第三話 前編 魔猪

 岩の塊のようにも見えるその陰の主には先ほどの三匹以上に禍々しく三又にうねる牙。

 身体にはいくつもの茸や苔が生えており、背中の毛は怒りで逆立っているようにも見えた。

 見上げるほど大きなそいつは2メートルを確実に超えている。

 恐らくは勇魚勇魚の身長よりも頭2つ分は大きいであろう巨体の猪がそこにはいた。


 これは完全に魔獣化している気がする。

 魔獣化している猪だから、魔猪まちょとでも呼ぼうか。


「……あの、もしもし?ひょっとしてそこの三匹。あなたの子供たちだったりします?」


 威圧するような眼差しを少しでもごまかそうと、軽口を叩く。

 その言葉に当の化け猪は蹄で地面を2回かいた。

 一応返事なのだろうか?


「……もしかして、ものすっごく怒ってらっしゃる?」


 荒い鼻息と唸り声と共に、再度地面をかくこと2回。


「……やっぱり、僕らを襲おうとか思ってたり……?」


 今度は返事はない。

 否、返答の代わりとでもいうかのように化け猪はロケットのように走り出す。


「「ぎゃあああぁぁああ!!」」

「待てお前たち!!そっちは……」


 爺様が叫ぶも俺達に立ち止まる余裕も耳を傾ける余裕もなかった。

 魔猪に追われた俺達は山の中とは思えぬ速度で走り出し、魔猪もそれに続いて猛進する。


 当然障害物など歯牙にもかけていない。

 猛り狂ったかのように猛追してくるその姿は大きさもあって暴走するトラックのようだ。


 しかも厄介なことに、今度は先ほどの三匹と違ってきっちり方向も丁寧に修正してくる。

 その上此方は足場の悪さと視界の悪さで逃げ回るのにも限界がある。

 現に今必死に気配を探りながら1つの場所に留まらないよう走り続けているが、藪に遮られているのか相手の姿はいつの間にか見えない。


「うわ!桃!前前前前!!」

「げぇ!」


 勿論撒いたなんて都合のいいことは無い。

 いつの間にか化け猪は正面に回り込んできていた。

 狂暴性もさることながら、どうにも自分たちを獲物として狩りを楽しんでいる様子だ。

 明らかに知能も高くなっている。


「質の悪いやつめ……!」


 行く手を遮られて思わず吐き捨てる。

 魔猪は自分たちを格下と思っているのか、牙を振りかざしたりするような様子はない。

 だがまるで嘶く馬のように前足を持ち上げ始めるのを見て、嫌な予感がした。


「桃、なんかやばそうだぞ……」

「同感……」


 猪はこんなポーズしないだろう。多分。

 見たことがない。


 だとすれば魔獣化の影響か。何をするつもりなのか予想ができない。

 間合いを詰めるべきか離れるべきか、武器を再度構えて警戒していたその時、化け猪の周囲に拳大の石礫が出現し始めた。


 直後、魔猪が踏みつけるように前足を地面に叩きつける。

 それに呼応するかのように周囲の石礫が銃弾のように猛スピードで此方へ飛んできた。


「魔法!?」

「やっぱり魔獣化してるぞこいつ!」


 魔法とは魔物がもたらした技術の1つだ。

 マナを取り込み、自分の力として操って攻防に用いたりする。


 本来は魔物しか使えないものらしいが、この大陸の人間には何かしらの魔物の血が流れていると言われている。

 だから自分たち人間も条件を整えて研鑽を積めば魔法を扱うことが出来る。


 そして魔獣も魔物の一種ではあるから、魔法を使えて当然ではある。

 勢いよく飛んでくる石礫の雨を武器で弾き飛ばしつつ横に飛び退いて逃れると、畳みかけるように第二波がやってくる。

 普通の獣が魔法を使うことは無いからやはりこいつは魔獣で確定という事になるが、会えて嬉しい相手ではない。

 当の魔猪は自分の力を確かめるように次々と石礫の雨を作り出していく。

 中には鋭くとがっているものもあるために、正面から受けるのは得策ではない。


「だぁああ!!鬱陶しい!!」


 相手は勇魚が思わず叫ぶ程度には、絶妙に嫌なタイミングで石礫を飛ばしてきていた。

 弾き飛ばしたり避けたりする分には問題ないが、このままでは攻撃に移れない。

 こちらもあの攻撃を効率的に撃ち落とす手段が必要だ。


「……練習中だけど仕方ない!」


 俺が改めて指輪をはめ直す。

 その様子をみて俺のやろうとしていることを察した勇魚が薄く笑った。


「こっちも魔法か……なるほどな!」


 まだ勇魚は魔法を使えない。

 爺様もすぐにここに来ることはできないだろう。

 だからこれは自分がやる他ない。


 勇魚が前に出て化け猪の注意を引いた。

 此方も時々流れ弾にやってくる石礫の雨を捌きながら、周囲のマナを取り込むことに集中する。

 効率的にマナを取り込むには地水火風のいずれかを連想するものが必要になる。

 俺の場合は出発前に御館様から受け取った水晶石の指輪がそれにあたる。

 大切なのはイメージと指向性。


 大気に、土に、木々に存在する水のマナを借りて自身の魔力へと変換する。

 自然界に存在する水の要素は、規模や効率は違えど水の魔法を使う上での魔力となり得る。


 程なくして先ほどの化け猪と同じように、自分の周囲と掌の上に無数の水の塊が浮かぶ。

 大きさはピンポン玉程だが、数は石礫の倍ほどはある。

