第十七話 壁の向こう側にて
一方、桃達が壁に囲まれて攫われる少し前の事。
砦の外では見張り達が幹久によって手玉に取られていた。
「追え!とっ捕まえろ!」
砦の方から叫び声が聞こえて、複数の男が近づいて来る。
老人が木々の隙間や藪の間を縫うように走りながらも、ちらちらとその姿を相手に目視させながら逃げ回る。
まるで猫を遊ばせるように、獲物を見せたり隠したり、あるいは挑発的に前に出てちょっかいをかけて興味を引く。
その目論見通り、見張り達は此方へ向かって砦の中から突貫してくる。
幹久は一息に弓を引き絞り、番えた矢を二射放った。
矢は狂いなく見張りの鎧の隙間を捕らえ、肩と肘の内側を同時に射抜かれた見張りは悶絶して倒れ込んだ。
(さて、今頃桃たちはうまい事やっておるかの)
頭の片隅で孫も同然の子供たちの事を考えながら、花咲幹久は巣をつつかれた蜂のように飛び出してくる見張りを射抜いていく。
頭上からは兵たちが同様に放った矢が風を切って、見張り達に傷を負わせていた。
殺す必要は無い。怪我をすれば救助しようとしたものが現れる。それを射抜けば更に砦内には動揺が走るだろう。
今回の幹久の役割は陽動。
あえて半端に敵を攻撃し、逃げ、誘い出して仕留める。
木々の隙間から、樹上から、あるいは離れた岩場から、付かず離れず攻撃を繰り返す。
兵の位置や数を割らせずに全てを上手く運ぶには経験が必要だ。
(桃もなかなか、わしを上手く使いおる)
いつの間にやら立派になったものだと幹久は昔の桃の顔を思い描く。
好奇心旺盛で、なにかしらにつけて疑問をぶつけてくる子供だった。
武芸はまだまだだが、将来が今から楽しみな程に成長している。
とはいえ、まだ青い。
幹久にとっては、それが死んだ息子に対する償いでもあった。
だからこそ、桃の初めての用兵をやり遂げるのだ。
そんな気合の入った幹久にとって、巣から慌てて出てくる見張りなど、ただの的だ。
次々と矢で見張りを射抜き、やがてその数も疎らになったところで、同じく射撃を命じていた兵が傍へ寄ってくる。
「幹久様。村人の避難が完了したようです」
「あい分かった」
桃たちはしっかりとやり遂げたようだ。
顔を合わせたらまずは一番に誉めてやろう。
そうして桃たちへの合流に向かう幹久の目は、いつもの穏やかな好々爺の目だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「畜生ッ!!」
自然と漏れた言葉は、自分自身に対する怒りだろうか。
桃達が壁に閉じ込められていくのを救い出せなかった苛立ちが募り、勇魚は思わず壁を殴りつける。
「申し訳ございません勇魚様。私がもっと早くに気が付いていれば……」
ハヌマンが勢いよく地面に頭をぶつける勢いで平伏する。
「お前の所為じゃない……。とにかく桃達を助けねえと……」
苛立つ気持ちを呼吸と共に吐き出し、ハヌマンの肩に勇魚は手を置いた。
その言葉に従って、ようやくハヌマンが顔を上げて申し訳なさげに立ち上がる。
悔しいのはハヌマンも同じだ。
もっと早く気が付いていれば。
もっと声を上げるのが早ければ。
もっと手を伸ばせていれば。
そんな言葉は考えれば湯水の如く湧いてくるが、今は反省会を開いている場合ではないのだ。
「勇魚様!」
なかなか纏まらない頭に喝を入れるように、老人の声が響く。
「花咲の爺さん!」
「これは……なにかあったのですかな?」
「桃ともう一人、女の傭兵が突然壁に囲まれて攫われた」
勇魚の言葉に、幹久は一瞬言葉を失い固まった。
無理もない。目の前で起こった出来事を、勇魚もハヌマンも未だに整理しきれていないのだ。
「すると、桃は未だ砦の中に……」
