第八話 凰、決意をする

「それではお父様、失礼いたしました」


一礼して両手で丁寧に戸を閉め、居直る。

こうが父の恵比寿えびすに呼ばれたのは朝方、まだ日も高くない時間帯だった。

呼ばれた理由は当然、先日の誘拐騒動の件である。

攫われた際の状況や桃の戦いの様子等の他、話が来ていた縁談が破談になったとも。


(縁談が破談になったのは正直、安心したけれど……)


今回の一件で傷物になった。なんて思われたのかもしれない。

とはいえ元々父も自分も乗り気ではなかった縁談だ。成立してもこちらに利点は少なく、相手もかなりの年上だった。

いらぬ噂が立つだろうが、既にこの領の隠密組織である浦島衆や望月衆がその封じ込めに動いている。

桃の戦闘の様子もいくらか聞かれたが、凰は彼の言った通り横穴への見張りが無くなった隙に離脱している。

最後までは見ていなかった為、父の得たかった情報はあまりなかっただろう。

期待に沿えなかったであろう事に申し訳なくなったが、やはり父はなにより心配してくれていたようだった。

最後に大きな手で「無事でよかった」と頭を撫でられた事に少しだけ目頭が熱くなった。


(……あれは……)


少し強くなった日差しが差し込む廊下を渡り、ふと視線を動かすとそこには見慣れた姿がある。

いつも通り濡れ烏の髪を、深い赤の髪紐で結んだ少年の姿が見える。


(また眠ってる……)


近づいてみると、彼は中庭を望む縁側で自分の腕を枕に寝息を立てていた。

彼は時々こうして眠っていることがあるが、大体鍛錬後か昼食を終えた後の時間帯が多い。

こんな朝方にこうして眠っている姿を見かけるのは珍しかった。

傍に寄って、桃の頭の隣に腰かける。

身長差もあって見上げることの多い桃の顔をこうして眺められるのは珍しかった。

男性としては長めの睫毛に、穏やかな印象の垂れ気味の目と目元の泣きぼくろ。

濡れ烏の綺麗な長い髪もあって、眠っていると中性的な印象を受ける。

一方で喉元には大きく喉仏が突き出ていて、捲られた服から露出した腕や袂から僅かに除く胸元には生傷や傷跡が目立っていた。

手には鍛錬で出来たであろう剣ダコが出来ていて、顔の印象とは違って男性的な印象でギャップがある。

このうちの幾らかは、先日の事件で出来た傷だ。


(私を助けるために負った傷……)


傷をなぞる様に、その腕から手に凰は指を滑らせ、手を握る。

あの騒動の後、桃は大した事ないと言っていた。それは嘘ではない。

大きな傷は実際負っておらず、その殆どは露出した岩の上で動き回った為に体についた切り傷やかすり傷ばかりだった。

それでも彼が足を切られて麻痺毒を負ったと聞いた時、血の気が引いた。


(……待つのは、怖いな……)


母のカルラは六年前に病で亡くなった。

病と闘う母の傍に居させて欲しいと父や他の家臣に泣きついたが、感染してはいけないからと、滅多に合わせてもらえなかったことを覚えている。

病は特に子供には伝染りやすいという。だからこその措置だったのだろう。

きっと良くなるからと言い聞かされて、凰は幼い鯱丸しゃちまると共に母の帰りを待っていた。


けれど結局、母が帰ってくることは無かった。


あの日以来、凰にとって待つという行為は恐怖を伴うものになっていた。

父や兄や桃が、自分の知らないところで居なくなってしまうのではないかという恐怖だ。

蘇芳すおうは大陸の中でも比較的安定していると評判の地域だが、絶対ではない。

魔獣や盗賊は出るし、ここ数年は国内の情勢も不安定で他の領との小競り合いもある。

危険が伴う任務に出る大切な人たちを待つことしかできない事は、もどかしく、恐ろしかった。



「……姫様?」

「あ…ごめんなさい、起こしちゃった?」


無意識のうちに、握った手に力を込めてしまったらしい。

桃は僅かに瞼を動かし、視線だけをこちらに向けていた。


「お父様がまた呼んでいたの。鍛錬の区切りが良くなったところでいいとは言っていたから慌てなくてもいいけど……」

「御館様が…わかりました。今から行ってきます…って姫様?」


立ち上がろうとした桃に声を掛けられて、手を握ったままだという事に凰はようやく気が付いた。


「あ、ごめんなさい。私ったら」


握られた手と凰を不思議そうに見る桃に慌てて弁解して、凰は手を離す。

桃はそんな凰の様子を見ると微笑んで、子供に言い聞かせるように言った。


「いえ、御館様からのお話が終わったら、また来ますよ」

「ええ、待ってる」


「いってきます」と一言だけ告げて領主の部屋へ向かう桃の背を見送り、桃の手の感触を思い出す。


(私も…なにか力になりたい……)


凰は蘇芳の姫だ。立場も役割も違う。

男子として産まれていれば一緒に戦えたのだろうか。


(いいえ、違う。おとだって女性だけど、お父様の力になってる……)


思い浮かぶのは凰にとっても身近な女性。侍女でもある乙だ。

性別など関係ない。現にこの大陸で女性の兵や隠密は珍しくはない。

あるいは彼女であれば、自分にとっての光明を示してくれるのではないだろうか。

そう思ってからの凰の行動は、早かった。


「乙。いる?」

「ここに」


流石は護衛兼侍女と言ったところか。

その名を呼ぶとすぐさま乙は姿を現した。


「一つお願いがあるの。聞いてくれる?」


そういって乙を見つめる凰の目には、一つの決意が宿っていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「まずは礼を言わせてくれ。娘を助けてくれたこと、感謝する」

