第一話 前編 奇跡を継いだもの
辺り一面暗闇だった。
その暗闇の中で、くぐもった様な声が反響して聞こえてくる。
不快感はない。むしろ微睡の中で意識がとろけていきそうな心地を感じながら、その声に耳を澄ませる。
声はこちらに言葉を投げかけているようだが、ふわりとした感覚の中で確かな意味を持った言葉として捉えることが出来なかった。
そうして妙な心地よさに身を委ねながら、少しばかり大きく息を吸い込むと花のような香りとくすぐる様な感触が鼻をくすぐっているのが分かった。
(……なんだ……?)
そのむず痒さにようやっと重い瞼を開けると、目の前にはよくよく見知った顔が2つ覗き込んでいた。
「
「起きて、
頭の上から顔を覗き込んでいる少女、凰姫は眠りこけていた俺が目を覚ましたのを確認すると呆れたように言った。
先ほどから鼻をくすぐっているのは、覗き込んでいる彼女の髪だ。
此方を覗き込んで柔らかく微笑む彼女の髪が、ふわりと吹く風に揺れる。
年齢は十三歳。赤みの強い鳶色の目が印象的で、まだ幼いながらも静かな水面のように透き通った声が耳に心地良い。
眉が隠れるほどの長さでそろえられた前髪と胸の高さまである栗色の髪。両サイドの髪は顎の高さほどに切り揃えられ、深い赤の髪紐で纏められている。
その脇からは彼女の4つ下の鯱丸様が凰姫様よりも色味の薄い亜麻色の髪を揺らして同じように見つめていた。
少し気弱な子だが、姉と同じく心優しい少年だ。
ちょっぴり泣き虫なあたりが生前の自分の幼いころを見ているようで、なんだか親近感の湧く子だった。
凰姫様は俺が目覚めたのを見て覗き込んでいた顔を起こすと、俺と鯱丸様もそれに倣うように体制を直す。
横には木剣と手拭い。
訓練中一息つこうとしていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「すみません、寝てました」
「お父様がお呼びよ」
「そうでしたか。起こしてくれて助かりましたよ」
「気持ちよさそうに眠っていたから、少し気が引けたんだけれどね。 あら、少し髪が乱れているわ。結んであげる。」
そういって彼女はそそくさと後ろに回り込むと、一旦俺の髪を解いていく。
鍛錬後だから汗をかいていないかと少し不安になったが、彼女は気にする様子もなく髪に櫛を通して纏め始めた。
「はい。これでいいわ。」
そういって彼女は懐から丸い手鏡を差し出して俺の姿を映して見せた。
そこには濡れ烏色の長めの髪を後ろで1つに縛った少年が一人。
かつてとは髪も顔も、目の色も違う姿がある。
以前と共通していることと言えば右目の下に泣き黒子があることと、目つきが少したれ目なことくらいか。
美醜感覚で言えば、そこそこイケている顔だろう。
「これ、ちょっと俺には可愛すぎやしません?」
「あら、たまにはいいじゃない。似合っているわ。」
彼女と同じ深い赤色の髪紐で纏められた髪を指して控えめに抗議するが、柔らかい微笑と共に返されてしまった。
「おそろいね」なんて言ってくるあたり、少し揶揄っている節がある。
まだあどけなさの残る少女だが、時折妙に俺を甘やかそうとしてくる。
そんな彼女の無邪気な様子に、俺は仕方がないといった様子で小さく息をつく。
妙な照れくささがあるのは、ひょっとしたら精神的に肉体の年齢に引っ張られているのかもしれない。
「それあげるわ。あなたいつも似たような髪紐だもの。折角綺麗な髪をしているのだから、少しはお洒落してもいいと思うの」
「そんなもんですかね。まあ、ありがとうございます」
短く礼を言って立ち上がり、とりあえず行ってみるかと足を向ければ、ぞろぞろと二人も付いて来る。
「姫様たちも呼ばれてるんですか?」
「いいえ?でも蘇芳の姫として、私も知っておく義務があるでしょう?」
そういって姫様は若干のどや顔をして見せる。
姉の真似をしたい年ごろなのか、鯱丸様もふふんと鼻をならしていた。
「まあ俺はいいですけど、面白いものでもないでしょうに……ふぁ……」
不覚だった。
そこまで激しい訓練はまだしていなかったはずだが、まだ眠気が少し残っていて欠伸が堪え切れずに出てしまう。
「桃は少し頑張りすぎなのよ。お昼寝するくらいが丁度いいわ」
「いやいや。勇魚いさなに早く追いつかないといけませんから」
「あ、やっぱりお兄様は呼び捨て!私や鯱丸も呼び捨てにしてくれたらいいのに」
拗ねたように少しだけ頬を膨らませ抗議する彼女だが、なかなかそうは問屋が卸さない。
この少女、凰姫様と鯱丸様はこの領地……カムナビ国蘇芳すおう領の領主の子供たちだ。
