第二十二話 白髭の医神

 村長が提供してくれた家屋の外では、村人たちが破壊された場所の修繕に慌ただしく動いていた。

 彼らはしばらく忙しない様子で働いていたが、此方に気が付くと手を止めて駆け寄ってくる。


「おお、桃様でしたか。お体の具合は?もう出られてもいいんですか?」

「お陰様で順調に回復してるよ。えっと……」

「桃様、砦の中に入って来た時に声かけてくれたチビがいたでしょう?そいつの親父でさぁ。その節は本当にありがとうございました」

「ああ、あの子の……」


 砦には行ったときに顔を合わせた子、というと、あの少女の事か、と検討を付ける。

 少なくとも父親は無事に戻ってきたようでなによりだ。

 そうして考えている間に、この父親の声で他の者たちもこちらに気が付いてわらわらと周囲に集まってきた。


蘇芳すおうから来た家臣の方が目を覚ましたって?」

「桃様、子供を、ありがとうございました!」

「やっぱり蘇芳領の皆様は頼りになる!目を覚まされて本当に良かった!」


 口々に誉めて囃してくる村人たちに、若干引きつつも応対する。


 そういえば外に出るとき、玄関の傍に居た勇魚いさなに「外出るなら熱烈な歓迎受けるだろうから注意な」と警告されていた。

 どういう事か聞いた際に、「お前とこまは特にボロボロになるまで戦ったから、村人たちもかなり気にしてたんだよ……」とも。


 こっそり出てきた玄関口の方を見てみれば、勇魚に目を逸らされた。

 あの顔を見るに勇魚もこれ迫るか、同等のものを体験済みという事か。


(これは狛も外に出たら大変だろうなぁ)


