第二十七話 割れた瑠璃

 領内で起こった捕虜の暗殺事件から数日。

 俺達は情報収集が行われる間、自分たちに出来ることを。と寸暇を惜しんで特訓に励んでいた。


「見てくれ勇魚いさな!なんかできた!!」

「おぉーすげー!なんも理屈はわからんがすげー!!そして凄いのは分かったから解いてくれ」


 俺が勇魚に見せびらかしているのは水で作った鎖。

 鎖は水で出来ているにもかかわらず、狛に作ってもらった二本の剣の柄を繋いだり、今しているように勇魚を、人を物理的に拘束したりもできる。


 天狗に言われた化身だの指輪を使っていないだのと言われたことが気になって、あれから魔法を色々試している。

 これまでの様な≪鉄砲雨≫や≪水刃輪≫の数や大きさ、速度を変えることに始まり、水そのものの粘度や温度などの性質変化、こまが気付かせてくれた武器の生成。


 やれること、試せることは多岐に渡る。


 しかし一番知りたかった指輪を通さない魔法の使用については相変わらず良くわからない。

 そもそも自分としては指輪と通して魔力を使っていたつもりだったので、あの言葉がどの魔法を使った時に対する言葉なのかも検討が付かないのだ。


 そしてもう一つ、奴は俺が複数の属性を使っているような口ぶりだった。

 これについても同じで、俺としては水属性しか使っているつもりはないので、これも同様に皆目これっぽっちも検討が付かない。

 身近な所で魔法に関して一番詳しそうなのは恵比寿様だが、この忙しい時期に手を煩わせるわけにもいかない。


(独学じゃそろそろ限界かもなぁ……)


 物思いにふけつつ勇魚の魔法を解除する。

 粘性を増した水の鎖は勇魚の膂力をもってしてもなかなか破れない。というが分かっただけでも使いどころのある技が増えたと考えよう。


「勇魚はどうだ?槍は順調だろうけど、魔法の方は」

「駄目だな。父上から指輪を借りてお前と一緒に塗壁ぬりかべを倒した時に感じた感覚を頭の中で反復してるが、なんか出そうで出ない」

「出そうで出ない……か。俺も教えるのは得意じゃないしなぁ」

「まあ、狛が作ってくれた槍はかなり使いやすいな。練習用だから本番には持っていけないが、鍛冶屋にもっていけば手になじむ武器が出来そうだ」


 そういった勇魚の手には、大振りの槍が握られている。

 十字架のような特徴的な穂先。

 俗にいう十字槍だが、両側に伸びる枝穂は鎌か、或いは牛の角の様に沿っている。

 逆から見れば尾の長い鳥が飛び立つ瞬間か、あるいは鯨の尾びれのようなシルエットの穂先だ。


「狛のおかげで俺達も色々と細かく試せるのはありがたいな」

「そういや狛とハヌマンは?」

「二人は一寸殿にシバかれてる」


 そのタイミングを見計らったように、一寸殿がいる道場の方向から渇いた打撃音と悲鳴が聞こえる。

 あの声はたぶん狛だろう。


 それを聞いた勇魚が、「あぁ……」と若干遠い目で道場の方向に同情の視線を送っていた。


 一寸殿の特訓はとても効果があるが厳しいのだ。色んな意味で。

 幼いころから何度打ちのめされ、何度吐きそうになって、何度痣だらけになったか分からない。

 狛達やハヌマンはかつての俺達とは違ってすでにある程度戦える分、自分たちの想像している訓練とはいくらか違うだろうが……。


「「おっかねぇ」」


 ある程度効果的と分かったら、俺達にもお呼びがかかるんだろうなぁ。

 勇魚と俺はそんな想像をしながら、再度聞こえてきた悲鳴に耳を傾け肩をびくつかせる。


 今度はたぶん、ハヌマンだ。


「まあ、今から心配しても仕方ないし、いったん休憩にしようか」

「そうだな」


 手拭いを勇魚に投げ渡すと、勇魚もそれを受け取って汗を拭い始める。

 夏の盛りは過ぎたとはいえまだまだ暑い。

 身体を動かせば尚の事である。

 汗を拭いながら、次はなにをしようかと思案したところで、訓練に使っていた中庭に少し慌てた様子の兵が入って来た。


「勇魚様、桃様、御館様がお呼びです」


 事態は動き、唐突にその時を伝える。

 俺達は急ぎ言伝をしにきた兵に礼を言うと、競う様に衣服を整え、御館様の待つ部屋へと向かった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「「失礼いたします」」


