神の園のリヴァイブ
くしむら ゆう
PROLOGUE~死と転生と誕生と~
「ただいま」
西暦20XX年某日、その日はとても平凡で代り映えのない日だった。
朝は気怠い頭を何とか覚醒させて仕事に向かい、昼は市民の対応をしながら業務をこなし、夜に帰宅する。
繰り返される毎日。今思えば当たり前の幸福な日常に幕が下りたのは突然のことだった。
「よっこいせっと」
部屋の座椅子に腰かけて思わず出てしまう一言に、自分もおじさんになったものだと思う。
傍らでは飼っている猫のレオが、夜食用に用意した菓子パンをどこか羨ましそうに見ている。
ポットから淹れたての紅茶を注いでそれを齧りながら、日課になっているゲームの電源を入れた。
歳は34歳。職業は公務員。父母や周囲の人にも恵まれ、当たり障りのないながらも幸福と言える人生。
いつも通りに帰宅して家族に迎えられ、母の用意してくれた夕食を食べて入浴を済ませ、寝るまで趣味を満喫する。
実家住まいの悠々自適な独身生活だが、正直周囲の友人たちの結婚や子育ての報告が羨ましくはあった。
けれど歳も歳だ。なかなか相手も見つからない。
正直もう少し早くに結婚できていればと思うが、それを考えていた恋人とはすれ違いの末に別れ、それ以来春が来る気配もない。
それに自分には先天的に心臓に持病があるからと、言い訳と諦めがあった。
おかげで小さい頃は入退院を繰り返し、学生時代は体育は見学。走ったり階段を昇ればすぐにばてるし、常に体に気を使う生活だ。
学業に励めば熱を出し、仕事をそれなりに覚えて頼りにされるようになったかと思えば身体を壊して休職。
肝心な時に役に立たない、そんな事が繰り返し起これば信頼を積み上げていくのは難しい。
どうせまた体を壊して休むのであろうと、任せてもらえる仕事も少なくなっていく。
少しでも健康的であろうと身体作りの為に軽い運動をすることすらも、心臓がすぐに音を上げてしまう。
学業も仕事も遊びも恋愛も、つねに心臓の病が呪いのようについて回って思い切りやることができない現実に酷く倦んでいた。
かといって生まれつきの病に対しそんな感情を持っていることを表に出せば両親を責めるようでそれもできない。
持病は厄介者だが、両親が悪いわけではないしましてや責めたいわけでもない。
だからせめて自分ができる範囲で割り切って生活するようにしていた。
それでも呪いは残酷に唐突にその時を告げる。
「…っあ…!?」
何の前触れもなく、胸に引き絞られるような激痛が走る。
次に感じたのは恐怖だった。痛みを訴えている場所が心臓だと感覚的にわかってしまったからだ。
叫びたくても思うように声は出ない。
幸い集合住宅なので家は広くない。痛みに耐えながら這う這うの体で部屋を抜け出し、持っていたスマートフォンを思い切り居間に投げつけた。
見事今に放り込まれたスマホが音を立ててテーブルの角にぶつかり跳ね返ると、母が何事かと不満をにじませた顔をのぞかせる。
それを確認した途端、安心感からか痛みにすべて意識が持っていかれた。
心臓をぞうきん絞りでもされたらこんな感覚だろうか、驚きと焦りで顔から血の気の引いた両親が見える。
程なくして救急車に助けを求める声だけが、暗く歪んでいく視界の向こう側から聞こえていた。
そこからの感覚は酷く曖昧だった。
自分自身の経験のはずなのにどこか他人事のような感覚。
体の感覚と意識は剥離し、妙に引き延ばされた時間の中で思考だけが巡っている。
すでに痛みは意識の外で、投げかけられる言葉も目の前に広がる光景も現実感がない。
死にたくないな。と思う自分と、ここで終わるのかと達観している自分がいる。
すでに高齢の父より先に逝ってしまうであろう事に申し訳なくなる。
滲む視界の中で母が懇願するようにこちらの手を握って泣いているのが分かった。
これで自分が死んでしまえば二人はどうなるのだろうと考える。
早死にするとは思っていたが、せめて親を見送ってから死にたかった。
子供どころか何も残せず、誰にとっての一番にもなれずに死んでいくのかと思うと無念だ。
思えば自分は体の事で知らずに言い訳ばかりをして、何事も諦めを前提に構えていたかもしれない。
もう少し素直に頑張ってみればよかったかもしれない。
いや、今更後悔したところで後の祭りだ。
ただ引き延ばされていた意識も時間も、とうとう限界らしい。
巡っていた思考は雑音になり、やがて僅かに残っていた感覚すら失せていく。
そうして命の帳が落ちていく感覚の中最後に思う。
(もう一度やり直せるなら……もっと上手に生きられますように……)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夢を観ていた。
否、夢というよりは映像記録と言ったほうがいいかもしれない。
少なくとも自分は今第三者の視点でこの光景を俯瞰している。
自分が第三者だとわかるのは、眼下にいくつもの管に繋がれた自分がいるから。
医師や看護師が真剣な眼差しで管の先の機会をチェックし、はだけられた上半身に電気ショックが与えられる。
数回の試みの末、それでも機械の数値は変わらない。
手の届きそうな距離で両親が涙を流して祈るようにその光景を見ているのに、今の自分は声をかけることも触れることもできないようだった。
せめ5分。いや一言だけでもいいから言葉を伝える時間が欲しい。
「先に逝きますごめんなさい」と伝えるだけの時間が。
(待て待て待て待て待ってくれっ!)
