第六話 桃、河童と交渉する

「おっちゃん、勇魚いさなと乙殿が戻ってきたらこの書置きを渡しておいてくれ。」


いつの間にか空には鈍色の雲が垂れこみ、湿った風が体に纏わりつく。

俺は事の顛末と海岸西の大洞窟に行くことを簡単に小さな紙に書き記し、騒ぎを聞きつけて顔を除かせた近所の男に託す。

彼は野菜売りの男で、街の見廻りなんかをする際にも挨拶を交わす顔見知りだ。


「あ、ああ。それは勿論構わないが……一人で行く気か?見たところ桃君武器を持ってないだろう」

「ああ。あまり時間もなさそうだし、俺には魔法がある。元々一人で来るように言われているしな」

「しかし……」

「確かに一人じゃ危ない。だからおっちゃんがこの事を勇魚達に知らせて欲しい。

 勇魚達もこの書置きを見れば助けを出してくれるはずだ。」


野菜売りの男は気遣う様に俺を引き留めたが、俺の意思が固いと分かるとようやく引き下がる。


「わかった、気を付けていきなよ。この書置きは必ず渡しておく。凰姫こうひめ様を頼む」

「ああ。助かる」

「頑張れよー!」


男の声を背に受けながら海岸に向けて走り出す。

領主館に寄る暇はないだろうから直行だ。

焦燥感と不安感に息が詰まる様な感覚に襲われながら、俺はひたすら足を車輪のように動かし続けた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……ぅん……」


最初に凰が感じたのは、固く湿った岩の冷たさと湿って張り付いた衣服の不快感だった。

薄く開いていた目に映ったのは複数の人影と話声。

身体を動かそうと身をよじって、凰はようやく自分が縛られている事に気が付いた。


「目を覚ましたかいお姫様」

「あなたは……」

「おっと、あまり無理に動かない方がいい。周りは剝き出しの岩場だ。綺麗な顔に傷が付くぜ」

「キスケの兄貴の言う事は聞いておいた方がいいぜ姫さん。大人しくしておいた方が身のためだ」

「カワベエ。お前はお姫様を見張っていろ。余計なことは言うなよ」

「まかせとけ」


挑発するように口の端をあげてそう言ったカワベエと言う男を見上げ、凰姫は自分の状況を正しく把握した。

自分は攫われたのだろう。

視線だけを動かして周りを見てみれば、カワベエとキスケと呼ばれた二人以外に十数名の男。

それぞれ短刀や槍、手斧と言った武器で武装している。

周囲の壁や天井は床と同じような岩の壁に覆われている。

壁に沿う様に配置された松明には明かりが灯り、それを辿っていくと一か所出入り口となっているであろう横穴が見える。

中央には一際大きな松明が一つ。本来は暗いであろう洞窟はそれらで視界に不便はない。

(―――!!)

そのまま視線を床に戻したところで、凰は声にならない悲鳴を上げる。

無理が苦手な凰にとって、床のあちこちで這いまわるフナ虫は十分に恐怖の対象だった。

僅かに潮の香りもするあたり、海が近いのだろう。

気持ち悪さに叫びたい気持ちを押し殺し、必死に自分が気絶させられた時の記憶を手繰り寄せる。

この男、桃が蹴り飛ばされたときに姿を見せた相手だ。

突然地面から現れたこの男は桃の背後を取って彼を蹴り飛ばし、暫く桃が応戦していたところまでは覚えている。

桃は大丈夫だろうか。どうなったのか見届けることができず、自分は気を失ってしまった。

自分がここにいるという事実から最悪の事態が頭を過ったが、凰はそれを無理やり振り払った。


「あなた達の目的は何?私の身柄?それとも……」


カワベエに顎を持ち上げられ、凰の目の警戒の色が強くなる。

纏わりつく男たちの舐めるような視線の気持ち悪さに、背筋が粟が立ち不快感がつのる。


「ああ、安心しな。俺も兄貴もお前の身体に興味なんてない。あんたは餌。俺らが用事があるのはあの坊ちゃんだ。」

「桃に……?」

「おっと、余計なこと言ったらまた兄貴にどやされるな。まあ大人しくしておきな。

そうしたら俺らもこいつらをけしかけるような事はしないからよ」


顎で周囲の男たちを示したカワベエは、相変わらず挑発的な笑みを浮かべたまま凰姫の恐怖心を煽る。

カワベエの言葉は男達が手を出さないよう言い含められているだけで、その気になれば凰姫をどうにでもできるという表明でもある。

なんとかしてこの状況を知らせたいが、縛られて転がされているこの状態では何もできない。


(でもこの男は桃が目当てと言った……。という事は桃はまだ生きている。)


