第三十九話 決着
(……さすが、一寸殿は百手と名高いだけはある。桃の奴も……、やっぱり俺が感じた通りか)
騒がしかった背後が、肌を刺すような冷気を伴って水を打ったように静かになった。
間を置かずに、巨大な何かが崩れ落ちる音が響く。
酒呑童子はその冷気と衝撃を肌で感じながら、少しのんびりし過ぎたかと内省する。
一寸はともかく、今の桃ではもう少し時間がかかるだろうと踏んでいたが、少しばかり見誤っていてようだ。
「さて、あちらは決着がついたようだが、どうする?鼠どもはもういないぞ」
不敵に笑いかけた酒呑童子を睨みつけながら、
鉄鼠にとっても、この決着の速さは想定外だったのだ。
倒せない可能性は考えていたが、それでもあの二人を暫く足止めできる算段だった。
一つは、噂で感じていた以上に一寸の実力が高かったこと。
もう一つは、塗壁や天狗から顛末を聞いていたのにもかかわらず、桃の事を刺激しなければ大したことは出来ないと考えてしまったこと。
そして最大の計算違いは、目の前の鬼。酒呑童子の異常なまでの実力の高さだった。
何度攻撃を打ち込んでも、柳の様にゆらりと躱され、手ごたえが無い。
動き回られて攻撃が当たらないのならばまだ分かる。
だが酒呑童子は、一歩たりともその場から動いてはいなかった。
最小限の動きで攻撃を躱され、躱しきれないものだけをこれまた最小限の動きで弾かれる。
そのあまりの底の知れなさと力の差に、先ほどまでの余裕が嘘のように鉄鼠の心に焦りが満ちていく。
鉄鼠は決して酒呑童子を侮っていたつもりは無かった。
なにせ酒呑童子は鉄鼠の数倍の時を生きる存在であり、その力も経験も相応の実力を持っていることは把握していたからだ。
「抜かせ!貴様を早々に倒せば済む事よ!」
鉄鼠が全身の毛を逆立てて、酒呑童子に飛びかかる。
まるで針玉のような姿になった鉄鼠の身体は、その鋼鉄の如き硬さの無数の針で酒呑童子を貫かんと、勢いよく突き進んだ。
しかし坂道を転がる車輪のように勢いづいていた鉄鼠の身体は、唐突にその勢いを失う。
(――!?なんだ!?)
鉄鼠が混乱して丸めていた身体を僅かに緩めて様子を窺うと、そこには驚いたことに、片手で鉄鼠の身体を止める酒呑童子の姿があった。
これまで幾百もの相手を貫いてきた鋼鉄の針が。
例え刺さった拍子に抜けても無限に生え変わる自慢の針が。
あろう事か酒呑童子に届くほんの手前で、涼しい顔で止められている。
「……金棒の柄尻で……おのれっ……!!」
酒呑童子は、鉄鼠が化身して攻撃した上で尚もその場から一歩も動いていない。
ただほんの少し、手にしていた金棒の柄を持ち直し、長めにとった柄尻を軽く打ち込んで勢いを殺した。
それだけのことだった。
(……化身しての攻撃も駄目か……!)
鉄鼠の胸中を絶望が包み込んでいく。
なぜこうなったのか、理由は様々あるだろう。
だが今更『こうすればよかった』など通じるはずもない。
(恨むべきは己の至らなさ……か……)
「じゃあな、鉄鼠。その首、もらい受ける」
気が付けば、鉄鼠の目の前には金棒を振りかぶる酒呑童子の姿があった。
避けられない。避けるつもりもない。
(だが。最後に戦ったのが
鉄鼠に数百キロはあるであろう金棒が振り下ろされる。
まるで瓜でも潰す様にあっけなく、鉄鼠の身体が破壊されていく。
余りの勢いの為に、金棒が当たった個所だけが磨り潰されたように消し飛んだ。
「……敵将鉄鼠、討ち取ったり。この戦、なかなかに楽しませてもらったぜ」
金棒を地面に突き立て、酒呑童子は一人呟く。
その声色には普段のような悪戯っぽい響きも、色も一切無い。
ただ何かに祈る様な、静かな
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方、化身して変容した手長に捕らわれた
かつて桃に自分の命もきちんと優先順位の感情に入れろと言った手前、自分が諦めるわけにはいかなかったのだ。
それに、次期当主としてここで絶対に死ぬわけにはいかない。
それこそ、桃が言っていたように父や弟妹に、桃を始めとした蘇芳の者たちに辛い思いをさせることになる。
(とはいえどうする……?正直何もここからの手立てが浮かばねえ……)
必死に頭を動かしても、碌な考えが出てこない。
武器を失って反撃も敵わないこの状況で半端な反撃をしたところで、手長にはまだ自由な腕が何本もある。
抑え込まれるだけなのが容易に想像できた。
(くっそ……、こんな所で……)
既に手長の手に装着された鋭い鉤爪は、勇魚の胸に狙いを付けている。
まさに積みの状態だった。
今更ながら、父の忠告をもっときちんと聞いておくべきだったと後悔する。
忠告されていたのにもかかわらず一人で突っ込み過ぎてこの様とは、なんと無様なのだろう。
(こんな初歩的な失態で負けるとは……情けねぇ……)
「止めだ」
手長の口から、死刑宣告の様に短く言葉が告げられる。
そして鋭い鉤爪を備えた腕が、勇魚の胸を貫くその瞬間、勇魚は渾身の力を身体に込めた。
「勝手に……っ、決めんじゃあねえ!!!」
自然と、勇魚の口はその言葉を叫んでいた。
上体にかかった拘束を両手を使って強引にこじ開けながら、思い切り身体ごと振り上げるつもりで、渾身の力でもって勢い良く伸びてきた腕を蹴り上げる。
ギリギリで届いた勇魚の足が、その体を貫こうと迫っていた腕にぶち当たった。
そしてぶち当たった勇魚の足によって鉤爪を付けた手長の腕の軌道は強引に変えられて、勇魚を捕らえていた手長自身の腕を斬りつける。
「ぐぁあっ……!貴様!この死にぞこないがぁ!!」
たまらず手長が勇魚を放り投げると、勇魚は辛うじて転がることで受け身を取って衝撃を殺した。
目を吊り上げ、口が裂けんばかりに手長が怒鳴り散らす。
それと同時に、四本の腕がまたもや勇魚へと勢いよく殺到していく。
先ほどにも劣らぬ速度で向けられた手長の攻撃は、受け身を取ってまだ体制が整っていない勇魚を正に葬ろうと鋭く、冷たくその爪を闇夜に光らせる。
(間に合わねえ……!!)
