第十一話 地獄の沙汰も金次第
見張りの目を搔い潜って潜入した船内は、思ったよりも質素な印象を受けた。
一番大きな船室を中心としてその周囲をコの字型に囲む廊下は存外広く、遮蔽物は少ない。
身を隠せそうなのは、甲板に出すために仮置きされているであろう荷物と、規則正しく配置された樽の影くらいのものだ。
廊下に添うように配置されたランプが船の揺れのたびに灯りを揺らして、潜入した俺達の影を歪める。
壁には何かの呪いの類か奇妙な模様が描かれているが、なにか罠が張ってあるような気配もない。
「兄様、この先の突き当りに三名、うち二名が此方へ向かってきます」
「この階層の見張りは殆ど甲板に出てたってことか……とりあえずその二人を片さなきゃな……。―エイジ」
「了解」
エイジはその一言で海の考えを理解したように、天井の梁の上に跳びあがった。
海もまた、エイジに続いて梁の上に飛び乗る。
梁の上に跳びあがった二人を残して、俺たちは少し戻ったところに仮置きして積んである荷箱の影に身を隠す。
「来ました」
廊下の奥に目を凝らすと、向こうから人影が二人やってくるのが見えた。
よく日に焼けた髭面の二人の男だ。
一人は灯りを手にしており、もう一人はその後ろをついて歩いている。
顔の周りに生えた無精髭と酒に枯れた品の無い笑い声、会話の内容から奴隷商の配下の者だと見当が付いた。
やがて警戒する様子もなく軽く酔った様子の二人の男がエイジの待機する梁の下を通ると、すかさずエイジが飛び降りて後ろの一人の首に簪を突き刺す。
「うぐっ……」
視線の先、先導する男の手にある灯りに金属製の簪が鈍く輝きを放つ。
口元を手で押さえられた男は、驚愕に目を見開いたまま呻き声をあげる。
鋭く研がれた簪はまるで薄手の布に針を刺すように抵抗なく首筋に滑り込み、頚椎の隙間を通って喉笛まで貫通していく。
「エイジの得意な殺し方です。あの簪の中にはエイやタコから抽出した毒も入っていて、刺した時の衝撃で注入されるようになってます」
「殺意しかないじゃん……」
乙殿の淡々とした解説に若干の戦慄を覚えながら経過を見守る。
流石にすぐ後ろで僅かでも呻き声が上がれば、誰だって何かあったのかと後ろを見る。
「な、なんだてめ……っ」
呻き声に気が付いた彼は思わず叫ぼうとしたようだが、彼が声をあげることは叶わなかった。
「あれは……」
「兄様の釣りですね」
首筋に巻かれた細い糸が、男の首を絞めている。
「げぅ…ッ……」
男の口からヒュウと僅かに息が漏れ、見る見るうちに顔が鬱血していくのが分かる。
撒きついた釣り糸は細いながらも大の男一人を容易に吊るし上げている。
「よく切れないな」
「アクラネと呼ばれる蜘蛛の魔物から貰った特殊な糸な上に、それを更に秘伝の薬で補強してありますので」
「成程……だが西の方の魔物じゃなかったか」
「浦島衆は代々各地に出向いていますし、場合によっては各地の土着の魔物と交渉して情報や素材を得ることもありますから」
「アクラネもその一つってことか」
そんな会話の最中でも、海はきっちりと仕事を済ませていた。
手元の糸をキュッときつく締めあげると同時、男の首に糸の先についていた大きな釣り針が突き刺さる。
返しの付いた釣り針が抜けるはずもなく、男は更に目を見開いたように見えた。
それと同時に完全に首が締まり、男の息の根が止まる。
それを確認して海が釣り糸を手元の操作だけで動かすと、首筋に引っかかった太い釣り針は男の動脈を引っ掛けてその勢いで断ち切ってしまった。
そして釣り針と糸はまるで意思を持っているかのようにほどけて、海の振り上げた釣り竿へと戻っていく。
「うわぁ……」
