第6話 怪しいバイトにご注意を(前編)――3

 淀代市東区の西部。

 大通りから少し離れた路地に建つ『淀代第一ビル』二階に、『宰都特殊警備』の事務所はあった。


 周囲にはマンションやアパート、雑居ビルが立ち並ぶ、喧噪に塗れた東区の中にあってそこは閑静な通りだった。


 築三十年の『淀代第一ビル』は、かつて見せていた真新しさにそろそろガタが来始めている様子が伺える。


「ただいま戻りましたー……」

 外で昼食を済ませた篠栗ささぐりあずさが事務所に戻って来ると、そこには古賀がいた。

 


「おかえりあずさちゃん」

「あの……前から思ってたんですけど……」扉を後ろ手に閉めると、新品のリクルートスーツを猫背にして「その『あずさちゃん』って言うの、やめてもらってもいいですか……?」

「えっ」


「あの、私一応社会人……ですし。職場ですし、そういうのはちょっと……」

 今年の4月に新卒として入社したばかりのあずさは、おずおずと言った。


「あっ、ごめんごめん。そった、完全に翼ちゃんと同じノリで呼んじゃってたな……そうだよな……セクハラになりうるって言ってたよなこういうの……」

「あの……」

 何かまだ言いたいことがあり気なあずさに、古賀は「あ、何?」と顔を上げた。


「古賀さんと翼さんって、いつからの付き合いなんですか?」

 親子としてもあり得る年齢差だが、その距離感は歳の離れた兄妹のようにも見える。


「あぁ、最初に会ったのは翼ちゃんが10歳のときかな。まぁ、そのときは少し顔を見た程度だけどね。そのあと、翼ちゃんが12歳になったときに退魔士の修行を始めたあたりでよく顔を合わせるようになったかなぁ。だから、ここ5年くらいの付き合いになるのかな」