桃が生きているならば必ず勇魚や乙にも知らせてくれるはず、助けは必ず来る。


(……一人で来ては駄目よ、桃……)


唯一の懸念がそれだった。

桃は必ず自分を助けるために動くだろう。

そこに疑う余地はない。

しかし自分を助けるために勇魚達との合流を待たずに単身で桃が踏み込んでくれば、彼はこの人数を相手することになる。

父から桃が力をつけてきていることは知っているが、この二人が妙な力を使うことは攫われるときに少し見ている。

普通の兵ならともかく、一人では危険だ。


「私はそのような脅しには屈しません。桃も、あなた方の好きに出来るような人じゃないわ」

「だろうなぁ。蘇芳の姫様は色々と評判だからよ。けど、あの坊ちゃんはそうでもないみたいだぜぇ……」

「それはどういう……」


そこまで言いかけて、凰は周囲の空気が僅かに変わったのを感じた。

男たちの、あの兄弟の目つきが鋭くなってその視線が一転に向けられている。

其々が武器を手に横穴を囲い込むように動き始めると、それにつられて対流した空気が松明の炎を揺らした。


「喜びなお姫様。お待ちかねの相手がおいでなすったぜ」


キスケと呼ばれた男の冷たい声が洞窟の壁に溶けていく。

殊更に冷たくなった目つきが捉えた横穴の奥。


そこから現れた姿をみて、凰の胸の内は喜びと不安が綯交ぜになったもので満たされる。

揺れる松明を辿った視線の先、横穴を囲む兵たちの足の隙間から僅かに見える揺れる灯りに照らされて姿を現したのは、待ちわびていた、同時に来ては駄目だと祈っていた桃の姿だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


海岸西の大洞窟。

この中は水脈が長い時間をかけて地面を削ってできた洞窟だ。

迷路のように入り組んである程度の大きさの空間が行き止まりのように口を開けている。

凰姫様はその一角に捕らわれているようだった。

ここまで迷わずにこれたのは、導くように灯る松明の灯りが付いていたから。

まるで誘い込むようなその灯りに不気味さを覚えながら、奥に進んでいくとやがて奥で大きな空間が口を開けている場所に出ることに気が付いた。


(この奥か……)


