第三十七話 四肢と鼠は暴れ狂う
味方の鬨の声が、波のように次々と寄せて聞こえてくる。
その熱に充てられたかのように、俺は急ぎ馬を駆った。
瑠璃領反乱軍、総大将の陣。
目指すべきは、その陣に構える大将の首だ。
鬨の声に気付いた敵兵たちが慌てて武器を手に出てくるが、やはり勢いは止まらない。
「ぬん」
酒呑が軽く地面を撫でるように、棍棒を振り上げる。
軽く振り上げたように見えたその棍棒は、驚くべき力でもって敵兵たちを纏めて吹き飛ばした。
俺も両刃の剣を二本鞘から抜き放ち、正面から来る敵の一団を見据える。
(さてさて、練習の成果を見せるかね)
「《
剣に渦巻くのは無数の水刃輪。
魔力によって圧力と流れを与えられ、正真正銘の丸鋸となったその水の輪は、俺が剣を振るうと同時に敵兵の一団へ投げ込まれていく。
水刃輪は見事に敵兵を捕らえて、兵士の身体を鎧を着ている者は鎧ごと切り裂いていく。
(……もうちょい切れ味を鋭くしないとなぁ)
やはり数発同時に、それも投擲するのは難しい。
雑兵相手に通用しても、強敵相手には恐らくまだ通用しないだろう。
血の海に倒れた兵達は動かない。苦しませずに済んだのならばいいが、今は確かめる時ではない。
酒呑は既に総大将の陣の中にいる。
あの鬼は誰よりも派手な装いで、誰よりも目立ち、誰よりも狙われながら、それを蹴散らして真っ先にここへ入っていったのだ。
俺も後へ続かねばならぬと馬を進めると、そこには無数の巨大な鼠の化け物。
そして法衣のようなものを着た鼠顔の人物が一人。
否、鼠顔というか、頭が鼠そのものである。こいつも妖怪だろうか?
頭が鼠であるために、性別の判断も付かなかった。
そんな奇妙な集団が、酒呑と、それから一寸殿と睨みあっていたのである。
「おう桃、やっと来たか」
幸い敵は奥側だ。
睨みあっている二人の元へ馬で駆け付けると、俺に気付いた酒呑が相手を見据えたまま迎え入れてくれる。
「この奇妙な光景は……」
「あの鼠頭……。鉄鼠の野郎の力さ。あいつは信仰を受けてた魔物じゃないんでな、見た目と言い、ちょいと変わってるのさ」
「信仰を受けていない?」
「まあ、その話はあとでな。さっきから鼠どもを片付けてるが、ちと面倒になって来たところだ。鉄鼠は俺が相手するから、桃はそこの爺さんと鼠の相手を頼むわ」
そういって一寸殿を顎で示した酒呑は、どうやら鉄鼠を単騎で相手取るつもりの様だった。
とはいえ気が引ける。
実力ある猛将という話は聴いていたし、その力の一旦は見ているものの、鉄鼠の方の実力は未知数だったからだ。
一方で、さっきの酒呑の発言から既に戦ってはいたのだろう。
今ようやっと気が付いたが、周囲には人の身の丈ほどもある巨大な鼠の死骸が凍り付いた状態でいくつも転がっていた。
(これを一寸殿と酒呑が……)
酒呑は鉄鼠の事を知っているようだった。先ほどの言葉に根拠はある、ということか。
こっそりと一寸殿に目配せすれば、一寸殿は俺の心の内を汲み取ってこくりと小さく頷いた。
「任せてもいいのか?」
「ああ、任せとけ。むしろ今回の戦はお前たちの手を借りちまったからな。最後くらいは自分で片を付けさせてくれ」
「わかった」
「鼠どもは我らが引き受けましょう」
俺の言葉を聴いて満足げに笑った酒呑へ、今度は鉄鼠が憎々し気に言葉を吐き出す。
まるで親の敵でも見つけたような冷たい声だ。
「なんじゃ、また増えたのか。今日は余計な客が多い事、それもこれも
「そういうなよ。なんだかんだで待ってくれてたじゃねえの」
「ふん。我らを謀った連中がどんな面か拝んで文句を言ってやりたかっただけじゃ。一人増えたところで結果は変わりあるまい。いくら酒呑童子とはいえ、数の暴力には敵うまいよ。そこの爺はともかく、若い方は経験も浅そうじゃ……ほれっ」
成程、どうやら鉄鼠は俺の事を軽く見ているようだ。
経験が浅いのは確かだが、こちらにも蘇芳の将としての意地がある。
舐められっぱなしでは終わるわけにはいかない。
わらわらと湧いていた巨大鼠の一匹が、襲い掛かってくる。
ちらりと見れば袖で口元を隠しニタリと目元に笑みを浮かべる鉄鼠。
鼠の歯が、俺の顔面を無残に齧り取る、そんな想像をしているのだろう。
だがそうはいかない。
鞘から抜き放った剣に、水の魔法を纏わせる。
塗壁との戦いで使った、水刃輪を纏わせた剣の改良版。
《
圧力を伴った水の刃が、剣に薄く纏わりつく。
