は急須に残ったお茶を湯呑に移して飲み干す。

飲み干したお茶は先ほどよりも幾分か濃く、渋くなっていた。

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