 昨日のことを思い出すように滔々と、それでいてにこやかに古賀は返した。


「翼ちゃんも今年で17歳かぁ。随分大人になったなぁ」

「翼さんって、そんな幼いときから退魔士だったんですね」

 まだ高校生だというのに、戦いや鬼人種に対する「慣れ」のようなものに、今年の四月に『宰都特殊警備』に入社したばかりのあずさは早々に気が付いていた。


「まぁ、翼ちゃんは普通の退魔士の家系じゃないから、櫻子ちゃんなんかとは全然事情が違うんだけどね」

「え、……てことは、一般家庭出身なんですか?」

 次から次へと出てくる事実にあずさは目を丸くさせるばかりだった。


「そうそう。特に淀代は結構多いんだよね、一般家庭出身の退魔士」

 それからわかってると思うけど、と、古賀は続ける。

「一般家庭出身の退魔士に『どうして退魔士になったか』なんて絶対訊いちゃダメだよ」

「は、はい。それはわかってます。――誰にだって複雑な事情はありますから」


 ――と、チャイムが鳴り響いたのはその直後だった。

「あれ、今日は特に来客の予定はなかったはずなんだけどな」

「あ、私出ます」


 扉近くに立っていたあずさが事務所の扉を開く――その向こうに立っていた人物に、あずさが「ヒッ」と悲鳴を上げ、古賀が「げっ」と顔を引きつらせた。


「ご無沙汰しております、『宰都特殊警備』の退魔士の皆さん」

 長い茶髪を結び眼鏡の奥の笑みは、二十年以上前に見た姿と寸分違わなかった。


「ヒッ……!? ヒィッ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!!!?」

「おや、そんなにワタシが怖いですか?」

 突如悲鳴を上げたあずさに満面の笑みを浮かべて、こちらに害意はありませんよ、とアピールする、も、あずさは已然怯えている。


「ちょっと。うちの新人怖がらせるのやめてもらっていい?」

 古賀が扉の前に立つ男に進み出た。古賀よりも高い身長の男が、胡散臭い笑みを張り付けたままだ。

「怖がらせたつもりはございませんが――」

 目を細めた男が古賀へと視線を移し――しばらく何かを思い出そうとしている顔をしながら視線を浮かべていた。


「あ。あぁ、あなたは確か」

 思い出した男がぱちりと瞳を開いた。

「古賀有親ありちか。二十年前に会ったことあるでしょ」



 事務所から離れ、非常階段に出た。

 あちこち錆びた階段に足を踏み入れると、遠くの渡井通を走るバスの停車音がここまで聞こえてくる。


「まさかこうしてまた会えるとは思いもしませんでしたよ」

 スチール製の手すりにもたれかかり、眼鏡の男――『鬼人種情報統制局』特別監視官、不動九徹は笑みを崩さない。

「退魔士は昔から殉職率が高いとは感じていましたが、かつて任務を共にした方とまた会えるとは」

「はは、運悪く生き残っちゃったよ」

 煙草に火を点けながら乾いた笑いで古賀が返した。


「それで、『情統局』の鬼人種様が何の用? 僕も忙しいから手短に頼むよ」

「ちょっと聞きたいことがあったんですけど――久しぶりなんで少しお話しません? 何か昔と雰囲気フインキ変わりました?」

「僕の話聞いてた?」

 このペースを乱される感じが昔から苦手なのだ。古賀は眉間に皺を寄せて紫煙を吐く。


「そう急くことはありませんよ。この辺りもかなり風変りしましたね。淀ビルは今建て替え中ですか? 大名町に随分大きなビルが建っていましたが、この辺りにあった建築物の高さ制限は撤廃されたのですか?」

「東区も再開発が進んでるんだよ。二十年前とは全然景色が違うでしょ」

「以前は当たり前のように混沌が跋扈していた街でしたのに、この街は綺麗に美しく変わって行くのですね。喜ばしいことですが、寂しさもありますよ」

「そうかな」煙草の火を携帯灰皿で消しながら古賀は続ける。「姿かたちが変わろうとも、この街の本質は何も変わることはないと思うよ」


 全面ガラス張りの磨き上げられたビルの群れが、まるでこの街に潜む闇を覆い隠すかのようにそびえたつ。

『放置区域』という異物が残されてはいるものの、この街は発展を遂げている。


「それで用って何? いい加減本題に入ってほしいんだよね」

「そうですね。名残惜しいですが、こちらも持って来た用事を済ませるとしましょう」

 ――別に僕は名残惜しいとかないんだけどなぁ。

 目を細める不動をよそに古賀は苦笑いを浮かべる。


 不動が上着のポケットからスマホのような端末を取り出す。どこのメーカーともわからないそれは、『情統局』専用の端末だ。


「昨日殺害した鬼人種から検出されたこちらのカプセルなんですが、我々も把握していない術式がかけられていたんですよね」

「あぁ、なるほど。鬼人種側のじゃないんだとしたら退魔士側かもってことで俺のとこ来たわけか」


 退魔士と『情統局』。

 手を結んだ二つの組織だが、彼らが持っている情報は共有されていない。例えば、どこの家がどんな術式を持っているか、とか。その部分は未だ残る二組織間の確執というわけだ。


 向けられた端末には、証拠品のカプセルとかけられた術式に関する情報が並んでいる。

 その情報を見て、古賀は目を剥く。


「……なんでこの術式が」

「何か覚えが?」

「昔淀代にいた退魔士の術式だよ。数年前に途絶えたはずの」

 古賀の言葉に、不動は「ほほう」と唸る。


「途絶えた、というのは一体どういう理由なのですか?」

「気味の悪い研究をしていたんだよね。人造鬼人種兵を作り出して、最強の退魔士軍団を作ろうって人体実験してた。もちろん『退魔協会』の執行者に処分されたよ。ま、家督継いでない次女は残ってるんだけどね。家の名前は――水城家」


 詳しい術式については後からデータを送る、と、端末を突き返すと「情報提供ありがとうございます」と不動は満面の笑みを浮かべた。


「これでワタシは失敬します」

「外まで送るよ」

 律儀に笑みを浮かべたが、本音としてはあずさにいらぬちょっかいをかけたりしないか心配なだけだ。


「――あ、そうだ」

 非常階段を出ようとドアノブに手をかけた不動が振り向く。


「箱崎翼さんはお元気ですか?」

「……何でそこで翼ちゃんの名前が出てくるの?」

 まさかの名前に、古賀は思わず驚きに口元をひきつらせた。


「だって有名じゃないですか、彼女。――七年前に起こった『淀代児童連続誘拐事件』、その唯一の生還者」




「ただいまー、あの鬼人種は帰しといたよ」

「あ、おかえりなさい」

 事務所でお茶を飲むあずさが顔を上げて言った。


「す、すみません、取り乱してしまって」

「大丈夫大丈夫。んでしょ?」

「は、はい……」

 椅子に座ったまま、あずさが身を縮こめる。


 篠栗あずさには、普通の人間には見えないものが見える。それが霊気だ。

 霊気――簡単に言えば、生命力だ。生きとし生けるもの、全てが持っているそれは、本来人間の目には見えないし、感じることもできない。

 だが稀に、それを視認できる存在がいる。あずさがその一人だった。


「まぁ、鬼人種特有の強い霊気だろうけど、基本的に害意はないから大丈夫だよ」

 あずさを宥めるも、まだ彼女の目には不安が残っている。


「あの人……何者なんですか……?」

 ぎゅっと握った両手はわずかに震えている。

のは霊気だけじゃないんです。……何か、神様みたいなものが……」

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