以前よりも無駄なく絡みついた水の刃は、剣を走って火花のように水の飛沫を上げた。
そうして飛びかかってきた鼠の歯をしゃがんで躱し、無防備な柔らかな腹に向けて一閃した。
――ギャッ
短い断末魔と共に、巨大鼠の身体が両断される。
しかし剣には返り血も脂も付かない。
纏った水の飛沫が全てを洗い流していた。
「一寸殿、一つ提案があります」
「それは如何なる」
「鼠狩り競争とか、どうですかね」
「面白そうですな」
「では、数が多い方が今度甘味を奢るという事で」
「ふふふ、では、そういたしましょうか」
それが合図だ。
「配下の鼠たちを一匹倒したくらいで粋がるなよ小僧!」
鉄鼠が背後の鼠の群れを俺達に一斉にけしかける。
それでも俺達は動かず、武器を構えて一寸殿と共に殺到する鼠の群れを迎え撃った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鋭く研がれた鉄の爪が、
長い腕から繰り出される不規則な動きに、勇魚は槍捌き一つで対応していく。
振り回される腕に巻き込まれて、周囲の馬印や床几がなぎ倒される。
「どうした、大きな口を叩いた割には防戦一方ではないかっ」
「お前たちこそ、俺を攻めきれてないんじゃないか?正義の妖怪が聞いて呆れる……ぜっ!」
背後から襲い掛かってきた爪を、槍を器用に取り回しながら弾いていく。
口では反論するも防戦に徹さざるを得ない事実に、勇魚は僅かに表情を歪めた。
手長足長は肩車した状態ではさながら巨人だ。
その身の丈は勇魚の二倍はある。
手足に限って言えばある程度自由に伸び縮みさせられるようで、それがまた厄介だった。
手数は問題ではない。
ただ前後だけでなく上下からも立体的に、蛇のように襲い掛かってくる相手の腕が問題だった。
加えてその長さも厄介だった。
手長足長の武器は、言うまでも無く異常なまでに長い手足と、その先端の爪だ。
そしてその間合いと動きは、勇魚の槍以上に長く自由自在だ。
結果、此方の長所である間合いを活かしきれず、防戦を強いられている。
(まるで間合いの長い鞭を手足みたく使いこなしてるみてぇだ……、いや実際手足なんだけど)
――どうするべきか。
必死に頭を動かして、打開策を探る。
言うまでも無く間合いの長い武器の弱点は懐に潜られることだ。
自分が槍を使う以上、それは理解している。問題はその方法。
勇魚は比較的体格も大きく、扱う槍もそれなりに大きいために自分以上の間合いの相手と戦った経験が少ない。
例えば剣をよく使う桃であれば、自分よりも間合いの長い相手に対して近づく術もいくつか持っているのだろう。
(けど俺は桃じゃない、あいつと同じことは出来ない……)
桃ならどういう手段をとったか、という方向に向かいかけた思考を振り払う。
大切なのはそっちじゃない。自分が出来る接近の手段は何か、だ。
桃だって同じだ。俺がどういう手段を取るかではなく、自分がどういう手段を取るべきかを考えるはずだ。
(そうだ、桃だって自分が取れる手は何かを探すはずだ。俺は俺のとれる手でこの状況を変えるっ)
手には狛の試作を参考に作った槍急ぎで拵えてもらった槍が一本。
そして腰には接近された時のための短刀が一振り。
近接時には一寸から鍛えられた格闘術からの組討ちが可能。
そして相手の間合い。
何度も何度も防御するうちに少しずつ穴が見えてきた。
最初はその奇妙な動きに対応するのに手いっぱいだったが、よくよく観察すれば彼らの動きには穴が多い。
それもそのはず、彼らの手足は鞭のように長くとも、軟体動物のように柔らかいわけじゃない。
妖怪である以上やはり特殊な体なのか、多少しなったり曲がったりはするようだが、しっかりと骨が通っていて、関節がある。
そして関節がある以上、無尽蔵に見える攻撃にも動かせる範囲と挙動に制約があるし、なんなら長い分死角も広くなる。
時折足長も攻撃してくるものの、立って攻撃する以上手長ほどの自由は無いから注意すれば対応は難しくない。
問題は懐に入る隙をどう確保するか。
(なにか使えるものは……)
周囲には手長足長の攻撃に巻き込まれて倒れる兵士たちの無数の骸と、陣に備えられていたであろう備品の数々。
そのなかにひときわ目立つものを見つけ、勇魚の直感がそれを取りに行けと告げる。
それは勇魚が持つ槍と同等の長さを持つ、なぎ倒された馬印だった。
(あれだ!)