そんな願いもむなしく、目の前の光景を置き去りにするように眼下の身体は遠ざかっていく。
「ご臨終です」
医師のその一言だけが、妙にはっきりと聞こえてしまった。
やがて目がくらむような激しい光に包まれたかと思うと、今度目の前に現れたのは別の光景だった。
(これは……何処だ?)
多分日本ではない。
けれどこの光景には既視感がある。天災に見舞われた人々の光景だ。
傷を負った人々に親を探す子供、時折大地が唸りを上げて揺れたかと思えば、遠くの方では火の手が上がったのか黒煙と炎が上がる。
そんな中を、一頭立の馬車が駆けていた。
荒れた道の上の、揺れる馬車の中には女性が二人。
一人は身重のようで、もう一人の女性が気遣わし気に身重の女性の身体をさすっている。
御者の男も荒れた道の上、それでも揺れを最小限にしようと注意を払いながら馬を走らせている。
それでも限界が近かったのか、しばらくして馬が力尽きる。
次に身重の女性を気遣っていた女が倒れ、最後に御者の身体が崩れ落ちた。
女も御者も、最後まで身重の女性を気に掛かけていたのだろう。
自分たちの食料は最低限に、それ以外は全て身重の女性に渡していた。
よくよく見れば女性の服はボロボロでも上等なものだ。二人は従者なのかもしれない。
大きなお腹を抱えながら、女性は足を踏み出す。
その足取りは酷く不安定なものだったが、その目には強い生への執着があった。
その様子と眼差しに思わず手を伸ばす。
(あれ……?)
手を伸ばしたつもりだった。
でも伸ばしたはずの手は何処にもない。自分自身の身体が見当たらない。
(死んだから身体がないってことか……?)
確かにあの時、医師の口から「ご臨終」の一言を聞いた気がする。
信じたくないけれど、自分は死んでいるのだろう。
そして奇妙なことに自分の意識だけが映画を眺めるように何処かで起こっているこの光景を見ているのだ。
ただ、目の前の出来事には心当たりがない。
目の前の光景を俯瞰するにいるのは確かだが、少なくとも自分が運び込まれた病院でも、あるいはその周辺の景色でもない。
(見てるだけで何もできないのは……悔しいな)
先ほどは両親が、今は目の前の身重の女性が辛そうにしている。
そんな時でも手が届かない自分が嫌になる。
死んでまでこんな思いをするとは思わなかった。勘弁してほしい。
そしてとうとう女性の足が縺れた。
(危ない!!)
