第十三話 失くした光、灯った灯

ハヌマンの引き抜きを願い出た理由は他でもない。

自分自身のエゴだ。

あの兄弟。とくに片目の視力を失ってしまったハヌマンの今の気持ちを想像すると、どうにも放っておけなかった。

かつての自分が罹っていた心臓の病は先天的な障害だったから、途中から体の一部を失ったりした人間の辛さは正直想像がつかない。

始めから出来ないとわかっているのと、今までできていたことが突然できなくなるのとでは、辛さが違う。


俺のそんな突然のお願いにもかかわらず、恵比寿えびす様の答えはYESだった。

ただし、条件付きである。

ひと月の間に忠誠心を引き出し、相手から仕えたいと言わせること。

決して無理強いしたりしてはいけない。

相手から仕えたいと思わせるのにあたって、一緒に仕事をしたりするのは良し。

以上だ。


人を惹きつける将としての器を見せろ、という事なのだろう。

今後人の上に立つのであれば、大切な事ではある。


(ただ、相手から言わせるってのがなかなか難しいなぁ……)


配下に迎え入れたいという気持ちを話してもいいとは言われているけれど、相手がそれに従ってじゃあ配下になります。では駄目なのだ。

是非配下に加えて欲しい。そう言わせる程の器量を相手に見せられるか。

この人についていけば大丈夫だと、そう思わせるだけの言葉を相手に与えられるか。

悲しいことに、前世では人の上に立つような人間ではなかった。

公務員という正真正銘正しく社会の歯車であったために、自分の器量がどうなのかなんて考えたこともない。


勝負できるとすれば生前の自分自身の経験から、助けを必要としていたり、弱っている人間の事がある程度理解できることだろうか。


現在保護した奴隷たちは、治療を施して領主館の一角に立ててある離れに匿っている。

この離れは他の領の使者が来た時の客間として使っているものだから、警備も見張りもしやすい。

そんな離れの一室に、あの兄弟はいた。


「お邪魔するよ」


そういって客間に上がり込むと、真ん中には布団から上半身を起こした状態で此方を振り向いた赤茶の髪の大柄な青年がいる。

その背後では同じ髪色の少年が、手拭いで青年の背中を拭っていた。


「邪魔だったか?」

「あなたは……」

「あ、桃様……!大丈夫です、すぐに終わりますから」


此方に気付いた少年ビーマは一礼してせっせと兄の背中を拭うと、襦袢を兄に渡して着るように促す。

兄であるハヌマンも弟に倣って一礼し、襦袢に袖を通してこちらに向き直った。


「改めて、ハヌマンと言います。弟共々、私たちを助けていただいてありがとうございました」


此方に向き直ったハヌマンは弟の手を借りて立ち上がり、共に深々と頭を下げる。


「礼なら浦島衆……海たちに言ってくれ。俺だけじゃ助けられなかったよ」

「しかしあなたは真っ先に助けることを考えてくれたと弟に聞きました」

「恵比寿様に判断を仰ぐと言っただけだ。助けたい気持ちがあったのは確かだが、恩を感じられる程無条件に即決したわけじゃないよ」


しかし、といった様子で食い下がるハヌマンとビーマを一旦制して、座ってもいいかと問いかける。

二人は少し戸惑った様子で頷くと、俺が座ったのに倣って再度腰を下ろした。


「正座、慣れないだろう。楽な座り方でいいよ。畏まった話をしに来たわけじゃないんだ」


いくら丈夫でも痛めつけられた体で慣れない座り方をし続けるのはつらいだろうと楽にするよう促す。

此方はなにも畏まった話をしに来たわけではないと伝えてもこれなのだから、セコイの元で働くのは随分と気を使ったのだろうと推察できた。


「しかし驚いた。見つけたときは瀕死だったのにもう起き上がってるし、ビーマの肩を借りながらでも立てるくらいには回復してるんだから」

「私は頑丈なのが取柄なのです」

「そうみたいだ。そんな頑丈なハヌマンに一つ聴きたくてな」

「なんでしょう」

「ビーマ。君にも聞かなきゃいけないことだが、今後の身の振り方について、どうするかを聴きに来た」


その言葉で、二人の空気が僅かにひりついたのが分かった。

正直な話、狡いとは思う。これまで選択肢を与えられなかった人間を唐突に解放し、鼻先に突然選択肢を突き付けているのだから。

心にも、時間にも余裕が与えられないままこの二人には選択を迫ってしまうことになる。

けれどこのままずっと置いておくわけにもいかないし、その余裕もない。

ならばせめてできる限り、二人がこの道を選んでよかったと思える選択が出来るようにしたい。


「一つは国へ帰ること。君たちの出身の国へいく商船に同乗してもらって、その先で自分たちで改めて生きていく事。

 二つ目は蘇芳すおうの民となり、蘇芳で暮らし、働くこと。働き口や住居はこちらで斡旋する。恐らくは蘇芳領の軍属になって働いてもらうことになると思う」


そこまで言って、二人の表情を見る。

その顔に浮かんでいる感情は迷い、戸惑い、恐れ……様々なものが綯交ぜになったものだ。


「……兄ちゃん、此処に住まわしてもらおうよ。国へ帰ってもきっと僕らの居場所はもうない。桃様も、恵比寿様にもお会いしたけどいい人だったよ」

「……ビーマの言う通り、奴隷となった僕らが国に帰っても、もう居場所はないでしょう」

「……かもしれん。俺は国の外に出たことがないけれど、知らないからこそ『そんなことはない』なんて妙な希望を持たせることはできない」