一旦下がって手長の攻撃の範囲外に逃れ、勇魚は大回りに回り込みながら馬印を目指す。
手長の腕が追いかけてくるが、その挙動は何処か手探りだった。
手を伸ばせばある程度どの範囲でも届いてしまうために、細かい部分は手探りなのだろう、と勇魚は気付く。
加えてこの夜の闇だ。
陣の中の光源であった燭台はなぎ倒されており、幸い火が燃え移ることは無かったものの無事なものは僅か数本。
その僅かな灯を頼りに、手長は肩車にされた状態から体制を変えつつ腕を伸ばして勇魚を追い続ける。
それでも身体を捻ったりといった体制から正確な動きは難しいのか、勇魚はさほど苦労せずに倒れた馬印を拾い上げることが出来た。
(よしっ)
そのまま領の手に二本の長物を携えて、勇魚は更に回り込むように走り続ける。
手長の足場となっている足長も、向きを変えながら手長の動きを助けるが動き回る勇魚の位置を掴み切れていないようだった。
「そこだぁ!!」
そうして回り込みながら、勇魚が辿り着いた先。それは丁度手長の真後ろに当たる位置であった。
「なめるなぁ!」
肩に担がれた手長が、まるで曲芸師のように足長の首に足を巻き付けて身体を逸らす。
足長が反転するよりも、自身の長い腕を活かしたほうが早く妨害できると考えたのだろう。
その予測の通り、手長は逆立ちをするような格好で勇魚の目の前に長い腕を振り下ろした。
「甘いわ、貴様の考えるようなことなど、我らにも考え付く!」
「そうかい。だが其の体制、ちと無理があるんじゃあないか?」
そう、予想通りだった。手長にとっても、そして勇魚にとっても。
腕を伸ばせば届く故に。手長も足長も、補える間合いの長さ故に。
少しばかり無理な体制になっても、それによって腕が届くのであれば、方向を変えたりすることよりも長い腕で勇魚を捕まえようとするのを優先していた。
そして当然、手長足長にとって勇魚が大回りを始めた時点で背後に回りこもうとしている事は分かっていた。
そして勇魚の予想通り、手長足長は振り向いたり、方向を転換する事でなく、無理やりにでも体制を変えて勇魚へ腕を伸ばそうとしたのだ。
結果、手長足長の姿勢は正面を向いたままの足長の首へ足を巻き付けた手長が、逆立ちで勇魚と向き合うとういう、ブリッヂのような姿勢になっていた。
「倒れちまえ」
そういって手長の顔面に向けて、槍を突き込む。
「ぐおっ」
地面から手を放して、少しでも状態を起こして手長はそれをどうにかして躱す。
(しまった……体制を戻すには勢いが足りん……!)
早く体制を戻さなければ、と考えるも、直ぐには無理だった。
腕の長さの分上半身の思い手長は、腹筋だけで身体を起こすのに時間がかかるのだ。
「俺だって多少横着な体制で物を取ったりするけど、お前らのそれはちょっと度が過ぎてる。そういうのはよ、却って面倒を引き起こすもんだ」
槍が躱されたことで、手長足長の体制がさらに不安定になる。
手長が後ろへ逆立ちをした代償に、足長の重心も後ろにかかっている。
「手足の長さがお前たちにとっての自慢で、何より信頼する武器だったんだろう。けど、普通に振り返ったほうが早かったはずだ。身をもって味わいな」
(まずい……っ)
(崩れる……っ!こける……っ!)
状況を察した足長が慌てて躱そうと片足を上げるが、それは却って事態を悪化させる結果となる。
その重心を掬うように、勇魚は馬印と槍が同じ方向へ続けざまに薙ぎ払う。
それが決定打だった。
馬印と槍に寄る足払いを続けざまに喰らった足長の身体がぐらりと不安定に揺れる。
「「うおぉおぉおお」」
どうにかした体制を立て直して立とうとする二人だったが、その様子は生まれたての小鹿のように不安定だった。
しばらくそうして格闘していた手長足長は、やがて姿勢を保ち切れなくなったのだろう。
情けない声を上げながら、そのまま二人共々崩れ落ちていった。
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