第十二話 桃のお願い
自分の命令によって捕縛へと発った兵たちを見送り、夜通しそれを待って数刻。
空は東側から薄白いおぼろげな光を広げながら、夜の空の黒を塗りつぶしていく。
部下たちの実力は信頼している為にそこまで心配はしていない。
それでも上に立つ人間として、自分だけが勝手に休む事は出来なかったのだ。
六年前に旅立った妻が大切にしていた書庫を掃除し、縁側に腰かけて煙管を咥えて煙を燻らす。
夜を塗りつぶしていく夜明けの色の色相に、吐き出した煙が溶けていく。
「御館様。先に報告に上がりました」
「
浦島衆頭領の長身の青年が背後に音もなく降り発ったのを捉えた恵比寿は、視線だけ向けて続きを促す。
「は。証拠品及び交易品は押収し、働かされていた奴隷たちも保護しております。一名重症ですが、処置によって命の危機も脱しています」
「セコイはどうなった」
「桃が捕縛しました」
「そうか。武器で気絶でもさせたか」
「いえ、魔法を使ったようです。体中の水分が死ぬ手前まで蒸発させられておりました」
その言葉を聴いて、恵比寿は思案を巡らせる。
つまりそれは相手の体の中の水に対して直接介入したという事だ。
「そうか……。それを聴くにやっぱりあいつの魔法は……」
「ええ、かなり特殊かと。水弾を撃ったり水の刃で斬りつける等は才能があったと言える範疇ですが、水で階段を作ったり、相手の身体の水を蒸発させる魔法など訊いたことがありません」
「そうだよなぁ……」
やっぱり、といった様子で恵比寿が空を仰ぐ。
鍛錬の時から桃の魔法がどこか特殊だという兆候はあった。
それがここ数か月の実践の中で桃が使ったという魔法についての報告で確信に変わった。
通常、魔法というやつは想像力や才能の有無による程度の差はあれど、生み出した物質や現象にある程度の力と形の変化あたえて作り出すのがやっとだ。
自然の中に存在する自然エネルギーを自分の中に取り込み、改めて水や火として作り出して魔法に転用する。
これで可能なのは水弾や水流を作ってぶつける、岩石で形作った矢を放つ、風によって速さや貫通力を加える等々……。
複雑な物であればその工程にあたるものを言葉として武器に予め刻んで、火や冷気を纏わせるなどである。
勿論、自分自身がより強く受け継いでいる魔物の特殊能力等と組み合わせることである程度のバリエーションを出すことはできる。
それでも桃のように、水そのものの形や性質を自在に操り、空気中や相手の体内の水分に直接干渉したりすることは通常不可能だ。
「あいつの鍛錬の時に何回かやらせてみた事があるが、どうも桃は時々逆の事をやっているみたいでな」
「逆。ですか」
「魔力を自然界のエネルギーに混ぜて直接操作する……、本人は意識していないようだが理屈はそんなところか」
「……にわかには信じられませんね」
「だがそうでもないと魔法の理屈では説明が付かん」
「では桃の魔法の特殊性というのは……」
「まあ、そういうこったな。桃は自然にある水そのものに介入して操作できる」
「自然への干渉……それではまるで」
「ああ。祭魔か、それに近い眷属でなければ不可能なことだ」
「しかし桃は……」
「間違いなく人間だ。十六年前のあの時、あの方の胎から取り上げられたのを俺も見ている」
自然現象への干渉。
桃の力はまだそう呼ぶには規模が小さなものだ。
しかし操作する水の規模が大きくなればどうか。
水の形や性質を自在に操ることが出来るならば、川の流れを変え、氾濫させるなど簡単だろう。
あるいは雨雲を作り出し、大雨で田畑を流しつくす事だってできるかもしれない。
祭魔はその力で時に恵みをもたらし、時に災厄をもたらす。
その祭魔の力に準ずる性質が、桃の魔法にはあるとすれば。
それは間違いなく、人は自然に干渉できないという常識を覆しかねないものだ。
(何故桃の魔法だけそんな性質を持った……?あいつの身体が濃く引き継いだ魔物の因子の影響か……?)