 彼女は特に、依頼を断った傭兵たちの中で無謀ながらも唯一村人たちを救いに走った人物だ。

 ひょっとしたら俺以上に熱烈な歓迎を受けるかもしれない。

 心の中でもみくちゃにされる狛の未来を想像して、しずかに俺は健闘を祈った。


「俺だけの力じゃあ無理だったんで……、それよか、俺を治療してくれた方はこの中に見えますか?お礼を言いたいのですが」


 迫りくる村人を宥めつつ、目的の人物がいないか村人に問いかけてみれば、その人物は村の中心にある集会所にいるという。

 教えてくれた村人に礼を言って村の中央の集会所に向かうと、そこでは配給や怪我人の治療が行われていた。

 対応しているのは蘇芳の兵達だ。

 砦へ突入する前に飛ばしていた連絡を見て派遣してくれたのだろう。

 そのなかに見知った顔を見つけて、俺は思わず声をかけた。


「……凰姫こうひめ様?」

「桃!」


 真っすぐな栗色の髪と、澄んだ清流のような声。

 蘇芳領で留守番しているはずの凰姫様が、俺の呼びかけに反応して駆け寄ってくる。

 その横ではおと殿が何時ものように秘書の様に傍に控えて静かに立っている。


「なんでこの村に?」

「お兄様や桃が大変だって聴いてね。お父様に無理を言って、ここに派遣される兵達と一緒に付いてきたの」

「よく御館様の許しが出ましたね……」


 凰姫様が河童に誘拐された事件から、まだ少ししか経過していない。

 それを思えば、凰姫様がここに来ることを恵比寿様が許可したのが、少し意外だった。


「話を聴いた時の姫様はそれはもう目に見えて狼狽えていましてね。恵比寿様が見かねるほどに……」

「それは……お疲れ様です……」


 凰姫様は聞き分けが悪い方ではない。

 むしろ聞き分けが良すぎて、年相応の我儘もあまり言わない辺りが心配なくらいだ。

 とはいえ今回は状況が状況だ。少しばかり過ぎた我儘と言ってもいいかもしれない。


「過ぎた我儘だったとは自覚しているわ……。でも私だって少しは役に立つつもりで来たの。桃、そこに座って」


 そう言って彼女は俺の背中を押して、集会所の一角に座らせる。

 そうして包帯の撒かれた俺の腕を取ると、手際よく洗浄と消毒を済ませて新しい包帯を巻いていく。


「手際良いですね」

「でしょ?私も蘇芳の姫として、研鑽を重ねているのです」


 何時も大人であろうとする凰姫様だが、ふふんと若干のどや顔をして見せた彼女は年相応に見える。


「姫様はずっと練習されていたのですよ。勇魚様や桃様の力に少しでもなりたいと、私に教えを請われたのです」


 その様子を微笑ましく眺めていると、姫様が包帯を巻くのに夢中になっている隙に乙殿にこっそり耳打ちされる。

 彼女の声は涼やかな中に妙に惹きつけられるものがあって、耳元で囁かれると大変にこそばゆい。

 だがその言葉に偽りなく、凰姫様の手際は見事なものだった。


「頑張ってるんですね。姫様も」


 包帯を巻かれた腕で、姫様の頭を撫でる。

 小さな頃から知っている彼女の頭を撫でることは、昔はよくあった。

 久しぶりに撫でる彼女の髪は柔らかく、滑らかな絹の様だ。


「子ども扱いしてない?」

「してませんよ」

「ならいいけど」


 そう言って彼女はしばらく俺の手を受け入れる。子ども扱いされているのかと始めは少しばかり複雑そうだった表情も、すぐに機嫌のいい笑顔に変わっていった。


「そのわき腹の包帯も変えないとね」


「ああ。そうだ、そのわき腹の傷なんですが、治療してくれた方を見ていませんか?お礼を言いたくて」

「知ってるよ?じゃあ私呼んでくるね。いま別室にみえるから」


 そう言って彼女は蘇芳から派遣された兵と共に集会所の別室へ歩いていく。

 その背中を見送りながら周囲を見渡すと、集会所には思ったよりも人が少ない。


 捕まっていた大人たちや兵達も大きな怪我はなかったと聞いていたが、皆本当に軽い怪我で済んでいたのだと実感できて安心する。

 破壊された物は多いが、生きているのならば、またこの村は復興できるだろう。

 領から派遣された兵たちもいるし、なにより蘇芳の領民は逞しい。


「桃殿、姫様をあまり叱らないであげてくださいね。恵比寿様が今回の同行を許されたのにも、色々理由がございまして」

「恵比寿様が許可を出した以上強く言うつもりは元々ありませんが、理由って?」


 凰姫様を庇う形で話しかけてきた乙殿が、再度俺に耳打ちしてくる。


「実は桃殿達が出立された後に、瑠璃るり領からの使者が駆けこんできまして」

「使者……?それでいったい何を」

「はい。瑠璃領内で発生した災害に伴い、領主が行方知れずになった。助けて欲しい。と」

「領主が……?」

「はい。使者が其のまま意識を失ってしまい目を覚まさない為、情報を封鎖した上で急ぎ望月衆が裏を取っております」

「情勢がかなり逼迫してますね……」

「はい。恵比寿様も各地区の枝城の防衛に当たっている将に通達して瑠璃領側の防衛線を手厚くしておりますが……」