「けれど私は……」


そう呟きながら俯くと、無意識なのかそうでないのか、ハヌマンの手が包帯の撒かれた左目に触れる。

包帯越しに其の眼窩を見ることはできないが、報告によれば視力は完全に失われており、回復も難しいだろうというのが医者の見立てだ。

左目に触れた手を下ろし、ハヌマンは俯いたまま不安そうな表情でその様子を窺うビーマの手に自らの手を重ねようとした。


「……っ……」


ハヌマンの表情が僅かにまた曇る。

その理由は恐らく、重ねようとした手を思う様に重ねられなかったからだろう。

片目になったことは無いが、片方だけでは距離感も掴みづらいだろうし、目そのものへの負担も大きい筈だ。

何度か距離を確かめるように彷徨ったハヌマンの手が、まるで縋る様にビーマの手に重ねられる。

前世では隻眼で名を馳せた英雄だっているから慣れることはできるのかもしれないが、それでも突然視力を突然奪われるというのは辛いはずだ。


「ひょっとして、その目の事気にしてるのか」

「……はい……」

「……そっか……」


慰めることは出来なかった。

大丈夫だ。なんとかなる。いずれ慣れる。そんな言葉をかけるのは簡単だが、それは本人が決めることだ。

なにより彼が求めているのは、きっと同情でも同調でもない。


「私は頑丈で、長く多く働けることが取柄の人間です。片目の視力を失った今、お役に立てるのか……」

「そんな……」


兄の様子に言葉を失ったのは、ビーマの方だった。

彼がその先の言葉を見つけられなくなると、ハヌマンが言葉を塞ぐように話を続ける。


「さっきも見ただろう。距離感が上手く掴めないんだ」

「それは…そのうち慣れるんじゃ」

「そうかもしれない。だがそれで桃様達に迷惑をかけてしまうかもしれない。ましてや戦いに出るなら、距離感の不覚が致命的になる」

「けど!!いままでセコイの船で色々やってきたんだ、きっとなにかできる!」

「働くという事には責任が伴う。仕事としてやる以上、きっとでは駄目なんだ。ちゃんとできるようにならないといけない。お前だってわかっているだろう」

「それは……」


ビーマが口を噤む。

彼だって分かっているのだ。兄と同じく奴隷として働かされていたからこそ、それこそ痛いほどに。

こうして希望的観測に縋りつこうとしているのは、兄を想い、自分たちの行く先を憂う故だろう。


「確かに、働いてもらう以上はきっちりやってもらわなきゃいけない。片目の視力を失って不自由が出てくるのは理解するがな。

 何よりそれを鑑みた特別扱いの上で働いたとして、更に居心地が悪くなるだけだろう」


自分にも覚えがある。

心臓の持病が悪化して、あるいは感染症の流行で休職しなければならなくなった時。

自分の命を守るための当然の行動で、悪いことをしているわけではない、認められた行為だとしても。

その組織の一員でありながら普通の人と同じように仕事が出来ない。

それは仕方がないとされた時の周囲の目が怖かったし、後ろめたさや申し訳なさを感じてしまう自分がいた。


(勝手に自分がそう感じてしまっているだけだとしても、やっぱきついんだよな……)


堂々としていればいいという人もいた。正当な行動なのだからそんな空気を感じても図太くしていれば良いと。

実際にそうだとは思う。けれど実際にそう思えるかは、その人によるのだ。

少なくとも自分はそうではなかったし、ハヌマンもこうして会話を交わす限りではそうではなさそうだ。

寧ろ彼は自分以上にそう言ったことに敏感な性質かもしれない。

隻眼だから、奴隷状態から保護した兄弟だからと普通と同じようにできない事ばかりに目を瞑れば、後ろめたさで辛くなってしまうだろう。


お互いに言葉を探すように黙りこくって、部屋の中が静寂に支配される。

僅かな衣擦れの音が、外で風に揺れる樹木の葉の音が聞こえるなかで、先に口を開いたのは俺だった。


「ともかく、今の状態じゃ何をどこまでやれるかもわからないだろう。自分たちで生きていくにしろ此処で生きていくにしろ、それが分からなけりゃどうにもならない。だからまあ、使用期間ってことでさ、少し俺の仕事を手伝ってみないか」

「使用期間……ですか?」

「そ。俺と一緒に試しに働いてみて、それで決めてみればいい。ビーマじゃあないがうちは人手不足気味だから色々仕事はあるし、近々丁度手が欲しい仕事もある予定なんだ。」

「しかし……」

「別に同情で誘っているわけじゃない。さっきビーマに言っていた仕事に対する姿勢、丈夫な体、評価すべき点は会話の中に色々あった。

そのビーマも、あの奴隷船から逃げてきた体力と足がある。素直な子だし、若いから伸びしろもありそうだ」

「……期待を裏切ってしまうかもしれませんよ?」


そう言って、これまで俯きがちだったハヌマンの目がようやくはっきりとこちらを捉えた。

その目には先ほどのような、どこか諦めたような陰りはない。

暗闇の中に灯った灯りを見つけたように、不安の中に一筋の期待を見出した目だ。


「それを決めるのは雇う側……俺や御館様だよ」


俺はそう言って、はにかみながら手を差し出す。

それを握り返してきたハヌマンの手は一回り大きく、温かかった。

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