第三十五話 急転

 その晩、歓吉は休む判断を兵達の自己判断に任せ、自らは起きて寝ずの番をしていた。

 理由は簡単だった。

 単に背筋を虫が這いまわる様な、そんな嫌な感覚がしたからだ。


 かといって兵達の中でいう事を聞くものは少ない。

 だからこそ歓吉は休息を自己責任とし、自らの命に従う僅かな兵と共に夜を明かしていた。


「全く。こんな時に兵達を統率できんとは、無能な自分が嫌になるのう」

「そんなことはおっしゃらないで下さいよ歓吉様。奴らは歓吉様をやっかんでいるか、歓吉様の凄さを知らん連中ばかりなのです。

 なんせよそ者ばっかりなんですから」

「あんちゃんの言う通りですよ。歓吉様には俺ら兄弟が付いてますって」


 自分の求心力の無さを嘆く歓吉を宥めるかのように、マツノスケが答える。

 その言葉に同意を示すのは、彼の弟であるタケベエとウメタロウだった。

 実質、今歓吉の言う通りに動いてくれる兵達は、彼らが軍団長を務める僅かな兵達だけだ。

 彼らは歓吉が一兵卒の頃から一緒の、謂わば同期のような存在だった。


「しかし、奴ら本当に来るんですかねぇ」

「わからん。が、わしならそうする、というだけじゃ。この状況が作られたものでそれを利用するなら、ここでわしは牙を剥く。

 こういう時のわしの嫌な予感は良く当たるでな。お前らも別に休んでいいんだで?」

「いやいや、大将を休ませずに俺らが休むわけにはいきませんよ。歓吉様を信じて起きてます」

「起きとっても、出来ることは逃げることくらいだがや」

「そいでも、生き残ることの方が大事ですんで」


 にへらと締まりのない顔で笑う兵達に、歓吉は「馬鹿な奴らじゃのう」と呆れたように言葉を吐く。

 しかしその言葉の端には嬉しさと感謝がにじみ出ていて、兵達もまた同じような顔で「お互い様ですよ」と返す。

 いまや上の立場に立つ歓吉に言う言葉ではないかもしれない。

 それでも彼らにとって、共に戦場を駆け抜け取り立てられた歓吉は上官というよりも仲間であり、希望の星だったのだ。


 しかし、歓吉の予感はやはり現実となる。

 ぬるい風を運んでいた空気が、怒号と共に届いて僅かに震えた。


「おおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」


 怒号と共に、兵達が此方へ向かって逃げ出してくる。

 もつれ合う様に、或る者は転げ回りながら必死の形相を張り付けていた。


「敵襲!!敵襲ーっ!!!」

「っ!お前ら!武器を取れ!!見張りの兵は何をやっておったんじゃたわけ……っ」


 もはやどうにもならないことと分かっていても、歓吉の口からは嘆きが漏れる。

 自信も槍を手に、周囲の兵達へ声を張り上げた。


「皆落ち着け!下手に攻撃すれば同士討ちじゃあ!いったん退避して北側の部隊と合流するんじゃ!」


 しかしながら、張り上げた声は空しくこの騒ぎに飲み込まれてしまった。

 兵達は寝入ったところに突然襲われたことで完全な混乱状態に陥っていた。

 或る者は逃げ回り、或る者は武器を取り戦おうとするもあっさりと斬られた。


「おい、俺は味方だ!やめ……っ、ぎゃああああ」

「くそっどいつが敵なんだよ!」

「こいつら戦う気が無かったんじゃなかったのかよぉおお」


 陣のあちこちでは同士討ちも起こっていた。

 暗闇で相手が誰なのかどうかも上手く判別がつかないのだ。


「こりゃあ……あかんっ!」


 兵たちの多くは、そのうち陣幕を突き破って我先にと北西側へと逃れていく。

 その様はさながら漁で追い立てられる魚の様だ。

 このままでは北西の味方の人まで混乱に巻き込んでしまうだろう。


 状況は最悪。

 この時点でもはや兵を立て直すことは出来ない。

 敗走する他ないが、それは味方を捨てることに等しい。


「~~~~っ!!申し訳ございません、人寿郎様!!」


 断腸の思いで、歓吉はマツノスケ達兄弟や僅かな兵を伴い転身する。

 その方向は兵達が逃げ行く北西の砦とは別の方向であった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「進め進めぇ!敵に考える余裕を与えるなぁ!!」