そして自分はその領主の臣下の親族。という立場でここにいる。
それもこれも今から十六年前、あの時産声を上げなかった赤ん坊の身体に自分が宿ってしまったのが始まりだった。
赤ん坊は桃という名を与えられ、生まれ落ちた土地の領主の臣下に引き取られた。
そして桃……つまり俺は領主の子供たちと共に乳兄弟として育てられることとなり、今現在十六歳。
この世界での父親の顔は知らない。母親も顔以外碌に知らないが、幸いにもこの家の人々は善良だった。
今から二十年前。
流れ着いた異世界の大陸アノンテリーで一番最初にできた国家であるというアノン。
その西の国境付近に突如大穴が開いた。
それは大いなる不吉の予兆だった。
そしてその四年後。
つまりは十六年前、後に大天災と呼ばれることになる大きな災害が大陸全土を襲ったのだ。
十六年前のあの日、母はその大天災から逃れていたところを保護されたのだという。
そのまま母は桃を産み、死んだ。
残された俺は蘇芳領主の指示の元、家臣である花咲家に引き取られた。
母が何者であったのか等、自分のルーツについては何も聴いていない。
ただ、領主の家臣の子として引き取られた以上姫様も、そして鯱丸様も立場が上なのだ。
様付けが当たり前なのである。
唯一彼女の兄である勇魚だけは呼び捨てで呼ぶ事もあるが、本当なら常に様を付けなければならない。
乳兄弟で歳も近い故に幼いころから一緒に遊んでいた頃の名残で呼び捨ての方がお互いに慣れているだけである。
勇魚本人も様付けされるのは嫌なようで、極力普通に呼んでくれと言ってきたりする。
自分も逆の立場であれば兄弟のように育った幼馴染に様付けされるというのは気恥ずかしいだろうからと、俺もできる限り昔のように名前で呼んでいた。
凰姫様や鯱丸様からすればそれはとても羨ましいことのようで、時折こうして名前で呼ぶようせがまれている。
俺としてもその希望を叶えて上げたい気持ちはあるが、立場というものは難しいものだ。
前世で死んで、この世界に来て、何の因果かこの体に乗り移った事には未だに罪悪感があった。
なにせ本来はこの体の持ち主の人生だったはずだ。
――もし自分がこの体に成り代わっていなければ。
あのまま助かる可能性は限りなく低かったとしても、もし助かっていたらを考えてしまう。
そして今更どうしようもない事だというのも理解していた。
成り代わってしまったものは仕方がないと割り切ればいい事なのだろうが、俺には簡単に割り切れなかった。
誰かの命の灯を奪ってまで得てしまった命であれば、今度こそ精一杯、上手に生きてやる。
そしてこの命へ報いる為に、今度こそ人生の中で何か生きた痕跡を残したい。
とはいえ、最初は何を目標としてこの人生を生きるべきなのか悩んだものだ。
しかしこの世界の事を知っていくうちに、俺は一つの目標を定めた。
――それはこの世界で生き抜くために強くなる事。
それこそ、前世いた世界で名を馳せた英雄のように。
戦いどころか喧嘩も知らなかった男が何を珍妙な事を、と自分でも思った。
だが珍妙な出来事なら、異世界に来てしまったなんて事態を経験してる以上既に経験済みだ。
こんな前向きな珍妙さも大いにアリ、だろう。それにどうせなら目標は大きい方がいい。
前世で平和な世の中に生きてきた自分が、何をどこまでできるのかは分からない。
この世界は戦いが前世の世界よりもずっと身近で、生き残る手段でもある。
ならば強くならねばと、この十六年間は研鑽と勉強と訓練の日々だった。
それに育てて受け入れてもらった恩を返すために、新しい居場所となったこの場所と人々も守りたい。
戦って名を上げることができれば、強くなれば、守れるものは増えるはずだ。
そしてなにより、大陸に轟く程の名声ならば、元のこの体の持ち主に初めて胸を張れる気がする。
其れこそが、今の俺にとっての生きる目的。
成り代わった影響で赤子ながら自意識があったし、喋れるようになってからは子供の姿にかこつけて大人たちにせがんでは色々なことを教えてもらったものだ。
おかげで家中では最も早く魔法を習得し、練習中ながらある程度は扱えるまでになった。
因みに一番得意なのは水のエネルギーを使った魔法だ。
「御館様。桃です。只今参上仕りました」
「おう、入れ」
眠りこけていた縁側の一角と領主の部屋はそこまでは離れていない。
俺は到着するなり襖越しに声をかける。
俺の言葉に対して低く響く深みのある声が返ってきたのを確認して、俺はゆっくりと襖に手をかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます