第三十三話 高枕安眠を誘う
「ほんで?おみゃあらは特に何の成果も無くまーた戻ってきた、と」
「はい、歓吉様。申し訳ございません」
矢車城の入り口を狙う位置に張られた軍勢の陣に、特徴的な声色の特徴的な口調の男の声が響く。
オウムの様な、猿のような声だった。
陣立ての中にはその声の主である鎧姿の男が一人、濡れ鼠となった兵達を前にしてなにやら考え込んでいる。
「なるほどにゃぁ。まあ、襲撃の失敗はしゃあないわ。相手が相手じゃ。それよか、本当にあの鬼は引っ込むと言ったんか?」
「ええ。『いい加減飽きてきたから降りる』と……」
「どうもきな臭いが、その言葉の通りなら相手の士気は相当下がるのう……、気になるのは初めて遭遇したっちゅう奴じゃの。確かに桃と呼ばれておったんか?」
「はい。恐らく追加されていた熱湯などの嫌がらせは奴からかと……」
「あ~っ!厄介じゃのう。こんな状況で入ってくる奴なんぞ絶対碌な奴じゃにゃあ!直ぐに
将の名は
黒目がちのメガネザルのような顔が特徴のこの男は、瑠璃領主の弟である人寿郎によって一般の兵から取り立てられた。
その証として褒美に漢字を与えられた出世頭である。
そのことを面白く思っていないものも多いものが、よく気が回るために人寿郎からは気に入られていた。
今回も人寿郎の命によって、矢車城の攻略を任された鉄鼠の手伝いにと参陣している。
ところがこの状況である。
勝ち戦と思っていた戦いは状況と総大将の戦の方針とが悪い方向に重なって、状況が
(この状況、相当に厄介じゃあ……!嫌な予感がするがや……)
兵士たちがもたらした情報は城の警備が緩くなって、士気も下がっているであろうと判断できるものだった。
本来であればここで攻勢を強めるべきだろう。
しかし、今回の戦の総大将である鉄鼠はそれを良しとしていない。
領主は討ち取り、それ以外は可能な限り生け捕りにせよとの命令だった。
人材不足は歓吉とて百も承知だが、それにしたって何を言っているのかと耳を疑うような命令だった。
ただでさえ酒呑童子と言う強力な相手がいる中で、その酒呑童子がやる気をなくしている。
ともすれば、好機のはずであった。
しかしそんな中で、『なるべく生け捕りに』などと縛りを設ければ、身動きなど到底できない。
元々圧倒的な勝ち戦のつもりできた兵達に戦えと言ったところで、そこで命がけ、或いは困難な戦いとなれば軍は崩壊しかねない。
その酒呑童子の代わりにでてきた桃と言う男も、この状況で顔を出してくるあたり何かしら厄介なことをしてくる可能性が高い。
というか現に兵士たちが被害を受けている。
無駄に死者を出すな。という命令さえなければこうなる前にいくらかやり様もあっただろう。
しかし現状では中途半端に牽制するしか出来ないのがもどかしかった。
「相手方の兵たちはもはや此方と積極的に攻撃するような様子はありません。戦意がないとみていいのでは?」
「そうですよ。兵たちの間でも、もはや相手方には戦意なしと専らの噂です」
「たわけ!!相手に戦意がないなら猶更今のうちに叩かにゃあ!既に
「でも、鉄鼠様からは刺激しすぎるなって厳命されてるじゃないですか。『包囲し続けて相手が瑠璃領主の命を差し出すよう待て』と」
「うぐっ……」
兵たちの言葉に、歓吉も言い淀む。
下手に攻勢に出る事で生じるであろう不利益を考えて、相手の戦意が挫けて完全に折れるのを待つ。
確かに普通であれば通用するだろう。
しかし今回、この砦の攻略に参加している将兵は寄せ集めと言っても差し支えないものだ。
主力の部隊は人寿郎様と共に奪った瑠璃城の守りに詰めている為に、前線に出る兵たちの数が足りなかったのだ。
人寿郎は領の外へ協力を取り付け、兵を借りることに成功したようだったが、借り物の兵達の士気はどうしても低くなる。
余り上官の事を悪く言いたくは無いが、この場に限って言わせてもらえば正直状況を分かっていないとしか言いようがない。
余りにも敵に時間を与えすぎている。
仮にも相手は瑠璃領主と、さらには蘇芳も加わっているのだ。
なにかしら仕掛けてくるに決まっている。
(正直、人寿郎様は戦はあまりお上手でねえ……)
それでも人寿郎の元に集まって、吉祥へ反旗を翻した者たちがいるのは、偏に彼の人柄故だ。
人寿郎はただただ、優しい男だった。自分も人寿郎が語った理想に見せられた一人だ。
要するに、惚れた弱みなのだ。
共に或る理由など、歓吉にとってはそれだけで良かった。
「蘇芳の連中も、あんまりやる気なさそうですしね。さっきも和睦の使者が来たって聞きましたよ」
「あんなもん信用できるきゃあ。大体領主も蘇芳も、和睦の使者立てる癖に要求が図々しいんじゃあ!なーにが領主と将兵の命を保証して下されば降伏するじゃあ!信用できるか!!」
「でも、言う事聴いておいてのこのこ出てきたところを殺せばいいんじゃ?」
「アホかぁ!和睦の席に立たせたが最後、周りを酒呑童子達で固めて下手に手が付けられんくなるわ!こっちの意図が漏れたらその時点でわしらが危なくなる!」
とはいえ、実際総大将の鉄鼠にもそう命じられている以上包囲し続ける事しかできない。