 すると魔猪はこちらも魔法を使おうとしていることに気が付いたのか、勇魚へ向けていた分の弾を此方へ向けて発射してきた。

 それに合わせるように、こちらも目の前に浮かぶ水弾の1つを指で弾く。


「撃ち抜け」


 言葉と指先の動作と共に水弾が破裂する。

 それが合図だった。次の瞬間無数の水弾が俺と勇魚を庇う様に殺到し、石礫を撃ち落としていく。


 其々の水球は横殴りの雨粒でできた壁のように石礫を撃ち落とし、魔猪が生み出す石礫すらも生み出された端から破壊していった。

 魔力を送り込んでいることで手掌の動きである程度の操作も出来るから、勇魚に当たる心配もない。

 数が多い分、余った水弾も魔猪に撃ち込んでいく。


 この技は訓練中に館の壁に穴を空けてしまう程度には威力がある。(そのあと勿論叱られている)。

 幾らか弾かれてはいるようだが、それでも銃弾を浴びせられたように魔猪の身体に無数の弾傷がついていく。

 とりあえずこの技は≪鉄砲雨≫とでも名付けようか。


 魔法を使うにあたってこの世界で重要となるのがイメージによる指向性でよかったと常々思う。

 詠唱を使うものや魔法陣を書き込んだ書物等を使う者も多いが、あくまでそれらはイメージと紐づける事によって魔法の形と指向性を作りやすくするための要素だ。


 だから変換した魔力をどう形にしてどう扱うかさえ頭に浮かべることができれば、それらは必要ない。

 俺が魔法を使うにあたってはイメージも指向性も大体完成していることが多いので、あとは短い言葉で合図するだけでいい。


 いや、ひょっとしたら言葉も必要ないかもしれない。

 前世では激しい運動は医者から止められていたからずっと漫画やゲームでばかり遊んでいたが、そういったものに触れてきたおかげでイメージはしやすい。

 黒歴史としていたオリジナルの設定や必殺技なんてものを考えていた経験がこんな所で活きるとは、まったくもって想像できなかったが。


「勇魚!」

「おう!」


 言葉はそれで充分。

 弾が止んだことで生まれた隙を逃すわけにはいかない。

 勇魚が右から、俺が左から化け猪に対して走り込んで渾身の力で槍を突き出す。

 しかし思った手ごたえは得られず、代わりに返ってきたのは武器が弾かれる鈍い音だった。


「ならもういっちょ!!」


 勇魚が負けじと再度武器を突き込む。

 自分も同様に、今度は叩きつけるように槍を振るった。

 しかし化け猪はびくともしない。

 それどころか鈍い音を立てて、双方槍が壊れてしまった。


「あ……」

「冗談じゃねえぞ!!」


 俺が唖然とする横で勇魚が悲鳴を上げていた。

 折れた瞬間二人の脳裏に再度逃走の文字が浮かぶ。

 最後っ屁にと勇魚が折れてとんだ槍を器用に掴み、再度思い切り突き立てるがやはり弾かれてしまった。


 この化け猪、毛皮の分厚さもさることながら泥を使い、器用に鎧のように纏っていた。

 何重にもコーティングされて固まった泥に刃がうまくたたなかったのだと気づく。

 しかし一応痛かったのだろうか。あるいは魔法で石礫を撃ち落とされた悔しさか。

 魔猪はこれまで以上に怒り狂った。

 牙を振りかざして弾き飛ばされた俺達を凝視し、そのまま突進の姿勢に入る。

 その光景をみて、再度俺と勇魚は走り出した。


「武器も折れたしどうするよ!!」


 勇魚が走りながら叫んだ。


 たしかに武器が折れた以上代わりの対策が必要だ。

 それぞれ鉈剣と斧を持ち込んでいるが、それもいまのままではおそらく通じないだろう。

 まずはあの鎧のようになった泥をはがす必要がある。


「爺様があのとき叫んでたんで思い出したんだが、このあたり大きな沼があるはずだ。そこに誘い込もう!」


 魔猪に遭遇して思わず逃げたとき、爺様はたしか「そっちは」と言っていた。

 この周辺は中蘇芳に近いこともあって何度か地図を見たことがあるが、この山林にはいくつか大きな沼があったはずだ。

 今思えばあれは沼の存在を知らせたかったのだと思う。


「わかった何か考えがあるんだな!!とりあえず信じるぞ!」


 食い気味に叫んだ勇魚と共に山道を駆ける。

 水の魔法が得意な影響か、ある程度水のエネルギーが濃い場所は解る。

 そこが沼になっているはずだ。

 幸い、そこまで距離は遠くない。


「もう少しだ!がんばれ!」


 振り返らずに無我夢中で走る。

 すぐ其処まで迫っているのか、あるいはまだ少し距離があるのか分からない。

 それでも確実に迫ってくる殺気と威圧感が気持ちを逸らせた。


「桃!前!沼!ついた!」

「そのまま突っ込むぞ!」

「はあ!?」

「いいから!!」


 何を言っているんだという反応の勇魚を無視してその手を取り、そのまま水面を走った。

 そう、水面を走ったのだ。文字通り。

 化け猪を引き連れて沼地の中ほどまで走った俺たちは、そこで立ち止まると迫る猪を迎え撃つ体制をとる。

 水面を走っていることに気が付いていないのか、魔猪はそのまま俺たちの正面まで迫る勢いだ。

 そして十分に引き付けたその時だった。


「よし、お疲れさん」


 リズムを取るように一度だけつま先で水を叩く。

 次の瞬間ドボン。と大きな水音を立てて化け猪が沈んだ。

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