「多分な。壁が突然地面から湧いて、桃達を囲って閉じ込めたんだ。俺もハヌマンも間に合わなかった」
「申し訳ございません。花咲様」
「囲まれる前に傭兵からならず者の首領の特徴を聴いていたんだが、それを聞いた桃が妖怪かもって……」
「となると、少々厄介ですな」
「どうする?援軍を呼ぶか?」
「否。おそらく敵の狙いは桃でしょう。時間がありませぬ。首領のみが相手であれば、この場の全員でかかったほうが早い。わしは村人たちをまず村に送り届けて参りますので、勇魚様はハヌマンと共に先に桃の救出をお願いいたします」
「分かった。村人は頼む」
「お任せを。勇魚様もご無理は為さいませぬ様」
「ああ、今回の相手が只のならず者じゃあ無さそうだってのは嫌でもわかる。でなけりゃ桃が不覚を取ったりはしねえ」
勇魚の言葉に幹久が頷く。
桃は戦に出るようになってまださほど経っていないが、物心ついたころから蘇芳の先達達から多くの手ほどきを受けて育ってきている。
本人が鍛錬を楽しんでいる様子だったことや覚えが良かったこともあり指導にも熱が入ったものだが、そのお陰か同じ鍛錬を一緒になっていた勇魚も含めてその実力はそれなりに高い。
まだ甘さはあるが、それでも簡単に不覚を取られるような男ではない。
「わしも出来る限り早く合流できるように力を尽くします。ハヌマン、勇魚様の手助けを頼んだぞ」
「命に代えてもお守りいたします」
「ハヌマン、お主……」
迷いなく言ってのけたハヌマンに、幹久が何かを言いかけて黙る。
「花咲様?」
「いや、今は良い。では、頼みましたぞ」
途中で黙った幹久をハヌマンが疑問を浮かべた表情で見つめるが、彼はそのまま踵を返すと村人たちの元へと行ってしまった。
このまま村人たちを村へ送るつもりだろう。
勇魚は幹久を見送り、そのままハヌマンへ声をかける。
「命に代えてもなんて言ったが、自分の命も守れよ。そんな使い方させたら桃に俺が怒られる」
「しかし私は……」
「あのとき桃を助けられなかったことを気にしてるんだろうが、それで命をかけて償おうっていうなら使いどころを間違えてる」
そう言って勇魚は、桃達の飲み込まれた壁の前に立って物色を始める。
ぺたぺたと壁に触れたり、軽く蹴飛ばしてみたり、隙間がないかいろんな角度から眺めてみたりと、その様子は少しばかり不用意でもある。
「勇魚様、そのような事は私が……!」
「そういう所」
「え?」
「そういう所だ。お前が桃の従者になるなら今後命をかけなきゃならない場面は出てくるかもしれないが、死んだらそれ以上桃を助けることは出来なくなる。
従者なら死に場所を勝手に定めるな。頼れるものは頼って、全部自分で背負うな。生きて桃を守れ」
「生きて……守る……」
「蘇芳に……、桃に救われたと思ってるなら猶更だ。いつ厳しい戦がおきるとも限らない。俺も桃もまだまだ色んな奴の助けが必要だからな。
大体お前まだ試用期間中だろう?なんだってそこまで入れ込む?」
勇魚の言葉に答えるように、ハヌマンは視力を失った左目。それを塞ぐ眼帯に触れる。
「普通なら途中で身体が不自由になった奴隷など殺されるか、よくて放逐されて当然です。そんな相手に選択肢を示すなど、桃様が初めてでした」
「だがお前やお前の弟にとっては残酷な選択でもあったはずだ」
「分かっています。それでも桃様は私たちと向き合って示してくれた。同情や哀れみではなく、この目で生じる不自由を承知の上で、仕事を与えてくれる。
蘇芳の方々も、私達を笑顔で受け入れてくれた。かつて家族と過ごしていた人としての私達を、久しぶりに取り戻せた気がしたのです」
「なら、猶更だ。人として過ごせるようになったきっかけをくれた場所や相手を、悲しませるなよ」