もう首は締まって死んでいただろうに容赦がない。
周囲にまき散らされる血がかからないように気を付けながら降りてきた海の元へ行くと、いつの間にか回り込んできていたらしいフカマルも姿を現す。
その肩には男が一人担がれていたが、その男も四肢のあちこちがあらぬ方向に曲がって折りたたまれていた。
「これ、ほんとに俺必要だった……?」
前世で見ていたエンタメ時代劇のような鮮やかな早業を改めて見せつけられて思わず言葉がこぼれる。
それを聴いた海は褒められたと感じたのか、にこやかに笑って俺の背中を激励するように叩いた。
「当たり前だ。お前がいなきゃ此処までスムーズに近づけなかったよ。それにお前の出番はもう少し後だから慌てるな。
とりあえずこの階層はあとはだけだな。錨を下ろしていたから船が流れることもないし、さっさと片付けて先を急ごう」
腰に手を当てた海が俺達に目を配りながら確認するように告げる。
その言葉を聴いて頷いた俺達は、一路下層へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
最下層までの道のりはさして大きな問題もなく、浦島衆のおかげで殆ど障害無く通ることが出来た。
或る者は海の釣り糸に釣られ、或る者はフカマルの按摩で全身の骨を折られた。
また或る者はエイジによって喉笛を突き抜かれ、或る者は乙殿が超音波で振動させた鋼糸によって切り裂かれる。
俺も海から借りた剣で急所を突き、あるいは水を相手の鼻や口から流し込んで窒息させる。
それでも俺が一人片付ける間に浦島衆は倍の人数を片付けてしまう為、プロの仕事の速さを見せつけられているような状態である。
「あとは最下層だけだ。フカマルとエイジは幹部を片付けて退路の確保と証拠品の保護を頼む、桃と乙は俺とこのまま進むぞ」
「ああ」
海の言葉に短く答え、最下層の倉庫へ続く階段を下る。
最下層は巨大な倉庫と、そこにいくつかの部屋が繋がる構造になっている。
下った先はこれまでよりも更に一段と暗く、鮮やかな細工を施された美術品が綺麗に整列している。
其々の美術品に傷が付かない為だろう、それらは全てある程度の感覚を開けたうえで並べられ、その隙間から除く周囲の壁にはいくつかの扉が見えた。
其の内の一つが奴隷たちのスペースであり、その隣には件の豪商、セコイが個人的に使っているスペースがある。
「あの扉か……」
「入口はあそこしかない。さっさと乗り込むぞ」
「中の気配は三人ですね……呼吸数や脈の速さから子供のようです」
乙殿の言葉に気を引き締め、俺は扉へと手をかける。
「それじゃあせーので……1.2の3!!」
俺が三つ数えて扉を押しこみ、一斉に室内へなだれ込むように突入する。
室内には乙殿が事前に察知していた通り子供が縛られた状態で三人横たわり、芋虫のようにうごめいていた。
どの子供もやせ細り、落ちくぼんだ頬と浮いた肋骨が痛々しい。
働かされている最中に負ったか、あるいは縄で擦れたであろう傷は膿んで、すえたような独特の匂いを放っていた。
「ひどいな……」
部屋の惨状に一瞬足が止まる。
幸い意識はあるようで弱弱しく、虚ろながらも此方へ視線を向けてくる。
「乙」
「はい」
乙殿が子供たちの傍に膝をつき、縄を切って真水の入った水筒で傷口を洗う。
懐から薬草をすりつぶした薬を取り出して傷口に塗って包帯を当てると、そのうちの一人が僅かに言葉に力を取り戻した。
「……他にもお前たちのような奴はいるか」
「……まだ……隣に捕まって折檻受けてるんだ……助けて……」
「任せろ。乙は先にこの子たちの応急処置を頼む」
「お任せを。兄様と桃殿は残ったものと豪商の始末をお願いします」
