第三十二話 鬼は退屈し、雑兵は流れる
「なぁ、本当においら達、領主様を攻めていいのかぁ?」
「知るかよ。けど俺らは上に従うしかねえだろ」
「けどよぅ、あいつらもう戦う気とか本当は無ぇんじゃないかぁ」
周囲から聞こえてくるのは、この戦に対する様々な声。
その声を掻きわけるように城の正面から外れていく男がいた。
男の名前はマツノスケ。この城の攻撃に参加している一兵卒だ。一応兵長だが、下っ端である。
つまり領主に反旗を翻している勢力の手勢なのだが、正直な話彼らの士気は低い。
それは本来仕えるべき相手に対し刃を向けている後ろめたさも大いにあるが、なによりも相手に戦う気があまり感じられないのも辛かった。
日が昇るたび攻勢に出ては押し返されるを繰り返し、兵達はある意味では飽きて、ある意味では疲れ切っている。
同胞に刃を向けるだけでも気が滅入るのに、その相手が殺す気で向かってこないのであれば猶更だ。
いっそ強烈な殺意を向けてくる相手であれば、こちらもいっそ心置きなく戦えるというのに。
なのに相手方の兵は誰もかれも積極的に打って出るわけでもなく、此方を追い返すだけだ。
ただただ最低限に、自分たちの命を守るためだけに戦っているようなその様に、反逆者側の攻撃の手は鈍るばかりだった。
何より厄介なのは城の守備だ。
カムナビではあまり見られない城には、少ないながらも守備兵が詰めている。
しかしながら領主の兵は徹底的な守勢に回っている為に突破も容易ではない。
兵数は圧倒的に上回っているものの、頭上から矢を射かけられ、徹底的に長槍の壁を敷き詰めた領主の兵達の突破は容易ではない。
かといって強引に数で押しつぶそうとすれば、今度はあの鬼と婆が出てくる。
砂による壁と鬼の怪力によって味方は蹴散らされ、突破するとなれば命がけになってしまうのだ。
夜になれば兵達も引いていくが、代わりと言わんばかりに分厚い砂塵の壁が城の周りを取り囲んでしまう。
最初は勝ち戦と侮っていたところにこの状況では、誰もが砦を攻めるのに二の足を踏むのも当然の事だった。
そして昨日あたりから見慣れない将が門扉の陣頭に立っていた。
こいつの能力も厄介だ。
隙を見つけたと思って突撃しても、水の魔法でちょっかいをかけられる。
ただの水だけならまだしも、時々熱湯を浴びせられるので溜まったものではない。
「なああんちゃん、本当にいいのかなぁ、こんな勝手して」
正面を攻めている見方をよそにしろの裏手に回るため、マツノスケはぞろぞろと自分に同意した何人かの兵を連れて森を歩く。
その最中マツノスケのすぐ後ろを歩く弟のタケベエが不安そうな声で呟いた。
今やろうとしている事は、裏手のちょっとした岩崖からよじ登っての侵入だ。
内側に入ってさえしまえば、表に突きっきりの奴らの隙を突けるが、当然危険もあった。
それでも、マツノスケはこの手段にかけていた。弟たちの不安も分かるが、これが最善だと信じている。
此処へ一緒に来ている兵達も同意のもとに同行しているだけで強要しているわけではないので、いざという時は一人だってやってやろうという気持ちだった。
「正面からの突破は無理だ!味方にやる気はねえし、表にはあの酒呑童子とかいう鬼も出てくる。というかお前らが勝手に付いてきたんだろうが」
「だってあんちゃん一人に危ない真似させるのは嫌だしよう」
「敵だってやる気なくなってきてるのは同じじゃあねえのか?」
そういったタケベエに同意するように、マツノスケの一番下の弟のウメタロウがうんうんと頷いて続ける。
「馬っ鹿おめえ!あの鬼がやる気なかったからって俺らは敵わないっての!そもそもの身体の出来が違うんだわあれ!いちいち相手にしてられるか!」
「わかったよぉ」
「……ついて来るのはいいけど、危ないのに変わりはないから無理はすんなよ」
弱気な弟達を叱咤しながら、一行は鬱蒼と茂る木々の間を抜ける。
平地となっている砦の周辺だが、裏手は森となっていて接近は容易い。
「よし着いた!」
目の前には小高い丘。というよりも崖だ。
しかしながらせり出した岩を手掛かりに上っていけば、城の背を覆っている壁に到達できる。