「……はい」
「わかりゃあいい。とりあえず、中に入ろうぜ」
「勇魚様!?中に入るって、なにか分かったのですか?」
壁を物色しながら喋っていた勇魚がそんなことを言い始めたので、ハヌマンは何か分かったのかと目を丸くする。
「いや?」
「なにも分からないことが分かった。意外と脆そうだってこともな。となりゃあやることは一つだ」
勇魚が親指で示したのは、悔し紛れに壁を殴りつけた場所。
其処には拳大の穴が開いて、所々崩れている。
「と、いいますと」
「決まってるだろう。壁があるなら破ればいい」
「なっ」
言うが早いか、ハヌマンが止める前に、勇魚は壁を思い切り殴りつける。
勇魚が拳を突き入れる度に壁の穴は大きくなっていく。数発殴ればすぐに崩壊する強度だ。
しかし其れなりに硬さはある。勇魚は手に手甲を付けているために素手よりはマシだろうが、あんなことを繰り返していては拳を痛めるのは間違いなかった。
だが止めることは出来なかった。
手段がないのは確かで、方法が思い浮かばない以上これが一番早いのも事実。
ともなれば、ハヌマンのとる行動は一つだった。
「私も!一緒に!壁ぶっ壊します!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「狛、怪我はないか」
「大丈夫、ありがとう桃」
周囲の轟音と土煙は、存外直ぐに止んだ。
俺は周囲の様子を探るが、思いのほか暗いために良く見えない。
(目も慣れてないし、見えないのは当たり前か……)
逸れないように狛の手を握りながら、周囲に目を凝らす。
背後と左右には壁。正面には一本道の通路。
先ほどの砦も簡単なものだったが、今俺達を囲んでいる壁はそれ以上に簡素で、申し訳程度の装飾すらされていない。
このまま進めという事だろうか。どうしたものかと考えていると、周囲に申し訳程度に下げられた燭台に灯りが灯る。
灯はそのまま奥へ続いていき、先には先ほど投げた短刀と、それが刺さった扉が見えた。
あの扉には見覚えがある。砦の中で共通で使用されていた扉だ。
「狛、剣は使えるか」
「刀ほどじゃないけど」
「この先に進む。戦いになるかもしれない。一先ず俺の剣を貸しておくからそれを使ってくれ」
「それじゃあ桃の武器が無くなるじゃない。借りられないよ」
「俺は魔法があるから大丈夫だ」
「あの扉を破った……?んー。でもやっぱり借りられないよ、自分で用意できるし」
「自分で?」
「うん、見てて」
そう言うなり、彼女は小袖の袂から小さな巾着袋を取り出す。
巾着袋の口を開けて手の上に中身を空けると、彼女の掌にはころりと丸い三つの石と羽飾りが連なった根付が転がってきた。
「石…?」
「ただの石じゃないよ。これは海に流れ込んだ溶岩を加工した物。私もね、魔法使えるんだ」
そういって狛は掌に乗せた溶岩を握りしめる。
彼女の周りには徐々に土のエネルギーが満ちていって、周囲の地面が僅かにカタカタと音を立て始めた。
それから待つこと数十秒、地面から伸びるように生えてきたのは、一本の刀だ。
柄と刃が一体化しており、鍔もないがその刃物は俺が記憶しているものよりも幾分か重く、無骨だったが、刃の形状を含めた総合的な見た目は正真正銘の刀だ。
「凄いな。武器を作れるのか」
「私の実家は鍛冶屋だからね。想像だけはしやすくて。土関係と言えば鉱物。鉱物と言えば金属。金属と言えば武器。でしょ?土のエネルギーをちょちょいと集めてね、火のエネルギーと風のエネルギーで鍛えて、水のエネルギーで冷やして……」
「待て待て。狛、全部の属性使えるのか!?」
「私のご先祖様いろんな属性の魔物がいるみたいでさ、一番得意なのは土なんだけど、他の三つもちょっとずつ使えるんだ」
