第2話 路地裏に聖女――2

 五月十三日。月曜日。

 文化祭まであと三週間を切っている。

 放課後の淀代高校の雰囲気は、まだ緊張感のない緩やかなものだった。実行委員を除いて。


「私、二日目の有志で友達がバンドやるんですけど、それ見たいんでシフトは午後からにできますか?」

「あ、いいよ。その辺融通効くから大丈夫」

 文化祭実行委員の仕事は、各種許可申請、文化祭中の見回り、ステージの裏方等、様々だ。


 実行委員の仕事は大量にある。「えっ、そういうのも生徒でやるの?」と思うものもあるが、そこは生徒の力で作り上げてこその文化祭なのだろう。

 それなりの責任能力が問われるのが、同じ未成年である小学生や中学生とは違うところなのだろう。


 ――大変なんだろうなーとは思っていましたけど。

 実際に仕事は大変だ。でも、割とこういう与えられた役割をこなすのは好きかもしれない。


「二年の箱崎さんだっけ? 今、手空いてる?」

「あ、はい。空いてますよ」

 歩み寄って来た先輩の声に、翼は笑みで振り返った。


「ごめんだけど、吹奏楽部に確認とってきてほしいんだ。必要な椅子の数と――――」

 先輩から渡されたのは、ダンス部や吹奏楽部などの部活動による発表が行われる一日目のステージに関する資料だ。

 発表する順に出演する人数と必要な物のリストが載っている。

 人数の多い吹奏楽部なんかは、必要な椅子の数なんか、きちんと把握しておく必要がある。


 そんなわけで、翼は先輩から仰せつかった仕事のために吹奏楽部の活動場所である音楽室へと向かうことになった――のだが。


「特別棟の三階まで行かなくちゃいけないんですよね……」

 実行委員が仕事を行っているのは、職員室などがある管理棟一階の多目的教室。

 淀代高校の校舎の配置は、正門側から管理棟、教室棟、特別棟と平行に並んでおり、管理棟と教室棟、教室棟と特別棟を連絡通路が繋いでいる。


 つまり、管理棟の一階から特別棟の三階という校舎の端から端まで移動しなくてはならないのだ。面倒くさいというのが正直なところだ。それでも与えられた仕事なのだから、ちゃんと音楽室まで出向いて確認して来よう。



 ……結果、音楽室に向かったのだが部長が音楽室に不在だったため探しに行くはめになり、想定より三倍ほどの時間がかかってしまった。

 確保する椅子の数も報告通りで何の問題もなく、管理棟一階に戻り先輩に報告した。


 それからしばらくして、その日は解散となった。教室の後片付けをして、鞄を肩にかけて他の生徒たちの波に流されるように教室を出た。と、そこに馴染みのあるクラスメイトの姿があった。

「箱崎さんお疲れ様~実行委員の仕事、どんな調子?」

 翼と実行委員に推薦した張本人、水城在果が手を振りながら翼の方へと歩み寄って来た。


「お疲れ様です水城さん。結構大変ですね~さっきも音楽室とここの教室往復してましたし。あ、でもやりごたえがあっていい仕事ですよ」

「ほんと? よかった。箱崎さんならこなしてくれると思ってたよ」

 満面の笑みの在果の言葉に、翼は思わず顔を綻ばせる。誰からも頼られるのは心地がいい。


「水城さんは今から帰りですか?」

「ううん、私は生徒会の仕事があるからまだちょっと残るつもり」

「え、そうなんですか?」


 時刻は十八時になろうとしている。西日本に位置するF県内はまだ日没まで時間がある。それでも、遅い時間の淀代には危険が多い。できるだけ早く帰った方がいいものなのだが。


 水城さん、そろそろ始めるよーという声が教室の中から届いた。

「あの、水城さん」

「ん? どうしたの?」

「私、何か手伝いましょうか?」

 翼の言葉に在果は「え?」と驚いて目を見開いた。


「こんな時間まで仕事してるってことは、結構忙しいんですよね? 私、生徒会じゃないですけど何か手伝えることがあったら手伝いましょうか?」

「あぁ、ありがとう箱崎さん。気持ちは嬉しいな。でも大丈夫。仕事はほんのちょっとだけだし。それに、私が我儘で実行委員お願いしたのに、生徒会の仕事までやってもらうのは箱崎さんに悪いよ」