鼠返しになっているわけでもなし、梯子の固定は下の兵に任せればいい。
梯子を背負ってそこまで登りさえすれば、裏手から侵入して打撃を与えられる。
敵の存在以上に落下も危険だが、やる価値はある。
梯子を背負って岸壁を何とかよじ登り、辛うじて安定しそうな岩の隙間に突き刺すように梯子を立てかける。
同じように登ってきた兵に梯子の支えを頼んで、マツノスケを筆頭に弟が隊列を成し梯子を昇り始める。
「くっそ、やっぱ不安定だな……!」
「あんちゃん!すげえ揺れるんだけど!」
「根性だ!頑張れ!下で支えてるやつらを信じろぉ!」
もう少し。もう少しだ。もう少しで登り切れる。
そうして鬱陶しい弓兵を片付けてやる、そう思っていたのだが、現実は甘くなかった。
視界が陰る。ぬっと顔を出した影は大きく、逆光で顔は分からない。
ああ、それでも二本の角の形が見て取れて、その陰の主の正体が嫌でもわかってしまった。
反逆者の兵が侵入しようとしている砦の外壁の上。
その上に立つ二つの影。
どうやらもっとも会いたくない相手に気付かれたらしいと、マツノスケの背筋が凍る。
「おう。やっぱりここから登って来たか」
「畜生!もう少しだったのに……!」
「お前、突然抜け出したと思ったらこんなところに……」
「おう桃、正面の守備は良いのか?」
「沙羅殿が請け負ってくれてるよ」
その影の主は間違いない。あの厄介な鬼、酒呑童子だ。
そして会話の内容から、もう一人は途中から守備に加わっていたあの男のようだった。
「いつもいつもいいところで邪魔しやがって!」
「そいつは悪かったなぁ。しかしお前らもよく飽きないもんだ」
「畜生!今すぐ登り切ってその首叩き落してやる!」
「あー。悪い。その前にちと用を足したい」
「「は?」」
突然何を言い出すのか。そう思ってマツノスケが唖然とその影を見上げると、何やらごそごそと脚絆を弄っている。
――用を足す?いつ?どこで?え?
マツノスケの頭の中で、酒呑童子の言葉がぐるぐると巡る。
何を言っているのかは分かるが、あまりに場にそぐわない言葉に意味を繋げるのに時間がかかった。
一緒に思わず声を上げたのは桃という男だろう。
「酒を飲み過ぎてな。催しちまった」
「まて、まさかお前、やめろぁああああばばばあ」
直後顔面に降り注ぐのは、生暖かい液体。
隣の男が「うわぁ」って声上げて少し引いている。引くくらいなら止めてほしい。本当に。
今すぐにでもこの場を離れたいかった。
強い抵抗感との綱引きの中、どうにかマツノスケの理性は梯子から手を放さずに食らいついていた。
「ぶはっ!なんの!小便ごときで俺が止まるかぁ!あっ……?」
顔に注がれる液体の正体を確認する気にはならない。それでも想像は出来る。
それでもなんのと手を伸ばし、上に向かうとしたところで、マツノスケは濡れた梯子に手を滑らせてしまった。
身体がふわりと一瞬浮いた感覚があって、そのまま重力に従って下に叩きつけられ、体を叩きつけられた痛みに咳込んだ。
それに巻き込まれて、仲間の兵達も次々ともつれ合う様に転がっていった。
「汚いやつめ……」
飛び降りてきたのか、突然現れた目の前の鬼の顔に悪態をつく。
こちらを覗き込む鬼の顔は悪びれた様子もなく、他人事のような顔だ。
「あの落ち方で気絶してないとは、此処まで来るだけでも相当なのに根性あるなぁ。気に入ったぜ」
「なにが気に入っただ……人の顔に小便引っ掛けるばっちいやつなんぞに気に入られても嬉しかねえ……」
「何言ってやがる。俺の小便は殆ど酒だ。消毒されてるよ」
「違う、そうじゃない」
鬼に桃と呼ばれていた男が突っ込む。
突っ込むくらいならこの男が行動を起こす前に止めて欲しかったと、マツノスケは恨みがましく二人を睨みつけた。
「しかし、こうも思い切り戦えないんじゃあ飽きてきたなぁ。桃、俺ぁこの戦、降りるわ。後はお前で適当にやってくれ」
「おいおい、ただでさえこっちは戦力不足なんだ。お前にサボられたら尚の事戦えなくなっちゃうよ」
「悪ぃなぁ。だが酒も少なくなってきてるし、やる気が出ねえのよ」
「気持ちは分かるけども」
――こいつら、敵の前で何を言っている。馬鹿か?