「成程……」
「私が鍛冶に関わろうとするといい顔しないし、魔法使えるのも家族の中では私だけだし、女のお前には無用の長物とか言われそうだから、言ってないんだけどね」
「そうなのか」
「うん。元々武器が好きだったのもあってこっそり刀を振り始めたんだけど、ついにばれちゃってねー。案の定猛反対されて家出同然で出てきちゃった。これはその道中で作ったの」
「じゃあ、狛の手作りなわけだ。器用だな」
俺が彼女の手にある根付を覗き込みながら言うと、狛はそれに「でしょ」と笑って小さく頷く。
「溶岩だけで風以外の属性の媒体にできるからね」
「水も溶岩で出来るのか」
「溶岩って、流れるでしょう?流れや波は水のエネルギーの要素だからね」
「詳しいんだな」
「鍛冶は色々と自然物を扱う仕事だからね。魔物に教えてもらった知識や技術を記した文献が実家にも残ってたの」
「まあさっきも言った通り、家族は私が鍛冶場に入ろうとするといい顔しないから、そういうのもこっそり読むしかなかったし、この根付もこっそり手作りするしかなかったんだけどさ」
話を聴く限り、狛は家族と不仲とまではいかずとも、理解がなかなか得られない環境だったようだ。
鍛冶場が女人禁制を敷いていたというのは、前世でも聞いたことがある。
他の世界から持ち込まれたのか、あるいは元々存在したのかは分からないが、この世界にもそういった俗信があるようだ。
そういった環境下でこっそりと魔法をここまで扱えるまでになったのは驚嘆に値する。
精密な自然エネルギーのコントロールとイメージを要求されるはずだ。
自覚していないようだが、かなりの天才肌と言えるだろう。
「若いのに凄い……、俺も全部の属性使えたらなぁ」
「桃だって一緒ぐらいの齢じゃない。それに、属性はご先祖様次第なんだから、桃だってもしかしたら水以外使えるかもよ?」
「確かに…俺もまだまだ色々試してないことあるし期待してもいいか…それにしても武器を作るって発想はいいな!」
武器を作る。という発想はこういう事態で特に力を発揮するだろう。
前世においても漫画やゲームなんかで氷で武器を作って使ったり、投擲したりといった描写は会った。
頭の引き出しの中にはあったのに、狛の魔法を見るまですっかりしまい込んで忘れてしまっていた。
感心して狛を誉めれば、彼女は得意げに笑って見せた。
「でしょ?私の場合鍛冶仕事と同じように考えちゃう所為か時間がかかるのが難点なんだけどね」
「それでも十分凄いさ。落ち着いた後でよかったら詳しく聴かせてくれ」
「勿論!特訓に付き合ってもらう約束もあるしね」
そう答える狛の表情は明るい。
この状況は決して良いとは言えないのだが、変に不安感に支配されて動けなくなるよりはよほどいい。
本来であれば彼女を家に帰るよう説得すべきなのだろうが、家の事情に割って入るのも気が引ける。
こんな世の中で武器を取るという事の意味を思えば、彼女の家族は心配して反対したのだろう。
狛もそれを内心分かっているのだろうけど、割り切れない気持ちも理解できる。
(もし前世で父親にでもなった経験があったなら、俺のこの内心の思いも変わったのかもしれないけど……)
ともかく、まずはこの状況から抜け出すのが第一だろう。
まるで誘い込むように口を開けた通路の奥、そこにそびえる扉までたどり着くと二人で顔を見合わせて一気に開け放つ。
「やあ、いらっしゃい。一本道にしておいた筈だが…随分と遅いご登場だね」
開け放った先にはドーム状の広い空間。
その真ん中で、一人の男が石造りの椅子の上にぽつんと座って待っていた。
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