 恵比寿様の元には、すでに錚々たる面々が控えていた。


(……ちょっと遅かったか……?)


 一応急いできたつもりだったが、自分より立場が上の面々が先に集まっていると何とも気まずい。

 時間を指定されたわけではないのだが、場の緊張感もあって少しだけいたたまれなくなる。


 この場にいるのは花咲の爺様と一寸殿。

 浦島衆の頭領であるかいおと殿。

 望月衆の頭領である月代つくよ殿とそのご令孫の輝夜かぐや様。

 蘇芳すおう一の怪力で知られ、梔子くちなし領方面、西側の海の守備を担当している坂田怪童丸殿。

 そして俺と勇魚、瑠璃るり領から救援を知らせに来ていた使者の合計十名。


 蘇芳の守備に回っている将を除き、現状の主力ともいえる面々だった。

 その彼らが一様に安座なり正座なりの状態で両の手を畳について、頭を下げる。


「揃ったな。皆面を上げろ」


 俺たち二人が座ったのを確認して、号令の様に恵比寿えびす様からの声がかかる。

 その声に合わせて顔を上げると、いつもと変わらぬ表情の恵比寿様。

 いや、よくよく観察してみればその表情は僅かに、堅い気がした。


「既に皆の耳にも入っていると思うが、隣の瑠璃領主の行方が分からなくなっている。その件に関して、蘇芳としての対応を固めなきゃならん。月代」

「はい」


 恵比寿様に名を呼ばれ、月代様が少しだけ前ににじり出る。


「ここ数日で望月衆に瑠璃領の情勢をはじめとした情報の収集をしてもらった。まずはその報告を頼む」

「畏まりました。御館様。……まず、結論から申し上げますと瑠璃領主、葛葉吉祥くずはきっしょう様は今はご存命です」

「『今は』という事は……」


 勇魚が呟いた言葉に、月代様が頷いて肯定の意を示す。


「勇魚様のおっしゃる通り、よい状況ではありません。使者殿から教えていただいた廃棄予定の城には瑠璃領主様側の軍勢がおおよそ五百名余り。現在三方を敵方の軍勢に囲まれており、予断を許さない状況かと」

「相手の数は?」

おおよそ北西と西側に各千五百。川を挟んで東側に二千。各方面に大将と思われるものを確認しております」

「おいおい、圧倒的な兵力差じゃないか。よく持たせてるな」


 勇魚の言葉はもっともだ。

 敵兵力は合計で五千。十倍の兵力差ともなれば数で既に数で押しつぶされていても不思議ではない。

 まして瑠璃領主が籠城している城は廃棄予定だったために碌な防備もなく、標準的な城門と城壁、申し訳程度の土塁がある程度の平城だ。


「領主側についている将に猛将がおり、数に任せて制圧すれば味方の被害が大きくなるためかと思われます」

「それを警戒される程とは、相当な猛者じゃの」

「味方側にも数名妖怪がいるようで、彼らの力をかりて持ちこたえているようです」

「なるほど……」

「で、敵の勢力はどこのどいつだ?」

「これもそこの使者が申していた通り、領主様の弟にあたる葛葉人寿郎じんじゅろう様の手の者の様です」

「どちらも瑠璃領……ってことですか……」

「弟側についていない味方はどうなっている?」

「襲撃の際吉祥様に随行していた将たちは共に逃げ延びたようです。それ以外の者は状況を把握しているものの、常盤領の領境で小競り合いが発生し、その対応で救援を僅かしか出せずにいるようです。城に入っている五百名のうち幾らかはこの兵達でしょう。後はどちらにつくべきか、様子見をしている勢力が複数ございます」

