第三十六話 矢車城の戦い

 矢車城西側の陣では、先に攻撃を受けた陣にいた兵達の混乱の余波を受け、同士討ちが始まっていた。


「ええい、何をしておったのだ歓吉のやつは!これだから身分の低い奴など信用ならんのだ!」

「者共落ち着かぬか!くそっ、面倒を引き起こしおって、この戦が終わったら必ず責任をとらせてくれる!」


 歓吉の陣にいた兵達同様寝入って休んでいた兵達は、突然なだれ込んできた恐慌状態の味方に巻き込まれて大混乱に陥った。

 視界の聴かぬ闇の中では着の身着のままの兵達は鎧兜を脱いだ蘇芳の兵と区別をつけることが難しい。

 それに加えてこちらでも浦島衆に寄る同士討ちを装った工作が尾を引いていたのだ。


「逃げるんじゃあない!逃げる者は俺が殺す!」


 そう言って唾を飛ばして叫んだのは、この陣を預かる将の一人の男であった。

 彼は逃げまどう兵の一人の頭を鷲掴みにすると、そのまままるで羽虫でも払うかのような仕草で腕を振り回す。

 人一人を鷲掴みにしているとも思えぬ速度で振り回される腕は、驚いたことに当人の身長の倍ほどもあった。


 異様に長い腕は兵の頭を鷲掴みにしたまま、撓る鞭のように敵味方関係なく周囲の兵達をなぎ倒していく。

 そうして一通り暴れまわると、まるで獲物を吐き出すかのような仕草で鷲掴みにしていた兵を放り捨てる。


「ひっ……!」


 それを見た敵兵たちは一斉に慄き、後ずさりを始める。

 混乱状態の最中、逃げ惑う反乱兵の足を止めたのは皮肉なことに恐怖だった。


「お前たち、人寿郎様についた以上逃げることは許されぬ!我らの正義の前に夜襲など何するものぞ。戦え!」


 更に彼らを追い詰めるように、もう一つの影が兵達の行く手を塞ぐ。

 まるで蜘蛛か蟹のような、異様に脚の長い男だった。

 腕の長い男と同じく、その長さは優に当人の身長の倍はあるだろうか。

 それぞれが異様に長い手足をもって兵達を蹂躙する様は、兵達を委縮させるには十分だった。


 逃げ道を塞がれる形となった兵達は体を震わせながら、唯一手に持っていた武器を取り踵を返す。

 とうぜん鎧など満足に着けていない。置いて逃げてきてしまったからだ。

 中には武器すら持たずに逃げてきたものもいた。


 そういったものも含めて、皆命を諦めた様な表情で踵を返していく。


「それでいい」


 陣を預かる二人の将は、その様子を見てようやく満足げに笑う。

 歓吉のように失敗などするわけにはいかないと、二人の誇りと奢りが兵達の撤退を許さなかった。


「ずいぶんひでぇことしやがる」


 その満足そうな笑みを崩したのは、勇魚いさなの槍だった。

 二人の男はそれを表情を変えぬまま下がって躱すと、槍を突き入れてきた勇魚を睨み返す。


蘇芳すおうの将か、ずいぶんと卑怯な真似をするのだな」

「戦に卑怯もへったくれもあるかよ。お前たちは、この陣の将でいいか?」


 槍を構え、念のために勇魚は確認する。

 鼻息を荒くするなと言われていたのに、突っ込み過ぎてしまった。


(二人相手はさすがにヤバい……父上が来るまで時間稼がねえと……)


「お前たちのその妙な手足、妖怪か?」

「ご名答。俺は人寿郎様の将、手長」

「同じく足長」

「我ら双子は瑠璃新当主人寿郎様の忠実なる僕!」

「姑息な手を使う蘇芳の将よ!我ら正義たる手長足長兄弟が、成敗してくれる!!」

「人呼んで!」

「正義の使者!手長足長兄弟!人寿郎様に代わって成敗仕る!!」

「……」


 二人の将、手長と足長は交代で口上を口にしながら、肩車を組み勇魚を見下ろす。

 手長も足長も、其々の長い手足に刃のような鉤爪を纏っていた。

 防具は無い。元々体形の問題で付けていないのか、或いは他の兵達のように脱いで休んでいたのかは分からないが、一軍を任された将にしてはボロボロの衣服に褌を付けただけの、随分と貧相な出立だった。


「ふふふ」

「恐ろしくて声も出まいか」

「違ぇよ。いちいち二人で喋るんじゃねぇ。不潔な格好で妙な口上宣いやがって。ところで、お前ら名前はねぇの?」


 言葉を失っていた様子の勇魚に、手長足長の兄弟は自己満足に満ちた笑みをもって話しかけた。

 一方の勇魚はそんな様子の兄弟の言葉を否定しつつ、浮かんだ疑問を口にした。

 これまで勇魚があってきた妖怪には皆名前があった為に、気になってしまったのだ。

 