受け身を取った拍子に、転がって槍の近くまで少しでも行こうとはしていた。
それでも勇魚の手は、手長の攻撃に貫かれるまでに槍に届かない。
こんどこそ駄目か、と痛みを覚悟した瞬間だった。
「……ったく。だから言ったんだ。鼻息荒くして出過ぎるなってな」
思わず顔を伏せた勇魚の耳に届いたのは、誰よりも聞き覚えのある威厳に満ちた声。
ハッとして勇魚が顔を上げた瞬間、彼に殺到していた四本の腕が植物の蔓でも払うかのように一斉に切り捨てられた。
「んなぁあああああ!!?」
次に聞こえたのは手長の絶叫。
勇魚が攻撃のあった方向に目を向けると、そこには片手に杖をついて、空いたもう片方の手で大槍を担ぐ父の姿があった。
後ろには父が乗ってきた輿。そして勇魚の周囲を、ぞろぞろと父の輿を担いでいた屈強な兵達が我先にと固め始める。
「父上……」
「あれほど行ったのに功を焦りやがって。後で説教だ馬鹿息子」
「……申し訳ありません……」
突っ走ったのは事実、説教は仕方が無い。しかし父だけ前に出ているのは黙ってみて居られない、と勇魚は再度立ち上がろうと身体に力を入れる。
「お前は休んでいろ。命令だ。こいつは俺に任せておけ」
「けど父上……」
「勇魚様」
食い下がろうとした勇魚を止めたのは、勇魚を守る様に周囲を固めた兵のうちの一人だった。
「恵比寿様はお強い。大丈夫です」
前に立つ恵比寿を見守ったまま、兵は目線だけをこちらに向けて続ける。
その事実に、勇魚はこれ以上前に踏み出すことが出来なかった。
彼らは父の戦いを最も間近で見てきた兵達でもある。
その彼らがここまで言い切った。
今の自分達では、邪魔になるという事が彼らには分かるのだろう。
案ずるように小さく父を呼んだ勇魚に、彼へ言葉をかけた兵は大丈夫、とでも言う様に小さく頷いた。
「さて、随分うちの息子が世話になったようだな」
「ふん。成程、貴様が蘇芳の領主、蘇芳恵比寿殿か。足を患っている、というのは本当の様だが、その足で私を倒せるとでも?」
「だからわざわざ目の前に来たんだろうが。息子が世話になった礼もしなけりゃあならんしな」
「そうかそうか。では遠慮なく。その命、手土産にいただくとしよう。その足、何処まで動くかは知らぬが、まともに動けぬならば貴様など残った腕で十分よ」
手長の長くなった胴体を支えていた、残り二本の腕が動き出す。
重く、長くなった胴体を支えるために太く発達した残りの二本は、鉤爪こそ装備していないがそれでも頑丈で鋭い自前の爪がある。
そして何よりも紙きれのように敵を突き破る力が武器だった。
「死ねぃ!!」
「父上!!」
野太い手長の腕が、恵比寿の胸を貫こうと迫る。
その攻撃に尚も動かず、それどころか防ごうともしない父に、勇魚が叫ぶ。
しかし手長や勇魚の予想とは裏腹に、二本の腕はピタリと恵比寿の胸の皮一枚手前で静止していた。
「「は……?」」
手長の二本の腕は恵比寿の胸板を貫くどころか、その爪は肌にすら一つの傷もつけていない。
恵比寿の胸には古傷があるばかりで、貫通した穴どころか新しい傷など一つもなかった。
その奇妙な事態に、手長と勇魚の声が意図せず重なる。
そして次の瞬間、太い枝を無理やり折る様な音と共にぐしゃりと潰れたのは、手長の二本の腕だった。
「っ~~!!」
言葉にならない叫びと共に、手長が慌てて腕を引っ込める。
しかし手長の見事なまでに逞しかった二本の腕は、いまや見るも無残な姿に変わり果てていた。
「まあ、あんまり人を見てくれで判断しないことだぁな。それと」
余りの事態に我を忘れて狼狽えるばかりの手長に、杖をつきながらゆっくりと恵比寿が歩み寄っていく。
そして担いだ槍の射程に入った瞬間、すぐさま恵比寿の肩から槍が叩き下ろされた。
叫ぶ暇もなく、手長の肩口に巨大な槍の穂が叩きつけられる。
槍の穂先は斬ることもできるような形状になっているが、目の前の様はまるで叩いて圧し斬るといったほうが正しいような有様だ。
そして今度は想像通り、槍の下からは原型を留めていない手長の骸が転がっていた。
「俺も一応蘇芳の白鯨とまで呼ばれてんだ。弱い訳がねえだろうが」
ため息交じりに告げられた恵比寿の言葉は、もはや手長には届いているはずもない。
勇魚は初めて見る父の戦いに圧倒されながら、立ち上がることも忘れてただ茫然と座り込む事しかできなかった。
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