 それは、と、それでも手伝いを申し出ようとしたが――ここで無理に押し切るのは、逆に在果に申し訳がないような気がした。


「わかりました。あ、でも本当に手伝ってほしいことがあったら言ってください。そのときはお手伝いしますから!!」

「あははっ、ありがとう。箱崎さんって優しいね」

 じゃあ、また明日ね、と手を振って在果は教室へと向かって行った。



「そう言えば翼さん、最近お休み多いですよね」

 出動要請のあった現場に向かう道中、レインが翼にそう問いかけた。


「もうすぐうちの学校、文化祭なんですよ。で、私実行委員になったんで、最近ちょっと仕事でこっちにこれなくなってるんですよね」

「文化祭……! 文化祭って言うと友達と共に楽器を演奏したり、生徒が運営する飲食店で食事をしたりできるっていうアレですよね……!」翼の言葉に、瞳を一等星のように輝かせてレインがまくし立てた。「すごいです……! 漫画や小説にしかないものだと思っていましたので……!」

「ええぇ……それは大袈裟な……」


 知らない人からすれば知らないことなのだろうが――確実に自分より長く生きて自分より多くの物を見ているはずだろうに。このヒトは一体どんな人生を歩んできたんだろうか、と、益体のないことを思いながら苦笑いを浮かべた。


 そうこうしているうちに現場に到着する。

 今日の現場は東区の繁華街東部。F県山間部から淀代市を貫き、淀代湾に繋がる那汰川付近の路地だ。最近、この辺りで異様な姿の少女を見かける、という目撃情報が多発している。


「異様な姿、とは、ずいぶんとふんわりした報告ですね」

「目撃者の方々から聞き取り調査を行ったのですが、どうも要領を得ない内容でして……該当の人物が認識阻害系の術を使って目撃者を攪乱している、というのが我々の結論です」

「認識阻害かぁ。『特殊警備私たち』が着てるみたいなものですかね?」


 と、翼が自分の着ている上着を示す。フードを頭に被ると、周囲から認識されづらくなる『特殊警備』特製の上着だ。

「少し異なるかと思われます。彼らは該当の少女をきちんと認識していますが、どうやら記憶に何らかの障害が発生しているのではないか、と。詳しい調査はまだ進んでいないのでまだ推測の域を出ませんが……」


 レインの言葉を聞きながら、翼たちは居酒屋やバーの並ぶ狭い路地を進む。

 看板のライトがアスファルトを頼りなく照らし、大通りにはないアルコールやタバコのにおいがあちこちから漂って来る。


 そのとき――街頭の少ない路地の向こうに、一人の人影が見えた。

 小さな背丈に裾の広がった長いスカート。目を凝らして見ると――頭にベールを被った人物が指を組んで何かを祈っていた。


 酒臭さの充満する地方都市の薄暗い路地に、まるで聖女のように祈る姿というギャップは、一種の芸術作品のようにも見えた。――が、そこに異変を覚えない翼ではなかった。


「もしかして、アレですか?」

「かもしれません。注意して近付きましょう」

 翼の言葉にレインが神経を尖らせた。

「相手は正体不明の術を使います。安易に近付いては――って翼さん!?」

 レインが素っ頓狂な声を――ただし声量は抑えめに――上げた。


 翼は、何の警戒も見せずに祈る人物の方へと足を進めた。

「どーもこんばんは~ここで何してるんですか?」

 近づいてみると、祈っていたのはやはりと言うべきか修道女の姿をした少女だった。白い襟に黒のスカート、同じ色のベールという、お決まりの姿だった。


 翼の声に気が付いたのか、少女が顔を上げる。

 彼女までの距離はおよそ五メートルほど。

 そしてそのとき、酒やタバコのにおいで気が付かなかった事実が少女の足元に転がっていた。


「こんばんは。いい夜ですね」

 少女は笑みを浮かべ、駒鳥のようにさえずる。

「祈りを捧げていたのです。は私との血となり肉となるのですから、感謝の祈りを捧げておりました」

「はぁ~……そうでござんしたかぁ~」


 ビンゴ。最悪。


 足元に転がっているのは二人の男の死体。身なりからして大学生だろうか。

 腰から提げた刀の鞘に手を添えながらゆっくりとゆっくりと修道女の少女に近付いていく。

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