「……え?」


凰姫様の話を聞いて領主の間を訪れてみれば、恵比寿様から開口一番に出たのが他でもない感謝の言葉だったことに俺は一瞬言葉を失った。

大方先日の騒動の失態と顛末に関することであろうと、身構えていたらこれである。

頭こそ領主の立場上下げては居ないが、その言葉の端々には正真正銘、領主以前に親としての感情が滲んでいた。


「寧ろ私は叱責を受けるべき立場です。傍に居ながら凰姫様を攫われてしまった失態は、お詫びのしようもございません」

「無論、その件に関する罰はある。結果として凰は無事だったが、俺の娘を助け出したって功績だけで帳消しって訳にもいかん。縁談にも影響が出たからな。

 よって沙汰は後程正式に言い渡す。お前にはとりあえず、これを渡しておく」


そういって渡されたのは、重みのある箱。


「……これは……」

「金だ。金貨幣200枚入ってる」

「金って……」


金貨百枚。

この世界の通貨は錫、青銅、赤銅、銀、金、の順に単位が上がっていく。

日本円の価値であれば金貨幣はきり良く一万円程度。つまり二百万円くらいということになる。

人助けの謝礼なんてもらったことがないし、この世界の人助けに対する相場も分からないが、初陣出たての人間に出す金額ではない気がする。


「勘違いするな。これは俺の親としての立場から出す謝礼だ。丸っと礼もなしってのは示しがつかんし、俺自身ケツの座りが悪い」

「でもこんなに……」

「足りないくらいだ。あの時お前が真っ先に助けに行かなければ凰は本当に傷物にされていたかもしれんし、命も危なかったかもしれん」


そういって、恵比寿様は再度促すように箱を視線で示す。これは下げる気はなさそうだ。

なにより領主として見せられる誠意を突っぱねるのは、却って失礼だろう。


「わかりました。ありがたく頂戴いたします」

「それでいい。それで、もう一つ。訊かんといかんことがあるんだが……」


そういった恵比寿様の目つきが、少し険しい物に変わる。


「先日の騒動の件、ですね」

「その通りだ。実際に敵と対峙したのはお前だけだからな。どう思った」


聞かれたことの意味を考える。

御館様であれば敵の狙いは断片的な情報からでもある程度察しがついているだろう。

恐らくはその考えを補強するために、より詳しい情報が欲しいといった所か。


「まず相手の狙いは間違いなく俺でしょう。凰姫様を攫ったのは、あくまで俺を孤立させるためかと」

「だろうな。命を奪うつもりならもっと他にやりようがある」

「奴らはあくまで俺を連れていく事に拘っていましたからね。

 更に言うなら俺が先日初陣を済ませたことも知っていたので、ある程度情報を掴める筋をもつ存在が背後にいるのは間違いないです。

 兵の動きもある程度訓練されいてように見えたし武器もそれなりに新しかった」

「つまり、その背後の存在はまとまった武器を用意し、訓練された兵をある程度用意できるだけの大きさがある…と?」

「俺はそう考えてます。野盗上がりにしては武器も綺麗だったし、ある程度連携がとれていたような印象です」

「大方俺と同じ意見だな……。断片的な情報を聞いただけだったが、お前のおかげで敵さんの狙いには確信が持てそうだ。

 それから兵に関しては……別の地域の者の可能性が出てきた」

「と、いうと?」

「奴らの付けていた装備や着物に、カムナビには無い植物の種がくっついていた。今は何処の物か調べさせているが……」

「領内で付く可能性のない植物の種……ですか。交易品に紛れてきた可能性は?」

「ゼロではない。が考えにくいな。動植物の交易に関しては管理しているし、食料品の中に相手にくっつく種子を持つような種は無かったはずだ」


そこまで聴いて、考えを巡らせる。

恵比寿様や花咲の爺様をよく思わない人物がいて、その親族に近い俺を狙ったのだろうか。

別の地域の人間が自分を狙う。その理由がまだ分からない。

凰姫であればまだ理解できるが、自分を攫ったところで外交的な価値なんてない筈だ。


「なんで自分が狙われているのか分からないって顔してるがな。お前の魔法の才は結構な価値だぞ」

「かもしれませんけど、凰姫様以上に価値があるとは思えませんよ」

「魔法と言えば……連中と戦ったとき相手を凍らせたそうだな」

「ええ。一寸殿が水魔法で相手を凍結させるって言ってたのを思い出して、こうパキっと」

「パキっとってお前な……、そこまでやれるのは珍しいって自覚を持て自覚を」


恵比寿様が呆れたようにやれやれと言った様子で額に手を当る。

自覚はしている。つもりなのだが足りないらしい。


「まあいい。また何かあれば呼ぶから一旦下がれ。ついでに街へ行って武器でも買ってこい。

 先日の猪退治で壊してからずっと適当に間に合わせていただろう」

「もう少しあり合わせで頑張ろうと思ってたんですけど、やっぱ買った方がいいですかね?」

「当たり前だ馬鹿野郎。先の件もあるから一人護衛につける。ちゃんと買って来いよ」

「……分かりました……」


買ってこい。と言われれば仕方がない。

街の鍛冶屋をいくつか頭の中に候補として浮かべつつ、俺は領主の間を後にした。

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