第15話 全てがもう思うままだ――4

 発射された何かに撃ち抜かれ、修道服の鬼人種は倒れた。


「ふむ、威力はこんなものか」


 声の元に視線をやると、恋がリボルバーを構えていた。

 銃口から小さく煙の上がる銃はどうやら本物らしい。


 淀代市の裏社会において拳銃など珍しくもないが、滅多に見られるものでもない。

 銃を使っている退魔士もいるが、発砲音を伴うため周辺の一般人に露見してしまったり、使い捨ての弾丸にコストがかかったりと、欠点が多いため多用する退魔士は少ない。


 なかなかお目にかかれない退魔士の拳銃に、翼は興味津々だった。


「恋さんそれどうしたんですか? 銃なんて珍しいですね」

「実弾じゃないけどね。精神の興奮を鎮静させて、霊気の活性化を抑えてる。早いとこ決着をつけた方がいいよ」


 精神が興奮状態にあれば、霊気は活性化する。

 であれば、興奮状態にある精神を抑制すれば、霊気は静まる。


 力で討伐が困難な鬼人種は、戦意喪失させることで無力化することが可能だ。――そう簡単な話ではないが。



 体が動かない。


 針のようなものを撃たれてから、体に力が入らない。

 というより――手足を動かそうという気にならない。


 まるで泥の中にいるかのようなまどろみ。

 このまま、泥の中に溶け落ちてしまえば全部楽になれる。そんな心地さえしてしまう――――


「お兄、ちゃん」


 うわごとのように言葉が零れた。


 それは、椿にとって魔法の言葉だった。


 ある日突然、両親から「学校に行っちゃダメ」と言われたあの日も、兄は自分を慰めてくれた。

 食事すら用意されなかった日でも、兄がこっそり食事を用意してくれた。


 部屋に閉じ込められて、寂しくて泣いていたとき、「大丈夫だよ。お兄ちゃんはずっと一緒にいるからね」と言ってくれた。

 陰ながら椿を守ってくれていたおじいちゃんが目の前で殺されたときも、「大丈夫、大丈夫」と背中をさすってくれた。


 きっとお兄ちゃんも辛かった。

 家族が殺されて。家族を殺したのもまた自分の家族で。


 それなのに、お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんで居続けてくれた。


 私は世界で一番の幸せ者だ。だって、兄さんに愛されているんだから。


 私たちの邪魔をする者は全て殺そう。

 私たちの幸せのために戦おう。


 だけど――嗚呼。


 手足は動かない。動かそうという意識すら持てない。

 このままでは戦えない。


 ――兄さん?


 ふと、気が付く。

 兄の気配が――それまで間違いなくそこにあったはずの兄の気配が薄れていた。


「どこ……? 兄さん、どこに行ったの……? ねぇ、私を一人にしないで……一人は……暗いところはもうやだ……助けて、お兄ちゃん」



 異変は突如として起こった。


 霊気の活性化を止めた鬼人種『イドラ』の体が、何かに突き動かされたかのように跳ね上がった。


「なっ、」


 どん、と周囲に衝撃波が走り、遂に翼は片膝を付いた。


「れ――霊気が活性化してる……?」


 本来であれば物理的な干渉を起こさない霊気が、空気の塊となって押し寄せてきた。

 それほどまでに、彼女の体内では高濃度の霊気が活性化していた。


「……鎮静剤の量に間違いはないはず。やはりデータが足りなかった。――あるいは」


 恋が眼前の光景に目を細める。


「連中に一体何をしたんだ――『ザメーニス』」



 おじいちゃんが死んで、お父さんとお母さんが警察に連れていかれて、それからしばらく経った。


 私はどこかの施設に入った。

 目が見えないからそこが一体どんなところなのか全くわからなかったけれど、お兄ちゃんは毎日会いに来てくれたし、施設の看護師さん? はとても優しかった。


 施設では毎日、ラジオやオーディオブックを聞いて過ごした。学校には行けなかったけど、勉強もできた。


 あの場所で出されたご飯はどれもおいしかった。家にいたときはあまりご飯が食べられなかったから、どんなご飯でもご馳走だった。


 そのうち目が見えるようになった。歩けるようになった。


 それも全て、お兄ちゃんのおかげだ。おいしくて栄養のあるご飯を食べて、元気になれたおかげだ、と看護師さんは言ってくれた。


 最近お兄ちゃんが部屋に来てくれなくなったけど、全然寂しくなんかない。

 心の中にずっとお兄ちゃんを感じる。目の前にいなくても、ずっとそばにいてくれている気がする。だから、怖くない。


 愛されないことはとても辛いことだし、愛されることはとても幸せなこと。


 私はきっと、両親から愛されなかった。

 私はきっと、兄さんから愛されていた。


 愛されない悲しみも、愛される幸せも知っているからこそ、私は愛の素晴らしさを知っている。


 だから私は、皆の愛を祝福しましょう。

 だから私は、誰かの悪を滅ぼしましょう。


「私たちを害するなんて、あの人たちには愛がないのでしょうね、兄さん」


 吹きすさぶ霊気の風の真ん中で、椿は指を組む。


 昨晩、鬼人種を愛した父の気持ちを理解できたと語った男性。彼は椿を殺そうと刃物を振りかざした。


 ――彼の愛を、私が肯定してあげたのに。


 話には聞いていたけれど、退魔士という人たちの考えていることはちょっとわからない。

 粗暴で、戦うことしか頭にない人たち。

 殺し合うことしかできない人たち。


「そんな人たちは全員、殺してしまいましょう、兄さん」


 目を細めて、まるで聖女のように柔和に笑みを浮かべたのだった。



 霞む視界の中、櫻子は顔を上げる。


 大量の触手を持つ修道女の鬼人種――『イドラ』はかなり手強い鬼人種だ。

 東区に頻繁に表れる雑魚の鬼人種とは程遠い、本物の異形の姿をしたバケモノだ。


 ――あんなのに、どうやって勝てばいいの?


 霊気の活性化を抑える薬を打ったというのに、全く大人しくなる様子がない。

 それまで櫻子が戦ってきた鬼人種とは全く違う。


 退魔士として生きるならば、こんな敵に相対する日が来ることはわかっていた。

 あの職種に薙ぎ払われでもしたら、生身の人間は無事ではいられない。さっきだって一人、退魔士が弾き飛ばされた。彼は無事だろうか。


 黑もかなり消耗している。翼たちが増援に来てくれたが――あの鬼人種の狂暴化を前にそれもどれくらいもつか――――


「さく姉」


 櫻子の肩を、誰かが叩く。

 振り返るとそこには翼がいた。


「あの鬼人種を引きつけててもらえますか?」


「……箱崎翼。櫻子様に何をさせるつもりだ」


 翼の前に黑が立ちはだかる、が、翼は朗らかに笑っていた。


「せっかくなら黑くんも手伝ってください。数は多いほど良いですからね。もうそんな怖い顔しないでくださいよ~命の危機を感じたら速攻で逃げちゃっていいですから!」


 満面の笑みで黑の肩をバンバンと叩きながら言う翼に、怪訝な視線を向けながらも「……本当だろうな」と確認する。


「信じてくださいよ、ねぇ?」

「わかったわ。信じましょう、黑」

「良いのですか、櫻子様」


「――えぇ。私はいつだって翼を信じてるんだから」

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