「そうか。ひょっとしたらその小競り合いも策の内かもしれんな」

「いずれにしても、直ぐにでも方針を決め対応策を練る必要があるかと」


 厄介な話だとは思う。

 瑠璃領は蘇芳領と、更に隣の梔子領とも同盟関係がある。


 蘇芳領主の弟を瑠璃領主へ、瑠璃領主の妹を梔子領主へ、梔子領主の妹を蘇芳領主の伴侶とした、血縁と婚姻を使った三角同盟だ。

 先代から続くこの三角同盟は、貴族派とみかど派で別れるカムナビ内での派閥争いへの牽制の意味合いがある。


 普通なら大儀的にも領主側に付くべきではある。


 しかし現在の状況は領主側の圧倒的不利。

 仮に人寿郎側が新しい領主となってしまえば、領主側に味方していたことで、今後の関係に亀裂が入りかねない。

 このまま知らぬふりをして行く末を見守るという手もあるが、それはそれとして同盟関係の信頼を失ってしまうだろう。


 この情勢下で三角同盟の存在は大きく、蘇芳領の安定に貢献してきた。

 この判断を違えれば領としての威信に留まらず、領民の生活が、命が脅かされる。

 単純に大義に従えばいいという話ではない。まさに恵比寿様のその両の肩に多くの生命が圧し掛かる様は見ている此方が胃を絞られるような思いだ。


「わかった」


 それでも、この方は決断できる。


「俺達は瑠璃領主に付く。使者が必死こいて命がけで走ってきたのを無駄にはできん。それに……」


 両の肩と背に全てを負い、鯨の如く全ての善悪を飲み干しながら、さもそれが当然であるかのように、気負う素振りなど微塵も見せない。

 その姿は正に大黒柱だった。

 蘇芳の主として堂々としたその様子が、仕える側としても誇らしく思える。

 その姿に、俺も応えなくてはいけない。


「恐らくは先日の村を襲撃した件も今回の事が絡んでると見ていいだろう。大方念入りに退路を塞ぐためってところか……?どちらにしろうちの領の連中に手を出したんだ。キッチリ落とし前つけんとな」

「いいんですかい?勝ちの目は薄いように思えますが」

 

 異を唱えたのは、怪童丸殿だ。

 勇魚をも凌ぐ蘇芳随一の怪力の持ち主として領の内外にその名を知られる彼は、その名に相応しい体躯をしている。

 大きいというよりも、分厚いといった方が表現としては合っていそうな体つきだ。


 しかしながら酒を飲んだ後の様な赤ら顔と人懐こい笑顔、飄々とした態度から、体格の割に威圧感は少ない。

 彼のそんな言葉は、むしろ異を唱えたというよりは確認に近いニュアンスだった。


 彼も恵比寿様には深い信を置いている。

 だからこその言葉なのかもしれない。


「当然、無策で言ったわけじゃあない。策は幾らか考えてある。弟の方に付いたとして、梔子領が相手に付けば大義の無い此方が不利。あそこの領主の嫁の実家は瑠璃領主の家系だし、大義名分を考えても梔子領が瑠璃領に付く可能性の方が高い」