敵の要求に何らかの意図が込められているのは確かだが、此方に取れる選択肢があまりにも少なすぎる。
結局のところずるずると時間だけが過ぎて行って、兵たちの気持ちは緩み切っていた。
歓吉一人が何かあると警戒したところで、そしてそれを兵達に啓蒙したところで、成り上がりの歓吉の言葉に耳を貸す兵はあまりにも少ない。
「なんぞや、嫌な予感がするのぅ……」
本来であればまだ残暑による蒸し暑さを感じる時期だというのに、どうにもうすら寒さが消えない。
歓吉はその感覚に僅かに身震いしながら、辛うじて己の言葉に聞く耳を持ってくれた数少ない兵達と共に、歓吉は警戒を続けるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「で、敵対に対する詫び状も降伏の書状も突き返されてきた。と」
夕闇の逆光の中、兵が頭を下げて報告を行う。
その報告を受け取った恵比寿は、丁度相手の南側へ布陣する形で陣を構えていた。
平地故に、お互いの事は既に認識している。
既に小競り合いもあったが、兵達にはあまり積極的に戦わず、防戦に努めるように厳命してあった。
「
恵比寿が声をかけると同時、二つの影が音も無く現れる。
一人は忍び装束に身を包んだ
もう一人は戦場には似つかわしくない、華やかな着物を着た薄墨の髪の女だった。名を
僅かに
「浦島衆、望月衆共に敵兵へ紛れ込んでおります。噂も色々と」
「瑠璃領主の軍は既に戦意なし、瑠璃領主の救援に来た蘇芳も義理で来ただけでやる気なし、と主に
海に続く形で、輝夜が補足する。
浦島衆と望月衆。同じ影の部分を担う部隊同士、連携も得意なのだ。
得意とすることはそれぞれ違えど、否、違うからこそ互いの能力を存分に利用して最大の成果を上げてきた。
「偽の書状もあって相手方の陣は殆どがその噂を信じ切って油断しているようです。兵の数が少ないのも、相手の油断を誘うのに一役買ってくれましたね」
「『殆ど』ってことは信じていない奴もいるって事か」
「はい。主だって攻撃を行い、一番城近くに布陣している歓吉という将です。ただ、この将は一兵卒からのたたき上げの様で、ほとんどの兵からやっかみを受けているみたいですわ」
「なら、求心力は少ないとみていいな」
相手方にも此方の意図に気付きかけている者がいる。とはいえ相手の求心力がまだ追いついていないのは幸いだろう。
「矢車城の方はどうなっている?」
「桃がうまい事瑠璃領主様を口説いてくれたみたいですよ、砦の攻撃に混ざっていた浦島衆が、妖怪と一緒に砦を守る桃を目撃しています」
「そうか。まあ、それなりに上手くやってるならいいさ」
「全く、
少しばかり不満そうにいう輝夜に、恵比寿が困ったように「そう言うな」と答える。
「あいつはあの方の遺児でもあるからな。出来る奴だが手のかかる奴でもある。そういう奴ほど気になるってこった」
「私も恵比寿様の為に心を砕いて懸命に日々精進しておりますのに」
「んなこた分かってるよ。ちゃあんと見てるから安心しろ」
そういって恵比寿は輝夜の頭にぽんと激励するように手を置く。
実の子たちと同じように桃の事を気にかけている分、海や輝夜達にはなかなか声をかけてやる機会が少ない。
手のかからない二人であるからこそなのだが、それでもこうして時折の労いは忘れないようにしていた。
「だいたいお前だって桃の事はそれなりに可愛がってるだろうが」
「それは……勇魚様も含め弟のようなものですから。あの子はちょっと真面目過ぎるきらいがありますが」
「あいつもちょっとは手を抜くというか、力の抜き方をを覚えりゃいいんだがなぁ」
「そういう奴だから気になるんだよ。お前らも何だかんだ言って分かってるんじゃねえか」
軽く笑いながら言った恵比寿に、海と輝夜も同じように笑みを持って返す。
さながら保護者同士の世間話のような様相のその会話は、桃に対するある種の心労を共有している人間同士の連帯感だった。
「ま、そういうわけだ。勇魚もそうだが蘇芳に必要な若い力に、暫くは手を貸してやってくれ」
「言われなくてもそのつもりですよ」
「私、恵比寿様の為であればなんでもいたしますわ」
「俺の為じゃあないんだがな。それとその熱っぽい視線はやめろ。俺ぁ女房一筋だ。あと小娘がなんでもなんて言うもんじゃあない」
熱っぽい視線を輝夜が恵比寿に送るのは、偏に輝夜が恵比寿を慕っているからである。
とはいえ亡き妻一筋の恵比寿にとっては憧れとの境目が付いていないだけの、麻疹のようなものだという扱いだ。
いい加減年齢的にも相手を見つけて婚姻を結んではどうかと思うのだが、これまで求婚の話がでた男は悉く相手にされなかったらしい。
「ともかく、桃の方も上手く行っているのならさっさと決行した方がいいだろう」
「では今夜に?」
「ああ。時は夜明け前。鎧兜を脱ぎ夜襲をかける」
夕映えが陣の中に差し込み、逆光となって恵比寿を包む。
その中にギラリと光る鋭い目は、さながら獲物を狙う獅子か、はたまた魚の大群を飲み込まんとする鯨の様であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます