第四十七話 凰

宝物庫の奥に収められていたのは一本の美麗な笛。

 まるでその部屋の主であるかのように祭壇に安置された鮮やかな深紅の笛だった。

 鮮烈な炎のような色の笛は、幾らかの青と金の翼のような装飾によって彩られている。


「綺麗な笛……」


 後ろにいた狛が思わずそう漏らすくらいには、美しい笛だった。

 観音開きに開かれた扉から差し込む光は決して多くないはずなのに、この笛はその少しの光で神秘的に輝いて見える。


「これが、私のお婆様の家系に伝わる秘宝……」

「その通り。そしてこの笛は、鳳凰ホウオウの血と力を継ぐ女にしか扱えぬ。それ以外にはとんでもない笛自体がとんでもない重さに変じる上、能力も輝きも失う。そうじゃな、そちはハヌマンと言ったか、近う寄れ」

「あ、はい!」


 笛の傍らに立つ多聞たもん様に呼ばれて、ハヌマンがその傍らに小走りで近づく。

 すると多聞たもん様はハヌマンに対し、『この笛を持ち上げてみよ』と言って見せた。


「あの、桃様……」


 いいのでしょうか?と言わんばかりに此方へ視線を寄越したハヌマンへ、俺は黙って首を縦に振って返す。

 多聞たもん様が傍へ呼び立てて言った以上、なにか意図があっての事だ。

 ハヌマンからすれば災難だろうが、悪いようにはされまい。


 俺が頷いたのを見てハヌマンは、緊張した面持ちで笛を手に取った。

 しかしどうしたことか、何の変哲もない大きさの横笛は、この場にいる誰よりも体格のいいハヌマンの力をもってしてもピクリとも動かなかった。

 まるで祭壇に吸い付いているかのようだ。


「これは、想像以上ですね……」

「おつかれ。ありがとうな」


 暫く顔を紅潮させて頑張っていたハヌマンだったが、筋力の問題ではないと悟ったのだろう。

 遂に音を上げた彼は肩を落として俺の元に戻ってきた。


「条件を満たさないものにはとんでもなく重くなるなら、俺も同じ結果だろうさ。気にするな」

「面目ございません」


 フォローを入れたものの、ハヌマンの顔は浮かない。

 体格と頑丈さが売りの彼にとっては、思いのほか悔しかったのかもしれない。

 あとでフォローしておくとしよう。

 

「伯父様もお母様の兄弟なのだから鳳凰ホウオウの血が流れているはずでしょう?それでもだめなの?」

「麻呂はあくまで血を継いだのみ。因子として含まれるだけじゃ。それに先ほども言った通り、なぜか一族の中でもその笛をまともに扱えるのは女子のみなのじゃ。男である麻呂にはその笛はとんでもない重さに変わる。まして血を継いですらおらぬ者には、先の通り、持ち上げる事すら敵わぬ」