転んだ。即座にそう思って思わず目をぎゅっと閉じる。
あれだけ大きなお腹を抱えていればもうすぐ産まれるかどうかというところだろう。
手助けもできない中で目の前で起こった光景は、広がっているであろう惨事を容易に想像させた。
ぎゅっと瞑った視界の中でチカチカと残像のようにさっきの光景が浮かび上がる。
あの女性はどうなってしまったのか、恐る恐る目を開けるとまたもや景色が変わっていた。
畳敷きの部屋、行燈の中から部屋を照らす蠟燭の灯りが時折揺れて影を歪ませる。
うって変わった景色に戸惑いながら眼下を見やれば、先ほどの身重の女性が清潔そうな布団に寝かされていた。
周りではこの家の者たちだろうか、慌ただしく湯や手拭いを用意しながらも口々に女性を励ましていた。
この人数から見ていいところのお屋敷かもしれない。
あの後何かがあって助かったのだと理解して、少しホッとする。
「うぅう……ああぁっ!!」
女性が苦し気に眉に皺を寄せる。
額には玉のような汗が浮かんでいた。
側に控えた女性がその汗を拭い、産婆と思われる老婆が皺だらけの手を女性の足の間に入れた。
息の詰まる光景だった。
こちらが痛いわけでも苦しいわけでもないのに、情けないことに目を覆いたくなる。
そうして長いのか短いのか分からない。
それでも感覚的には気の遠くなる様な時間を経て、その赤ん坊は姿を現した。
それでも産婆を含め周囲の顔は浮かない。
(……泣かない……)
無理もない話だとは思う。
事情は分からない。だが身重の身体でここに移る前の光景の状況であれば、相当な負荷やストレスがかかっていたであろうことは易々と想像できる。
それにしても神様というものが存在するなら、なんて残酷なのだろうと思う。
産まれてくる命くらい、守ってほしいものだ。
自分は神様が救ってくれるとは思っていないが、それでもこの泣かない赤子を前に神に祈るくらいの気持ちはある。
「諦めるでねぇ」
産婆が周囲の者たちに告げる。
それぞれができることを全力でやっていた。
ある者は母親の処置を行い、ある者は呼吸を手助けし、産婆は心臓を指で押して必死に産声を上げさせようとしていた。
その様子を息も絶え絶えの、母親となろうとしている女性が薄っすらと目を開けて眺めている。
彼女の目の端からは我が子への祈りか、涙があふれていた。
誰かを生かそうと皆が必死に動くその光景が、自分が死んだときの光景と重なる。
必死に自分に呼びかける両親。指示を飛ばす医者。バイタルを確認する看護師達…。
(頑張れ……!)
自分はダメだった。
だからこそ目の前の命には助かってほしい。
(生きろ……!)
ただひたすらに願う。
身体はないが、目を閉じて、気持ちは両の手を合わせて神頼みしている。
だって赤ん坊が生まれていきなりこんな目にあうなんてあんまりじゃないか。
何かが足りないなら俺が代わりになるから。
自分でも言ってることよくわからないけれど、この子が助かるのならもう死んでしまった自分はどうなってもいいから。
今思えばそれが切っ掛けだったのかもしれない。
「……あぅ……」
目の前には皺だらけの老婆の顔。
驚きと喜びと戸惑いが綯交ぜの表情で此方を窺う周囲の人間たち。
いや、想像でしかない。なにせ視界はぼやけている。ただ覗き込んでいる人影から感じる雰囲気は悪いものではない。
耳ははっきりと周囲の音を拾っていたし、これまでとは違って体の感覚があった。
おそらくこの皺の寄った感触の手は産婆の物か。
確かめるように、愛でるように、宝石を扱うような手つきで撫でられる。
話そうとしても、意味のない言葉しか出てこない。
「……奇跡じゃぁ……この子だけでも……ほんに良かったぁ……」
絞り出したように老婆の口から言葉が出た瞬間、それまでの様子が嘘のように安堵に包まれた。
「母君の手だ。最後に握って差し上げて下さい……」
そういって触れさせられたのは、自分よりもずいぶんと大きな冷たい手。
そしてここで気が付いたのだ。
今自分はあの赤子になってしまったのだと。
あの女性は死んでしまったのだと。
ひょっとして自分はとんでもないことを願ってしまったんじゃないだろうか。
自分があの赤子になったという事は、ひょっとしてその人生を奪ってしまったんじゃないか。
違う違う、助けたかっただけなのにどうしてこうなる?
願っただけでどうしてこうなってしまうんだ!?
葛藤しても答えはない。
ただ事実としてあるのは、産声を上げなかった赤子に今自分が成り代わっているという事。
それじゃあ、元々のこの子の意識は?魂とやらがあるならそれはどうなったんだ?
そう考えたとき、罪悪感なのかどうしようもなく涙があふれてきた。
赤ん坊だからかな。きっとそうだ。
けれど泣いても許してもらえるような事じゃない。
その日奇跡を起こした赤子の産声が生まれるはずだった赤子への懺悔の涙だったとは、誰も知る由がなかった。
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