「中蘇芳の防衛はその分薄くなる。十六年前の大災害の被害以降、人手不足だもんなぁ……」

「先ほどご覧になった通り、凰姫様は簡単な物とはいえ治療の技術を習得されています。一刻も早く桃殿達の帰還いただくため、村の復興と警備の部隊に凰姫様を」

「そういうことでしたか。勇魚はなんて?」

「勇魚様には既に情報をお伝えしてあります」

「ありがとうございます。なら、警備兵と復興のための駐屯兵を残して、村人たちの治療の目途が付き次第急ぎ戻りましょう」

「ではそのように伝令の鴉を飛ばします」

「お願いします、乙殿」

「御意」


 乙殿がもたらしてくれた情報は、現在の情勢のきな臭さを示していた。

 一刻も早く戻る必要があるが、何はともあれ連絡だ。

 報連相は社会人の基本である。

 乙殿に任せてしまう形になったが、彼女であれば間違いなく中蘇芳へ伝えてくれるだろう。


「桃、来ていただいたわ」


 あれやこれやと頭の中で情報を整理していると背後から凰姫様の声がかかり、姿勢を正し立ち上がる。

 凰姫様の背後には二人の人物。


 少し腰の曲がった杖をついた白髪の老人と、もう一人は既に知った顔。

 元々受けていた任務で自治区から同伴をお願いしていた妖怪、覚のヤマヒコだ。

 彼は俺達が砦へ発つ前、自治区にいるという知り合いの治癒師を呼びに行ってくれていた。

 彼が一緒にいるという事は、この老人がその治癒師か。


「この度はお力添えを頂いたことに加え、傷を治療していただき感謝いたします。蘇芳領家臣の桃と申します。どうかお見知りおきを」

「これはご丁寧に。私ははくと申します。よろしくお願い致します」

「桃のその傷、白様があっという間に塞いで下さったのよ。本当に凄い方なの」

「そうでしたか。その節は本当にお世話になりました」

「なあに。出血は既に氷で止めてあったからの。後は傷を塞いで、感染を防ぐ処置をするだけであった。思ったよりも大けがをしているものもおらなんだし、大した仕事はしておらんよ」


 そういって穏やかに笑う老人は、顎に蓄えた髭を撫でる。

 顎髭を生やしていることから老爺かと思ったが、声色は老婆のような気がしないでもない。

 服装からの判断も難しく、不思議な雰囲気の人物だった。

 

 老人になると性別が分かりづらくなる人もいるにはいるが、それにしたってここまで判別がつかないのも珍しい。

 それにどこか浮世離れしているというか、超然としているというか、見た目は人間なのにそれを飛び越えたような空気を纏っている。

 自治区から来た。というのもあるし、人間ではないのかもしれない。


「白様。屋根の修理中にうちの旦那が落ちてしまって診てもらえませんでしょうか?」

「ええ、分かりました。では患者の所まで案内していただけますかな?」


 そう言って老人は一つ礼をするとヤマヒコを伴い呼び掛けた村人の女性の所へ歩いていく。

 白殿が離れたことで、若干緊張していた様子の凰姫様の緊張が解けた。


「傷を塞ぐ時の白様は凄くてね。あっという間に不思議な力で直してしまうの。お兄様も『硬いものを殴りすぎた』って言って拳を痛めていたんだけれど、あっという間に直してしまったのよ」

「それは……凄いな。魔法の類にしても聞いたことがないけれど……」


 この世界において、治療魔法と言う物は知る限りでは存在していない。

 あくまで魔法は自然現象に関わる物であり、魂だとか治癒だとか、そういった力はさらに上位の存在。魔物のものだ。

 ということはやはり白殿は魔物なのかもしれない。

 とはいえ正体を無闇に聞き出すのも不躾だ。この推測は推測のまま、一旦腹の内にしまっておく事にした。


「白様は知識も凄いの。薬草や薬学にも通じているし、まるで医学の神様みたいでね……」


 そう言った凰姫様の目は、正に英雄を見る子供の如くきらきらと輝いていた。

 俺が眠っていた間も、凰姫様は白殿の治療を手伝いながら知識を吸収しようと迷惑を承知の上で色々と聴いていたらしい。

 勿論、それが邪魔になってはいけないので、時と場所をわきまえた上でなのだろうが、ここまで熱の入った姫様も珍しかった。


「姫様、白殿は瑠璃領の様子にも詳しかったりしますかね?」

「そうね。白様はここ数十年は瑠璃領と自治区を渡り歩いていたそうだから、詳しいと思う」


(それなら、ヤマヒコと一緒に中蘇芳に来てもらうのも手か)


 今最も必要なものは情報だ。

 望月衆からの情報は正確で間違いないだろうが、住んでいた人物の直接の情報もまた違った角度の発見があるかもしれない。

 重傷者はもうほとんどが快癒したそうだし、家屋の修理などでの事故の怪我であれば兵達でも対応は可能だ。


(一つ、交渉してみるか……)


どう誘ったものかと頭の中に描きながら、俺は白髭の医神の帰りを待つのであった。

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