安心させるように微笑んで答えた海が、乙に追加で指示を出す。
子供たちの言うまだ捕まっている人物。それが恐らくはビーマの兄だろう。
折檻を受けているという事は、これ以上に酷いことになっている可能性がある。時間がなかった。
話を聴くが早いか、俺と海は乙殿を背に庇う様に隣に繋がる扉を開ける。
扉を開けると丁度右正面に座敷牢のようなスペースがあり、その中に一人の男が捕らわれていた。
赤茶の髪に大柄な体。
しかしその肉付きは不釣り合いなほどに悪く、体中に打撲と出血の跡が見受けられた。
特に左目からは夥しい量の血が流れた跡があり、寝転がっている腹が上下しているのが見えなければ、死んでいるのと錯覚してしまいそうだ。
座敷牢の横には装飾されたデスクと椅子。
その上には雑多に置かれた書類の数々。
そして今入って来た出入口とは別の扉が左側にもあるあたり、恐らくはこれが豪商の個人的なスペースなのだろう。
「しっかりしろ」
「あなた達は…」
「あんたの弟に頼まれて助けに来た」
牢の鍵を海に開けてもらい、中に入って倒れている男に声をかける。
僅かに呻き声をあげた男が薄っすらと目を開けて呟いた言葉に答えると、目が覚めたらしい男の意識が今度ははっきりと覚醒する。
「ビーマに?弟は…無事なのですか!?」
「無事だから俺達がここにいるんだ。酷い怪我だから大人しくしておいた方がいい。肩を貸そう」
「ありがとう……」
痩せてこそいるが体が大きい分一人で運ぶのは難しい。
海と共に肩を貸したことで掴まって立ち上がろうとした男が、バランスを崩す。
弱っているから、というだけではない。
片目がつぶれてしまっているのだと、目の傷を間近でみて気付く。
「……あんた、名前は?」
「ハヌマンと言います……」
ハヌマン。この大陸においてどう伝わっているのかは分からないが、生前の世界ではある神話に出てくる神猿の名前だったはずだ。
「いい名前だ」
ハヌマンの言葉には若干西の訛りがあったが、会話に不自由はなく、色々と聞き出すことが出来た。
ビーマが脱走してから、セコイの怒りは凄まじいものだったようだ。
最初は海へ落ちたとごまかしていたが、配下に周辺を調べさせたらしい。
それが嘘の可能性が高いと分かるとセコイは奴隷たちを酷く虐待……特に兄のハヌマンに対しては激しく当たったようだった。
自分が弟を逃がしたために怒りを買ってしまったこともあり、他の奴隷に向かうはずの叱責もハヌマンが負った。
そうして激しい虐待の末に左目の視力を潰され、食事を与えないままセコイはハヌマンを放置したという。
それでも命を落とさなかったのは、彼がたまたま頑丈だった故だろう。
「乙、いったん彼を運び出したい。重症だ」
「分かりました。子供たちは既に応急処置を済ませてフカマルたちに託していますのでご安心を」
「さすが乙殿、仕事が早い」
「これくらいは当然ですとも」
そういうと乙殿はふふんと胸を張って見せる。
褒めると照れながらほんの少しどや顔になるのは、凰姫様に少し似ている。
「身長的に俺と乙が運んだ方がいいな……。桃、セコイの捜索頼むわ」
「出口はエイジが見張ってますから、恐らく船内のどこかに隠れているはずです」
「なにからなにまで助かる!ありがとう!」
確かにハヌマンは身長が高い。
身長差的にもバランス的にもこの兄妹に任せた方が運びやすくはある。
まあ、親玉を捕まえる華を持たせてくれたのだろうと、俺はそれを快諾して船内の捜索を始めた。
大体ああいうのが隠れるところは見当がついている。
実際、標的はすぐに見つかった。
船倉の最下層、美術品が整然と並べられたスペースの一角だ。
その一角に積まれた大きな樽の中でハチの巣に籠る蜂の子のように、肉がぎゅうぎゅうに詰まっていた。