 雪崩の如く、蘇芳すおうの兵が敵陣に攻め寄せる。

 まるで埃を吹き分けるかのように、敵方の兵達は追い立てられ、討ち取られていった。


「うわあああ!来るなっ」

「やめろ!おれは味方だ!」


 混乱が混乱を呼び、敵兵は完全に統率を失っていた。

 勇魚いさなは追い立てられ逃げ惑う兵達の中に敵将の姿が無いかどうかを観察しながら、死に物狂いで立ち向かってくる兵の腹に槍を突き入れる。


 敵兵の身体は衝撃でくの字に折れ曲がり、血を吐いてそのまま動かなくなった。

 後ろから躍りかかってくる兵を、槍を抜き去った動きのまま薙ぎ払って打ち払う。


「ぐえ」


 着の身着のままで戦っていたらしい兵は、まともに槍の払いを食らったらしい。

 そのまま血の泡を吹いて動かなくなった。


 夜襲に対する敵兵の反応は、いっそ哀れになるくらいに狂乱していた。

 浦島衆が同士討ちを装って攻撃を行っているのも効いているのだろう。


 寝起きで行動するしかない敵兵たちは、鎧を脱ぎ去った蘇芳の兵を敵と認識できていない。

 あるいは、認識できたとしても既に遅かった。

 加えて言うなら、蘇芳の兵達は目印代わりにと腕に白い布を巻いている。


 これのおかげで蘇芳の兵達は敵を的確に追い詰めることができるのだ。

 敵兵たちは追い立てられ、北側に陣を敷いているもう一つの敵陣へと殺到していく。


(ここまで上手くいくとは……、兵数では完全に負けていたのに……)


 驚嘆すべきは父の策と、根回しの早さか。

 いくら策があったとしても、粗末な事前準備では見抜かれてしまう。

 蘇芳の誇る二つの隠密組織、現状の戦力と外交、あらゆる手段を動員して場を整え、頃合いと見れば一息の内に相手の喉笛に嚙みついた。


 その結果がこれだ。

 この混乱の中では、敵将もまともに動けていないのではないか?

