第七話 桃、河童を退治する

かつて俺たちは鱗を持つ魔物の最上位…祭魔さいまの一角である玄武様の眷属、九千坊くせんぼう様によって力を与えられた亀であったという。

九千坊様はある土地の田畑を守り、人間の子供を水難から守る存在として人間達から信仰を得ていた。

九千坊様や俺達河童の一族の一部は人との間に子を成す程度には人と関りがあったし、関係も良好だった。

—―それが何時からだろうか。


「キスケよ。お前はカワベエを連れ里を離れよ」

「九千坊様?なにをおっしゃいますか」

「我らはこの地で人と関わり続けたが、いつしか村は町になり。町は街へ。森は開かれて田畑は建物となり、水辺で遊ぶ子供も減った。

 得られる信仰は既に乏しく、我らの力も弱くなるばかり。このままでは忘れ去られ消滅するのも時間の問題であろう。

 もはや我らの役割はこの地に無い。他の者もこの地を見限り姿を消した今、お前たち迄道連れになることは無い」

「ならば九千坊様も一緒に……」

「わしは玄武様よりこの地そのものを依り代にして生まれた眷属だ。ここを離れることはできぬ」

「ではせめて俺も…!」

「ならぬ。わしの事を思うなら尚の事此処を離れよ。

 別の土地で信仰を得ることが出来れば、末端のお前たちが受けた信仰がわしの力となる」

「……承知いたしました。必ずや、別の地にて信仰を取り戻して見せましょう」


魔物は自然の安定を保ち、災害から守り、人間はその恵みを享受して魔物を信仰する。

そういった共存関係が古くから続いていた。

けれどその共存関係は絶対ではない。俺達のように信仰心を得られなくなれば、末端から力を失っていく。

別の地で信仰を得ようとしても、たいてい何処にも先住者がいて新たに信仰を得ることは難しい。


そうして俺達が人から信仰を得るために選んだのは、同じ信仰でも真逆の性質の物。

尊敬や祈りではなく、恐怖によるものだった。

他者からの感情に頼った存在など不安定なものなのだ。

人間から敬われていたはずの俺たちは、いつしかただ恐れられるだけのものとなった。


故に思う。不安定で簡単に堕ちてしまう俺たちの存在は、本当に意味のある物なのかと。

不安定な俺達にも、自分自身の為に生きる権利があってもいいのではないかと。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「うぉぉおお!?」


斬りかかった俺に対し、カワベエが見せた反応は驚きだった。

とっさに何処からともなく甲羅の盾を出現させ、俺が振り抜いた剣を防ぐ。

堅い。

直後背後に気配を感じて、カワベエの肩を足場に跳ぶ。

風圧が横切り、元居た位置を確認すればキスケが手に持ったナイフで切り付けていた。

空中で身体を捻り、着地した反動で反転してさらにカワベエに切りつける。


「チィ……!」


カワベエが何かを投げた。


(あれは……!)

凰姫様が連れ去られる時に投げつけられたきゅうりだった。

多分爆発する。というか爆発した。

後ろに飛び退いて逃れるが爆風の衝撃で少し吹き飛ばされ、転がって受け身を取る。


「洞窟内で爆弾投げるんじゃねえ!崩れたらどうする助平河童共!!」

「だれが助平河童だぁ!」

「挑発に乗るんじゃねえよカワベエ、というかあれはお前が悪い。

 お前だけならともかく俺に迄妙なあだ名付けられたじゃねえか」

「兄貴!?」


若干ショックを受けた様子でカワベエがキスケに抗議する。

こんな時でも仲のいい奴らだ。

だがそれはそれ。隙を見せたならばと遠慮なく俺は斬りかかる。


「よそ見してる暇はないだろ!」

「……ッ!てめえ!ちったあブシドー精神だのキシドー精神みたいのはねえのか!」

「誘拐犯相手にそんなものは無い!!」


何度もカワベエを狙って斬りかかる。

真っ先に二対一の状況を何とかしたかった。

盾で防ぎながら対応していたカワベエが、やがて俺の攻撃を捌き切れずに横に跳んで逃れた。

此方に走り込んできたキスケに対しては後ろに向かって蹴りつけて対処し、即座に距離を取る。

河童相手に意味はないかもしれないが、さらに水魔法による渦を作って閉じ込めておく。

これで兄弟の間にある程度距離が出来た。

その隙に俺は再度カワベエに接近すると、剣を下に構えて切り上げる体制を取る。


(当然防ごうとするよな……!)


