第四十五話 梔子の街


 カワベエとのやりとりから数日。俺は恵比寿えびす様の命に従い凰姫こうひめ様、多聞たもん様と共に梔子くちなし領へ向かっていた。

 旅の供となるのは、多聞たもん様に仕える馬廻うままわり衆。俺の部下である狛とハヌマンとカワベエ。

 そして凰姫こうひめ様の身の回りの世話係兼護衛として浦島衆からおと殿と望月もちづき衆から数名の構成員が付いてきていた。

 凰姫こうひめ様は服装からして馬に乗るのが難しいため、乗物……いわゆる駕籠かごによる移動である。


「狛、しっかり掴まってろよ。あと落ちるなよ」

「分かってるよ~。耳にタコできちゃうってば。そりゃまだ練習中だけどさぁ」

「まったく、桃殿の手をわずらわせてどうするのだ、狛」


 俺の身体に手を回して強く抱き着く形で、狛が不貞腐ふてくされた様な調子で返事をする。

 そんな彼女に対してハヌマンが呆れたような眼差しを向けて俺の横につけた。


「む。仕方ないじゃん。私はハヌマンと違って馬に乗る機会が無かったんだから」

「まあ、乗れるようになると便利だから、練習は続けような」

「はぁい」


 狛とハヌマンが部下となってから、二人が武術の鍛錬と並行して練習していたものがある。

 馬術だ。俺の供として戦に出るのであれば、当然乗れた方がいい。

 しかしながら、実家の家業が牧畜だったこともあってかハヌマンが圧倒的に早く馬に乗れるようになってしまった。


 一方、狛は傭兵時代も含めてこれまで馬に乗る機会が無かった完全初心者であった。

 彼女なりに頑張っているのだが、まだ一人で手綱を握らせて長距離移動するのは心許ない。

 そういう訳で、狛は俺と相乗りしているのだ。


「というか、ハヌマンの方に乗ればよかったんじゃないのか?」

「あ、ひどーい!私と相乗りしたくないの?」

「いや、そういうわけじゃないが、なんで俺なんだ」

「桃様の方が掴まりやすいんだもん」

「そーですか」


 やっぱり、というか単純な理由だった。


(そこまで初心じゃない。とはいえこうも密着されるさすがに意識するよなぁ……。平常心……)


 割と狛は俺に対して距離感が近いところがあるので、他意などあるはずもない。

 それなのに妙にむず痒い気持ちになってしまうのは、我ながら難儀なものだ。

 肉体の年齢に気持ちが引っ張られてるだけだと自分に言い聞かせながら、俺は気を引き締めて手綱を握り直した。


多聞たもん様、梔子くちなしまでは後どのくらいなんでしょう?」

「ほほほ。もうすぐじゃ。この峠を越えれば、麻呂の街が見えてくる。賑やかな場所じゃ、こうも桃殿達も、楽しめるじゃろうて」

「ええ、今から楽しみです」

「桃殿は色々あって、なかなか外に出すわけにはいかんかったからの。そちにとっては新鮮さも大きいじゃろう。これを機に外の空気を学び、楽しむとよい」


 実のところ、この歳になるまで領の外へ出向くようなことは数えるほどしかなかった。

 だから今回の遠征は、俺にとっては久しぶりの小旅行でもある。

 無論、任務である以上浮ついた気持ちでいてはいけないのだが、それでも蘇芳すおう以外の街並みや空気を肌で感じる新鮮さは、何にも代えがたい高揚感があった。


(俺があんまり領の外に出されなかったのは勇魚いさなと俺との立場の違いもあるが、俺の身を守るためでもあったんだろうな)


 勇魚いさなとは違って、幼少期の俺は滅多に領の外へ出る事は無かった。

 自分の産まれを知った今、それが恐らくは俺が狙われないようにとの恵比寿えびす様の配慮だったのだろうという事は想像に難くない。

 ここ数か月の俺に対する襲撃を思えば、産まれた当初は猶更警戒もする。

 災害に見舞われて爪痕の残る不安定な情勢の中で、まだ自分の身すら守れない子供の俺が狙われないようにすることが必要だったのだろう。


 そのことに対して、元々悪い感情を持っていたわけではなかった。

 むしろ当たり前のことだと受け入れていたため、恵比寿えびす様の配慮を知れば知るほど頭の下がる思いだ。


 今回の人選に俺も抜擢ばってきした理由も、ひょっとしたらこれまで領の外をなかなか見る機会のなかった俺に対する配慮なのかもしれない。


(なんて、さすがに考え過ぎか)