性格には肉ではない、でっぷりと太った蛙のような面の強欲な人間だ。
間違いなく、人相書きの通りの顔。今回の標的でもある豪商セコイである。
「お前がセコイだな。奴隷を始めとした違法取引の数々、とりあえず大人しく縄についてもらおうか」
「あいつ!あああいつが吐いたのか!!畜生あのガキめ、やっぱり逃げてやがった!海に飛び込んだならそのまま鮫にでも食われていればいいものを!!」
ヒステリックに唾を飛ばしながら顔を赤くしてセコイが叫ぶ。
しかし狭いところに無理やり入り込んでいる為に呼吸がし辛いのか、その叫びに迫力はない。
詰まったままというビジュアルも相まって相当に情けない姿だ。
「お前さ、自分の状況分かってる?今から証拠品も商品も全部押収してお前は捕まるんだけども」
「わかっているわ!言われんでも!だから憎たらしいが交渉してやる!わしを見逃してくれれば大金貨百枚だ。」
「ほうほう」
「美術品も奴隷も優先的に融通してやる!お前まだ若いだろう!?若い女の奴隷を仕入れたら真っ先に安く譲ろう!この地方にも上玉がいるそうだからな!蘇芳の姫様とかどうだ!清楚で愛らしいと評判だぞ!!」
「……」
自由に話をさせているのが間違いだった。と今更反省する。
ぎゅうぎゅうに詰まって文字通り手も足も出ないままどう交渉してくるのかと話を聴いてみたが、此方の欲をくすぐるどころか地雷を綺麗に踏んでいくあたり、間の悪い男だ。
一方のセコイは俺が無言になった事を交渉の余地ありととらえたのか、よく回る口の勢いに拍車をかけた。
「いや、もういいよ」
「おお、じゃあ……」
「ああ、とりあえずここから出してやる」
「おおお恩に着る!さあ、早く出してくれ!」
「まあまあ慌てなさんな。ちょっと顔失礼するよ」
期待と希望に満ちた顔のセコイの額に手を当て、水のマナを取り込む。
額に当てた手がどう動くのか、セコイは暫く困惑しながらも笑顔を浮かべていたが、自分の身体に何か異変が起こっていることに気が付いてその顔を恐怖に歪めていった。
「なななななにをぉ……」
セコイの顔から瑞々しさが失われていく。
脂肪で丸々とした顔も太い首も、そして餅のように膨らんでいた身体も、徐々に干物のように、あるいは枯れた花のように脆く萎れていく、
「そのままじゃあ詰まって出られないだろう?だから出られるようにしてやったんだよ。少し痩せて男前になったんじゃないか?」
「は…はな…はなひが……しがぅ……」
「なんて?」
なんて、はっきり喋るほど口の中に水分が残っていないのは分かっているし、なんて言ったのかも大体分かる。
死ぬぎりぎりまで水分を蒸発させるという拷問じみた行為によって、セコイの身体は見る影もなかった。
「誰もお前を逃がすなんて言ってないし、交渉を受け入れるとも言ってない。お前の身柄にそんな大金がかかる価値もなければ、美術品も奴隷も女も必要ない」
「……ヒィ…、ヒ、ヒィイイ……」
縋るためか、あるいは精一杯の抗議か、セコイの手が俺の足に纏わりつく。
それを蹴りつけて、俺は決定的な一言を放った。
「商人のくせして自分の価値も測れないようだから教えてやるよ。お前の身柄なんざ、はした金の価値も無い」
「あああ……」
その言葉を聴いたセコイの表情は、皺だらけの老人のような顔になりながらも十二分に落胆の様相を現していた。
でもまあ、こういう台詞一度は言ってみたかったのだから偶にはいいだろう。
周りに誰もいない今この時が丁度いいタイミングだった。
それだけの話なのだから。
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