振り抜かれた剣に対してカワベエが取った選択はやはり盾に寄る防御だった。

刃を返し、滑らせるように盾に引っ掛ける。

そのまま思い切り勝ちあげると、カワベエの体制が大きく崩れた。


「まずは一発!!」


腕を大きく上げた状態になった懐に潜り込み、喉に抜き手を一発。

「ぐえ」という声が漏れて喉を抑えたカワベエが数歩下がる。


「もう一発!」


鼻っ面に柄で一撃。

此処でカワベエは悶絶して倒れた。呼吸苦と痛みでもう動けないだろう。


その時だった。足元がぐずぐずと沼のようにぬかるみはじめたのは。

またあの術だ。と思った。

足元がぬかるみに取られてもたつく。

即座に躱そうと足に力を入れたが、これまでよりも深いぬかるみになっていて滑りそうになったところを踏みとどまる。

その隙に素早く左足首をナイフで斬りつけられてしまった。

幸い腱は切られていない。だが身体に発生した違和感に思わず顔をしかめる。


「なんだこりゃ……」


左足に力が入らない。

どうにかもう片方の力だけで立ち上がるが、正直かなりやりづらい。

ぬかるみの方を睨みつけると、そこからはキスケが這い上がってくるのが見えた。


「まったく、正直ここまでやられるなんざ想定外だぜ……」

「それはお互い様だ。あのままあんたも倒すつもりだったんだが……これは麻痺毒か……?」

「ご名答だ。あんたは生け捕りにして来いって言われててね。俺と弟のナイフにはすべて麻痺毒がたっぷりと塗ってある。」

「そうかい。じゃあここは引かせてもらうよ……」


そう言って作ったのは再び水の渦。

出来る限り視界を塞ぐように。時間を稼げるように。

キスケが気が付いた時には既に俺との間に分厚い水の壁が出来ていた。

その隙に片足に力を込め、剣を杖代わりに横穴へ急いだ。


(……もうすぐ……、あと少しだ……)