だがどうやら此方をさんざんに苦しめてきた鬼は既にやる気がないらしい。
これは好都合だとマツノスケは心の内でほくそ笑んだ。
せめて一発、こちらも脅かしてやらねば腹の虫がおさまらないと思っていたところだ。
桃と言う男も気になるが、見たところ妖怪ではなくただの人間。鬼ほどの実力はあるまい。
なにより鬼の言葉に同意を示している辺り、こいつもあまり士気が高くないのだろう。
「あ、放っておいて悪かった。直ぐに帰してやるから待ってな」
桃と呼ばれていた男が、唐突に此方に向き直って意味深な言葉を投げかけてくる。
「は?」
どういう意味か。と聞く前に、すでに奴の手の中には魔力の流れが見て取れた。
その周囲に纏わりつくように、やがて手から腕にかけて水が全体を覆って行く。
何をする気かはわからないが、どちらにしろ反逆者の兵達にとって喜ばしい事でないのは確かだ。
「ついでにこいつが引っ掛けたのも、洗えるからさ。勘弁してくれ」
直後、倒れて動けない俺達を何処からともなく溢れた水が押し流し始める。
立って踏ん張れば耐えられたかもしれない深さ。
だがそれなりに勢いのあるその水の塊は、砦への侵入をもくろんだ敵兵たちをもまとめて容赦なく運んでいく。
「ぐばっ……!このっ……覚えてろよぉぉぉぉお!」
叫び声と共に水に流されるその様は、さながら流しそうめんであった。
平地だというのに止まらない水の流れは魔法による技故だろうか。
抵抗するすべもなく苦し紛れに放った言葉は、桃の耳には届かない。
ともかくこの砦の主戦力であろう連中はすでに士気も低く、戦うのに消極的になっている。
其れを知れただけでも収穫だ。
次こそは必ず、絶対にぎゃふんと言わせてやると決意を腹に決め、砦の裏から侵入を目論んだ一行(およそ10名)は砦の入り口まで押し流されていくのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
捨て台詞を置き去りにして流されていく兵士達を、俺と酒呑は少しばかり憐れみを込めた視線で見送る。
まあ、やったのは俺達なんだけど。
「で、これでいいのか?」
「ああ」
そういって視線だけをよこしてきた酒呑が、確認するように問いかけてくる。
酒呑が先ほどいった飽きてきたという言葉は恐らく本心だ。
とはいえ本心から出た言葉であっても、戦いを放棄したりはしないだろう。
「あんなんで油断してくれるのかねぇ」
「あれだけだと難しいだろうが、
「なら、信用するとしようか。お前さんの言葉の通りなら、ここから面白いことになりそうだしな」
「俺がここに潜入してからある程度経ったし、そろそろ
恵比寿様には俺が砦に潜入をして吉祥様と話をつけたタイミングで伝書の鳥を出している。
念のために見つかりづらい夜の内に飛ばしたかったため、今回は鴉ではなく梟だ。
それに呼応し、蘇芳からは恵比寿様自らが軍を率いて着陣する手はずだった。
「攻撃の機はどう合わせるんだい?」
「望月衆がどさくさに紛れて敵陣を混乱に陥れたところで、構成員の一人が知らせにやってくる」
「こりゃ派手な戦になりそうだ。ますます楽しみだな」
「暴れっぷりに期待させてもらうよ」
「そりゃあこっちの台詞だぜ。桃、お前さんの魔法、さっきから何回か見てるがやっぱり面白え」
「会った時にもそんなこと言ってたが、そんなにか」
「おうよ。まあ、詳しい話は領主様の話が終わった折にでもしてやるさ」
「楽しみにしておくよ」
にやりと意味ありげな笑みを浮かべた酒呑に、こちらも同じような笑みを持って返す。
それに満足したのか酒呑は「昼寝でもするかぁ」などと宣って、引っ込んでいった。
「さてさて、逃がした兵達がどう話を広めてくれるやら……。尾ひれなんかを付けてくれると嬉しいんだけど……」
あえて逃がした兵たちの行動を期待しつつ、今は恵比寿様と共に居るであろう
カワベエもいるとはいえこの状況は少し寂しい。
ハヌマンや狛は初の大戦にさぞ緊張しているだろうと想像しつつ、俺も酒呑と同じように吉祥様の元へ戻るのだった。
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