「では、もしそれが途絶えたら……」


 こう姫様の言葉の続きを察してか、多聞たもん様は首を静かに縦に振るとその言葉を引き継ぐように続けた


「笛を扱えるものはいなくなる。お前の様に鳳凰ホウオウの血と力を濃く継ぐ女子がまた現れぬ限りはな」

「私が……。でも伯父様、なぜ私が鳳凰ホウオウの力を継いでいる事が分かるのですか?まだ魔法も使えないのに」

「その疑問も当然じゃの。正直な話、麻呂もこればかりは妹より聴いたことしか言えぬが……、夢に何度も現れたのだそうじゃ」

「夢に?」

「巨大で美しい五色の鳥の魔物がな、炎と共に降り立って頭の中へ語りかけてくるのだそうじゃ。鳳凰ホウオウ復活の時が近いと。身籠った赤子に笛を継がせよ、とな」


 多聞たもん様の言葉を聴くこう姫様の表情は、驚きのあまり少し固まっているように見えた。

 自分の秘密を知ったことで不安定になった気持ちを繋ぎとめるように、胸の前に手を添えたまま動かない。


 その様子に差はあれど、さながら、数日前真実を知らされ自分を見ているようだ。

 祭魔の力という巨大なものが自分の内に眠ると突然知らされれば、ある意味では当然の反応だろう。


 多聞たもん様は、そんな姫様を黙って待っていた。


こう姫様、大丈夫かな。桃様」

「姫様は芯が強い。大丈夫だ。いまこの場であの笛を継げるのは姫様だけ。これが姫様の成すべきことだ」

「でも……」

「もしキツそうなら皆で支えればいい。その為に俺達がいるんだ」

「……わかった」


 ぐっと唇を引き結んで、狛がこう姫様の背中を見つめ直す。

 彼女が黙ってしまった理由はいくつか考えられる。

 代々受け継がれてきた笛を継承することに対する緊張と戸惑い、自分の中に眠る魔物の血と力の大きさへの恐れ。

 自分が彼女と同じ立場であったらという予想でしかないが、そんな所だろうか。



 それでも彼女は、その事実を受け入れ、飲み込む。

 目を閉じ、一つ深く深呼吸したこう姫様は、次の瞬間にはしっかりと目を空けて多聞たもん様をまっすぐに見つめていた。


「決意は済んだようじゃの。流石、我が姪御よ。では早速、この笛を手に取ると良い」

「はい」


 普段は涼やかな清流のような、風鈴の様に綺麗なこう姫様の声が響く。

 その響きはいつもと違って凛としていて、俺の視線を受け止める背もしっかりと筋が通っていた。


 見送るしかできない歯がゆさはあるが、声を掛けることなど、まして手を貸すなどは許されない。

 それは俺達の視線を背に受けたまま振り向かずに笛の元へ歩き出した姫様の決意に、水を差してしまうことになる。


 淀みない足取りで、笛の安置された祭壇の前にこう姫様が辿り着く。

 姫様はそのまま両の手で恭しく笛に手を添えると、慎重に祭壇から笛を持ち上げた。

 するとどうだろうか、ハヌマンの力をもってしてもピクリとも動かなかった笛は、いとも簡単にこう姫様の手の平に収まった。


 白い肌の上に赤い笛が映える。


こうよ。重さはどうかの」

「全く感じません。まるで鳥の羽根のようで……ほんのりと温かい……」

「それは僥倖。やはり迦楼羅の見たという夢は、お告げのようなものであったか」


 姫様の手に収まった笛は、主を見つけてその鮮やかさを増したようにも見える。

 多聞たもん様もその様子を見て、心なしか顔をほころばせているように見えた。


「其方は正真正銘笛に認められたのじゃ。これから先、其方がどのような力を目覚めさせて、その笛がどの様に作用するかは分からぬ」

「私の力、ですか」

「左様じゃ。恐らくは笛に呼応する形で其方の中に眠る鳳凰ホウオウの血は更に覚醒していくじゃろう。その力に振り回されるかどうかは其方次第。力に使われぬ様、己を磨くことを努々わすれるでないぞ」

「はい、心に留めておきます。伯父様」


 笛を胸に抱き、こう姫様は多聞たもん殿に一礼する。

 その礼を受けて、当主の顔となっていた多聞たもん様の表情は、いつも姫様に見せる気のいい伯父の顔に戻っていった。


 それと同時に、場に流れていた緊張感もほどけていく。

 いつの間にか張りつめていた空気と共に、肺にたまった緊張を各々が静かに吐き出す気配がした。


 戻ってきたこう姫様が、その様子を見てくすりと微笑む。


「もう、貴方たちまで緊張してどうするの?私は大丈夫よ」

「恥ずかしながら、みんなして雰囲気に飲まれてましたよ……。姫様、お疲れ様です」

「ええ、ありがとう、桃。おとに狛、ハヌマンも。付いてきてくれて、心強かった」

「さて、大きな目的は済んだことじゃし、其方ら暫く街を観光してくると良い。折角梔子くちなしに来たのに目的だけ済ませて帰るというのも、味気なかろう。ほれ、笛袋も渡しておこう」

「心遣いありがとうございます、伯父様。お言葉に甘えさせていただきますわ」

夕餉ゆうげ迄には帰ってくるのじゃぞー」


 見事な刺繍の入った袋に笛を治めたこう姫様は、帯に挟む形で笛を仕舞うと落ちないようにしっかりと固定する。

 そして多聞たもん様の言葉に見送られながら、姫様を先頭にして俺達は梔子くちなしの街へと繰り出すのだった。

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