目の前に横穴の入り口が迫る。

しかしもう少しのところで足が止まった。

いや、止められた。

片足ではバランスが取り切れずに前のめりに転倒して、四つん這いの状態で動けなくなる。


「無駄だ。俺の視界を塞ごうが壁を作ろうが、俺自身が動けるなら何処でも潜って脱出できる。

 まともに走れないお前に追いつくなんざ簡単だ。」


足を掴んだまま、俺の身体を伝うようにキスケが這い上がってくる。

そのまま俺の背中に纏わりつくようにして首筋に刃を当てられ、身動きが取れなくなった。


「傷の度合いにもよるが、お前に与えた傷の大きさならもうじき完全に動けなくなる。諦めな」

「そうか。それじゃあ仕方ないな……」


その言葉を信じるのならば、たしかに諦めた方がいいだろう。

俺もまあ、大人数相手によく頑張った。


「と、言うと思ったか?」

「あ?」


キスケがそんな声をあげたのも無理はないだろう。

こんな圧倒的不利な状況でそんなことを言える奴は普通に考えればただの馬鹿だ。

だがこの状況、逆に利用できる。

俺が得意なのは水魔法。それは水に関わることならイメージさえできれば大体の事ができるってことだ。


「こうするんだよっ!」


指輪にエネルギーを込め、イメージを作り上げる。

背中に強い冷気が走って、音を立てながら密着していたキスケを凍り付かせていく。


「ぐっ……ぎゃああああっ!!」


直後に耳元から上がったのはキスケの悲鳴。

首元のナイフが動くことは無い。動かしたくても動かせないだろう。

離れたくても離れられないだろう。

今キスケは俺の背中ごと、頭とナイフを持っていない方の腕だけを残して凍り付いている。


「駄目押しだ」


頭と腕を残しているのは理由がある。一つは情報を得るために極力殺す事を避けたかったから。

もう一つは……


「ぐっ……これは……弟が使っていた投げナイフ……」

「元々逃げるつもりなんてなかったのさ。横穴に近づいた理由はこいつを拾うため。

 おまえたちのナイフにはすべて麻痺毒が塗られている。だろう?」


露出した腕に深々と突き刺したのは弟河童のカワベエが最初に投げてきた投げナイフ。

全てに麻痺毒が塗られているのなら、当然これにも塗ってあるはず。

足首に斬りつけられた程度であの効果だ。

これだけ深く突き刺せばその効果は抜群だろう。

キスケはしばらく歯を軋ませ悔し気な表情を浮かべていたが、麻痺毒が回ったのだろうやがて目が虚ろになって動かなくなった。

魔法の氷を解除し、背中に纏わりついたキスケを引きはがして床を背に転がる。

俺にも麻痺毒がだいぶ回ってきたようだ。

腕くらいは動くが足は両方力が入らない。毒が回る時間差に助けられた。


それから程なくして、聞きなれた声が横穴の奥から聞こえてきて、ようやく本当に安堵した。


「桃!無事か!!」

「……遅い」


目線だけを動かし、顔を見てみる。

声で確信していたが、やはりその主は勇魚いさなだった。

ここまで必死に走ってきてくれたのだろう、その息も表情も珍しく少し乱れている。


「お前が一人で行くからだろうが……!けど、凰を助けてくれて感謝する……」

「どういたしまして……。凰姫こうひめ様は?」

「洞窟の途中で合流してな。今は乙殿と一緒だよ。ここまでは水で出来た魚に案内してもらった。あれもお前だろ?」

「ああ、役に立ったようで良かったよ」

「何人か兵も連れてきている。後の事は任せろ」

「頼むわ。あー、すまん勇魚」

「なんだ」

「おんぶして運んでくれ。毒で動けん」

「それを早く言えよ!……少し待ってろ」


そういって彼は手に持った武器を連れてきた兵の一人に預け、俺に肩を貸す形で起き上がらせると背負い込む。

行きではあれほど長く感じた洞窟の道のりは、意外にも短いように思えた。

焦っていたから長く感じたのだろうが、気持ち次第でここまで変わるものなのかと思う。

洞窟の出口では凰姫様がそわそわと待っていて、勇魚におぶられた俺を見るなり息を乱して駆け寄ってきた。


「桃!無事!?」

「ええ、この通りぴんぴんです」

「どこがピンピンなの…!本当に心配したのよ」


ほんの少し泣きそうな顔で言う凰姫様に、なんだかかなり申し訳ない気持ちになる。

自分を甘やかせだとか、皆が心配してくれていると散々聞かされた直後のこれだ。


「…ごめんなさい。少し無理しました。でも、貴女が無事でよかった」


安心させるために、苦手だけれど精一杯微笑んで見せる。


「…わたしも、ごめんなさい。助けてくれてありがとうね」


俺の言葉に、控えめな花のような笑顔で凰姫様が答えた。

凰姫の表情を見るに、少しは笑顔になれていただろうか。

面と向かってお互いにこんなことを言っているのが照れくさくて、顔から火が出そうだった。


「お二人とも、いい雰囲気のところ申し訳ないのですが……」

「「うひゃあ!!」」


突然乙殿から声がかかって、凰姫共々声が裏返ってしまった。

若干二人だけの世界に入ってしまっていたかもしれない。まったく気が付かなかった。


「姫様は体を冷やされていますから、羽織る物をお持ちいたしました。桃殿は此方をお飲みください」


そういって渡されたのは小さな薬瓶だ。茶色の硝子に入れられた小さな瓶の中身は見えない。


「麻痺毒を受けられたとのことなので、その薬です。液薬ですのでそのままお飲みください」

「あ、どうも」


言われた通り瓶の蓋を開けると、そこからは独特の匂いが漂ってくる。

匂いに若干の抵抗を感じながら一気に薬をあおると、これまた独特の後味に俺は思い切り顔をしかめた。

正直に言おう。かなりまずい。


苦い顔をしながら洞窟の方に再度顔を向ければ、そこからは俺が気絶させた河童兄弟や兵達が運び出されているところだった。

太陽は完全に顔を隠す寸前で既に暗く、なんとも色々あった一日だったと疲れがどっと押し寄せてきた。

甘いものを食べたり、お土産買ったりと結構お金も使った気がする。

そしてどれくらい使ったかな?となんとなく気になって、財布を取りだそうとして俺は気が付いてしまった。


「無い」

「は?」


俺の短い一言に、勇魚がどうしたんだといった具合で短く返した。


「財布が、無い」

「……お前も買い物中に落としたとか……?」

「いや、洞窟行く直前まで持ってた」

「お前が通ったであろう道を俺達も通ったが財布なんかなかったぞ」

「ってことは……」


俺と勇魚の視線は同時に、同じ方向へ向かって行った。

洞窟の中。

戦闘中か、そこに行くまでの道か、それは分からないけれど


「ちょっと取ってくる」

「待て待て待て待て、その体で行く気か?もう遅いしせめて明日にしろ!」

「止めてくれるな!思い出した時にやっておかないと後悔するんだぁ!!」


洞窟に再突入しようとしたところで、勇魚に襟首をつかまれた。

勇魚の言うことが正しいのは分かる。分かるのだが、思い出した以上どうしても気になってしまう。

別に貴重なものも入っていないし大切な思い出のあるものというわけでもないが、落としてそのまま一晩過ごすなんて眠れる気がしない。

襟首をつかんで俺を止める勇魚を引きずるように、俺は洞窟へ向かって行く。

それは着ている衣服からバリバリと変な音が出るほどだった。


「う……」


破れたか?と流石に一度止まって後ろを振り向く。

相変わらず勇魚は俺の襟首をつかんでいるが、別に布に破れは見当たらない。

じゃあ今の音はなんだ……?

その疑問は、兵士の叫び声で答えられた。


「洞窟が崩れるぞー!!退避ー!!」

「なにいいいぃぃいいいい!!??」


兵士の絶叫と、俺の叫びのどちらが大きかったのか、覚えていない。

そこからはあっという間で、俺は自分の財布ごと洞窟が崩れて埋まっていくのを呆然と見ているしかなかった。


「俺の…財布…」


がっくりと項垂れる背中へ置かれた勇魚の手に、俺は唯々癒される他なかった。

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