「我ら!正義の使者!」

「手長足長兄弟である!!」

「それは分かったから……、俺が聴きてえのは、河童のキスケや塗壁のガンリョウみたいな人間みたいな名前の事だ」


 勇魚が若干頭痛を感じながら聞き返すと、二人の将は肩車を組んだままふぅむ、と一つ考えるような、困った様な仕草を始める。

 そうしてほんの少し考えたところでようやく答えを出したのか、「うむ」と声をあげて改めて勇魚を見下ろした。


「キスケにガンリョウと言うのは、あれか。あの任務を失敗した出来損ないどもか」

「我らに奴らのような名前は無い。人間のような名前を持つなど、恥知らずな事よ」

「仲間なんじゃないのか?随分な言い草だな」

「キスケもガンリョウもそれなりに実力はあるさ。だが誇りが足りぬ。人間に甘い。だから任務を失敗したのだ」

「……お前たちが付いた瑠璃領主の弟君も人間だ」

「確かに。だがあのお方は別だ。人に捨てられた我らを拾い、召し抱えて下さった。我らのような逸れ者をだ」

「つまりあの方には!正義がある!あの方の為に戦えるのであれば、名などいらぬ!」


 興奮して次第に声を荒げ始めた二人の妖怪は、人寿郎に心酔している様子だった。

 人寿郎に、そしてそれに付く自分たちにこそ正義があると言い切る当たりに傲慢さが感じられてしまって、勇魚は思わず引いてしまう。


「それで領を割って姉を襲撃かよ。正義が聞いて呆れるぜ」

「なに?」


 挑発も込めて口にした勇魚の言葉は、思いのほか効果があったようだ。

 相手の正義の是非は置いておいて、少なくとも兄弟で争ってまで権力を争うということが、勇魚にはまだ理解できなかったのだ。


「怒らせたか?でもガンリョウの方が圧があったぜ。あ、名前が無いのはあれか。持たないんじゃなくて持てないのか?人間を嫌ってるみたいだし、名前を付けてもらうような信頼関係もお前らみたいのじゃあ築けないわな」


 勇魚の言葉に、二人の妖怪はワナワナと身体を震わせる。

 血が上った頭には血管が浮き上がり、ブツリ。と何かが切れたような音が聞こえた気がした。


「貴様ぁ!!」


 肩車をした状態のまま、手長と足長の二人は勇魚に襲い掛かる。

 鉤爪を付けた長い腕は鞭のように勇魚に襲い掛かるも、勇魚はその動きに惑わされることなく、鉤爪が体を斬りつける瞬間に合わせて槍で弾き返していった。

 相手の動きは怒りの為か大振りで、比較的対応しやすい。


「ぬぅ」

「小癪な奴」


 対して、勇魚を攻め切ることが出来ない手長足長は唇を噛んで憎らし気に勇魚を見つめた。

 それに対し、勇魚は引き続き相手の大ぶりな攻撃を誘うために挑発を続ける。

 肩車したままで別れて襲ってこないのも好都合だった。


「俺もそこそこやるだろ?だが、それにしたってお前たちが馬鹿にしていたガンリョウの方が強かったな」

「言わせておけば……!」


(とはいえ、奴らはまだ本気じゃない。俺一人じゃやっぱ荷が重い……)


 相手の実力を全く推し量れない程、勇魚は未熟ではない。

 挑発して相手の動きが雑になっているからいいものの、いつまでもそれを続けれらるわけではない。

 父の到着はさほど時間はかからないだろう。

 だからそれまでの時間を稼ぎ、そして可能であれば明確な隙があれば一撃重い攻撃を入れたかった。


(さぁて、どれだけやれるか……)


 大丈夫、焦りは無い。

 先ほどの父とのやり取りで、頭は冷えている。

 ここまで突っ込んだのは、桃への対抗心だとかそういう理由じゃない。

 父からの期待、それに応えたいがためだ。

 それでも父の忠告は無視した形になってしまったが、だったら猶更、ここでやられるわけにはいかなかった。


(忠告破っちまったんだ、きっちり生きて戻って叱られねぇとな)


 勇魚は槍を構え、手長足長へと走り出す。

 目の前の敵をただ偏に見据えたその眼差しに、もはや迷いは無かった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「吉祥様、桃様、恵比寿様の部隊が夜襲を決行し、現在敵陣は総崩れとなっております」