 いずれにしても、これから戦が激しくなれば嫌でも緊張の連続を強いられる。

 未だ決着はついていないとはいえ、今回の任務をちょっとした小休止として一度息を入れるのは悪くない。


 まだ見ぬ土地への期待感を胸の内に抱きながら、極力浮つかぬ様俺は馬の脚を進めていった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「うわぁ……」

「賑やかですね……」

「ここは梔子くちなしの中心地、麻呂の館と居城のある所じゃからの」


 蘇芳すおうでは見られない賑わいと人の数に、狛とハヌマンが声を上げる。

 それに満足そうに答える多聞たもん様は、まるで我が子を自慢するような調子でふふんと鼻をならした。


「たしか、ここはカムナビの首都とも直接大きな街道で繋がっているのよね。なんだか前来た時よりも賑やかになったみたい」

「そっか、凰姫こうひめ様は何回かここに来られたことがあるんでしたね」

「ええ。この通り沿いにね、美味しい栗饅頭のお店があるの」


 俺の言葉に凰姫こうひめ様がほんの少し浮ついた調子で答えた。

 普段は凰姫こうひめ様に俺が教えることの方が多いためか、立場が逆転してほんの少し楽しいのかもしれない。

 実は到着して駕籠かごから下りた当初の姫様は少しだけ拗ねていたのだが、機嫌が直ったようで何よりである。


 因みにおと殿曰く、凰姫こうひめ様は俺と狛が馬を相乗りしている事を随分と羨ましがっていたらしい。

 年相応の反応が見られて、寧ろ安心だ。

 この戦いが落ち着いたら乗せてあげよう。


「栗饅頭!!」


 そして梔子くちなし領の甘味事情に声を上げたのは狛である。

 彼女も凰姫こうひめ様と同じく甘いものが好きなようで、いつの間にやら何度か一緒に出掛けているらしい。

 俺も甘いものは好きなので、凰姫こうひめ様の言う栗饅頭は気になるところである。


「定期的にこの町だけでなく、街道沿いの宿場町も金を出して整備しているからの。賑わいに関して言えば、蘇芳すおう瑠璃るり以上じゃ」


 その言葉の通り、周囲の人々の活気は蘇芳すおう瑠璃るりの比ではない。というよりも、蘇芳すおうとは活気の種類が違うと言った方が適切かもしれない。

 蘇芳すおうの中心地の大通りは何となく下町の商店街っぽい雰囲気なのだが、此方はなんというか観光地っぽさがある。


 梔子くちなし領はカムナビの首都と大きな街道で直接つながっている。

 立地的に恵まれている領であり、農業や鉱石の他にも、茶葉の栽培や職人たちの手による武具の生産などで非常に潤っている場所だ。


 この空気感の違いは、そう言った所からも出てくるのだろう。

 呼び込みを行っている店の者達の恰好や商品を見れば、その種類の多さに驚かされる。


「賑わいもですが、随分と店の種類も多いですね」

「なにせ自慢の街じゃ。あちらには大きな花屋があるし、麻呂のよう利用する武器屋もある」

「花屋!」

「武器屋!」

「なんじゃ、そちら興味があるのか」


 大きな反応を見せたハヌマンと狛に、多聞たもん様が少し面食らったような顔になる。


「ハヌマンは花の世話が趣味でして。狛も鍛冶屋の娘なので……」

「なるほどの。まあ、まずは要件を済ませたようかの。その方が其方らも心置きなく街を楽しめよう」

「それはありがたいですが、蘇芳すおうに早く戻らないと」

「心配は要らぬ。今はお互い直ぐに動ける状況ではないからの。特に人寿郎じんじゅろうの求心力は大きく揺らごう」

「そうれはそうですが」

恵比寿えびすが其方をこちらに寄越したのは、なにもこうの事だけではない」

「次の戦への布石、ですか」

「左様じゃ。次の戦では決着がつかずとも大方の趨勢が決まろう。形としては蘇芳すおう梔子くちなし瑠璃るりへ――人寿郎じんじゅろうへ攻め入る形になる。其方はその時に役割が出来よう」

「分かりました。心得ておきます」

「そうしてくれ。なあに。それまではゆるりと過ごすがよい。常に気を張り詰めるなど疲れるだけじゃ」


 ゆるりといった柔らかな所作で、多聞たもん様は人のよさそうな顔で笑って見せる。

 機嫌よさげに街の自慢をしていたと思ったら、戦の話となれば途端に雰囲気を変え、今度は一瞬で真逆の表情を湛えて笑いかける。

 この戦に関してもどこまで読んでいるのか、本当に、よく分からない方だと思う。

 そしてやっぱり、恵比寿えびす様と同じく、多聞たもん様にもまだまだ敵う気がしないと、改めて思い知らされるのだった。

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