「あくまで可能性の話でしょう。弟側に付く可能性だってある」

「だから根回しをするんだよ。戦の基本は事前の根回しだ」

「……分かりました。御館様の言う事だ。信じましょう」

「よく言う。始めから俺のその言葉を引き出して、桃達を安心させようとしていたんだろうが

「はっはっは。何のことやら分かりませんなあ」


 怪童丸殿は切り揃えられた前髪を揺らしながらケラケラと笑ってごまかして見せた。

 そして恵比寿様の言葉でその真意に気付かされて、少し驚かされる。


 確かに俺も勇魚も初めての大きな戦で、いろんな意味で緊張していた。

 恵比寿様の事は心から信頼しているが、それでもこの大一番で今後の蘇芳の趨勢に不安がないと言えば噓になる。


「しかし、なんで瑠璃領主の弟は領主様に刃を向けたんだ?兄弟なんだろう?」


 少し気が楽になったのは勇魚も同じなのだろう。

 彼が一つの疑問を恵比寿様にぶつけると、それに代わって答えたのは月代様だった。


「瑠璃領主とその弟君は異母兄弟なのです。それも少々複雑でして」

「複雑?」

「はい。あまり表沙汰にはされていませんが、弟君は領主の吉祥様より半年はやく生まれています」

「なら何で吉祥様が姉になるんだ?」

「弟の人寿郎は妾の子なのです。半年の違い等大きくなれば些細な事。本来の順番を入れ替えて吉祥様を第一子としたのでしょう。さらに言えば政策……自治区の妖怪達についても方針を始めとしたさまざまな面で意見を違えているようです」

「だからって姉弟間で戦争か……。理解できねえな」

「まあ、後継者争いもなく、兄弟仲の良い蘇芳で育てばそう思うのも無理は無いわな。だがよくある話だ。血を分けた家族で争うなんざ」


 恵比寿様の言葉に、勇魚の顔が少しばかり曇る。

 時代の流れとして、やむを得ない部分はあるのかもしれない。


 血を分けた家族で争う感覚をなかなか理解できないのは、平和な日本で生きていた自分も同じだ。

 まして血を分けた兄弟のいる勇魚にとっては、尚の事難しい問題なのかもしれない。


「まあ、そういう争いが起こらないように俺らが気張ってるんだ。頼むからお前らは兄弟で殺し合いなんてつまらん真似はするなよ」


 そんな勇魚の気持ちを察してか、恵比寿様がその話題をすらっとまとめて見せる。

 簡単に言ってのけたが、この時世ではなかなか難しい事だ。

 それでもこうしてさらっと言葉で託せるのは、勇魚達兄弟への信頼の証なのかもしれない。


「まあ、ともかくまずは根回しだ。策を使うには瑠璃領主が籠る砦に誰かが潜入して直接作戦を伝える必要がある」

「では望月衆か浦島衆を」

「いや、奴らには別の仕事を頼みたい。とはいえ最適なのは確かだから、誰か人員を割いて向かわせるか……」


 砦への潜入であれば、ほぼ単騎での潜入になるだろう。

 そうなるとある程度一人で戦えるものでなければならない。

 潜入工作を得意とする彼らに頼れないのであれば、俺が考えられた結論は一つだった。


「恵比寿様、ならば私に考えがあります」

「……この任務は作戦の一つの肝だ。分かってるか?幹久や一寸にも頼れないが」

「はい。私にやらせてください。必ず成功させます」


 射抜くような周囲の視線を体中に感じながら、真っすぐに恵比寿様の目を見て俺は宣言した。

 勇魚も驚いたように此方をみている。

 そう。砦へ潜入するにあたって、最適な力を持つものを俺は一人知っている。


「桃、今回の戦はお前が経験したこれまでの戦い以上に重要な戦いだ。失敗は許されないんだぞ?」


 覚悟を問うためか、怪童丸殿が射抜くような視線はそのままに俺に問いかけてくる。

 その視線には「本当にできる」という確信があるのかを問いかける意味が多分に含まれている。


「できます。出来る奴を知っています」

「……分かった。お前に任せよう。何か必要なものはあるか」

「では、いくらか準備していただきたいものがございます」


 俺が要望したある物。

 その名前を聞いて、恵比寿様の口角が僅かに上がる。

 何をするつもりなのかを察したのだろう。


「ならもっていけ。まだ検分の最中のはずだからな。しっかり口説いてこい」

「ありがとうございます」


 確かめるような視線は其のままに、俺達は互いに口元に笑みを浮かべるのだった。

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