指輪に魔力を通して、水によって小さな魚を形作る。


「よし、洞窟の入り口へ行ってくれ」


水でできた小魚は肯定するように小さく跳ねると、くるりと反転して入口へ戻っていった。

これで勇魚達が追いついてもここまで案内してくれるだろう。

松明の灯りもあるが、念のためだ。

ここまで来る途中何人かから襲われたが、とりあえず危なげなく返り討ちにできた。

勇魚達も襲われるかもしれないが、まああいつ等なら大丈夫だろう。

ともかく、これで準備はできた。


「よう坊ちゃん。結構早かったな。見たところ仲間もいない……。律儀なようで関心感心」

「抜かせ。お前たちが一人でこいと言ったんだろうが」

「そうだったな。俺はキスケ。こいつは弟のカワベエだ」

「桃だ」


揺れる影と火花の散る音の中で、互いの声が異様に響いた気がした。

河童の兄弟は赤い方をキスケ、苔色の方をカワベエと言うらしい。

穴の出口に到達した俺は広い空間に出る寸前で足を止める。

俺のいる穴は横穴に当たるらしい。入り口の脇を固めるように配置された松明が揺れる。

広い空間だが無数に配置された松明のおかげか思ったよりも明るい。

凰姫様がどこにいるか、まずは無事を確認したかったが俺がたったいま出てきた横穴を囲むように十数人の武装した兵が囲んでいてよく見えない。


「それにしても、俺一人に対して随分と物々しいな」

「だろう?俺としても初陣をこなしたばかりのあんたを痛めつけるのは心苦しいんだ。大人しく一緒に来てくれないか?」


……一緒に来い、という事は本命は俺か。

初陣をこなしたばかりってことも知られているあたり、ある程度は俺の事も調べているようだ。


「それは無理な相談だな。俺に用があるなら凰姫様に迄危害を加える必要はなかったろうに」

「表立ってよそ様のところを嗅ぎまわるわけにはいかないだろう?それにあんたはこうでもしないと来てくれないからな」

「そうか。だが凰姫様は返してもらう」

「悪いがどうぞとホイホイ返すわけにもいかなくてね。姫様は姫様で利用価値がある。

 返してほしけりゃ力尽くで来な。

 だが俺達も力尽くでお前を連れて行かせてもらう」


短い会話の中で徐々に互いの雰囲気が臨戦態勢になっていくのを感じる。

周囲の十数名は武装している上にキスケとカワベエと名乗った兄弟は特殊な力を使う。

それに対してこちらは徒手空拳と魔法のみ。

状況は良くないが、こちらもそれなりに鍛錬を重ねている。

勇魚や乙殿が来るまでの時間くらいは稼げるはずだ。


「交渉決裂だな。」

「そうみたいだ。残念だが、さっきの言葉通り痛めつけさせてもらう」


キスケが言い終えるのと俺が飛び出すのはほぼ同時だった。

カワベエがそれに合わせてナイフを投擲する。

横穴を飛び出した俺はそれに合わせて天井ぎりぎりの高さまで跳躍すると、体を捻って武装する集団の一人、細身のスキンヘッドの男に跳び蹴りを見舞った。

頭を綺麗に捉えた跳び蹴りにたまらずスキンヘッドの男が転がっていく。

その様子を傍目に転がって受け身を取ると、突撃してきた小柄なナイフ使いの男に足払いをかけた。

その隙を捉えるように頭上から剣が振り下ろされたが、これもバク転で躱して距離を取る。

次に突撃してきたのは槍を持った二人。

突き込まれた槍を躱し、思い切り近づいて叩き込まれた槍の衝撃を殺して受け切った。

そのまま腕を取ってもう一度突き込まれる槍に対して盾代わりにさせてもらう。


「なっ」


仲間を突いてしまった男は予想外だったのだろう、たじろいだ様子を見せた。

その隙に顔面を殴りつけて背負い投げの要領で投げ、そのまま担ぎ上げて足払いをかけて尻もちをついていたナイフの男に向けて投げ飛ばした。


「ふぎゃ」


小柄な男が投げ飛ばした男に潰されて声をあげる。

絡みついたようにもつれ込んだ二人はそのまま岩の上に転がって動かなくなった。


「調子に乗るんじゃねえ!!」


直後に後ろから振り下ろされたのは手斧。

これを少し横にそれて躱すと後ろを向いた状態で腕を取り、後ろに中段蹴りを見舞う。

さらに蹴りの衝撃で手から離れかけた斧を奪い取り横なぎに振るわれた剣を受け止める。


(…今のは危なかったな…)


少しひやりとしながら剣を弾いて、水魔法で作った勢いよく水流を足元にぶつける。

足を取られた剣士がそのまま滑って転んだところで今度は剣を奪い取った。

さらに周囲が開けたところで弓が射かけられるが、剣でそれを打ち払うと手斧を射手に投擲して討ち取った。

射手はもう一人、弓をつがえる前に近づいて制圧したいが、足元に違和感を感じて飛び退く。


「あの河童兄弟か…!」


河童の兄弟の行方を確認すればキスケと名乗った兄の方は動かず此方の様子を窺ったままだ。

恐らくはちょっかいをかけてきたのは弟のほう。

一か所に留まるのはあの沼につかまってしまうだろうから避ける必要がある。


(姫様もあそこか)