今各地で隠遁している祭魔の中にも、水を操る魔物は存在する。
それに関係する血筋だろうか、と恵比寿は推察する。
魔物自体が持つ特殊能力として、その因子を濃く継いでいるなら桃にそれが出来ても不思議はない。
魔物は何百年も生きるから、過去に桃の先祖がどこかで祭魔やその眷属と交わっている可能性はある。
(―あるいは、桃の人としての血筋……。カミゾノの血の成せる技ってことかもしれんが……)
恵比寿が脳裏に浮かべたのは、十六年前の桃の母親の姿。
彼女が生きていればその血筋について聞けたかもしれないが、彼女は既にこの世にいない。
とはいえ、完全にその血筋の関係者が居なくなったわけではない。
(……瑠璃の女狐さんに訊いてみるか……)
考えた末にたどり着いたのは、一人の女の姿……、隣の領の女領主の姿だった。
「御館様?」
「いや、少し考え込んだだけだ。勇魚と花咲の爺さんからは報告を受けているから、桃が戻ってきたらここに来るよう伝えてくれ」
「承りました」
「頼んだぞ」
海が返事と供に下がると、恵比寿の元に黒白の八割れ模様の猫が一匹やってくる。
猫は一声「にゃあ」と鳴くと、縁側に腰かける恵比寿の足元にすりついた。
「人懐こいやつだ」
首輪が付いている上に人懐こいところをみるに、飼い猫らしい。
ここ数日は誘拐やら密売やらであまり休めていなかったのを思い出す。
珍しく柔らかくほころばせた顔を他の者に見られては恥もいいところだが、周りに人がいる気配はない。
恵比寿は舌をチッチッチッと鳴らして猫を呼ぶと、傍に寄った猫を抱き上げて喉元を撫でるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
セコイを見つけ、捕縛して船の甲板に出ると、既に空は白み太陽が地平線から顔を出す寸前だった。
乗り込んだ時は闇に溶けるほどの黒一色だった水面が、ぼんやりとした薄い光を少しずつ浴びながらキラキラと輝いていく。
保護した奴隷と、そしてなにより皺だらけになって消沈しているセコイの身柄を、事が終わった時の為に待機していた兵に預ける。
俵担ぎにしてきたセコイは幾らか水分を抜いたのにも関わらず結構重たく、もともとの蛙の顔を潰したような面が皺だらけのさらに醜い姿になっていた。
うわ言で恨み節を呟き続けるセコイに兵たちは若干引いていたが、恨み言を言うくらいの元気があるなら死にはしない……はずだ。
船の中にある交易品や美術品は恐らく正規の価格で買い取るか、あるいは元の持ち主にいったん戻す形になるだろう。
大きな船で荷物も多いため、中を一度検めた後に商船は一度港まで動かす事になった。
後は一旦待機していた兵たちに任せる形になる。
(……怒りの感情があったとはいえ、ちょっと熱くなりすぎたな……)
改めて考えるのはセコイの身体から死ぬぎりぎりまで水分を蒸発させたあの時の事だ。
ぎりぎりで止める理性はあったが、それでも死ぬ可能性はあった。
(これまでは命を奪うことに一定の躊躇いや葛藤があったけど、あの時の俺にそれはなかった)
殺す事に慣れたといえばそれだけなのかもしれないが、正直、感情次第では躊躇なく人を殺めかねない選択を取れる自分を少し恐ろしく思う。
税を逃れた違法取引を企み、奴隷を使い、さらには蘇芳から奴隷を確保しようとしたセコイは間違いなく悪人だ。
まして凰姫を引き合いにだしたあたり、本当にそれが可能ならば奴隷として連れていく事も厭わないような男だろう。
大陸に定められた方でも蘇芳に定められた方でも違法であり、間違いなく奴は法の裁きを受ける。
この世界に来る前……生前日本にいた自分は、テレビドラマや漫画の憎らしい悪役が成敗されると清々しい気持ちになったものだ。
しかし思った以上に、例え悪人であっても人の命の行方を決する判断は重い。
そしてその重さを知って尚、状況によっては命を奪う事を選択できるようになってきていて、それが可能な力を持っている自分がいる。
(……覚悟していたことだ。今更考えるべきことじゃない)
頭の中からぬるりと纏わりついていた思考を振り払う。
この世界で生きていくのなら、生命を奪うことに対する躊躇いも葛藤も、恐怖も忘れた方がいいはずだ。
そう言い聞かせて、俺は蘇芳への帰路に就いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「帰ってきたところ早々に悪いが、お前には隣の瑠璃領へ行ってもらう」
「瑠璃領……ですか?」
蘇芳領に戻ってきた俺は、すぐに領主の間へと呼び出されていた。
今回の顛末を聴取されるものかと思っていたところ、開口一番にこれである。
「正確には瑠璃領と蘇芳領の境にある
「それは勿論行きますが……なんでまた?」
瑠璃領は女性の領主が治める領であり、蘇芳から見て北東に位置する。
現在キナ臭くなっているカムナビの国内情勢を鑑みた御館様によって三角同盟が結ばれている領の一角であり、魔法や自然エネルギーの研究、学問に精通しているものが多い領だ。
ただ、同盟関係にあるとはいっても用事もないのに行くような場所ではない。
今回の事後処理を差し置いての急ぎなのかと疑問が浮かんで俺は御館様に問いかけた。
「お前が捕まえた河童の兄弟な、情報を全く吐かん。なんで自治区にいるある人物の力を借りたい」
「ある人物?」
「まあ人物というか……覚という妖怪でな。頭の中を読む力を持つんだよ。相手によっては精密に読み取ることは難しいようだが、肯定か否定かが分かるだけでも十分だからな」
そこまで聴いて合点がいった。
情報を吐かないのであれば、頭の中を読んでしまえばいいということだ。
無理な尋問や拷問によって得られる情報はあまり信用ができないために避けていたが、これならば質問して頭の中を読むだけでいい。
「しかし、大事な任務を経験の浅い俺が行っていいんですか?」
「勿論お前ひとりじゃねえよ。それにこれも一つの経験だ。それに……」
「それに?」
「凰が誘拐された件ともつながっている任務だ。凰が攫われた失態をここで取り戻してこい」
「……!!ありがとうございます!」
「とはいえ今回の事後処理や瑠璃領への連絡もあるからな。出立は半月ほど後だ」
「畏まりました」
「それと、今回の出来次第ではお前も一人の将として扱う」
「早くないですか?」
「勇魚はもう既に一人の将の扱いだ。知っての通りうちは人員不足だからな。お前も早いうちに一人前として働いてもらう」
「畏まりました」
やっぱり事後処理もやらなきゃいけないか、そしてもう独り立ちかと心の中でため息をつく。
当然と言えば当然だが、今回の件は他国にも関わることだ。
セコイの身柄の取り扱いなども含めていろいろと話し合わなければならない。
「まあ、今回は今回で功績がでかいからな。またなにか報酬を与えないといけないわけだが……」
「では、俺から一つ希望をいいですか」
「なんだ」
「この仕事の出来次第で一人前として扱っていただくにあたって、保護された奴隷の一人、俺の郎党にいただけないでしょうか」
即座に返した俺の言葉に目を丸くしたのは、今度は恵比寿様の方だった。
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