 勇魚は周囲から立ち向かってくる敵兵だけを相手にしながら、敵陣の深くへ入り込んでいく。


 そうして幾らか奥に入り込んだところで、勇魚はなぎ倒された松明台と数名分の鎧兜を見つけた。


「これは……」

「どうやら、敵将は混乱が広がる前に身軽になって逃げたようだな。察知したは良いが供の兵以外の統率までは出来なかったんだろう」


 勇魚の後ろから、聞きなれた声がかかる。

 振り向くと担がれた腰に座った父恵比寿が、兵達を伴って同じように打ち捨てられた鎧兜を眺めていた。


「父上……。逃げたんなら追わなくていいのか?……じゃない、いいんですか?」

「追いたいのは山々だがな。この状況で深追いすれば夜襲の方が中途半端に終わっちまう。俺達の目的はあくまで瑠璃領主の救出だ」

「……わかりました……」


 父のいう事は分かる。

 ただでさえ此方は戦力が少ないのに、追手として兵を割けばどちらも半端に終わってしまいかねない。

 それどころか最悪、どちらも失敗する可能性すらある。


「そう焦るな。気持ちは分かるがな」


 無理やり飛び出しそうな身体を抑え込んだ様子の勇魚の頭に、恵比寿の手がポンと置かれる。

 諭すようなその力加減に、強く掴まれたわけでもないのに勇魚の身体は却って動けなくなった。


「桃が今回重要な役割を担った分、焦っているんだろう」

「……それは……」


 きっと指摘された通りなのだろう。それでも考えないようにしていた。

 自覚してしまえば、桃に対して抱いてはいけない感情を抱いてしまいかねないと思ったからだ。

 今思えば幹久も、そんな自分の心の底を察したのかもしれないと、勇魚は思った。


「あいつとお前とは違う。お前はあいつにならなくていいんだ」

「けどさ……っ」


 桃は幼いころから魔法を習得し、驚くほどの器用さと成長速度で魔法を上達させている。

 そう遠くないうちに、桃は家中でも指折りの将になるだろう。

 半年分年下にもかかわらず、どこか大人びた雰囲気を漂わせる桃に勇魚が対抗心を抱いてしまうのは、無理もない事だった。


「勘違いするな。お前が桃より劣っているってんじゃあない。お前が桃になれないように、桃もお前にはなれないんだ」

「かもしれないけど、あいつならそのうち追いついて来るぞ」

「だが、お前と同じことは出来んさ。同じことをしても、同じ結果を生み続けることは無い」


 勇魚と桃の実力は、今のところ長所は違えど総合的にはそう変わらないだろう。

 同じ任務を受けたとして、同じような結果になるはずだ、と勇魚は恵比寿に反論する。


「……わかんねぇよ。同じようなことを出来る奴が同じ方法を取れば同じ結果になるんじゃないのか?」

「だが過程やそいつが得るものは少しずつ違ってくる。その細かい違いがそのうち大きくなるもんだ」

「そういうもんなのかな……」

「まあ、お前は俺に良く似た阿呆なのは確かだ。俺もお前くらいの頃はそんなもんだったよ。だからこそ期待してるんだ」

「期待……俺にか?」

「ああ。俺によく似てるんだ。お前は間違いなく蘇芳を背負う器を備えてる。立場に奢らず学び続けりゃ、後からちゃんと力はついて来るさ。今回だってお前を前線に連れてきたのは、学ばせるためでもあるんだからな」


 恵比寿はそう言って、立ちっぱなしの勇魚を視線で促す。

 今は戦の最中。

 敵兵は崩れているとはいえ、本来はこんな立ち話をしている場合ではない。


「分かったよ……!やってやらぁ!!」


 正直な話、勇魚は恵比寿の言葉をすべて理解したわけではない。

 ただ幹久も恵比寿も、自分を桃と比べてなどいないことは理解できる。

 むしろ期待してくれているのは、なんとなくわかる。

 なにより、嬉しかったのだ。


(似てる……か)


 そういえば幹久もそんなことを言っていた。

 似ているからどうという訳でもないが、少なくとも父がそう言ってくれる程度には、自分にも器が備わっているらしい。


 桃だって、勇魚の事を下に見るようなことは一度たりともなかった。

 いつだって二人で競い合っていたけれど、お互いに勝った負けたの繰り返しがむしろ楽しかったのだ。

 結局のところ、勇魚が今出来る事は、やるべきことは、父の期待に応えて目の前の戦いに全力で挑む事だった。


「あー!やっぱ駄目だ!あれこれ悩むなんざらしくねぇ!ともかく今は目の前の事を片付ける!期待以上に戦果上げてやらぁ!!」

「鼻息荒くするのはいいが、突っ込み過ぎるなよ。転ぶなよ」

「わかってるって!じゃあ俺は先に行くぜ父上!!」

「だからあんまり突っ走るなって……」


 若武者は駆ける。

 槍を振るい、惑う敵兵をなぎ倒し、味方と共にその奥深くへ駆けていく。

 既に敵陣の一つは完全に崩壊し、その流れはもう一つの陣へ。

 矢車城から西に見えるこの陣にも、夜襲による崩壊の波が迫っていた。

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