手斧を受けて倒れた弓兵の背後に鮮やかな紫陽花青の着物の裾が見えた。

破れた着物の裾から縛られた足も見える。

この中で放置していてはまた人質にされる危険があるから、なるべく早く助ける必要がある。


河童の術に足を取られないよう、足元に気を配りながらさらに襲撃してくる兵の攻撃を凌ぐ。

剣を振りかぶってきた男の剣を奪った剣で受け止め、腹に蹴りを入れて柄で首を打ち据える。

両刃の斧を振るってきた男に対しては斧を剣でいなして、顔面に水魔法を打ち込み、怯ませて股間を蹴り潰した。

ナイフを持って襲い掛かってきた男には水弾をぶつけて対抗し、槍の突きは躱したところを掴みとって脇腹を二度蹴り込み投げ飛ばした。

そして最後、残った弓兵が射かけた矢を剣で弾き接近、弓を叩き切って柄で顎をかち上げた。


「姫様、遅くなりました」

「桃……!」


倒れた弓兵が持っていた短刀を奪って素早く縄を切り、凰姫様を解放する。

顔色は悪いが怪我はしていないようで、すこし安心した。

唯一の脱出口である横穴の入り口にはキスケが陣取っている。

直ぐに脱出させるのは不可能。

手足の自由を取り戻した姫様を助け起こすが、まだ河童の兄弟が残っている。

赤河童のキスケは以前入り口を固めているが、弟の方は姿が見えない。

恐らくは襲撃時と同じように地面に潜っているのだろう。

案の定足元がぐずぐずと変化し始めたのを感じて、俺は彼女を抱えてその場から飛びのいた。

沼と化した岩場から緑色の腕が飛び出て、空を切る。


「姫様はどこかの岩場の影に隠れててください。

奴らが横穴から離れたら脱出を。道中の敵は気絶させてます」

「……分かった。気を付けてね」


姫様が近くの岩場の影に隠れに走るのを背に、飛び出た腕を切りつけにかかる。

それを察知して即座に沼に引っ込んだ腕は再度俺を捕まえようと足元を変化させるが、それも移動することで避けた。


「チィ、ちょこまかと……」


痺れを切らして出てきたのはカワベエ呼ばれていた弟の河童。

やはりあの奇妙な力で地面に潜っていたようだ。


「それはお互い様だ。ちょっかいばかりかけやがって。その奇妙な技、魔法か?」

「こいつは魔法なんかじゃあねえよ。あれは俺達の魔物としての固有能力だ」


その言葉に眉を顰める。この言い方はまるで自分たちが魔物であるかのような言い方だ。


「魔物としての…?お前たちは魔物なのか」

「そうじゃあねえ」


疑問を口にした俺に割って入ったのは兄河童のキスケの方だった。

俺が凰姫様を逃がした時も横穴に陣取っていた彼は、カワベエとやり合っている最中にこちらへ近づいてくるのが見えていた。


「兄貴、横穴見張ってたんじゃあ」

「本命はあんただ。正直想像以上の力だ。まさか兵たち全員やられるとはな思ってなかった。カワベエだけじゃ荷が勝ちすぎてる」

「それはどうも」

「話を戻そうか。俺たちは魔物じゃあ無ぇ。祭魔やその眷属達が零落した一族…妖怪の河童ってやつだ」

「妖怪……」

「種族の呼び名は昔次元穴を通して異世界から来たっていう奴が付けたらしいがな、まあ要するに魔物から外れちまった半端ものさ」


キスケはそう言って自嘲するように肩を竦める。

しかし言葉とは裏腹にそこに一切の負い目は無い。

むしろこちらを軽く見ているような調子だ。


「俺たちはもともと沼地を守護する魔物として信仰されていたんだがね、それが堕ちてこの様だ。

 だが力は当時のまま。お前たちの言う魔法なんて目じゃない。魔物としての能力がある。」

「それがあの地面に潜る力ってことか」

「そういう事だ。俺たちは何処にでも水脈を作って何処にでも潜ることが出来る。

 どこにいようが俺たちはお前を引きずり込めるってことだ」

「成程、確かに厄介だが……」


不意打ち…になるのかもしれないけれど、構わない。

俺はまだ弱い。勝つための手段は問えない。

ましてや二体一で相手は特殊な能力持ちだ。


言い終わる前に、俺は剣を構えて即座にカワベエに切りかかった。

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