 そう言って吉祥様と俺の元に状況を告げに現れたのは、瑠璃領主への反乱軍に紛れ込んでいた浦島衆の男だった。

 夜襲に合わせた反乱軍の同士討ちを装った浦島衆の兵達は、逃げ惑う者たちに紛れ込んでひっそりと此処までやってきたのである。


「わかった。しかし恵比寿め。私を利用して夜襲の下地を作るとは随分と面白いことをする」


 皮肉かはたまた本心か、その報告を受けた吉祥殿は煙管を燻らせて唇に妖艶な笑みを浮かべる。

 そのまま優雅な所作ですらりと立ち上がると、後ろの沙羅殿に目配せをして、胡坐で酒を呷る酒呑の元へと歩き始めた。


「桃、何をしておる。其方もカワベエを連れて付いて参れ」

「あ、はい!」


 見惚れるような美しい所作を呆けて見送っていると、吉祥様は少しだけ振り返って俺に付いて来るように告げた。

 これから、始まるのだ。

 

 本格的な戦いが。


「なんだ、緊張してるのか」

「そりゃまあ、大きな戦は初めてだからな」

「まあ、肩の力は抜いておきな。却ってそのほうがうまく行くもんだ。なんせ天下に名高い白鯨殿と、うちの女狐様が整えた部隊だ」

「まあ、そうだな」

「それに何より、俺がいる」


 親指で自らを示す酒呑の表情に、憂いは全くない。

 それはなにより酒呑自信が、己の実力に自信を持っている事の証左でもある。

 実際、彼の力は凄まじいものなのだろう。

 なにせこの不利な状況で、ここまで城と吉祥様を守り続けたのだから。


「別に酒呑の実力を疑ってるんでもないよ。夜襲が成功して敵が崩れているなら、このままいけば勝てる戦いだ。そこに疑いは無い」

「じゃあ何だってんだ?」


 酒の入った瓢箪を呷りながら、酒呑は視線だけで此方の様子をうかがっている。

 此方の言葉の真意を確かめるようなその視線に少しの居心地の悪さを覚えながら、俺は言葉の真意を告げた。


「勇魚は……、家族同然に育った俺の親友は、恵比寿様の期待を背負って最前線に出てる。それを思うと、この役割をこなすだけじゃ足りん」

「そりゃあお前、その勇魚って奴だって一緒の事考えてるだろうさ。それに今回のお前さんの役回りは俺達との連携を繋ぐ役だ。あれもこれも役を掻っ攫うなんざ、欲張りすぎってもんよ」


 酒呑の言葉は、たしかに的を射ているように思う。

 今回の自分の役は連携を取るための連絡役であり、最前線で戦う役ではない。

 味方との連携をとり、最上の戦果を上げる。個人の戦果は二の次なのだ。

 それに、酒呑風に言うならあれもこれもと役を搔っ攫うなんていう行為は、ただの傲慢だ。


「そうだな。心得ておく。ありがとう」

「応さ。ともかく無理に突っ込んで死ぬなよ。お前さんとはまだまだ話足りないからな。戦が終わったらゆっくり飲みながら話がしたい」

「酒は弱いんだ。飲みながらってのは勘弁してほしいが……話ならいくらでも」

「よし、言質は取った。それじゃあ張り切っていこうかぁ!」


 城門が勢いよく開け放たれ、城に潜んでいたすべての兵達が一つの生き物のように進軍する。

 既に城の近くに陣取っていた敵兵の姿は無い。

 城を攻撃していた敵陣は夜襲によって踏み荒らされ、将兵は敗走している。

 変わりにそこには一寸殿の率いる蘇芳の兵達が待っていた。


 矢車城の兵達と合流し、これで総計千二百名程の部隊となった。

 駆け抜けるのは川向うの敵本陣。

 城から見て東側に陣取った、総大将鉄鼠てっその構える陣だ。


「鬨の声を上げろぉ!うちの領主様を裏切った連中を、驚かしてやれぇ!!」


 戦闘で馬を駆る酒呑が声を張り上げる。

 皆が一様に無言を貫いて川を渡り、既に敵本陣は射程内に入っていた。

 もう既に気が付いているのだろうが、遅い。


 他の二つの陣の兵達は敵本陣から離れるように誘導されていた。

 騒ぎを聞きつけ、夜襲に気付くころには既に喉元まで刃は迫っているのだ。


 雄たけびを上げて敵本陣へ突貫する酒呑に千二百の兵達は、敵兵を動揺させる為か、口々に「勝った!勝った!」と鬨の声を上げて続いていく。


 敵兵に戦意なし。蘇芳の救援も同様。数では此方が圧倒的有利。

 そうして城を囲み、時間をかけてしまった結果がこれだ。

 攻撃していればよかった、というのは結果論に過ぎないかもしれない。


 それでも今この状況が全て。

 勝利を確信し、矢車城を囲んでいた敵陣が今すべて、逆に攻撃にされされていた。

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