第十四話 前編 新たな任務

 瑠璃るり領への出立は恵比寿えびす様の言葉通り、おおよそ半月ほど経過した夏の盛りだった。

 ハヌマンとビーマにはその間に体を回復させつつ、領内の人々や蘇芳すおうの家臣団と交流してもらってた。


 始めは俺について領内の見廻りや簡単な事務仕事を手伝ってもらいつつ、ビーマにはお使いに行って貰ったりしているが、彼らの働きぶりは真面目そのもの。

 大陸西側と比べてカムナビは若干訛りがあるため、その違いに少し戸惑いはあるようだが周囲からの印象も良好なようだ。


 特に領内の子供たちからハヌマンはすぐに大人気になり、半月ほどしかたっていないにも関わらず領内を見廻ると子供が付いて来る程だ。

 穏やかな笑顔で彼らの相手をするハヌマンがあまりにも様になっていたので「慣れているのか?」と聞いたら、ハヌマンがぽつぽつと家族の話を始めたのは印象に強く焼き付いている。


「僕の家族はメルクリオで牧畜を生業としていたのですが、十六年前の天災を切っ掛けにした治安の悪化で家族も家も失い、奴隷として捕らえられました。母国にいたころは近所の子供たちも含めて弟達の相手をよくしていたので、そのお陰でしょうね」


 懐かしむようなハヌマンの目の中に、僅かに何かを堪えるような色を感じる。

 その表情はいたって穏やかなものだが、僅かに滲むその色に悲しみや怒りを感じて、先ほどの言葉の意味が一層際立つ。


「家も家族も……ということは……」

「はい。ご想像の通りです。天災そのものでは幸い家族は無事でしたが、それに安心したのもつかの間、今から数年前に何者かに家族が殺されました」

「治安の悪化……か」


 災害が起これば治安が悪化する。それはこの世界でも同じだ。

 大きな災害ともなればその回復にも時間がかかり、周囲から火事場泥棒や人さらいを目的とした輩が湧いてくる。

 中には被災した者が加害者になる場合もあって、災害で国がダメージを負ったことで治安機能がうまく機能せずにそういった連中が野放しになりがちになってしまう。


「家は燃やされ、財産の家畜は持ち去られ、生き残ったのは偶々外に出かけていた私とビーマのみ。兄は死体すら見つからなかった」

「……そっか……」


 辛かったな。とは言えなかった。

 辛いのは当然だろうし、少なくとも自分がそれを代弁できる程軽いものでもない。

 察することは出来ても、その大きさまで推し量ることが出来るほど、自分はまだハヌマンの事を知らない。


「そんな顔をなさらないでください。ビーマと私は奴隷として捕らえられましたが、お陰であなた達に会えた。


 この領の方々にも暖かくしていただいて、本当に感謝しているんです」


「その気持ちに応えられるよう、俺も良いところ見せないとな」


 そんな会話を交わし出発したのが数日前。

 ハヌマンは丈夫なのが取柄と言っていた言葉の通り驚異的な回復力を見せ、無事今回の任務に加わってもらっている。


 ビーマは留守番だ。

 彼は鯱丸様といつの間にかかなり仲良くなっていたようで、最近では空いた時間に共に勉強や鍛錬に励んでいるという。

 付いてきてもらうことも考えたが、折角鯱丸しゃちまる様と仲良くなったのであれば、大いにその仲を育んでもらいたい。

 そんなわけで彼は領内に残ってもらっている。


 付いてきてもらったのはハヌマンと勇魚いさな、花咲の爺様の三名に十名程の供の兵とごく少数だ。

 同盟領に大々的に兵を連れて行くわけにもいかないし、戦闘が発生しても自分たちで完結できてしまうからまあ当然と言えば当然だ。


 瑠璃領逢魔おうま自治区……御館様が言っていた自治区への道のりは至って順調なもので、予定よりも早く目的の人物……覚さとりに会うことが出来た。

 現在はその帰り道である。

 覚は一見すると狒々のような見た目で見方によってはほぼ毛深いだけの人間の男性だ。

 この暑い中修行僧のように黒い衣に全身を包み、笠をかぶっている為に猶更である。

 

「名前は?さとりが名前ってわけじゃないだろう?」


 勇魚の質問に対し、彼は筆を取り出してさらさらと蛇腹におられた木簡の束にそれを走らせる。

 喋ると自然と相手の思考を口にしてしまうとかで、基本的な会話が筆談で行うらしい。

 書き終えて差し出されたその木簡をみるとフランクな筆致で、(ヤマヒコデス☆よろしくネー!!)と書いてある。


(めっちゃフレンドリー……!!)


 一緒にのぞき込んでいた花咲の爺様や勇魚、ハヌマンも同じ感想を抱いたらしい。

 細い糸目ののっぺりとした顔で黙々と歩く、一見すれば地味な男だが結構なキャラの濃さである。


 彼らは元々山間で信仰されていた魔物らしく、狩りの安全を守る存在として信仰を受けていたという。

 ところが住んでいた山が切り開かれ、主要な産業が狩猟から農業へと移り変わったことで得られる信仰が少なくなっていった。

 やがて得られる信仰が少なくなった彼らの中に、信仰を得られなくなった者たちが出始めた。

 その慣れの果ての一つが、覚だという。


 信仰を得て存在を確立させるのが魔物達だが、それらが信仰を得られなくなった時どうなるのか。

 その答えの一つが、目の前の覚というわけだ。


(あの河童たちもそうだったのかな……)


 自然エネルギーの化身である魔物達は、人間の信仰によって力と形を保つ。

 人間が増えればその分信仰も得やすくなるからこそ、魔物達は人間に技術や知識を与え、時に守る。

 しかし人間が増えて活動が活発に広がれば、自然環境はどうしても変わっていく。

 それに置いていかれるものはどうしても出てきてしまうのだ。


「難しいもんだなぁ……」

「何が」


 ぼやいた俺に、勇魚が突っ込む。

 主語も何もないから、まあそうなるのも当然だろう。


「色々な。共存って難しいなって」

「あー。自治区の事か?うまく行ってる方だろうあれ」

「まあ、そうだな」


 微妙に違う伝わり方をしたが、まあいい。

 確かに覚のいた自治区は人間も魔物は当然の事、信仰を失った妖怪すらも共存し、治安を維持していた。

 

 人々の安全や生活を妖怪たちの力を借りて守らせることで、妖怪たちへの感謝や信仰をある程度確保しているのだそうだ。

 受け入れる側にも勿論メリットがあるらしく、幾らかの税が免除されるという。

 共存するところと区別するところをうまいこと分けているのだろう。


 表しか見ていないが、それでも瑠璃領を治め、自治区の管理を行っているという瑠璃の女領主の手腕が伺えた。

 それでもあくまで自治区。長い共存の歴史を持つ魔物と違って完全に彼らが社会に溶け込んでいるわけではない。

 

 妖怪たちは一般的には魔物が零落した存在と認識されているから、魔物と同じような共存が可能かどうか分からないのかもしれない。

 祭魔を筆頭にした魔物やその眷属、あるいはそれに連なる存在が人々の信仰の対象に一方で、妖怪たちは未知の存在だ。

 零落したとしても元は魔物。過去に信仰されていたことは確かだとしても、姿やあり方が変わった彼らは恐れられる。

 魔物としての力は残ったままであれば尚の事だ。


 まだ出会った妖怪と言えば河童と覚、自治区で見かけた連中くらいだが、彼らには明確な理性があった。

 それでも文化や基準の違う者との共生は難しい。

 元の世界でもそうだったのだから、残念だが当然なことではある。

 

 瑠璃の女領主もそれを承知しているからこそ、妖怪たちの居場所を自治区のみに留めているのだ。

 そんなことを考えていたら、横から体をちょいちょいとつつかれた。


「ん?」


 振り返るとのっぺりとした糸目の男。

 彼は俺が振り返ったのを確認すると、またあの木簡にさらさらと筆を走らせ、それを目の前に出して見せた。


「何々……?気にかけてくれてありがとう……ああ、頭の中を読んだのか。凄いな」


 にこにこと微笑んでいえいえと謙遜する彼は、筆談のフランクさも含めてやっぱり気安い。

 狒々のような猿顔も相まって、随分と人懐こい男だ。


「おーぅい。そろそろ昼だ。近くの村によって休もう」


 聞こえてきたのは聴きなれた酒枯れした声。

 花咲の爺様が遠くから手を振っている。

 爺様の隣にはいつの間にか勇魚もいて、少し前にはハヌマンが俺達を導くように歩いている。


「確かにお腹も空いたし、早く村に言って休もうか、ヤマヒコ」


 頷いた彼を伴って、俺はハヌマンの後ろを付いていく。

 中蘇芳の街まではまだかかるから、ゆっくり休ませてもらうとしよう。

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